設楽町田峯 田峯観音地狂言
田峯観音 毎年2月12日
「村芝居」 そのまま守り伝えている
若者が積極的に参加していることに感動する
2001年2月12日 第一幕 「寿浄瑠璃三番叟」の一場面
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2004年2月12日 例年のごとくの会場内
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平成16年 田峯観世音大祭
本日の外題
第一幕 寿浄瑠璃三番叟
第二幕 弁天娘女男白浪 稲瀬川勢揃いの場
第三幕 忠臣蔵外伝 本蔵下屋敷
第四幕 源平布引滝 九郎助住家の場
第五幕 時今也桔梗旗揚 馬盥の光秀
第六幕 奥州安達原(三段目) 袖萩祭文の場
第七幕 絵本太功記(十段目) 尼ヶ崎閑居の場
平成13年 田峯観世音大祭
奉納歌舞伎 谷高座 「本日の外題」
第一幕 寿浄瑠璃三番叟
第二幕 龍神の舞
第三幕 勧進帳
第四幕 恋飛脚大和往来 封印切
第五幕 義経千本桜 道行初音旅
第六幕 本朝廿四孝 十種香の場
第七幕 絵本太功記(十段目)尼ケ崎閑居の場
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「この村が三軒になるまで歌舞伎を奉納します」と田峯観音に願をかけた田峯の人たちは,戦時中も休む事なく奉納歌舞伎を続けてきた。ことの発端は日光寺の再建にあった。文明2年(1470)菅沼定信が田峯城を築城し,城鎮護のため谷高山高勝禅寺を建立し,松芽観世音菩薩と十一面観世音菩薩を合祀,田峯観音と呼ばれるようになった。定信は信仰篤く,荒廃していた日光寺も再興した。菅沼氏の田峯観音への帰依深い姿は変わらず,定忠が永禄2年(1559)の例大祭から田楽祭を導入した。
正保元年(1644)に日光寺を焼失,村人たちは再建しようと段戸山で木を伐って承応3年(1654)に再建した。ところが再建資材の中に御林(幕府が領有した山林)で伐採したものがあり,代官の耳に入ってしまったのである。御林検分に赤坂の代官がやってくることになり,盗伐の重罪を科せられる危機に直面した村人たちは,観音様に「村が三軒になっても,お祭りは必ず芝居を奉納しますから,田峯の村を救ってください」と願をかけたところ,検分の日が旧暦6月というのみ大雪で現地に入れず,代官は途中で引き返し,一人の罪人も出さずにすんだということである。以来,祭りには欠かすことなく芝居が奉納されている。また,境内に現存する舞台も文久3年(1863)に建築されたもので,農村歌舞伎の考察に貴重な資料となっている。
奉納芝居では初幕に「寿浄瑠璃三番叟」が演じられ,「おおさいやおおさいや,喜びありや喜びありや,吾が所より外へやらじ」と軽快な幕開けとなる。近隣からの見物人も多く,熱演におひねりも飛び交う。近年は子供歌舞伎が活躍,イリノイ大学生との共演,海外公演と国際交流にも大きな足跡を残している。
参考文献 「奥三河の祭事記」 平成7年10月 新城南北設楽広域市町村圏協議会発行
平成13年 奉納歌舞伎 「観劇のしおり」 谷高座発行