ところが、このすぐあとで野々村弥右衛門と渡辺喜次郎が
白鳥村の堤防工事の費用として二百両を嘆願したところ、この願いについては
聞き届けられました。これに対して白鳥村以外の村々が猛反発しました。白鳥村だけ
特別の扱いであると役所の不公平行政に対して不信感を強めました。
そして那留ヶ野の「子持ち杉」に白鳥村を除く周辺の村から人々が集まってきました。
すべて宝暦年間と同様に「言いつぎ」による連絡で通達されました。約3000人が集まり
白鳥村の弁明を要求しました。最初のうちは白鳥村からだれも那留ヶ野へいくものは
いませんでしたが、そのうち3人の代表者が集会場所へ出向き、
「二百両の金は白鳥村の洪水被害による堤防修復に使うもので、決して郡内の百姓の
名前を利用して引き出した金ではない」
と説明し、再三の呼び出しに答えなかった謝罪として二百両のうち五十両をさしだしました。
そして前回決議した2項目を再度嘆願することを決めて解散しました。
この事件は白鳥村周辺の農民の代表者が逮捕され監禁されることなります。
約百年前の宝暦騒動と酷似した那留ヶ野騒動は白鳥農民の心の中に宝暦義民の
理不尽な政治と対決する勇気と家族を守る心が引き継がれていたことを物語っています。
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