第十八回日韓中青年共同セミナー

(1999/7/29-8/1 於 滋賀県和迩浜)
エスペラント版
(Esperantlingva versio)
全体写真

お知らせ
 次回の日韓中青年共同セミナーは、 2000/8/5 〜 8/12 に香港で開催される 国際青年大会に抱き合わせて開催されるので、 世界各国から多くの青年が集まることでしょう。
注意

目次

はじめに
t.e.-ismo(即ち主義)
エスペラントのオヤジギャグ
分科会「エスペラントは本当に学びやすい言語か」
役に立つエスペラント

続く?

尚、挿入されている写真はセミナー中の幾つかの場面ですが、 本文の内容とは関係ありません。


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al la paĝo de GOTOU Humihiko
はじめに

花火

 さて、1999/7/29 から 8/1 まで、 日韓中青年共同セミナー(日本、韓国、中国の青年エスペランチストの集まり)に 行ってきた。 去年の共同セミナーの報告はあまりにも 長くなってしまったので、今回は、 記憶の断片のいくつかを取り留めなく羅列するだけとする つもりなので、ご容赦?願いたい。
 さて、今回のセミナーは、日程的に世界大会(ベルリン)と重なったり、その後に アジア大会(ベトナム)が控えていたり、また、 中国人が日本へ来るには招聘状取得のために日本人の知人を 保証人にしなければならなかったりすることもあって、 例年と比べると 参加者が非常に少なくて、日本から20人強(在日イラン人含む)、 韓国から6人、 中国から3人(但し、香港から一人と在中オーストラリア人とアルゼンチン人) と実にこじんまりはしていたが、 それはそれで十分に楽しめた。


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t.e.-ismo(即ち主義)

テコンドー

 O氏 とは二年ぶりくらいで会った。 前回、O氏と会ったのは、 私がエスペラントを始めてから半年くらいの時だったので、 当時は、誰が喋るエスペラントも極めて早口に聞こえていたし、 中でもO氏のエスペラントは群を抜いて早口に聞こえた。 その当時、初めて会った国内外のエスペランチストと、 半年後とか一年後とかに改めて大会などで会うと、 以前あんなにも早口に聞こえていたエスペラントが、実は割とゆっくりとはっきりと聞き取れたりして安心する ということは何度か経験していたので、 今回のO氏との再開もその意味で楽しみ?だった。 しかし、O氏のエスペラントは相変わらず、とても早口に聞こえた。 まあ、O氏は、日本語を喋るときも早口なので、もともと早口なのだろう。


  さて、私のエスペラントの高級語問題についての意見 については、O氏も電網頁で読んでいたようだが、 私の主張には明らかに間違った点があると指摘してきた。 例えば私は、
エスペラントの高級語群は、せっかくのエスペラントのその造語能力を、もったいないぐらいに利用していないと思います。これは恐らく、エスペラントの創始者ザメンホフを始め、エスペラントに高級語を取り込んでいった先人たちが、基本語のみからの合理的な造語を徹底している中国語のような言語を知らなかったために、既存のエスペラントの基本語から高級語を造語する努力を怠り、あるいはその可能性に思い至りすらせずに、何の疑いもなくヨーロッパ語の高級語の語幹(大抵はラテン語やギリシャ語)を安直にそのまま借用してしまったためだろうと私は見積もっています。
と書いているが、O氏によると、実はザメンホフ自身はかなり基本語からの 造語を駆使していたのであって、造語をせずに安直に ギリシャ/ラテン系の高級語群を大量にエスペラントに持ち込んだのは、 主にその後のフランスのエスペランチストたちなのだそうだ。 現に、ザメンホフは初期の著作では、 エスペラントの文法説明の際に 「pluralo(複数)」という語幹は使われてはおらず、 「mult-nombr-eco(多――数――性)」みたいな 基本語からの造語が使われているそうだ。 確かに、私も ザメンホフの著作は高級語が少なくて読みやすい とは思うが、それでも、造語を徹底しているというほどではないと 感じている (その後、O氏から紹介されたザメンホフの著作を調べてみたら、 なるほど「複数」に関しては 「multe-nombro」という造語が使われているが、 「名詞」とか「前置詞」とかの文法用語に関しては、 「substantivo」とか「prepozicio」とかの一語幹のラテン系高級語が そのまま使われている)。

 それから、「エスペラントのギリシャ/ラテン系高級語は、 基本語からの造語で置き換えられるべきだ」という私の主張に対して O氏は、 「置き換えというのは人に受け入れられないから、 併記にすべきだと思う」と述べた。 例えば、 文章の中で「otologio(耳科学)」という高級語を使うときは、 すぐその直後に 「otologio t.e. orel-scienco(オトロギーオ即ち耳−科学)」のように 分かりやすい造語などでいちいち説明するということで、 こういう主義のことを「t.e.-ismo(tio-estas-ismo、 即ち主義、それは……のことです主義)」 とO氏は(他の人も?)呼んでいるそうだ。より一般的には、 こうした姿勢のことを、paralelismo(並行主義)とも呼ぶそうだ。 まずはこのように「併記主義」を取ることが、 今まで安直にギリシャ/ラテン系の高級語を使うこと以外は思いも寄らなかった フランス人を始めとするヨーロッパ人たちに、 基本語からの造語というもう一つの別の可能性を気づかせることに 繋がるのだというのがO氏の主張のようである。 O氏は、こうした考えについて、近々 自分の頁 にでも書こうかと思っていると言っていたので楽しみにしている。 ところで、O氏のピアノ即興演奏能力には感服した。圧巻である。


韓国からの六人

分科会「エスペラントは本当に学びやすい言語か」

 私はエスペラントの高級語問題について、 「C^u vere Esperanto estas facile lernebla lingvo ? (エスペラントは本当に学びやすい言語か?)」 という題目で分科会を開かせて戴いた。 O氏は、初級講習の講師をやっていたこともあり、 この分科会には参加できなかった (そのこともあって、私に予め釘をさしておいた?のかも知れない)。 分科会には、韓国人のJ氏、在日イラン人のR氏ほか、日本人の H氏やM氏やK氏などが参加してくれた (誰も参加してくれないかも知れないと内心ちょっと心配していたのだが)。 私は、ここここここ で述べているようなことや、 去年の中国でのセミナーで話したようなこと や、前日O氏の言っていた t.e.-ismo の話 などを喋った。 参加者も色々と自分の意見を述べてくれたが、 例えばJ氏は、
「あんだは、おもしいごど考えでんだねえ。 おら、自分の使ってる単語か゜造語がラテン系の高級語が なんて特に意識したごどもねえでば」
と言ってきた。 そこで私は
あら、あんだだって、去年の共同セミナーのどぎ、強え酒 飲まさいだどぎに『mang^-vojo(食――道)が焼げるみでえだ』みでえな造語してだいっちゃ
と言ってやった。 J氏は、どうも私の推し薦める「造語主義」に興味を示したらしく、後で、
「やっぱり、おいも造語が好ぎでがす。 韓国の他の人だぢさも紹介してえがら、 (前刷りよりも)もっと詳しぐ書いだやづあったらば けらいん」
と言ってきたので、私が持っていた この頁の複写をあげた。 まあ、 積極的な賛成ではないにせよ、この問題に 興味を示してくれる人が増えるのは頼もしいことだと個人的には感じている。


エスペラントのオヤジギャグ

私のおふざけ

 セミナー最後の夜は、「Gaja Vespero(賑やかな夕べ)」と称して、 隠し芸大会的な出し物をするのだが、ある部屋割りの人たちが、 出し物を捻出するべく頭を絞り合っていたので、私も冷やかし半分に 傍観していた。 そうしたら、H氏が、一発ギャグはどうだろうと冗談半分に提案した。 どんな一発ギャグだ? と皆が訊くとH氏は、こんなギャグを披露した、
Ni trinku trinkaj^on.
Oo, jes, jes. Kian trinkaj^on ni trinku ?
Mirinda(n) !

飲み物 飲むべ
おお、んだ、んだ。どいな飲み物 飲むべ?
ミリンダ(びっくりするようなやづ)を!
 つまり、これはかつて国内に出回っていた 炭酸飲料の ミリンダ と、エスペラントの頻出単語である造語「mir-ind-a(驚く――に値する――ような)」 とをかけた、冗談としては今ひとつ低級な、言わば 「オヤジギャグ」程度の出来映えなのだが、 何故か私は思わずウケて笑ってしまった。 いやー、ミリンダなんて懐かしい。 ミリンダはラムネに近い味がして (リボンシトロンと混同しているかも知れないが) 私はキリンレモンよりも好きだったのを思い出した。 それなのに、その場にいた若い連中は 何とミリンダを知らないために 意味が分からずポカンとしているのである。 私は、このギャグを是非 出し物で披露するように押したが、 当然の如く却下された。 まあ、一部の日本人にしか理解してもらえないギャグだし、 理解してもらえたところでウケないギャグであるのは尤もなのだが。 ところで、 ヤクルトという名前はエスペラント由来 だが、ミリンダは何語由来だろうか?  それが問題だ


役に立つエスペラント

 最終日は、大阪方面に遊びに行くという韓国人六人組と、 この六人組と一緒に遊んでから香港へ帰るために関西空港 へ向かうというB氏と共に、私も京都駅まで一緒に帰った。 和迩浜駅で切符を買う際に、私は韓国人のK氏や香港人のB氏に 通訳を頼まれた。 K氏は何やら特殊な切符を持っていて (五回まで自由に特急に乗れるとかいうやつだったろうか?)、 寝台に乗っている間に、日が変わったら二日に渡って一回ではなく、 一日に一回ずつ二回 特急に乗ったということになるのかとか、 いろいろとやっかいな話で、 その切符で、あと残り何回ぶんをどういうふうに使えるかを確認した。 B氏については、大阪駅から関西空港駅まで要する時間と値段を訊いやって、 その切符を予め買うのを手伝った。 いずれにせよ、こういう場面で僅かながらでも外国人エスペランチストの助けになれる のは、私としてもなかなか嬉しい( 例えば去年の中国では、私もWさんとかに大いに助けられたのだから)。

 その後は、ホームや列車の中でエスペラントをまくし立ててお喋りしながら、 例のごとく周囲からの好奇の視線を感じつつ、京都駅まで一緒に行き、そこで別れた。




続く?