まがたまのうつすもの
大島多美子
《ヤングアダルト本の世界漫遊記・第47回/Northern songs 1997年3月15日号》
荻原規子の<勾玉>三部作が完結しました。
第1作『空色勾玉』は日本神話をモチ−フにしたファンタジ−です。光と闇の対立を背景としながら、必ずしも<光=善・闇=悪>という構図ではない、というところが評価されていたようだけど。
きちんとした仕上がりで、なかなか読ませますが、素材や味つけの重厚さに比べて、登場人物がちょっとありきたり。ハ−ドカバ−1500円は高すぎる、ティ−ンズ文庫なみの値段で上下巻あわせて800円ならお買い得、というところじゃないかしら。
もっとも、これは、小説としての面白さの値段で、日本児童文学界ひさびさの骨太ファンタジ−、なんてのは無視しての意見ですけれど。
次作『白鳥異伝』は、死後白い鳥に化して故郷をめざして飛びさったというヤマトタケル伝説をふまえています。白鳥伝説・異伝というわけですね。神話の時代の『空色』より少し下って、中央集権化をはかる天皇一族と地方豪族の力がせめぎあっている頃の物語です。
そして、昨年の新刊が『薄紅天女』。奈良時代から平安時代に移り変わるころ、かつて、人の世にもたらされた勾玉の最後の一つにまつわる物語です。内容的には、荻原版『ゲド戦記』といったところでしょうか。
『白鳥』がわかりやすいファンタジ−になのに比べて、『薄紅』は全体に錯綜とした印象があり、登場人物も単純に善悪のレッテルを貼りにくい。これは3作目に至って、第1作の「必ずしも<光=善・闇=悪>という構図ではない」を単なる図式としてでなく、物語の中で表現しはじめたということなのではないでしょうか。
この三部作で、まず思うのは、海外の児童文学を血肉のように受け入れてきた世代の創作児童文学がついに登場した、ということ。翻訳ファンタジ−の影響がストレ−トにあらわれています。
ル=グィンの影響は『薄紅』だけでなく、三部作全体に強く感じますし、『空色』のラストシ−ン、神がいなくなった世界で人間たちの時代を築こう、という明るさは『ブリディン物語』に通じるものがあります。
小説家・荻原規子の持ち味が、児童文学スク−ルの優等生的な部分と日本古代史への深い関心だけでしたら、それは文句のつけようもなく立派で、そして退屈なファンタジ−になっていたことでしょう。
にもかかわらず、面白い。それは、作者の物語つくりの力量に加えて、登場人物の描き方や作品のテ−マなどに、いまのティ−ンズ文庫に通じる感性がちらほらとうかがえることなども、理由のひとつかも知れません。
ところで、歴史ファンタジ−がお好きならば、『白鳥』を氷室冴子の『銀の海金の大地』と比べて読むと面白いのでは。『銀金』の方が1、2世代上ですが、11巻かけて<序章>という大長編、ですから、次の章では時代的にも重なることでしょう。
それぞれのヒロインくらべもおもしろい。『銀金』の真秀ちゃん、『白鳥』の遠子ちゃん、どちらも行動するヒロインです。ふたりとも14,5歳? ティ−ンエイジャ−、おとなと子どもの境目の年齢です。
男まさりの少女が、その強い自負心を保ちながら、無邪気な子ども時代から社会の中の一人の女性になっていくのをステロタイプにならずに書くのはとてもむずかしい。成長してゆく二人のヒロインの描写には、それぞれの作者のまなざしを感じます。
氷室冴子に『文庫本6冊の道のり』というエッセイがあります。
これまでのジュニア小説の女の子像にあきたらず、元気で生き生きとした少女を主人公にした小説を書いていたが、世間の<少女小説>イメ−ジと現実とのズレに無力感を感じることが多くなってきた、という自分についてです。「(自分が小説で書いてきたような)女の子だと現実の世の中ではひどく生きにくいんだなあと知ってしまったら最後、書けなくなってしまったのだった」。
けれども、彼女は『銀金』で再び少女小説を書き始めました。このエッセイはこう結ばれています。
「…文庫本6冊目にして、ようやく女の子がボロボロになりながら、泣きながら自分の好き嫌いをいい、自分の考えをいえるところまでスト−リ−が進んできたのである。いいかえれば、文庫本6冊分をつかって、そこまでの状況をつくらなければ、女の子が好き嫌いを打ちだし、自分の好きなように生きようとする説得力ある心理にゆきつけなかった。それはきっと私の実感がもとになっているんだろうなと思うと、とてもとても感慨ぶかい」。
『白鳥』の遠子も、周りを呆れさせるほど向こう見ずで行動的な少女ですが、氷室冴子の目からは、まだまだ物足りないかも知れません。もっとも、真秀はひとりで『銀金』をしょってたつヒロインですが、『白鳥』は遠子ひとりの物語ではありません。少年と少女…小具那と遠子の物語です。
では、男の子はどうなのでしょう。
宿命をおわされた少年がいる。定められた運命にあらがいながらも、自らの力を発動してしまった彼は、敵・味方を越えて恐ろしい破壊力をもたらす最終兵器となってしまう。その少年を、再び「人間」につれもどすのは、ひとりの少女であった。…なんて、まるで三流SFアニメのプロットですね。
でも、勾玉三部作ってこ−いうお話なんですよ。
主人公が自らの運命の理不尽さに悩む、というのは、ヒ−ロ−ものにはつきものです。けれども、主人公のヒ−ロ−としての活躍よりも、その悩みが延々と物語を動かしてい<ヒ−ロ−もの>も、昨今増えてきたような気がします。そして、『白鳥』や『薄紅』の主人公たちも、この系譜に連なる悩める少年ヒ−ロ−です。
この2作で少年たちに宿命を強いているのはいずれも<母>です。それは邪悪な意図からのものではありません。
『白鳥』では、小倶那の母・百襲姫は、わが子を守るために自らの命を捨てます。そして、白いけものとなって彼につきまといます。さらには、彼を愛する少女・遠子の体にのりうつることさえ辞しません。
『薄紅』は、少年・阿高が自らを見いだす物語ですが、同時に、彼の母チキサニにかわり均衡を回復する物語でもあります。彼女が巫女としての義務よりも真実の愛を選びとり、彼を産みおとしたことの償いとして。
ヒ−ロ−たちの冒険は<母>の呪縛を断ち切ることで完成します。そして、彼らはヒロインと手を取り合って、歴史の舞台から去っていきます。
再び、女の子に戻りましょう。
荻原規子のヒロインたちは、一見、これら<母>たちとは違った愛のかたちを実現できたように見えます。自らも成長しながら、恋人のよき伴侶として生きていくことを暗示して、物語は閉じられます。でも、ほんとうにそうなのでしょうか。
百襲姫の亡霊は遠子に訴えます。
「小具那が生きることを望み、彼のそばにいることを望んでいる二人、わらわの愛とそなたの愛はどこが違うのか」と。「違う」と叫びかえした遠子ですが、百襲姫の問いかけは心の底に残ります。
悩んだ末に、遠子はいちばん正しい道を(結果として)選びます。が、一度「正解」したところで、一生保証付きというわけじゃない。さらにいえば、<母>が悪しきもので<少女>が善なるもの、といいきれるものではありません。二人はそんなに隔たったところにいるわけではない。そのことは、遠子も作者も知っているはすです。
このあたりを、ヒロインの語りや説明でなく、物語で語れるようになること。それは、氷室冴子の「文庫本6冊の道のり」に匹敵するなにかが必要なのでしょう。でも、ちょっと期待しています。
■ 空色勾玉 荻原規子著 徳間書店 1996
■ 白鳥異伝 荻原規子著 徳間書店 1996
■ 薄紅天女 荻原規子著 徳間書店 1996
■ ホンの幸せ 氷室冴子著 集英社 1995
■ 銀の海金の大地 1〜11 氷室冴子著 集英社コバルト文庫 1992〜1996