宝暦義民入門

9.役人への判決
官僚裁判 宝暦八年(1758)10月29日、役人への判決が下された。

老中本多正珍をはじめ、若年寄・勘定奉行・笠松代官(青木次郎九郎)免職、 他に幕府役人も多数罰せられました。
■笠松代官の青木次郎九郎は役職権限外のことに口をだしたことを理由に免職を言い渡されました。
■若年寄本多長門守忠央(遠州相良1万5千石)領地没収、作州津山松平越後守へ永預け。そしてその領地の相良はちゃっかり田沼意次がもらうことになりました。

(五人の詮議官の一人、牧野織部は笠松の治水工事− 宝暦治水−で顔見知りのはずなのにかなり厳しい判決 by webmaster)

藩主金森頼錦は領地没収・お家断絶され、盛岡藩南部大膳大夫利雄へ預けられた。金森藩の重役も重い刑罰を受けました。

半田園右衛門 江戸十里四方追放 宇津宮藤馬 軽追放
根尾甚左衛門 死罪 石黒十左衛門 追放
片重半助 死罪 大野舎人 追放
粥川仁兵衛 遠島 久保田九郎助 追放
渡辺外記 遠島 森瀬左衛門 追放
黒崎佐市右衛門 遠島 (病死) 上村十兵衛 追放

百姓一揆が原因で老中など幕閣や藩主が免職や改易になったのは、江戸時代でこの事件 だけです。郡上郡白鳥町を中心とした百姓一揆の歴史的な意義となりました。

判決下される このように武士階級への判決は厳しいものでした。 しかし農民の望みは幕府による役人の処分や規律の遵守ではなく 家族を養っていくだけの米だったのです。そのことを無視するように 農民に対する判決は役人への刑罰以上に厳しいものでした。
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