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相撲部屋小史

出羽海一門(2) 〔春日野部屋系〕

出羽海一門のうち、春日野部屋とその分家

部屋名の五十音順に掲載。
〔平成の関取〕欄の赤文字は現役力士


いるまがわべや

入間川部屋 (関脇 栃司)

平成5年3月場所〜

 年寄・入間川の初代は寛保から宝暦ごろの力士。江戸時代から明治末まで入間川部屋が存続し、明治後期に活躍した両國梶之助は引退後、入間川部屋を営んだが、のちに出羽海部屋を継いだ。

 春日野部屋(栃錦→栃ノ海)の栃司〔関脇〕は昭和58年9月場所入幕。突き、押しで関脇まで進んだ。平成4年5月場所限り引退、入間川を襲名し、平成5年1月場所後独立した。門下からは、幕内皇司、Y司、十両大倭らが育ち、師匠が日大出身なら、始めの三人の関取も日大出身であったが、将司が大学相撲出身以外では初めての関取となった。
〔平成の関取〕
地位 四股名 新十両 新入幕 最 終 備 考
十両 大 倭 6・1   8・11 元日大主将 
幕内 皇 司 8・1 11・9 21・3 幕内と十両を往復したが長く務めた
幕内 Y 司 10・5 11・5 17・11 幕内を数場所務める
幕内 将 司 17・9 20・7 23・5  
幕内 磋牙司 19・11 22・3   東洋大相撲部出身。166cmの小兵

かすがのべや

春日野部屋 (関脇 栃乃和歌)

大正8年5月〜

 年寄・春日野の初代は宝暦から安永にかけての力士、春日野軍八(二段目5)だが、その後しばらく継ぐ者がなく、天保末の幕内、相生松五郎が復活させて襲名した。元・相生の春日野は弟子を養成し、弟子の宝山が部屋を引き継いだが嘉永6年限りで宝山が姿を消すと弟子は玉垣部屋に預けられた。以後、春日野の名跡はしばらく玉垣部屋出身者が襲名した。
 明治前期の幕内・千羽ヶ嶽宗助(玉垣部屋)は幕内中堅として活躍し現役中から年寄春日野二枚鑑札となった。引退後は部屋を持つがこれといった弟子はなかった。現役中に甥を呼び寄せて行司とした。明治33年1月限り、この甥、木村宗四郎に名跡を譲り同年7月に亡くなった。

 その木村宗四郎(玉垣部屋)は幕内格行司で33年5月から二枚鑑札で春日野を襲名、39年1月限り引退して年寄春日野となり常陸山の参謀格として活躍した。横綱栃木山(出羽海部屋)を養子とし、栃木山を慕ってきた弟子を預かって大正8年から春日野部屋を経営した。これが現在の春日野部屋の源流である。
 栃木山〔横綱〕は体は大きくなかったが、強烈なハズ押しで一つの時代を築いた名横綱である。大正14年に引退、ただちに春日野を襲名した。現在の春日野部屋の実質的な創始者は栃木山であると言って良かろう。元・木村宗四郎の春日野は、入間川に名跡を変更した。
 元・栃木山の春日野部屋からは、戦前は幕内鹿嶋洋、関脇相模川などが輩出、戦後は名横綱栃錦のほか、幕内鳴門海などが育った。大関栃光や横綱栃ノ海も彼の弟子である。昭和34年10月、67歳で死去した。

 その跡は、栃錦〔横綱〕が現役のまま二枚鑑札で春日野を継いだ。二枚鑑札を許されたのは彼が最後であり、以後許された例はない。栃錦は昭和22年6月場所入幕。多彩な業師から押し相撲へと相撲を変えて横綱となり、優勝は10回。戦後相撲の復興に功績が大きかった。春日野を襲名したのは、その全盛期であった。昭和35年5月場所中引退した。栃光を大関に、栃ノ海を横綱に育てたほか、栃東、栃光(2代目)、舛田山、栃赤城、栃乃和歌、栃司(いずれも関脇)などを育てる一方、協会では理事長を務め、両国の新国技館建設という大事業を成し遂げた。理事長職を元若乃花の二子山に譲って定年を待つばかりとなっていたが、定年を目前にした平成2年1月に死去した。栃錦が活躍し、さらに弟子を養成していた時期は、鳴門海、栃錦、栃ノ海、栃東らが輩出し、春日野部屋からは技能派が育つと言われたものである。

 元栃錦の没後は、元・栃ノ海〔横綱〕の中立親方が春日野を継承した。昭和35年3月場場入幕、小兵ながら横綱まで昇った。41年11月場所中引退、年寄栃ノ海から中立を襲名、元栃錦の9代目が亡くなると春日野を襲名した。春日野部屋は3代続けて横綱が継承したことになる。元栃ノ海の春日野門下からは、関脇栃乃洋、小結栃乃花、幕内栃栄が育った。定年目前に名跡を元・栃乃和歌の竹縄に譲って竹縄を襲名、15年3月12日に定年退職した。

 こうして元・栃乃和歌〔関脇〕が春日野部屋を継承した。栃乃和歌は昭和62年1月場所入幕。元・横綱栃錦の晩年の弟子である。力強い四つ相撲で大関目前と言われたこともある。幕内を長く務め平成11年7月場所限り引退、竹縄を襲名して後進の指導にあたり、15年2月に春日野を襲名した。その後に入門した栃煌山、栃ノ心、木村山、栃乃若が入幕した。
〔平成の関取〕
地位 四股名 新十両 新入幕 最 終 ひとこと
関脇 舛田山 50・1 51・11 元・7 突き上げて叩くワンパターンに威力があった。
引退後、千賀ノ浦部屋を創設
関脇 栃 司 57・1 58・9 4・5 突き押しで活躍。引退後入間川部屋を創設
関脇 栃乃和歌 61・9 62・1 11・7 力強い相撲で大関目前と言われたことも。現春日野親方
十両 栃天晃 3・1   23・5 44歳まで現役を務める
幕内 栃乃藤 4・7 5・3 13・1 幕内在位2場所に終わる
関脇 栃乃洋 8・11 9・5 24・1 左を差したら力を発揮する。幕内上位の実力者
幕内 栃 栄 10・3 12・9 20・1 高校横綱から大学に行かずにプロ入り
小結 栃乃花 11・1 12・5 20・1 学生相撲出身ながら前相撲から取って小結まで進んだ
幕内 春日錦 11・7 14・9 23・1 稽古場では強く幕内上位進出を目指す
十両 栃不動 15・9      
関脇 栃煌山 18・9 19・3   高校相撲の強豪から入門
小結 栃ノ心 20・1 20・5   グルジア出身。右四つの本格的四つ相撲
幕内 木村山 20・1 20・7   東洋大出身 突いてはいなす 
幕内 栃乃若 22・9 23・5   懐深く将来のホープ 
小結 碧 山 23・7 23・11   ブルガリア出身。田子ノ浦部屋から移籍後に三役昇進
十両 栃飛龍 25・3      

たまのいべや

玉ノ井部屋 (大関 栃東)

平成2年5月場所〜

 年寄・玉ノ井の初代は、延享ごろに活躍した力士で小結を務めた番付が残る。明治前期の小結高千穂は引退後に玉ノ井玉ノ井部屋を営んだ。

 現在の玉ノ井部屋は、元・栃東〔関脇〕が開いたものである。栃東は春日野部屋(横綱栃錦)所属で昭和42年3月場所入幕。大関候補と言われ、平幕優勝も経験。春日野部屋の伝統を受け継ぐ技能派力士として活躍した。52年1月場所限り引退し、玉ノ井を襲名。元栃錦が死去して元栃ノ海が春日野を継ぐのに伴う形で、平成2年4月に独立した。
 門下からは次男でもある大関栃東が育ち、親子優勝を記録したほか、十両力士数名が育っている。
 その跡は、息子であり愛弟子でもある元・栃東〔大関〕が継いだ。平成8年11月場所入幕。大関に昇進するも陥落するなど、怪我に泣いたが、優勝3回を数え、一時は横綱候補とも言われた。強烈な押っつけを武器にした相撲は評価が高かった。平成19年5月場所限り引退し、四股名の栃東のまま部屋付き年寄となっていたが、平成21年9月場所前に先代の定年に伴い、玉ノ井の名跡と部屋を継いだ。

 現在の玉ノ井親方が部屋を継いで以後、23年7月、富士東が入幕して幕内で活躍した。平成25年5月場所には東龍が入幕を果たした。
〔平成の関取〕
地位 四股名 新十両 新入幕 最 終 ひとこと
十両 大日岳 5・9   16・1  
十両 隆 濤 6・3   11・1  
大関 栃 東 8・5 8・11 19・5 元関脇栃東の次男。押っつけが持ち味。力感ある技能派
十両 国 東 12・9   16・3  
十両 若 東 13・5   15・5 ブラジル出身の日本人 
幕内 芳 東 19・11 23・9   長身ながら幕内の地力はまだない
幕内 富士東 23・1 23・7   鋭い攻めが期待される若手
幕内 東 龍 25・1     モンゴル出身。日本に相撲留学し高校・大学で活躍

ちがのうらべや

千賀ノ浦部屋 (関脇 舛田山)

平成16年11月場所〜

 年寄・千賀ノ浦の初代は、天明ごろの下位力士。過去の襲名者の中には、明治の強豪大達などがいる。

 過去の襲名者を見ると、明治の名大関大達、昭和の名大関栃光などがいる。
 関脇舛田山は、拓殖大学から春日野部屋(元横綱栃錦)に入門し、昭和51年11月場所入幕、三役を通算4場所務めた。平成元年7月場所限り引退、年寄千賀ノ浦となって春日野部屋付きの親方として務めていたが、自ら弟子を育てたいという夢をかなえるため、引退から10数年後の平成16年9月27日付けで独立、弟子数人と行司も本家から移籍して、千賀ノ浦部屋として独立した。
 平成23年9月、初めての関取、舛ノ山が幕内に昇進した。
〔平成の関取〕
地位 四股名 新十両 新入幕 最終 ひとこと
幕内 舛ノ山 22・11 23・9   とにかく毎日一生懸命で好感度抜群




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