●迹王の餅唄
- 粟田部の岡太神社の秋祭りには継体天皇が大和国 盤余玉穂宮(いわれたまほのみや)に遷都された日を祝して迹王の餅を供する神事が。堂・宮の若者が餅を入れた大半桶をかつぐとき歌う餅唄。千代のなぁ〜八千代も 皇子が池はよ〜枯れるなぁことなき 清き水よ〜
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●荒樫神社(あらかし神社)
- 「男大迹王子」の頃、崇敬された神々ということが伝えられている。社には平安期と平安末期の木造十一面観音菩薩各一駆の等身大を越える仏像が、また鎌倉時代の作といわれる木造「泰澄大師坐像」も安置。
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●莱祀
- 今立町粟田部の岡太神社の行事のひとつに莱祀(らいし)がある町内ではオライシと呼ばれ毎年2月11日に大きなオライシを引いた男達が町中を練り歩く、継体天皇の行幸を模倣してもの。昔はオライシの歌が受け継がれてきたが今はとだえ、代わりに堂の餅の歌を唄って練り歩いている。
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●市祭り
- 毎年正月9日(今は2月9日)午前0時〜7時に行われる貨幣交換の神事。参詣人(氏子)は神前に商売繁盛を祈念し、早速小判と御礼を我が家の神前に供え、再び商売繁盛、家内安全を祈る習慣になっている。越前の国では敦賀、三国の港町は別として武生、織田、平泉寺と粟田部以外にはその例がなく粟田部は古くから産業商工の町として近隣の中核的存在であったという事である。
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●徳日参り
- 市祭りの翌正月10日は岡太神社の拝殿正面に仏像一駆が安置されるが参詣者は深更(午前0時〜7時)の時刻に神社に参詣して無病息災家内安全を祈る神事である。
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●越前和紙
- 全国に数ある和紙産地の中でも1500年という長い歴史をもち室町時代には「越前奉書」を生み出し公用文書用紙として全国にしられ紙座として織田信長や江戸幕府から数々の特権が認められました。明治に入ると太政官金札用紙と用いられ、大正時代には麻紙を漉く事に成功昭和に入ると大蔵省の紙幣用紙も抄造した。平成には世界一大きい平成大紙が漉かれています。
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●紙祖岡太神社
- 今立町大滝にの紙祖岡太神社(おかもとじんじゃ)大滝神社には雅楽が今も伝わってます。笙(しょう)篳篥(ひちりき)鞨鼓(かっこ)笛などの楽器を担当しているグル―プ雅楽部があり春祭、秋祭には五常楽や越天楽、老君子など奏で神社の荘厳さを増している。
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●横枕遺跡
- 弥生時代中期の横枕遺跡(粟田部)・全国でも珍しい木製容器が出土<BR>昨年7月からの発掘調査で国内でも珍しい装飾が施された木製付き容器が発見されました。遺跡は集落跡で調査面積は一万三千平方メ−トル、弥生時代中期の遺跡が見つかったのは県内でも珍しく今立町では初めてです。(10/19)
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●天神祠
- 御神体は天神七代の神の「少彦命名」で雄略18年(474年)の頃「男大迹王子」が在郷の折り自ら刻まれた尊像である。王子は朝夕この祠に詣で、天長地久を折られたが武烈天皇の突然の崩御で即位の為に樟葉の宮へ還られる際、王子に近臣として仕えていた現「善玖寺」の先祖へ後々まで祀ることをたくされていたものである。今でも善玖寺の管理下のおかれ天神町と下佐山町が奉祭し祭日は9月3日・4日である*(善玖寺はもと天神社の別当で明治6年の大火までは王子の遺品を所蔵していたと記録されている。)
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| ●語りつがれたむかしばなし● |
福井県の穀倉地帯、越前平野にのぞむ今立町五箇(いまだてちょうごか)。
背には山、清らかな水に恵まれた山沿いの郷です。
大滝(おおたき)・不老(おいず)・定友(さだとも)・新在家(しんざいけ)・岩本(いわもと)の五つの地区がありそれで五箇というんです。五箇には紙漉きの工場が多いのです。
これはむかしむかし、今から1500年ほど前、継体天皇が男大迹巫女(おおとのみこ)と呼ばれていた頃、村人のくらしはとても、苦しかった。
ある時、岡本川の川上に住んでいるというお姫様が現れ、「このきれいな水を使って、紙をお漉きなさい、きっと良い紙ができるでしょ」と言うと、紙の漉き方を教えてくれ、雲のむこうに消えていってしまった。
村人達は、このお姫様を『川上御前』と呼び、岡本神社に紙の祖(おや)としてお祭りする事にした。
これが越前和紙のはじまりです。 |
| むかしむかしのお話です。 |