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永田町で迎える秋も五度目になりました。

平成17年12月1日

  九月の衆院選は突然の解散を引き金にして日本中がてんやわんやした「とまどい選挙」でした。

 一時は政権逆転か?と心配されましたが、終ってみれば戦前誰も予想しなかった自民党の大勝利でその結果だけをみるとめでたしめでたしですが、素直に喜べない複雑な要素を多分にはらんだ選挙でした。

  郵政民営化だけに焦点が絞られ、数多くの重要政治課題がぼやけたことや、都市の論理が優先され、地方の言い分が軽視されたことなど納得しにくいことも少なくありません。中央と地方のねじれもありましたし、いつか折りをみて解消し、元通りに回復しなければならない問題と考えています。

 さて、久しぶりに「直球放談」をお届けいたします。昨年の直球放談を私の予想よりしっかり読んでいただいたようで、お会いした折りに「面白く読んだ」とか、「加治屋さんの考えがよくわかった」とか、「次はいつ出すのか」などお励ましを頂戴いたしました。

   昨年九月に就任し、この十一月二日に退任した農林水産大臣政務官のことも含め、いくつかの政治課題について私なりの意見を披露させていただきます。前号同様お目とおしの上、ご感想などお聞かせいただければ幸いです。

 

政務官就任

  

  昨年(平成16年)九月末から一年余りつとめさせていただいた農林水産大臣政務官のことは、農林水産業の振興を日頃旗印にかかげている身にとっては、誠にありがたいお話でしたので喜んでお受けさせていただきました。

  国会議員としては立法の立場から、農林水産委員会などで質問したり、提案したり、政策の実施を監視したりすることはできますが行政を直接指導することはできません。ですからともすると靴の外からかゆいところをかくような、 もどかしさがなくはないのです。

  大臣政務官という仕事は、大臣を補佐して我が国の農林水産業の政策を決定し、実行展開する役目ですから重責であります。

  例えば、BSEが原因で輸入がストップしている米国産牛肉をいつ、どのように輸入再開するかという問題などは、とてもむずかしい判断を求められます。

  米国内ではブッシュ大統領が畜産団体から突き上げられ、「ミスター純ちゃん、なんとかしろ」と圧力がかかっているのです。

  当方は「食の安全、安心」の立場から、慎重な態度で対応していますが、再開が延びると、国連の常任理事国入りや北朝鮮の拉致問題など外交問題に波及しかねないという心配があります。これも一種の「食いもののウラミ」なのでしょうか、怖いですねぇ。

  政務官に着任してからは、以前に増して忙しくなりました。役所の政務官室を主たる仕事場にして、参議院の我が事務所にはほとんど居れないため、来客の方々にご無礼申しあげているのが、辛いところです。愚痴ついでに言えば、役所の公務が議員としての政務に優先するため、大事な方との約束を心ならずもドタキャンせざるをえないことがままあって、ノサンことでした。

  責任が重大で、多忙なのに政務官手当はゼロに近く(返上している)役所内NPOのボランティアみたいなものです。

  とはいえ、けっしていやいややっていたわけではありません。本音をいえば、国の農林水産業を左右する政策の立案、予算、決算などに直接関われる千載一隅の機会として、大いにやりがいを感じて取り組んでいたのです。

  農水産物の輸出促進のため上海に、また捕鯨の是否をめぐる国際会議出席のため韓国蔚山へ、いずれも日本国代表の責任者として海外に行くという、貴重な経験もさせてもらいました。

  政務官になった最初の日のことでした。秘書官から、その日の日程表をもらいました。初めてのことで、チラと見るとスケジュールが時刻とともに十項目ほど並んでいます。よくみると、「○時○分レク」という表示が六〜七項目あるのです。

  私は「役所というところはなんと配慮が行き届いているんだろう、公務の合間にレクリェーションを沢山折り込んで、政務官を飽きさせないようにしてくれている。ありがたい、これで毎日楽しく過ごせそうだ」と思いました。

  ところが実際レクの時間になると、局長や課長といった役人さん達が政務官室に入って来て、法律案や政策案、そして懸案の諸問題などの説明や経過報告をするではありませんか。

  結局なんのことはない、レクリェーションはレクチャー(講義、進講)の誤解と判明した次第。

  ガックリ。世の中は甘くない。

−1−

「農業の未来」

 

  少子高齢化社会が惹起する問題は沢山ありますが、我が国農業の担い手不足と高齢化もその一つです。

  農家に嫁が来ないと言われて久しいですが、嫁が来ないと跡継ぎも生まれない道理で、この頃では「三ちゃん農業」の維持さえ心もとないありさまになりました。

  江戸時代までは日本人の九十五%は農民で、ひたすら食うために生き、食物(米)を作るために働いていました。明治になって富国強兵、殖産興業を進める過程で農民が減り始め、第二次大戦後の工業化路線推進で農業の衰退に拍車がかかり、ついに歯止めが効かなくなってしまいました。今や、全人口の四%にあたる農民で国内総生産の一%を生産しているというのが日本農業の実態なのです。

  この実態は多くの問題をはらんでいますが、二つに絞って言えば、まず、四%の農業者で一%ばかりのGDPしか生産していないことが、農業者所得の低水準を示していることです。四%のGDP生産で普通平均なわけですから、汗水たらして四分の一程度とは、農業がすたれるはずです。

  もうひとつは、四%の人々が頑張って、食料の生産に励んでいますが、それでも日本人の食料の四十%しか充足できていないことです。江戸時代なら凶作、飢饉で三〜四千万人が飢え死にするところです。

  さいわい世界の経済大国である日本は、自動車や電気製品を売って儲けた金で、不足分の食料を海外から買って食べていますから、屁でもない。

  ところが皆さん、本当に平気なのでしょうか。いいえ、平気ではありません。

  地球レベルでみると、世界人口の増加と世界食料生産とはバランスしないと予測されています。仮りに総計でバランスしたとしても、余る国々と足りない国々があって、それらがお互い融通しあう保障はありません。

  さらに、イラク、イラン、イスラエル、パレスチナ、北朝鮮などにみられる不安定な国際関係も食料融通の阻害要因になりますし、地球の気象条件の悪化により、食料輸出国が凶作にでもなったら、日本などいちころでしょう。

  先ほど、日本は平気、屁でもないと言いましたが、食いものがなくなった日本は「屁も出ない」ということになるのです。

  六〇%海外依存の食料他給率は、それほど危険なことなのです。

  農業関係の統計をみると、ほとんどの項目で前年比マイナスとなっており、心が暗くなります。

  しかし、マイナス思考は事態を明るくしてくれません。これらの問題に歯止めをかけ、好転させるには、前向き指向、プラス思考でなければなりません。

  今年、「食料・農業・農村基本計画」が農水省から発表されましたが、これはひと言でいえば、向う十年間ほどの農業政策について基本的な方針を決めたものです。

  施策の骨子は、

一、食料の安定供給。

二、農業の持続的発展。

三、農村の振興。

四、JAなど農業団体の再編整備。

などとなっていますが、もう少しわかりやすく言えば、「自分たちの食べる食料は自分たちで作ろう」(自給率アップ)、と「農業者所得を増やし、他産業並みに近づけよう」というふうに私は解釈しています。

  農業関係補助金もその有効性を高めるため、担い手に集中して、直接払うとか、国際競争力を高めるため、農業生産性の向上を図り、輸入を抑止するだけでなく、輸出増進など、「攻めの農政」をめざしていこうとしています。

  このように、新しい「食料・農業・農村基本計画」は、日本農業の進むべき方向を示しており、概ね正しく、政策としても妥当と思われます。

  しかし、惜しいかな官の限界というか、役所のできるのはそこまでで、計画に沿って実行するのは農業者及び農業団体などの関係者であります。

  私が前に言った「プラス思考」が求められるのは、この実行段階でこそであります。

  農業はきつい、農業は儲からん、農業に明るい未来はないなどといったマイナス思考をやめて、農業にしかないプラス要素を列挙して、それに知恵と工夫を加えれば、他産業では味わえない喜びと幸せが感じられる、そんな農業の素晴らしさに気付いていただける日がきっとくるでしょう。

  ある学者が「二十一世紀農業は花形産業」と言っていますが、私はこの発言を信じたいと思います。

 

−2−

 

歴史を考える

  

  この頃ふと歴史というものを考えることがあります。

  歴史本来の定義とは別に、私にとって歴史とは、「自分が生まれる以前のこと」であり、「自分が生まれて以降のこと」は現実に体験した出来事などを含め、人生の歩みです。

  子供の頃、あの偉大な西郷さんは歴史上の人物として、遠い存在でしたが、この頃では比較的身近かに感じるようになっています。

  そのわけはこうです。自分の年令をモノサシにして、誕生以前の過去に置いて見ると(私は西暦一九三八年生まれの六十七才ですから)一九三八年から六十七年昔は一八七一年(明治四年)となり、その頃西郷さんは元気で活躍中だったわけです。

  つまり、自分が実体験していない歴史を、実体験した人生のモノサシで測ることで、タイムスリップし、歴史の時間を架空体験する一種の遊びです。あと四〜五年たてば江戸時代も身近かになるでしょう。

  このモノサシを五回ほど遡らせれば関ヶ原の戦にも届き、NHKの「その時歴史が動いた」など疑似体験できるのです。

  前置きは以上、さて一般に歴史は過ぎ去った古いものとしてとらえられがちですが、今私達が存在していることも、社会が動いていることも全て歴史そのものです。

  私達の日々の行動や生活が「平成の日本史」、「二十一世紀の世界史」となっていくのです。

  そう考えると、私達の生き方や今日の政治のあり方は、将来の日本や人類に対して大きな責任を伴うものとなりましょう。

  具体的でいえば、今私が取り組んでいる「食の安心・安全」や「農業の振興再生」なども、現在の自分達を守るためだけでなく、将来の日本、世界に対する使命という観点からも大事なことと自覚しないわけにいかないのです。

  さて、歴史が時代と変革で綴られることはご存知のとおりです。江戸時代と明治時代の境に明治維新(戊辰戦争)という変革があったことでもおわかりでしょう。

  それぞれの時代の評価は変革後の時代人によってなされるので、実態がゆがめられる傾向があるようです。

  例えば、徳川幕府を倒した明治人は江戸時代を低く評価し、その徳川は前の天下人秀吉のことをよくいいませんでしたが、明治になると秀吉は太閤記によって俄然ヒーローに変身しました。

  今、身近かな時代として、昭和、平成を考えてみましょう。

  昭和初期(一〜二十年)と昭和後期(二十〜六十四年)との間に大平洋戦争という変革があり、今でも戦前、戦後という用語が通用するほどショッキングな出来事として後遺症を引きずっています。

  中国が問題にしている南京大虐殺や靖国神社参拝、北朝鮮の拉致問題、核爆弾、国内の防衛問題や憲法改正など、後遺症の例をあげればキリがありません。

  ここでも前の時代を悪く言う「歴史の法則」が見事に仂いており、戦後の評価では戦前は全面悪として、戦前の価値観を全て否定し、抹殺する動きが今日まで続いてきました。

  「はたしてそれは正しかったのか?」私は大きな問題提起をしたいのです。

  人間誰しも完全無欠の人などないのと同様、人の手でつくられた歴史、時代も完全なものはありません。つまり、戦前は百%悪い時代で、戦後は百%良い時代だという理屈は存在しないと思います。

  私が言いたいのは、戦前の価値観を全て悪として否定したことを反省し、そろそろ歴史を冷静に評価してもいいのではないか、ということです。

  平成の改革が遂行され、次の新しい時代が誕生したとき、戦後から平成までのこの時代は、歴史の法則に従って、次の時代人から悪しざまに評価されることになるのでしょうか?

  そうならないように、しっかり身をひきしめて、望ましい国づくり、世直しをしていきましょう。

 

−3−

 

山と森は生命の源

 

  モリゾーとキッコロをご存知ですか?「森伊蔵と呑んゴロ」と間違わないで下さい。

  愛知万博のキャラクターとして人気を博していたぬいぐるみのマスコットです。森と木を大事にして、地球の自然環境を守ろうと呼びかけているのです。

  昔、といっても今から五十年ほど前までは、山を持っている人のことを山林王と呼んで、分限者の代表的存在でした。

  今では山の所有者は金持ちではなく、貧乏人と言わないまでも、山を疫病神のように持て余している昨今です。

  このような価値観の逆転は正常ではありません。山は川や海と連携して「水と空気と土」を供給してくれます。水と空気と土、それは地球自然そのものであり、生命の源です。そんな山を邪魔者扱いしたら罰があたります。

  今から五十年ほど昔、二十世紀前半までは、山は人間の暮らしと切っても切れない関係でつながっていました。

  炊事や風呂焚きに使うたき木、火鉢で使う木炭、山菜やきのこ、栗などの果実、いずれも山の恵みでした。

  木を材料に家を作り、家具、下駄、箸、マッチの軸などいろいろな生活用具を山に頼っていたのです。

  戦後の工業化と高度経済成長で人々の生活様式はさま変わりして、炊事や風呂はガスが代替するなど便利になり、たき木、まき割り、下駄など私語になってしまいました。

  そして、生活が便利になった分だけ山とのおつきあいが疎遠になりました。秋にはどっさり採れた松茸も近頃採れなくなって韓国産や中国産が巾をきかせています。せめて家だけは山の木で作ろうと思っても、フィリッピンやカナダなどの木材が安いため、国産材は山に置いてけぼりを食らっているのです。

  今では木材の国産自給率は二十%以下に落ち込んでしまい、林業は産業の名に値いしないまでに衰退しました。

  一九五五年に五十二万人居た林業者が一九九七年には八万人ほどになり、二十一世紀の今は五十年前の十%(五〜六万人)程度に減ってしまいました。

  木を伐れば赤字、運べば赤字で、もはや山林を所有すること自体が重荷になるという異常な事態です。

  市場経済的に成り立たないなら放っておくしかない。本当にそれでよいのでしょうか?山や森の存在意義は、人間の都合で否定できるほど小さなものではありません。

  ないがしろにされた山の神の怒りは、花粉症の報復ぐらいではすみません。山崩れ、土石流、洪水などもさることながら、二酸化炭素による温暖化で人類滅亡まで起こりうるのです。

  山の神の怒りをしずめる手立てを施さねばならないタイムリミットが今なのです。私は縁あって今森林組合連合会に関わらせていただいておりますが、実際は一般の人々と同じ素人で、目下勉強中です。

  私自身、一番誤解していたのは、自然はあるがままが最善であり、従って山や森も人がお節介しないで放置しておけばいいと思っていましたが、日本の山は長年にわたる植林でできているので、人手による管理をしないと荒廃するのです。

  日本の国土の七割は森林で、その四割は人工林です。人工林には下刈り、除伐、つる切り、枝打ち、間伐といった人間の手入れが必要なのです。

  ところが、林業の採算が合わないことから林業従事者が減って、山の手入れができなくなり、山が荒れたのです。

  林業再生の成案はまだ持ち合わせませんが、私の考えを少しお話ししましょう。

一、民が持て余した山を国が引き受ける。

二、林業者の不足を補うため森林組合の充実、造園業組合、建設業組合などとタイアップ、失業対策   

     事業などを組み合わせて、必要な山の手入れを実施する。場合によって自衛隊活用も?

三、公立学校の新築、建て替え、修理は国産木材使用に限る。(机、椅子も木製に)一方で、外国木材

      の輸入防止。

四、環境税を実施、森林管理に活用

五、いわゆる地材地建、家を建てるときは地元の山の木材を使用する運動を全国展開する。

  利便と引き換えに地球資源を食いつぶし、地球環境を破壊する工業化路線から資源の再生産を可能にする循環型社会へ転換を図り、かけがえのない地球を守らねばなりませんが、林業の振興再生はその主旨に合致するものといえます。

 

ラチのあかない拉致問題

 

  北朝鮮による日本人拉致ほど常識のモノサシからはずれた事柄はありません。

  子供の頃昔話で聞いた「人さらい」の怖さは今でも忘れませんが、二十一世紀の今日、人さらいをする国が存在するという現実は、怖さを通りこして、呆れてしまいます。

  さらわれた日本人は数十名とも百名を超えるともいわれ、明確な人数がわからないのもまた無気味な話ではありませんか。

  鹿児島県でもさらわれた人がおられ、他人ごとではありません。

  小泉首相の努力で、地村、蓮池、曽我さんなど十名ほどが帰国できましたが、未帰還の多くの人々のことを思うと心が晴れません。

曽我さんのご主人と娘さん達が帰還するまではなんとか話し合いができていたようですが、横田めぐみさんの偽遺骨事件以降はバッタリ窓が閉じられ、こう着状態が続いています。この九月中旬、北京の六ヶ国会議で北朝鮮の核放棄という歩み寄りがあり、それに伴って日朝間交渉も再開ムードが出てきましたが、相手が相手だけに予断を許しません。

  北朝鮮の主張、言い分を私なりにまとめてみますと、(五、六項は観測)

一、拉致したが、昔日本はもっとひどいことをしたではないか。

二、拉致問題はもう解決ずみである。

三、日本はアメリカと同盟国で、我が国の敵だ。

四、食糧支援など援助はほしいが、頭は下げない。

五、国民の不満を反日、反米で対外的にそらそうとしている。

六、国際常識を逸脱した国ぐるみの狂信的な独善教集団。

今後の日朝関係は、国交正常化から善隣友好関係に移行すべきであろうと思いますが、その前提として、拉致問題は被害者である日本側が納得する形で解決されなければなりなせん。餓死者が後をたたない程の食料不足も、筋を通して頼めば、我が国も支援することにやぶさかではないのです。

  予告なしにテポドンを撃ってくる奴に美味しいデコポンなんかやれるかというのがこちらの本音です。

  北朝鮮の無礼な仕打ちに対して経済制裁を加えるべきだとの声に政府は積極的に応えようとせず、しかもその理由を表明していません。おそらく我々が知らないだけで、制裁実施をさせたいしかるべき理由があるのでしょう。

  外交というのは国と国とのかけ引きゲームですから、効果的な手を打つときほど手のうちを見せないのが常道で、それは相手国だけでなく、自国民も同様。それゆえ「敵をあざむくときは、まず味方をあざむけ」という格言があるぐらいです。

  そうは言うものの、拉致被害者家族会が要請するように、経済制裁を発動する時期が来ているように思いますし、世論調査でも六割以上の国民が制裁実施を支持しています。

  日本単独では効果がうすいとの見方がありますが、万景峰号などの入港を差し止めるだけでも、北朝鮮のダメージは小さくないと思いますし、第一、日本は怒っているんだという意志を明確に示すことに意義があるのではないでしょうか。

  北朝鮮は東西冷戦がとっくに終った今も、金将軍様を神格化した独裁体制に固執し、日本やアメリカを敵国視していながら食糧支援だけは受けて、しかも感謝しない。

  そんな独善一神教集団でありながら、金体勢を認めろと駄々をこねています。

  群れにエサを与えられないボス猿はボスの資格がないとの持論に従えば、金正日氏はトップリーダーとして失格であり、金体制も北朝鮮国民を幸せにするとは思えません。

  常識の通じない国を相手に話し合い路線だけでは一向にラチがあきませんので、兵糧攻めなどを含めた力づく作戦も、仕方のない選択ではないかと思うこの頃です。

 

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