♪追憶♪

誕生日   昭和6年(1931)山羊座 
出生地   名古屋市昭和区
血液型   A型
趣味    オ−デイオ、くるま、カメラ、パソコン、



 名古屋で生まれ小学校に入学するとまもなく、父親が電話伝送の技術屋であった関係で、信州、南木曽の「妻籠の宿」の近くに当時新設された長距離電話中継所社宅に転居し中央線三留野駅(南木曾)からバスで約1時間の全くの山の中だった、夜になると水車のきしむ音に混じり狐の鳴く声が犬の遠吠えのように聞こえ名古屋から来た我々の家族は怖く寂しい思いをした、体の弱い私はここで3年間の山暮らし生活で土地っ子と遊びその甲斐あって、現在のめったに風邪も引かない体質に改善されたと思う、この頃は山に「鳥屋」と言って今は捕獲禁止の「つぐみ」を囲炉裏で食べた懐かし思い出として残っている(昭和12年頃)。以降は岐阜県、長野県、と父の転勤のたびに住所を変え終戦の年に運悪く名古屋で空襲に遭い(昭和20年3月)この時父は国際電気通信蠡翹姪渡鍛羞兔蟠侈海派垪瀉罎僚侏茲瓦箸覗鎚譴鳩残錚何佑鯔瓦した憎く悲しい戦争であった。 

蘭電話中継所 蘭旧道 釜戸電話中継所
元蘭電話中継所局舎 蘭旧道の現在   元釜戸電話中継所

 どうしてか私の職業も親の後を継ぐ格好で当時の逓信省に入り長距離電話の伝送屋になっていた、搬送電話と言う方式で一対の電話線で多数の回線を同時伝送する多重通信でした、もちろんアナログで6チャンネル(6通話路)から始まりアナログの終末期は同軸ケ−ブル一対で10800チャンネルまで到達した、これは同軸ケーブルの両端で21600人の人が同時にお話できる実に立派な方式だ、以降は光ケ−ブルの時代に入り無線・有線もデジタル伝送になった。かくして転々と住居を変えたNTT生活も昭和63年に伝送無線センタ−を最後に引退し現在のサンデ‐毎日生活を始め年月があっと言う間に過ぎて、時の過ぎる早さを感ずる昨今です。 

      ・文中の「搬送電話」をクリックすると解説があります


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