公人の利他行(公正に国民のためのみを図る行為)


      富士宮から
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井上 魯堂(健太郎)

 日本刑法に「贈収賄罪」という規定がある。これは公人(政治家、公務員)であればえらい人はもちろん、今日採用された小役人でも公人全部が一人残らずその「職務に関し」て収賄をすれば収賄罪として三年以下の懲役に処せられることになっているし、政治家が増収賄の「斡旋」をしても同様に処罰される。全部が「体刑」であって、「罰金刑」という軽い処分はない。 これは何を意味するかと云うと、凡そ公人は地位の高下を問わず収賄をしてはならぬと国が命じている証拠である。更に記憶されるべきは、この収賄罪は凡そ文化国家であれば世界の全て の国家が規定しているということである。イデオロギーの如何を問わない。このことは人間以上の「真理」の意思がそうさせたのだと見る他はない。

 公人にはこのように厳しいが、会社の社長とかその他の幹部が公人と同じ性質の収賄をした としても刑法はこれを収賄罪として罰することはしない。唯、会社の最高幹部についてだけは 「特別背任罪」という規定は有るにはあるが、この場合は罪の範囲も小さく限られ、罰則も「体刑だけ」という厳しいものではなく、「五十万円以下の罰金」で勘弁してやろうという場合もあり、一般社員に到っては何のお咎めもないのである。
 
 よろしいか。これはどう云うことを意味するかというと、社会は自利、利他併せ持つ凡夫で 構成されており、利他行よりもむしろ自利に傾くのが凡夫だから、その現実にふさわしい取り 扱いをしてやろうというのが真理の情けではあるまいか。けれどもである、これからを皆さん注意して読んでいただきたい。政治家や公務員(公人)は違う! 彼らといえども他の国民と同様、自利、利他併せ持つ凡夫ではあるが、公人に限り自利行、利他行のうち、利他行(国民のためのみを憶う)だけに徹して自利をはかってはならぬ。と云うのが見られるように真理の要請であり、従って刑法の命ずるところである。

 宗教的に云えば利他行は聖行であり、自利行は俗行(場合に依っては魔行)である。真理の意思は、公人の総てが聖行に徹せよ、俗行(魔行)はこれをしてはならぬと公人に命じているのだ。皆さん何と厳しい真理の掟ではないか? 自利行に奔りやすい凡夫の公人総てに対して利他行のみを強いる真理の厳しさ! しかしどんなに厳しくとも吾々はこの真理の意志には謙虚に遵わなければならぬ! さもないと必ずやその咎めを受けるであろう。

 こうして公人が利他行(公正に国民のためのみを図る行為)だけしか為せないということに なると、そのためには公人お互いが先ず自分の反省から始めて貰わねばならぬことになりそうである。

1.政治資金といいながら純粋に政治には使わず、それで大家屋を買ったことはないか?別荘を買ったことはないか? ロールス・ロイスの自動車を買ったことはないか? 妻や秘書の名義で広大な土地を買ったことはないか? 妾囲いをしたことはないか?(明治、大正の政治家 は先祖からの資産を政治に使い果たして残ったものは遂に井戸と塀だけ(これを井戸塀と称す る)と云うではないか。)今日の政治家は貧乏な人が数回の議員当選で裕福となったという事実はないか。政治が企業に宗旨換えをしたと云う話は聞いたことがないが。

2.利害派閥は利他行に必要なのか、自利行に必要なのか? 利他行には全く必要がなく、自利行のためのみ必要だと思われるなら、この際潔くやめるべぎではないのか? 先に述べるよ うに自利行、利他行相即の凡夫である公人に対して、自利行をなさず、利他行のみに徹せよと 「真理」がこれに命じ、その見えない言葉を受けて刑法が自利行を処罰するならば、凡夫の皆 さんは利他行即ち聖行のみに徹しうるように皆さん自身の精神を革命するより他に真理の眼にかなう自分になることはできないが、一体その精神革命の方法があるか、ないか?

イ.東洋倫理、即ち儒教の教えはどうか? まことに結構である。善は成すべし、悪は成すべ からず。朱子学にしても、陽明学にしても説くことはまことに立派な道徳律であるが教える手段はことごとくお説教である。そのお説教を聞いて精神が完全に革命された、語を換えれば自利の精神が消えて、利他の精神のみとなったと公言しうる政治家や公務員があれば手を挙げて頂きたい。

ロ.キリスト教倫理はどうか? バイブルの中にも山上の垂訓を始め、結構な倫理綱領が山ほ どあるが、それを皆さんに敷衍する方法はやはりお説教である。それを読んで或いは聴いて、 さっきと同様、自分の境地がはっきり革命をされて、自利の自分が完全な利他のみの自分に変わり得たと思う人は手を挙げていただきたい。

ハ.どんな立派な教えでも「お説教」という方法では自利の人間が利他の人間に革命をされることは残念ながら不可能である。そうしたら吾々は政治家や高級官僚と共に利他行などという 殊勝なことを考えず、こわくないように、みんなと共に派閥を造って今のままで行こうではないか。その悪影響を受けて人間社会がどんなに腐ってもみんなと共に地獄に落ちればこわくはないさ。というのが現状だとするなら、この現状はこのままでいいのか皆さん。

 ここに唯一つの治療法がある。世界中で唯一つである。紙数の都合で詳しくは書けないが、 印度の釈尊が覚られた「無上正等正覚」を皆さんが悟ると精神が必ず根本から革命される。即 ち皆さんの中から「自利」の精神が全く消滅して、苦痛なしに「利他」の精神だけの人間にな ることができる。それはお説教ではなくて正法の禅の修行に依る。

 今までの修行では、それを達成するのに二十年、三十年の歳月を要したが、それを数年のうちに実現することができるのだ。そのことは皆さん自身が実感することだから、これより確かな証拠はない。しかもこの方法は宗教ではなく、「最高度の文化活動」である。だから政治家や公務員が修行しても、人にすすめても決して憲法には抵触しない。これを「観照道座禅」と云 う。

 自慢ではないが、私が昭和三十四年十一月に先師より嗣法の印可を受け、間もなく夢中に釈 迦牟尼仏の夢告を頂き、昭和四十年以来先師の命により、道場を開いてこの道の弘法をいたしているがこれは宗教性を抜いた釈迦の大法の神髄である。しかも「お説教」ではない。皆さんが私の道場に来られる因縁ができない人は私の著書「二十一世紀への遺書」を何遍も繰り返し読まれて独接心(独りで座る)をやられただけでも大悟徹底、生死透脱、無辺度生(無数の人々を精神的に救う)ができるように懇切に書いてあるから読まれるといい。

 こうした利他行に徹した政治家や公務員で占める政治や行政やが世界の模範とならぬはずがあろうか? そうした公人で構成される日本が模範国家にならぬはずがあろうか?

 政治家や公務員の皆さん、そして心ある皆さん。皆さんの存在は世界的になり得るはずであ ります。