大河内焼


 

 明治9年から13年の間に、堺県河内国讃良郡堀溝村(現在の寝屋川市南部)の大地主池村省三氏邸のお庭焼として作られた陶器で、河内国にちなんで「大河内焼」と名付けられた。銘印には「凡河内」としるされたものもある。
 なお、池村省三氏は当時河内国第三大区二小区(堀溝外25ヶ村)の長であったが、大変な風流人で、俳名は古池庵蛙村、書道名が黒淵漁翁、茶名が梅陰居士である。
当時、萱島に寄寓する南画家田能村直入と交遊し、直入の斡旋で陶工永楽和全が窯焼きをした。銘印には「永楽」「河濱支流」(双方とも和全印)があり、直入の絵や梅陰居士(主人省三氏)の詩文の描かれたものもある。
 大河内焼は、池村省三氏が尽力された小楠公墓碑落成に合わせ売店でも販売された。しかし、省三氏は多忙のため管理が行き届かず制作を中止された。

焼成品の一部
花 瓶 花 瓶 手 焙
徳利と杯 碗  類






銘印や箆彫文字
大河内 凡河内 河濱支流・大河内 永 楽 池村内

  (注)
 伊万里の鍋島焼は、所在地が伊万里大川内であることから「大川内焼」と言われるが、現在では「大河内焼」とも書かれることがある。
しかし、堀溝の「大河内焼」が先行する陶器名であることを附記する。

参考図書
「大河内焼(凡河内焼・楠古焼)の研究」保田憲三:『古美術』第146号

栞に戻る