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幕末に京都守護職であった会津藩主松平容保の宿所は、京都府左京区黒谷の金戒光明寺にあった。そこには、会津藩の京都での死者352名の墓碑がある。その内には、元治元年の蛤御門の変戦死者32名と慶應四年の鳥羽伏見の戦死者115名の墓碑が含まれている。当然ここにも、会津藩士として蛤御門の変で戦死した小路彦神霊と国松神霊の墓碑がある。
蛤御門の変の戦死者の墓碑は3つのグループに分かれている。小路・国松の2基を含む7基は、会津藩殉難者墓地と書かれた碑のある入口より約10m進んだ右側一段高い長方形の基壇に7基が横一列に並び、左端が国松神霊の墓碑、右端が小路彦神霊の墓碑である。
神霊碑について
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正 面:国松神霊
裏 面:元治元年子年七月十九日戦死
會津御役知/河州国松村
平兵衛/三十二
左側面:會津御役知上鳥羽村
鳥羽浅右衛門勝巳/建之 |
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正 面:小路彦神霊
裏 面:判読不可
(国松神霊碑と同とかんがえられる)
左側面:會津御役知上鳥羽村
鳥羽浅右衛門勝巳/建之 |
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