永井尚政−尚征家(宗家)の変遷


永井宗家の変遷

◎永井家は元は「長田」姓であったが、尚政の父直勝が徳川家康に仕えてから後に「永井」姓に改めた。

−−長田重元 永井直勝 −尚政 −尚征 −尚長 −直圓 −直亮 −直国 −直温 −直方 −直養 −直幹 −直壮 −直哉

◎永井直勝は、元和3年(1617)に3万2000石で常陸国笠間城主(笠間藩)となり、後5万2000石に加増。元和8年(1622)12月に
  7万2000石で下総国古河城主(古河藩)となる。寛永2年(1625)12月に直勝卒。  


◎寛永3年(1626)正月、尚政が継ぐ。所領7万9000石。


◎尚政は、寛永10年(1633)3月10万石で山城国淀城主(淀藩)に移封。


◎万治元年(1658)2月に尚政致仕。長男永井尚征(なおゆき)が万3600石余で淀藩主となる。 (注1) (クリックして
 リンク先の「尚政の子息へ分与」を参照)


◎永井尚征は寛文9年(1669)2月に丹後国宮津城主(宮津藩)7万3千石で移封。


◎尚征の後継者尚長(なおなが)は延宝8年(1680)6月厳右院(4代将軍家綱)の法会の時に、志摩国鳥羽藩主内藤忠勝に
 殺害される。


◎尚長の不慮の横死で城地をおさめられたが、弟の永井直圓(なおみつ)に新たに大和国葛上郡などにおいて1万石を与え
 られ、永井宗家を継ぐことになる。天和2年(1682)桑山一尹の改易後の葛上郡新庄に陣屋をおき新庄藩と称す。


◎新庄藩の永井直壮は、文久3年(1863年)に陣屋を新たに葛上郡櫛羅に移転した。以後、永井氏は櫛羅藩として江戸末期
 まで存続した。