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江戸時代宝暦年間、
現在の岐阜県にあった郡上(ぐじょう)金森藩では
年貢の税率をあげとようとしたところ
農民の強い反対にあいました。現在の郡上郡白鳥町の農民が中心となり藩に談判しました
が受け付けてもらえません。
郡上では話にならないと江戸藩邸にまで訴えにいったり
登城途中の老中の駕籠を止め直訴したりしました。
しかしそれも功を奏さず、やむなく江戸評定所の
「目安箱」に訴状を入れます。これらの農民たちの死罪覚悟の
行為により幕府も田沼意次や大目付により詮議を開始しました。
その結果、幕府役人・郡上藩役人が罷免されま
した。もちろん農民には獄門・死罪・遠島の者もでました。
藩主は取り潰され、新しい藩主が任命されることになりました。
江戸時代におきた多くの
一揆の形態
のなかでも藩主だけでなく幕府要人まで
裁きが及んだのは郡上の一揆のみです。
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つづく
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