| 一旦は陰りをみせた一揆の勢いも、駕籠訴決行の知らせをうけるや再度盛り上がり
はじめました。寝者の百姓大勢が詫び状をいれて一揆に参加するようになり立者の数が
急に増加しました。
宝暦六年(1756)3月24日、団結の証として誓いの言葉を囲んで楕円形に署名捺印した
二日町村(白鳥町)
傘連判状
(からかされんぱんじょう)が作られました。その誓いの
言葉は
「郡中の相談から決して抜けないことを誓います。もし抜けたらどんな目にあっても恨みません」
というものでした。また同年4月14日には村単位の傘連判状も作成され、郡上郡全体の150の村
代表による郡上郡村々傘連判状として有名です。
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