横倉山ガイド
| 越知→博物館 |
約2km |
車で約5分 |
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杉原神社→横倉宮 |
約700m |
徒歩約20分 |
| 博物館→第1駐車場 |
約5km |
車で約10分 |
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横倉宮→陵墓参考地 |
約250m |
徒歩約6分 |
| 第1駐車場→第3駐車場 |
約2km |
車で約5分 |
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陵墓参考地→畝傍山展望所 |
約320m |
徒歩約8分 |
| 第3駐車場→杉原神社 |
約400m |
徒歩約10分 |
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畝傍山展望所→住吉 |
約380m |
徒歩約10分 |
| 杉原神社→夫婦杉 |
約270m |
徒歩約5分 |
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畝傍山展望所→空池 |
約360m |
徒歩約10分 |
| 山小屋→安徳水 |
約130m |
徒歩約2分 |
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| 四国の道 |
織田公園→カブト嶽 |
約1km |
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カブト嶽→横倉宮 |
約1・2km |
織田公園
元祖コスモスまつり会場として、また山の中腹のコスモス園として人気があります。また、春にはボタンザクラ、秋にはコスモスと四季折々の草花も育てられています。
八坂神社
杉原神社
平家の宮
山小屋(天の高市)
安徳水
横倉宮
馬鹿だめし
安徳天皇陵墓参考地
夫婦杉
平家の穴
空池
祭神は天児屋根命(あまのこやねのみこと)。文治3年(1187)8月、安徳天皇勧請と伝えられています。
祭神。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと) 外十柱
安徳天皇横倉山潜幸の文治3年(1187)、勧請。中ノ宮と称していましたが、明治4年(1871)、杉原神社と改称。本殿周囲の彫刻が素晴らしい。明治17年(1884)に奉納された筏流しの大絵馬があります。
天皇の従臣80人余りが、横倉山の各所に祭られ、横倉宮の末社となっています。これらの祭神は、この平家の宮に合祭されています。
杉原人社から少し西方の平坦地に建っています。ここは、『天の高市』(あまのたけち)といわれ、安徳帝の従臣たちの住居25軒があり、別府の都ともいわれました。
安在所跡の側に、清浄な涌き水があり、これを安徳天皇の用水に供したといわれています。その下流を『安徳水』として再現し、昭和60年(1985)環境庁の全国名水百選に選ばれました。
祭神 安徳天皇
横倉山安在所で崩御された天皇を、平知盛が玉室大神として、正治2年(1200)9月8日、中嶽山頂に祭ったのに始まり、奥の院または上ノ宮と称していましたが、明治元年81868)4月、御嶽神社と改称。さらに、昭和24年(1949)12月、神社本庁統理の通達によって、横倉宮と改称しました。社殿は、玉室の嶽(たまむろのたき)、今は馬鹿だめしといられる石灰岩の断崖上にあります。
昔は玉室の嶽といい、天照大神(あまてらすおおみかみ)【大日如来(だいにちにょらい)】を勧請。4億年以上前の石灰岩の断崖で高さ約80メートルあり、ヨコグラノキ、イワシデ、イブキシモツケなどの珍しい植物が自生し、キセル貝がせいそくしています。
※ヨコクラノキ…馬鹿だめし横の断崖にあり、牧野富太郎博士が発見し、命名した。
安徳天皇陵墓参考地(鞠ヶ奈呂陵墓参考地)
明治初年、越知村戸長として赴任した佐川村の川添亥平が、村人を伴い、伝承の天皇陵墓の所在を探索し、鞠ヶ奈呂陵墓と思われる所を発見。明治16年(1883)宮内省より、陵墓見込地であるので、保護に留意するようにとの通達を受け、同18年(1885)陵墓領域5町8反5畝3歩(約5.8ha)が確定されました。立木とともに宮内省の管轄となって、祭祀、清掃等の経費が支出され、陵墓伝説地と称することになり、さらに、昭和元年(1926)、陵墓参考地になりました。陵墓は、原生の大小古木が生い茂る中、苔むした石段100余段を上った所にあり、昭和52年(1977)に宮内庁が改築。石材で二重の玉垣を巡らしています。
参道の石段の中ほどに、根元が合体した幹囲5メートル余の巨杉があります。ここから南へ登ると、カブト嶽や標高774メートルの三角点に行くことができます。
鞠ヶ奈路から約300メートル東南下にあります。敵の襲来に備えて、天皇の避難所にあてたといわれ、入り口に蓋用の平らな石が置かれています。
洞窟は、馬鹿だめしと称する大断崖下の十握谷(とつがたに)にあり、洞内にかなりの広間もあり、身を隠すにはちょうどの場所。明治初年頃まで、刀剣・槍・銅鏡などがたくさん残っていました。
安徳天皇 横倉山 御潜幸物語
畝傍山展望所から徒歩10分くらいのところに、石灰岩の露出した特異な地形があります。中央には窪地があることから、水のない池『空池』と呼ばれるようになりました。
上記にも色々な横倉山のことをご紹介いたしましたが、さらに、横倉山は地球の歴史をも知るために重要な山です。約4億年以上前の化石や岩石、生い茂る原生林など知れば知るほど惹かれる山の魅力も博物館でご紹介しています。
詳しくは、博物館のページを見てください。
畝傍山眺望所
鞠ヶ奈路から南へ約300メートルのところにあり、天皇はここから神武天皇を遥かに拝したと伝えられ、大和の畝傍山にちなんで、この名が残されています。越知町市街地の眺望が良く、天気の良い時は、遠く高知市、土佐湾が望め、また、室戸岬が見えるときもあります。
畝傍山眺望所から望む『馬鹿だめし』
地表にあらわれた80メートルあまりの石灰岩の塊は、目もくらむような断崖絶壁で、一般の人は容易にその突端には近づけません。危険を冒して先端に足を運ぶ物は馬鹿者の類とされ、馬鹿か否かを試す意味から馬鹿だめしと呼ぶようになりました。
住吉神社 祭神 住吉明神
社は、地名を龍バシリといわれる断崖絶壁の頂上にあり、鉄の鎖で上り下りします。風雨が激しく当たるため、社殿の造りは小さいが、人々から尊崇されています。旧記に、安徳天皇が崩御された時、その御念持仏の不動尊像と鏡をここに納めたとありますが、不動尊像はなくなり、今に、不動ヵ滝の名を残しています。鏡は大毘羅(おおひら)神社に伝えられています。

横倉山の地層は、日本でもかなり古いといわれている4億年以上前のシルル紀のものです。生まれたての日本列島海域で、華やかな生物界を育てたサンゴ礁の化石で、クサリサンゴや三葉虫、コノドントなどの化石も見つかっています。
山中は樹齢数百年の大杉の群生をはじめとする原生林におおわれて、植物の種類も多く、故牧野富太郎博士の研究の山としても有名で「よこぐらのき」はここで発見し命名したものです。
昔は役小角開基の金峰山修験道の霊場として栄え、また安徳天皇潜幸伝説、御陵参考地をはじめとする平家落人の史跡があり、山全体が幻想的で神秘、ロマンに包まれています。
また山腹には四季折々の花の見られる公園もあり、横倉山は町のシンボルとして親しまれています。


横倉山自然の森博物館 越知町観光協会
横倉山のパンフレット等もありますので御問合せ下さい
越知町観光協会
高知県高岡郡越知町越知甲1947-6
電話:0889-26-1004 FAX0889-26-2318
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