横倉山の地層は、日本でもかなり古いといわれている4億年以上前のシルル紀のものです。生まれたての日本列島海域で、華やかな生物界を育てたサンゴ礁の化石で、クサリサンゴや三葉虫、コノドントなどの化石も見つかっています。
山中は樹齢数百年の大杉の群生をはじめとする原生林におおわれて、植物の種類も多く、故牧野富太郎博士の研究の山としても有名で「よこぐらのき」はここで発見し命名したものです。
昔は役小角開基の金峰山修験道の霊場として栄え、また安徳天皇潜幸伝説、御陵参考地をはじめとする平家落人の史跡があり、山全体が幻想的で神秘、ロマンに包まれています。
また山腹には四季折々の花の見られる公園もあり、横倉山は町のシンボルとして親しまれています.

安徳天皇 横倉山 御潜幸物語
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横 倉 山  (Mt.YOKOGURA)
横倉山の主な見所
★織田公園★
春にはボタンザクラ、秋にはコスモスが咲き乱れ大勢の人で賑わいます。
また、園内には四季折々の草花も育てられています
写真左(織田公園からみた越知町市街地)
写真右(織田公園ボタンザクラ)
★八坂神社★
祭神は天児屋根命(あまのこやねのみこと)。文治3年(1187)8月、安徳天皇勧請と伝えられています。
★参道石段★
参道石段は580段余あり、杉原神社まで続いています。途中に夫婦杉があります。
★杉原神社★
祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと) 外十柱。安徳天皇横倉山潜幸の文治3年(1187)8月、勧請。中ノ宮と称していましたが、明治四年(1871)杉原神社と改称。境内には樹齢600年、樹高50m、幹囲7m余りの巨杉をはじめ多くの大杉があり、杉の根元にはモミジガサ等さまざまな植物が群生しています。
★平家の宮★
天皇の従臣80人余りが、横倉山の各所に祭られ、横倉宮の末社となっています。これらの祭神は、この平家の宮に合祭されています。
★安徳水(全国名水百選)★
行在所跡の側に、清浄な涌き水があり、これを安徳天皇の用水に供したといわれています。その下流を「安徳水」として再現し、昭和60年(1985)環境庁の全国名水百選に選ばれました。
★横倉宮★
祭神 安徳天皇 横倉山行在所で崩御しれた天皇を、平知盛が玉室大神として、正治2年(1200)9月8日、中嶽山頂に祭ったのに始まり、奥の院または上ノ宮として称していましたが、明治元年(1868)4月御嶽(みたき)神社と改称。更に昭和24年(1949)12月、神社本庁統理の通達によって、横倉宮と改称しました。社殿は、玉室の嶽、今は馬鹿だめしといわれる石灰石の断崖上にあります。
★馬鹿だめし★
昔は玉室の嶽といい、天照大神(大日如来)を勧請。四億年以上前の石灰岩の断崖で高さ約80mあり、ヨコクラノキ・イワシデ・イブキシモツケなど珍しい植物が自生し、キセル貝が生息しています。

写真左 (馬鹿だめし)
写真右 (畝傍山展望所から望む馬鹿だめし)
★安徳天皇陵墓参考地(鞠ヶ奈呂陵墓参考地)★
明治初年、越知村戸長として赴任した、佐川村の川添亥平が村人を伴い、伝承の天皇陵墓の所在を探索し、鞠ヶ奈呂陵墓と思われる所を発見。明治16年(1883)宮内省より、陵墓見込地であるので、保護に留意するようにとの通達を受け、同18年(1885)陵墓領域5町8反5畝3歩(約5・8ha)が確定されました。立木とともに宮内省の所轄となり、さらに、昭和元年(1926)に宮内庁が改築。石材で二重の玉垣を巡らしています。
★平家穴★
鞠ヶ奈呂から約300m東南下にあります。敵の襲来に備えて、天皇の避難所にあてたといわれ、入り口に蓋用の平らな石が置かれています。洞窟は馬鹿だめしと称する断崖下の十握谷(とつがたに)にあり、洞内にかなりの広場もあり身を隠すにはちょうどの場所。明治初年頃まで、刀剣・槍・銅鏡などがたくさん残っていました。
★空池(からいけ)★
畝傍山(うねびやま)展望所から徒歩で10分くらいのところに、石灰岩の露出した得意な地形があります。中央には窪地があることから、水のない池『空池』と呼ばれるようになりました。
★色々な植物★
故牧野富太郎博士の研究の山としても有名で、ヨコクラノキやヨコグラツクバネ・トサジョウロウホトトギスなどさまざまな植物が自生している。横倉山自然の森博物館に牧野富太郎博士の植物のスケッチがある。
★駐車場案内★
第1駐車場50台 織田公園20台 第2駐車場20台 第3駐車場70台 越知から一番上の第3駐車場まで車で約20分
横倉山自然の森博物館
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