【武術稽古法研究021】1995年9月14日

◎技の上部構造・下部構造

●技の上部構造・下部構造
 前回「『体の差しかえ』と支点の二重構造性の克服」(武術稽古法研究020)で技の上部構造と下部構造について触れた。念のために言っておくと、単純に上半身と下半身ということではない。上部構造は最終的に相手を制する技のことを意味し、下部構造はその技を相手に向かって運ぶための技を意味する。そのため下部構造は「運足=下半身」と考えがちだが、実際に個々の武道・武術にあてはめてみると、様々な形を採ることがわかる。
 例えば一般的な空手の場合は、上部構造は突き・蹴りなどであり、下部構造は立ち方、運足などが思い浮かぶだろう。この時の下部構造は突き蹴りを相手にあたるように運ぶ技術である。しかしこのように考えると「受け技」もまた相手に突き蹴りをあてるための技術であり、技の下部構造に属するといえる。柔道の場合は個々の投げ技、寝技が上部構造、グレイシ−柔術の場合ならチョ−クスリ−パ−などのフィニッシュ・ホ−ルドが上部構造である。
 それぞれその技をいかに相手に運んでいくかの下部構造は、柔道では組むまでの攻防はもちろん崩しや寝技の返し、グレイシ−柔術では寝技への持ち込み方、マウントポジションの取り方または返し方などと様々な様相を見せる。このように技の下部構造とは決して足による移動だけではないのである。

●上部構造と下部構造の技を分けて稽古する稽古法
 それでは、なぜ私が技をこのように分けて考えるのかというと、もともと一連の動きで表現される武道・武術の技というものを見る上で、また稽古をする上でも便利だからである。
 稽古ということでいうと、技の上部構造と下部構造は分けて稽古することができる、とするのが一般的な考えのようである。例えば空手や拳法では「その場突き・蹴り」と「移動稽古」や「約束組手」などいった形で分けて練習している。それを徹底的にやっているのが南郷継正の玄和会の空手だろう。拳を握る、足底を立てる、ということだけの練習や、ひたすら運足だけの稽古をする。グレイシ−柔術にしてもア−ムロックやチョ−クのやり方はもちろん、間合の詰め方など個別の練習をする。こうした稽古法を採る武道・武術の特徴は、個別に稽古した技術、運足と攻撃技、攻撃技と受け技、崩しと投げなどを後で組み合わせることができると考えていることである。
 例えば、空手・拳法の交差法、受即攻、燕返しなど「攻防一体」と言われる技にしても、「攻」と「防」を同時にする、連続してする、受けた同じ手で返す、など攻撃技と防御技の組合せの仕方を言っている場合が多い。もとよりこれらの技の有効性や威力を問題にしているわけではない。私にはそんな資格も力もない。一見、ひとつながりの動きとして表現される技でも、直接の攻撃である上部構造と、攻撃可能な場所までその技を運ぶ下部構造とに分けて稽古をして、それを再び組み合わせて使う稽古が多く行われているのではないかということである。こうした、分けての稽古、組合せの稽古の順序を指してカリキュラムというのだろう。

●松聲館の技法の中の「技の上部構造・下部構造」
 もちろん松聲館の技法においても「技の上部構造・下部構造」は存在する。しかしそれはひとつの理論であるため、見ための動きだけで他の武道・武術同士を比較することはできない。先ほどの「攻防一体」で考えてみよう。
 「正面の斬り」で斬り潰した時、相手の手刀または突きを「受けて」その後斬り潰したように見える。そのため受けた腕が攻撃に転じたと考えると、腕による「受け」と「攻撃」とに分けて稽古することも可能になる。ところが実際には受けた瞬間に、つまり接触した時には斬り潰しが始まっているのであって、一見「受け」の状態の時から「攻撃」つまり技の上部構造と見なくてはならない。それでは「受け」はないのかというと、相手と接する以前の体構え(つまり「支点」を作ることなく動くための姿勢)を「受け」すなわち技の下部構造と見るべきなのである。ここに現在の松聲館の技法の個性がある。
 つまり松聲館の技法における「技の下部構造」とは〈支点のない我が身を相手との接触点まで支点を作らず運ぶこと〉に他ならない。そして松聲館の技法における「技の上部構造」とは〈相手との接触時に相手に誘われることなく支点のない状態を保持すること〉なのではないだろうか。
 なぜそれが「攻撃」になるのかというと、相手が攻めるにしろ受けるにしろ、こちらの支点を期待しているからである。支点を求める心と身体が自らを「自滅」へ追い込むのである。
 松聲館の技法がこのような構造を持つため「支点を作らずに動く」動き方が稽古の中心となる。まずは自分の体にある「支点」を自覚することから始めて、「支点」に対する感受性を育てなくてはならない。そのために口うるさくわが身の支点を指摘くれる相手が必要なのである。
 それゆえにこの時期の稽古はいたずらに抵抗したりいじわるをしない、いわゆる「順の稽古」(武術稽古法研究005)が中心となる。当面の間はこうした技の下部構造を育てる稽古が必要である。しかしいかに「順の稽古」であろうとも、相手が「いる」というだけで必ず誘われて(寄りかかったりして)支点を作ってしまうだろう。人との関係性が自らの内部に起こす変化を自覚しておくことが非常に大切なのである。その克服が「上部構造」の稽古の時に大いに力となる。「逆の稽古」、ましてや相手に敵意がある場合、相手の誘いに乗らずに支点のない自分を保つことは並大抵のことではないだろうから。

●動作と視点の関連、内部感覚
 「技の上部構造・下部構造」をキ−ワ−ドとして考えていく中で、松聲館の技法において攻防とは何か、なぜ力がいらないのか、などの理由が少しだが形を成してきたような気がする。武術稽古研究会の稽古で、剣を振る「だけ」の稽古、運足「だけ」の稽古が成り立たない理由も明らかになるだろう。なぜなら手を挙げるというひとつの動作でも、体全体の支点との関連でなされなければならないからである。そうした稽古も、まず自分の「内部感覚」あるいは「内観的視点」を磨くことからしか始まらないのかもしれない。
 以上


本サイトの内容を、権利者に無断で複製・改変することは固く禁止いたします。