被援助者の状態が苦しいほど、その内的な治療者の力が弱くなっているため、
より治療力の強そうなもの、《全能者》を無意識に求めてしまうのではないかと思います。
・・・援助者はどのようにして偽りの援助者になるか?
被援助者の逆を考えると、援助者の側にも「治療者−患者」元型が布置されることになり、援助者は
患者を求めることになり、そして、同時に彼自身の中にいる患者の部分が活性化されると考えられます。
しかし、援助者の患者の部分が活性化されるときの援助者の気持ちを想像してみてください。
自分の患者性を意識しながら援助者であり続けることは容易ではないように思います。
著者はこのように言っています。
元型の持つ対極性を維持し続けていくということは、人間の精神にとっては容易なことではない。
自我は明解さを好むものだし、内的な矛盾をぬぐいさろうと努めるものである。
この明解さを求めるという欲求は、ある観点からは、対極性を有している元型の分裂をひきおこすことに
なる。元型の一方の極は抑圧されて、無意識の中で作用するが、その結果精神的な障害が起きてくる
ことがある。元型の中で抑圧された部分は外界に投影される。例えば病者は、内的治療者を実際に治療
してくれる医者に投影するし、医者は自分自身の傷を病者に投影するということもありうるのである。
…《中略》…このような状態は、例えば患者にとっては、病気の治癒がもうそれ以上は進まないということを
意味するのである。医者や看護婦や病院やその他のものが彼をなおしていくので、患者は自分自身に対する
責任を持とうとはしなくなる。意識的にも無意識的にも、病気がよくなっていくことに関しては、
患者はすっかり偉い先生にまかせっきりになってしまうのである。
この場合、自分の中に治療者−患者という対極的なものを持ち続けるのではなく、
援助者は援助者の部分だけを選び、患者は患者だけの部分を選び、もう一方の部分は自分には
存在しないかのようになってしまいます。
援助者にとって被援助者性(病気、弱さ、傷、無知さ、子どもっぽさなど)は、
自分とは全く関係がないものであるかのようになり、そういうものはただ相手だけのものになってしまいます。
そして、自分自身は安全なところから相手を見ることになります。
患者と呼ばれるのは、あわれな生き物で、彼とは全く異なった世界に住んでいるのである。彼は、傷を
持たない医者になっていく。このような医者はもはや患者の中に治療的要因を布置することはなくなり、
医者はただ治療者であるというだけの存在になり、また患者はただ患者であるだけの存在になる。
**援助者(図:ワーカー)が自身の弱さなどを抑圧し、被援助者(図:クライエント)に投影する様子と、
被援助者(図:クライエント)が自身の強さなどを抑圧し、援助者(図:ワーカー)に投影する様子を
以下に示します。(大学のレジュメ、ほぼそのままだったりするので同級生にはすぐわかるかも??)
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