月刊武道への投稿原稿の紹介
 月刊「武道」という本は 「心技体 人を育てる総合誌」のキャッチフレーズの下、武道そのものを中核にすえ、教育、健康、教養を三本柱に連載物を発行しています。(毎月28日発売 、左写真は2009年12月号の表紙)

 その月刊「武道」2009年12月号149ページ<古武道のひろば>に私たち竹生島流棒術の記事が紹介されました。内容は、『竹生島・宝厳寺で奉納演武 竹生島流棒術』です。この原稿を書いたのは竹生島流棒術の松浦利英です。今回このページで、その内容をご紹介します。なお最下記の関係ページも、ご参照願います。

竹生島・宝厳寺で奉納演武  竹生島流棒術

執筆者:竹生島流棒術 松浦利英
  6月27日の日差しの強い中、竹生 島流棒術・現宗家松浦寛澄と筆者を含む弟子たち一行は、琵琶湖に浮かぶ竹生島に降り立った。

 平安時代後期、源平合戦に起源を持つこの流派は、技を編み出した難波平治光閑が信仰していた竹生島の弁財天にあやかり、その名をつけたと伝えられている。数年に一度、竹生島流一門はこの島に集まり、竹生島の弁財天を祀る宝厳寺に近況の報告と奉納演武を行っている。今回は、大阪府阿倍野で行われる円心流居合据物斬剣法主催の「大阪第15回古武道大会」への参加のために関西に集まる機会を利用しての訪島であった。

竹生島棒術発祥之地 記念碑前での奉納演武
(右:松浦寛澄宗家、左:筆者)

  船着き場から売店を抜け、宝厳寺まで続く燭段の階段を上ると、鮮やかな朱色の宝厳寺本堂が現れる。平成9年の暑い夏の日、その本堂の前で「竹生島流棒術流祖八百年祭」が執り行われたのであった。

 同流の松浦良夫前宗家は、長年の悲願であったこの大会の開催に漕ぎ着け、竹生島流棒術発祥の地を記念した石碑の建立と近隣古武道流派の協力を得て演武会開催を果たした。各流派のすばらしい演武により大会は盛大に進められ、前宗家はその大会の最後を涙を流しながらの謝辞で締めくくられたのが、強い印象として残っている。

 今回の訪島でも、宝厳寺本堂の中に入るとお寺の関係者の方々が温かく我々を迎えてくださり、挨拶と近況報告を行った。本堂内弁財天への 参拝を行った後、弁財天御前と発祥の地の記念碑の前で奉納演武が粛々と執り行われた。堂内では表の型、 裏の型、半棒の型を、記念碑の前では極意の型の奉納演武を行った。

 堂内には、一心にお経を唱えている参拝者もおられるなど、聖武天皇の時代に開眼されたこの場所は、歴 史の舞台にしばしば登場するほど、古くから信仰を集めている場所である。そのため、自分の携わる棒術が持つ歴史や人の営みの重みを、改めて実感したのであった。また、そのような場にあるこの本堂に弁財天と歴代の宗家がおられ、我々を見ておられるのではないかと思い、非常に心が引き締まり、棒の一振り一振りごとに初心に帰っていく気がした。

 一行は一通りの参拝と奉納を終え、この島に来た時いつも立ち寄る 売店で昼食をいただき、島を後にし た。夕方には、大阪府阿倍野へ移動 し「大阪第15回古武道大会」の前夜レセプションや流派単位での酒宴の席に出席し、各流派の先生方への挨拶を行うとともに、他流派の方々や 仲間たちと交流を深めた。大阪の「古武道大会」は例年雨になることが多いが、今年は天候にも恵まれ、大会は大盛況。年々大会の規模や周囲からの期待も大きくなっているのを、会場にいて感じることができる。古武道を代表される各流派の先生方の演武は冴え、大会は順調に執り行われた。

 今回の旅は、自分の竹生島流棒術への取り組みに関して、初心に戻って自己を見つめなおすことができた 良い機会であった。さらに、各流派の先生方や先輩方、仲間との交流も深めることができ、非常に有意義なものであった。今後もこういった機会をうまく利用しながら、竹生島流の一門人として技と人間性を磨き、竹生島流棒術を支えていけるようになりたいと考えている。

関係ページ:2009年6月27日開催 竹生島・宝厳寺(弁財天)へ奉納演武
関係ページ:2009年6月28日開催 第15回大阪古武道大会
関係ページ:月刊武道の紹介ページ



竹生島流棒術