与板町のプロフィール
,与板町は長岡市の北部に位置しています。日本海に向かう大河信濃川の左岸に沿う形で、細長く町並みがひらけ、西には緑豊かな三島丘陵を背負うため、古くから人が住みつき物資の交流も盛んでした。
歴史の始まりは縄文中期にさかのぼります。多数の火焔土器など縄文土器が発掘されていて、住居跡も見つかっています。越後古代誌や古地図には、「與田」という地名で登場していました。その後地名は「與板」と改まって、歴史は群雄が割拠する戦国時代へと進みます。
約670年前の建武年間に、新田氏の一族が与板に城を構えていたという史実が残っています。その後戦国時代の越後の雄上杉謙信に仕えた飯沼氏、直江氏がこの地で城を構え、特に上杉の重臣直江氏は三代にわたって与板を拠点として活躍をしました。与板城主山城の守「直江兼続」もその一人です。
江戸時代に入ると、長岡藩主の分家牧野氏、そして井伊氏がこの地を治め、河川交通の便など地理的条件を生かして大いに繁栄させ、河湊(かわみなと)としての与板は、人と物と文化が行きかう商いの町となりました。江戸中期より越後屈指の豪商が軒を並べました。良寛さんが父親の実家新木家のある与板に、足繁く往来していたのもこの頃です。
明治になり廃藩置県で「與板県」となり、その後新潟県に合併してからは郡役所が設置されていました。鉄道の普及や道路の進歩により船を用いた交易は衰え、町のすがたも移り変わりました。現在、面積は20.24平方メートル、人口は約7500人で、現在も伝統ある打ち刃物産業を守りながら「長岡市与板町」としてキラリと光る存在感を示しています。
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