国を興すものは誰か?


      丸山林道から
http://www.fuji.ac/index.php

井上 魯堂(健太郎)
 私は、ここで国家消長の講義をする積もりはない。それは世界史の中に政治史というものがあり、そこで国家の興亡、盛衰がどうして行われたかについて専門の学者がいやになるほど説いているから、それを皆さんが読まれるか、聴かれるかすれば十分以上におわかりのことと思うし、また、そうしたからと云って皆さんの精神に動かしがたい感動を与えて皆さんの心を振起すると云うことも必ずしもあるとは限るまいとも思うのである。

 しかし、歴史家ならずとも次のことだけははっきり云いうるのではあるまいかと考えるのだ が、どうであろうか。

(国が興ると云うことは、それだけ指導的な人達が活動をして、ほんとうに国民のためを憶い 国の力をつけたからではなかろうか?)

 その指導的な人達というのは誰々を指すのであろうか? 先ず政治家はどうか? 官僚殊に高級官僚はどうか? 経済人はどうか? 今あげた人々はご苦労だが直接の責任者だとは云えない だろうか?

 日本は前回の世界大戦で敗戦を喫したため沢山の領土を失い、半死、半生の目に合わされたが 民間の皆さんの必死の努力で、経済的実力のみは大いに発揚したのは間違いない。これは全国民の皆さんの大へんな尽力の賜である。

 所で政治家や、官僚(特に高級官僚)はどうであろうか? 経済人以上にみんなのためになってくれる使命を天から負わされてきている、いわゆるエリートではないだろうか?  そうであるとすればその所以をここで考えてみたいと思う。

 凡そ人間は凡夫である。凡夫というのは仏教用語で、自分のために利益をはかることには深い 関心を持つが他者例えば国民全体のためを考えるのは二の次であるという存在である。けれどもお互いは一人では生きられない。食料にしても、日用の生活用品にしても、それらの生産者でない限り、誰か他の人が生産してくれなければ自分では生産できない。従って一人では生きること はできない。だから人間という存在は利己が半分と、利他が半分、むずかしく云うと、自利、利他相即の生きかたをしなければ生きることはできないのである。

 ところで、この二つのうち自利は実行は容易であるが利他の方はなかなか実行が容易ではない。 誰に対してどんな利他行をすればよいのか、その具体的方法を見いだすことは個人では不可能に近い。だからエリートを選んで、これをやって貰う必要が自然に生じたのだが、紙数の都合であ まり詳しく述べている余裕がないけれども、このことが人間社会に立法、行政、司法の三権が生まれたゆえんである。ところがこれは三権という権力を含むから、最初に見た自利利他の関係から云うと凡夫の心には押さえられていた自利の心が動きだしてくることとなるのである。
 
 けれども人間精神の進歩、進化はこれを許さない。権力者はその権力を利己のために用いてはならないと無言のうちに(だから私はこれを天という)権力者に命じているのだ。このことは自由主義国家群も共産主義国家群も全く同様である。このように全世界が同一歩調で進んでいるこ とは権力者はもちろん、国民一般、特に我が国に於いては知られていないようだから、よく承知 をしておって欲しいと思うのである。

 我が国の刑法を見ると「贈収賄罪」というのがあることは子供でも知っているが、これは政治家、官僚、準官僚(これを簡単に公人と呼んでおく)つまりその公人が職務に関して収賄をすると高位の人はもちろん、どんな地位の低い人、例えば昨日採用された新公人でも一人残らず処罰するという極めて厳しい規定が日本国刑法第百九十七条、第百九十七条ノ四、にある。この事実 は何を意味するかと云うと、公務を執行する公人は国民全体の利益だけを考えて、自分の利益を全く考えてはいけない、と云うことを国家が無言のうちに公人に命じていることである。

 そこで次の問題を又皆さんにおはかり致したいが、それは政党に利害派閥というものがある。 (単に派閥と称してもいいが、私は派閥と云うときには必ず利害をつけることにしている。理由はあとで分かって頂けるであろう。)この利害派閥なるものは一体、国民のために必要であるのか? 公人自身のために必要であるのか? どちらであろうか? とかなりの数の識者に聴いた ところでは、国民のためには絶対に必要ない、との意見ばかりであった。(私自身もそう思う) さあそうするとどう云うことになるか? 利害派閥は公人の自利のためだけに必要だと云うことに結論はなるが、それだと、先にも見たように、公人は自利をはかってはならぬと云う国家の要請と真っ向から対立をすることとなる。それでも公人は利害派閥を存続させようと云うのであろうか? 

 事実、この点については政党はかなりの無理をしている様が新聞や識者の意見等を通して明らかになっており、そのために派閥の有力者が刑事被告人になるという悲劇さえ起きている模様である。そうまでして利害派閥は維持しなければ政治ができないというのであろうか? 

 私はものを言うばかりの単なる批評家ではない。昔、若かった頃はいわゆる高文組(高等文官 試験合格者)の高級官僚をしておって、ここで書いてきたことの利害関係者ですらあった人間であるが私程度のものでも自覚すればこれから書くことくらいのことはできたのである。決して自慢で書くのではない。唯、実践の裏付けが多少でもなければ、皆さんに本気で私の言うことを聴 いてもらえないだろうから貧弱ながら私の実践のほんの一端を申し上げるのである。決していい 気になって云っているのではない。涙して申し上げているのであることをどうかご了解頂きたい。 紙数の都合で詳しく書けないのが残念であるがあきらめることとする。

 第1.ときの総理大臣田中角栄氏に対して、利害派閥は諸悪の根源であるから、これを廃止さ れたいという上申書を私と私の禅道場の修行者のうち、志願する者四名、合計五名が彼氏に差し上げたのである。しかし数度の上申にも拘わらず何の返事もないので已むなく、総理官邸前に、 この五名が座禅をして返事を待った。当方は何分の返事を貰うまで決死の覚悟で座禅をしたので あるから動じない。結局田中さんから「早速派閥解消に取りかかるから、座禅はやめて欲しい。」 との返事があったので丸一日近い座禅でこれを解いた。さすがは田中さんで、その後直ちに自民党組織運営委員会(委員長、椎名悦三郎氏)を組織として派閥解消に取り組まれた。とこが、 それから間もなく田中内閣は例のロッキード事件で総辞職したので、次は三木内閣がこれを引き 継いだが、三木内閣に対しても同じ上申書を差し出して引き続き派閥解消の問題に取り組んで欲しい旨の上申をし、次は福田内閣となったが、福田さんに対しても引き続きこの旨の上申を行っ た。

 そこで新聞によるといよいよ具体的に派閥解消が実現しようとした矢先、どこからの暗躍かは知らないが(福田さんや三木さんではないようだ)松下幸之助氏が新聞でよけいな口出しをして、 利害派閥はよい点もあるという論を新聞に大きく載せた。そのために派閥解消の吾々の悲願は、 これ見よがしに手のひらを反すように進まなくなった。それで私は松下氏に対して恐らく彼としては一生涯のうち最高であろうと思われる非難の手紙を心ならずも差し上げた記憶があり、それに対して松下さんらしい鄭重な詫びの手紙を戴いている。どこから手を廻したということまでは いいたくないが、もう一足で派閥解消が実現したのにと思うと国民の皆さんに対してまことに相すまぬ気持ちが今日でもまだ心に残っている。

 第2.私はがらにもなく高級官僚であったが貧乏だったので、定年退職(昔は五十七歳であっ た)のときも、他の同僚達は退職金で家を建て直したり、大修理したりしたものだが私はその退職金を当てにして「観照」という禅のパンフレットを毎月発行しており、今年で既に二十七 ケ年 になるが、その金に使いたいので古いままで家も建て直さず今日に到っている。誌代は一 ケ年分 五十円で現在まで値上げしていない。奉仕の積もりだから本来は無料にしたかったが有料にしないと郵政省が第三種郵便物にしてくれないのでやむなく郵政省が承知する最低限度額とした。

 二千部ばかり発行しているが印刷費がかかり、それと第三種でいくらやすくても相当に金がかかるので退職金はその方に廻さねばならないから家も建たない。従って古い家だがそこを仮道場に無料で提供しており、師家(井上)の禅の指導(祖録の提唱、参禅)も無料だから、人の出入りは相当に多い。けれども人様のお役に立てば自分の貧乏くらいは何でもないことである。

 第3.戦後まもなく、私がまだ若い頃であるが、埼玉県の経済調査庁長というのをしておった ときであった。○○○○で相当大きな経済違反があった。これは私の役所の管轄であったがそこの幹部であった福永健司さんが私の家に謝罪に見えた。福永さんはその後衆議院議長になられたが惜しいことに夭折された。その方がかなり大きな包みを持参されて、これを受け取ってくれといわれる。中に何が入っているか見ておらぬので判らぬが或いは事件の性質から見て金がはいっていたかも知れない。私は云った。「あなたはトップ・マネイジャーであるから、自分で経済違 反をやられたかどうかは知らないが私は血も涙もない人間ではないから、今日はこのまま荷物を持ってお帰り願いたい。この品物は頂戴するわけには行かない。」と約小一時間くらいも押し問 答をして、とうとう持って帰って頂いたことがある。その二人のやりとりの証人は接待にたびたび玄関まで出てきた私の家内であるが、こうした来客の処遇も決して楽なものではない。

 第4.近畿管区行政監察局長のとき、私の役所の所管大臣は山村新次郎さんであった。行動左翼による飛行機乗っ取り事件で乗客の身代わりとなって北鮮まで行った「男、山村新次郎」さんのお父さんである。その方から大臣室まで来てくれないかという、お呼び出しがあったので何事ならんと、大阪から東京まで出かけて大臣室で山村さんにお会いした。大臣が云われるのに、『 君はほめる人が多いので事務次官にしようと思って、現在の事務次官に相談したら間もなく中央の中堅幹部が数名やって来て「井上局長は部下に禅をやらせるそうだ。それは現在の憲法からいうと憲法違反だから、そういう人に事務次官になられると困る」と云われてね。私(大臣)は禅 は結構ではないかと思うが、憲法を盾に取ってこられると全く困ってしまったよ。』と云われた。 大臣の言外の意図は「禅はやらないと云ってくれないか、そうすると君(井上)を事務次官にするが。」と云うことである。大臣の好意は涙が出るほど嬉しい。それまでは全く見ず知らずの人だから。暫時考えた末、大臣に対する私の回答は次のようであった。「大臣のご好意は一生忘却 はいたしません。しかし禅をやめるわけには参りませんので、謹んで事務次官をご辞退いたしま す。」

 それから余り長年月がたたないうちに大臣が亡くなられたので、その郷里の佐原まで墓参に行 ったことを思い出す。

 当時の事務次官は犬丸實という男で、余り感心した人物ではなかったが、まだ次官をやりたいという意図があったらしく、人から聞いた話では「井上が次官に来ると君ら(井上に反対した当時の犬丸の部下)は左遷させられるぞ」とおどしたという情報も得ているが、そうした情報はともかくとして私の眼中には禅の辛参苦修による「大悟徹底」と「 事務次官」の地位と、どちらが重かったかと云うことだけは自分にははっきりしていることだと思うし、それもどちらをとるのが自分に利益かと思ってやったことではなく、唯、「無上正等正覚」に依って全く「自分」があられなかった釈尊や、キリストの無我の境地を尊ぶ私の心境が大臣に対してそうした返事を私にさせたのであろうと思うばかりである。

                 ※ これは、平成4年10月31日付発行の観照会の機関紙に掲載されたものです。

派閥解消については、次の項目をご覧下さい。

田中自民党総裁に対する上申書の写し