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アフガニスタン近現代史(3/3)
 
■アフガニスタン内戦
 1988年4月、アメリカ・ソ連・アフガニスタン・パキスタン四国和平協定が結ばれ、1989年2月までに全てのソ連軍が撤退した。パキスタンや欧米の取りなしでナジブラ・ アハマドザイによる連立政権が樹立されたが、やがて、それまで共同でソ連と戦ったムジャヒディンの多くの派閥が互いに争う内戦へと突入することとなる。

 1992年、ウズベク人が多い北部では、ナジブラ政権軍の一部を率いていたドスタム将軍がムジャヒディンだったウズベク人ゲリラをまとめて軍事的に独立、ナジブラ政権を倒してカブールを占領した。その後、一度は停戦が実現するが、1994年には再び大規模な軍事衝突となった。ムジャヒディンの有力な派閥には、ラバニ率いるタジク人主体の「イスラム協会」、ドスタム率いるウズベク人主体の「イスラム民族運動」、ヘクマティアル率いるパシュトゥン人主体の「イスラム党」、ハザラ人主体のシーア派勢力「イスラム統一党」、サウジアラビアから資金援助を受けていたアブドル・サヤフの一派などがあった。

 ソ連を撤退に追い込んだムジャヒディンは英雄的な存在であったが、それぞれの軍閥は支配地域を私物化し、腐敗が進んでいた。こうした状況に対して、1994年にパキスタンの難民キャンプにいたパシュトン人のイスラム教聖職者たちと学生らによって結成されたのがタリバンである。アフガニスタン内戦時、パキスタンは最有力であったラバニ派ではなく、最も親パキスタンだったヘクマティアル派を支持し、内戦をコントロールしていた。やがて、地下資源が豊富で、ソ連崩壊後経済発展が進む中央アジア諸国への安全なルートとして重要なアフガニスタンの早期の安定を望むアメリカやパキスタン政府の意向により、ISI(パキスタン情報機関)はタリバンを全面的に支援するようになる。こうしてタリバンはパシュトゥン人地域をほぼ勢力化に置き、1996年9月に圧倒的な軍事力でカブールを制圧、全国土の約90%を実効支配するようになる。これ対してアフガン北部では、タジク人、ウズベク人など非パシュトゥン人勢力がタリバンへの反攻を続け、北部同盟を結成する。

 タリバン政権下のアフガニスタンでは麻薬栽培も禁止され、治安も回復したが、その一方、日常的に犯罪者の公開処刑が行われていた。また、タリバンは厳正なイスラム法に基づいた生活を強要し、女性の参政権や教育を受ける権利は認められず、欧米的な娯楽も廃止された。やがて、欧米から残酷な公開処刑や女性差別について激しい非難を受けるようになる。

 1998年8月にケニアとタンザニアのアメリカ大使館が爆破される事件が起き、アメリカ政府はオサマ・ビンラディンを首謀者とした。ムジャヒディンとしてソ連との戦いに参加したオサマ・ビンラディンは、1991年に母国のサウジアラビアから国外追放されると、スーダンに移住したが、アメリカからの圧力を受けたスーダンは1996年にビンラディンを国外追放とする。当時のタリバンの最高指導者であったムハンマド・オマルは、ムジャヒディン時代の仲間であったビンラディンの亡命申請を受け入れていた。アメリカ政府はタリバン政権に対してビンラディンの引き渡しを要求したが、タリバン政権は引き渡しを拒否、1999年10月には国連でアフガニスタンに対する経済制裁が決議された。これを受け、タリバンは欧米へ敵対する態度を強め、2001年3月にはバーミヤンの石仏を爆破した。しかし、この重要な文化遺産の破壊はイスラム国からも非難を受け、国際的に孤立していく。


■9・11とアメリカのアフガン侵攻
 2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが起こった。この事件を計画・実行したとアメリカに名指しされた国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンを保護するタリバンをアフガニスタンから駆逐するため、アメリカとイギリスを始めとした連合軍が10月7日から空爆を開始した(「不朽の自由作戦」)。11月13日には連合軍の支援を受けた北部同盟軍が首都カブールを制圧、12月には最後の拠点カンダハルを攻略してタリバン政権は崩壊した。

 2001年12月には暫定政権が発足し、2002年6月にはハーミド・カルザイ(カルザーイ)が主体となった移行政府が成立した。カルザイは、パシュトゥン人のドゥッラーニー部族連合、ポパルザイ部族の名門カルザイ氏族の出身である。2004年には選挙による政府が発足し、カルザイが大統領となって国家統一が果たされた。カルザイ政権のもと、タリバン政権で抑圧されていた女性の社会的権利も認められ、社会進出が進んでいる。一方、麻薬の拡大という問題も生じている。内戦時にアフガニスタンでは武装勢力の資金源としてケシの栽培が行われていたが、タリバンはそれを厳しく禁じた。しかし、タリバン政権崩壊以降、アフガニスタンでのケシの栽培は黙認されている状況で、現在、世界で流通するヘロインの90%はアフガニスタンが原産であるといわれている。麻薬密売人には政府の関係者もいると見られている。


■よみがえるタリバン
 アメリカの大規模空爆によってタリバン政権が崩壊すると、タリバンとアルカイダの幹部はアフガニスタン東部のトラボラの山岳地帯に逃げ込み、現在はパキスタンのペシャワール周辺とその西部の部族地域に潜伏している。このパキスタン政府の影響の及ばない地域を拠点に、多くのムジャヒディンがアフガニスタンへ出国しているといわれている。アメリカはパキスタン政府に動くように圧力をかけ続けたが、パキスタンのムシャラフ大統領は、その間に2度の暗殺未遂事件があるなど国内のイスラム勢力からの突き上げもあり、難しい舵取りを要求されている。

 2005年後半からタリバンを中心とした武装勢力が南部各地で蜂起し、米英軍などとの戦闘が本格化した。首都カブールでの攻撃・テロも頻発しており、自爆攻撃も行われるようになってきている。2006年になると、アメリカ軍が独占的に担っていた軍事指揮権が段階的に北大西洋条約機構(NATO)に移行され、2006年7月に全ての権限がNATO軍に移管された。NATOは国際治安支援部隊(ISAF、37カ国1万8500人)を指揮し、8000人がアフガニスタン南部で武装勢力と戦闘を行っているが、ISAFは予想以上の苦戦を強いられている。2006年秋、勢力を盛り返したタリバンは、アフガニスタンの首都カブールから北50キロのところまで迫ってきている。


【参考文献:『民族対立の世界地図 アジア/中東篇』中公新書ラクレ 高崎通浩(著)】
【参考文献:『タリバン』光文社新書 田中宇(著)】
【参考サイト:田中宇の国際ニュース解説】
【参考サイト:ウィキペディア 「アフガニスタン」、「アフガン戦争」、「アフガニスタン内戦」、「アフガニスタン侵攻(1976)」、「ターリバーン」、「アフガニスタン侵攻(2001)」の項】
【参考番組:『BSドキュメンタリー ー証言でつづる現代史ー アフガン侵攻はこうして決定された』2006 NHK・BS(制作)】
【参考番組:『BS世界のドキュメンタリー よみがえるタリバン』2006 アメリカ WGBH(制作)】
【参考番組:『BS世界のドキュメンタリー 追跡 ヘロイン・コネクション』2006 フランス アンペルザンド(制作)】
 
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