Goin' south
 
スワンソング
《Rock me baby !B/Northern songs 1994年8月15日号》

 
 
 
 
 スティ−ヴン・キングの小説が特にそうだけれど、最近、よく扉のエピタフにニ−ル・ヤングの歌の歌詞なんかを使う例が増えてきていて、何かそういうのを最初に眼にしてしまうと興醒め。分厚い小説をさあこれから読もうか…とか思っているのに、思わず反射的にケッ!とかなっちゃってダメですね。
 
 ニ−ル・ヤング、嫌いじゃない。あるいは、ベン・E.キングの「スタンド・バイ・ミ−」がラジオからヒット曲として流れてくる…まさに、その時代を生きてきた人だけれど。私の場合は、かえって、そういうギミックをあからさまに使われると、なんか読者層のマ−ケット・リサ−チをきっちりやって書かれたハ−レクイン小説のような気がしてきて読めなくなってしまいます。
 

 マキャモンの『スワン・ソング』、タイトル見た瞬間、「な−んだ、ツェッペリンかぁ…」って思いました。あの手の連中かぁ…きっと最後あたりで「天国への階段」の歌詞でもダラダラ引用してくるような、あの手合いかな…と思いました。それが、5月に小樽女子の図書館に入っていたのに、読むのが7月になってしまった理由です。
 
 いやぁ、悪かった。ごめん… まさか『指輪物語』だとは思ってもいなかったわけで…
 
 久しぶりに興奮しました。特に下巻のスト−リ−展開、グレイトだ! 上巻の『風が吹くとき』状態のタラタラした展開が、じつは計算づくでやっていたんじゃないかと思えるくらい。下巻で一気に『指輪』のスピ−ドにもっていくテクニックに、(わかってはいても)私ももっていかれた一人ではありました。
 
 こうなってくると、ファミコン世代(←どういう世代なんだ?)って侮れないなぁ…とか思いますね。毎日、ゲ−ムでこういうおもしろい物語を生きているんだとしたら、最高じゃん!
 宮沢賢治のゲ−ムとか、「ねじ式」のファミコン・ゲ−ムが数年前にあったなぁ… ファミコンって「ス−パ−マリオ」以来やったことがないけれど、始めると病みつきになるかもしれない。ロ−ル・プレイング・ゲ−ムのほとんどは『指輪物語』ですよ…という魅力的なお言葉もあり、心は踊ります。
 考えてみれば、いつでも私はこうだったなぁ…とか思う。やっぱ、ツェッペリンが流行っている時に、ツェッペリンのレコ−ドを買う奴はダサイじゃないの。20年後のデジタル・リマスタ−ならベイ・シティ・ロ−ラ−ズだって買えちゃうけれど。
 

 まぁ、久しぶりの突然の『指輪物語』との再会を記念して、私もお蔵出しを行います。
 
 蔵から出してきた品物は1978年12月の志木高校図書館「Library News」冬休み特別号。社会人となって2年目の冬ですね。なんか前半の高慢ちきな文章(←しかも教養がない)が気になると思いますが、どうかこらえてください。ちょっとオッ!と思ったのは最後のところです。もうこの頃から《 Rock me baby !》やってるじゃん… というのがちょっと売りなのかな。
 でも、この頃、ファミコンなかったから私は救われましたね。こんなコケおどかしの技でもまだ通用したから… 今の毎日ファミコン(とそのハイブリッドなBGM)で鍛えているような子どもたちを前にしてこんな文章書いたら、いいもの笑いの種でしょうね。
 字句はすべて当時の原文のままです。文中には本からコピ−した地図やら年表やら寺島竜一さんのカットやらを無断でいっぱい使用していました。すみませんです。
 

 最近、志木高生のなかにも『指輪物語』を読み通した人が出てきたりして、なかなか感心させられます。冬にむかって、まとまった時間があるのなら、ぜひ、こんな本を夜を徹して読んで欲しい、と心の中で思っていたのですから。
 この本はすごい本ですよ… 星やら月やら少女の涙やらの「童話」や「漫画」で凝りかたまった、あなたの失われた幼年時代をワン・チャンスでとりもどす最後の本とでも言ってもいいくらいの本ですよ…と、心の中では思っていたのです。
 そんなことを言う新谷さんはどうなのか、といえば、実は、日本で『指輪物語』が翻訳されはじめた時に、ちゃんと『旅の仲間』上巻を買ったくせに、なんだか理解できなくて数年間放り投げたままなのでした。
 今、思えば、あの第一回配本に、ちゃんと「ミドル・ア−ス世界地図」や「ホビット家系図」がついていれば、投げ出すこともなく、次の配本を楽しみに待っていたのになぁ…と思ってしまいます。英国や米国では『指輪物語人名辞典』まで出版されたというのに…
 まあ、いつまでも他をうらやんでいてもしょうがありません。せめて、これから『指輪物語』を読もうとしている人たちには、この資料集が役に立ってくれるように。
 
 私が『指輪物語』を最後まで読めたのは、おそらく、図書館のおかげでしょう。つまり、「開架書架−だれでも本を手にとれる」とか「一度に何冊でも借りられる」ということにおかげです。
 ある日、『指輪物語』全巻をまとめて書架に発見しました。ここではじめて、最終巻まで行けば地図や年表やホビット暦(!)までが備わっていることを知ったのです。当然、2・3・4巻を借りて(その図書館は一度に3冊まで貸出だった)、二日間、夜昼なく読み通したというわけです。
 そのうちには気が変わって、なんだかこの『物語』が終わってしまうのが惜しくなったのをよく憶えています。楽しみを延ばすために、一日に3章以上は読まない(!)なんて誓いをたてたりした若々しい頃がなつかしいですね。
 
 『指輪物語』は、すでに英国BBC放送でアニメ化されていますし、また、1970年にかけてアメリカで超ベストセラ−になった時にも、登場人物たちが歌う詩に曲をつけたレコ−ドが発売されたそうです。そういうレコ−ドが手に入ったならば、新谷さんにもおしえてください。
 私が『指輪物語』を読んだ頃は、ちょうど、この富田勲のレコ−ドがアメリカで話題になり、日本へ逆輸入して来た頃でした。テ−プに入れて毎日かけっぱなしにして『物語』を読んでいたのを想い出します。そうして、自分で勝手に、この曲はフロドのテ−マとか、これはロリエンの曲とか想っていました。
 つまらないアイデアですが、音楽と本のすばらしさが一致した場合だけは、かなり深い感銘をひきおこすという実例のようなものです。
 
  では、新谷さんが選んだテ−マ曲を並べてみましょう。
 
 ■ フロドとこの物語のすべて……アラベスク第1番
 ■ サムワイズ……………………ゴリウォ−グのケ−クウォ−ク(「子供の領分」第6曲)
 ■ メリアドクとペレグリン…………パスピエ(「ベルガマスク」第4曲)
 ■ ガンダルフ………………………沈める寺院(「前奏曲第1巻」第10曲)
 ■ アラゴルンとアルウェン………月の光(「ベルガマスク」第3曲)
 ■ ホリン(モリア西門)……………雪の上の足跡(「前奏曲第1巻」第6曲)
 ■ 大河アンデュイン………………雪が踊っている(「子供の領分」第4曲)
 ■ ロリエン…………………………亜麻色の髪の乙女(「前奏曲第1巻」第8曲)
 ■ ゴンド−ル(ミナス・ティリス)…雨の庭(「版画」第3曲)
 ■ 灰色港…………………………夢
 

 あ−、若いですね。舌足らずの文章にあきれてしまいます。でも、こうやって、<学校図書館>を選んで行ったんだな…という道行を思い出して懐かしくもありました。<読書案内>というのは、いちばん<学校図書館>的な真髄でしょうね、今でも。ここへの入射角が上手く行かないと、たぶん、学校図書館の司書として残って行くの、難しいだろうなぁ…というのも、あまり昔も今も変わっていない結論に思います。
 絵が描ければ、ためらうことなく自分の<読書案内>に絵を描いたでしょう。DJができれば、昼の学校放送で《Rock me baby !》やっていたと思う。持っている技があれば、何でも駆使してやる!くらいの覚悟がないと、ものにならない世界ですね。
 最初は、自分の心の中に、かなり抵抗があるんですけれどね。同窓の、同期の司書たちの多くが公共図書館とか専門図書館に入っていって、みんな何か<図書館司書>っぽいことやっている時に、独りだけ「フロドのテ−マ・ソング…」とかやっているのって、とても不安。オレも書誌作成とか何か<図書館>っぽいことやりたい…って考えたりしたこともありましたけれどね。
 「こんなの図書館じゃない!」って言って、就職試験受けなおしたり転職していった人もいましたけれど、なんか幸せそうではなかったですね。…というより、そんなことをやっていると、いつまでたっても自分の『指輪物語』がスタ−トしないじゃないの…という気がしましたね。
 

 ディスク・ジョッキ−ができれば、学校放送で《Rock me baby !》やっていた…というのは、かなりホントの話です。昼休みに「読書アワ−」という企画はいつでも暖めていたんですけれどね。週一回くらいは、本の紹介をしたり、本にまつわる音楽や朗読をかけたりする番組があってもいいと今でも思いますけれど。
 ただ、放送部というか、視聴覚部教師(放送委員)というか、そういう理科系の連中って、ものすごく「読書」をナメているというか、本に対してド素人ですからね。そういう「週刊ブック・レビュ−」みたいな企画、自分たちだけでできる…とか本気で思っている。で、大した計画もないくせに、始めてはすぐにポシャる…というような、しょうもないことをいつも繰り返していましたね。
 私の声、小さいでしょう。発音がちょっと不明瞭ですし。まあ、芸能関係はちょっと無理でしょうね…という人なわけで、こっちからも「この番組、オレに任せろ!」とは強くは言えないわけでジリジリしていましたね。
 まあ、別に私がマイクの前に立たなくても、放送シナリオを作るとか毎週のブック・リストを作るとかでいろいろ協力できたと今の私は(冷静になれば)考えますですけれどね。ただ、現在進行形でやっている時は、図書館も放送部も互いに相手と協力してという発想に立たないところは不思議なことです。若くて未熟…とはこういうことを言うんだよっていう見本みたいなものですね。けっこう自分に自信たっぷりで…けれど、実力がともなわない「ウッドストック’94」だね。
 

 まあ、今週の架空番組「週刊ブックレビュ−」で、もしも私のレビュ−の番が回ってきたら、やっぱり今週は(ちょっと遅いかもしれないけれど)『スワン・ソング』をあげるでしょうね。
 
 で、ひとつだけゴ−マンかましてよかですか…ってのをやって(笑)、それは、ニルス・ロフグレンの名曲「ゴ−イング・サウス」を、オレが『スワン・ソング』について話している間中、バックでかけていてくれ…ってなるんじゃないのかな。放送委員の高校生には、まちがってもレッド・ツェッペリンの「スワン・ソング」「天国への階段」だけは絶対にかけるなよ!と放送前に脅しておきますね。(笑) けっこう、やりそうなことだから。
 やっぱり核戦争ですからね。それプラス、カルトっぽい逸話(正確に言うと「聖書物語」なんですが)に、バイオレンスっぽい描写とか、これだけ揃えば、高校生の頭に結ぶ像はハ−ド・ロック〜メタル系列の音なんだろうけれど、(そして、これで正解!100%ピュア!とか思ってんだろうけれど)、これは決して満点の正解じゃないですよ。
 
 『スワン・ソング』の登場人物たちのキャラクタ−はそれぞれ明確な寓意記号を備えているので、他の小説(例えばスティ−ヴン・キングなど)より遥かに解りやすい。ニュ−ヨ−クのホ−ムレスが「シスタ−」であったり、スワンを助ける元プロレスラ−の黒人の名が「ジョシュ」であったりというように。(「ジョシュ」なんて、モロに聖書のヨシュアなんであって…) まあ、そこまでは、どんな凡庸な小説家でもかける現代語訳『ヨシュア記』なんです。
 
 ただ、この小説が非凡なのは、そういう新聖書物語をアメリカ合衆国で展開した…ということにあるんじゃないかなと感じたのですが。つまり、登場人物を徐々に<南部>に結集させて行く…というスト−リィ展開に創意工夫を感じます。たいていのアメリカ人が持っている<南部>への畏敬と郷愁の感情を刺激するんですね。善なるものも悪なるものも、高貴と呼ばれるものも卑賎と呼ばれるものも、すべてが<南部>をめざして集まってくる…、そして山の上の最終戦争。<新アメリカ物語>でもあるんですね。
 
 スワンプ…の音を感じました。それも、デルタ・ブル−スといった生の<南部>ではなくて、白人がロックの血脈として徐々に内部に取り込んで行ったようなスワンプ・ミュ−ジック風の音を感じます。その上でのプラス「メタル」…といったところかな。
 ドクタ−・ジョンではなくて、ボズ・スキャグス。オ−ルマン・ブラザ−スではなくて、ニルス・ロフグレン。
 

 もしも『スワン・ソング』を映画化するんなら、デヴィッド・リンチよりはジョ−ジ・ロイ・ヒルかな。先日、テレビで『スロ−タ−ハウス5』を観ていたんですけれど、いやぁ、よかったんですね。<廃墟>の表現がこんなに巧みな人って、ちょっと類を見ない。あと、こういう風に戦争・戦場(第二次大戦)を表現した作品って、今まであまり観たことがなかったので、その点でも目ウロコでした。
 これは、ジョ−ジ・ロイ・ヒルの映画がすばらしい…というわけではなくて、カ−ト・ヴォネガット・ジュニアの小説世界のすばらしさなんでしょうね。繰り返しになりますが、このように戦争を描いた小説って読んだことがない。なんたって、トラルファマド−ル星人との対話ですからね。
 
 ヒロシマもそうだけれど、第二次世界大戦におけるアメリカ(連合軍)のドレスデン爆撃〜壊滅って、アメリカ人の心の傷なんですね。ドレスデン爆撃の破壊規模(民間人の死傷者)は、じつはヒロシマ原爆を越える破壊規模なんですね。
 正当化は主張できるのだろうけれど、何か人間としての一線を越えてしまったかもしれない…みたいな想い出となって残っているわけです。おまけに、ドレスデンという街はヨ−ロッパの京都みたいな存在ですから、そういう美しさの象徴みたいなものを一夜にして壊滅させてしまった…という想いもある。
 このとりかえしのつかない感情を、アメリカ人として処理するには、こういう表現方法(トラルファマド−ル星人)を選びとるしかなかったんだろうなぁ…とか思います。
 ちょうど『スワン・ソング』を読んだ後だったので、『スワン・ソング』に出てくる<とりかえしのつかないもの>の造形、ロ−ランド・クロ−ニンガ−とかマクリン大佐といった興味深い造形のイメ−ジを思い出してしまいました。
 
 映画の話にもどりますが、あれがコダックの色なんでしょうか、70年代のアメリカ映画に特徴的な乾いたフラットな色調(『イ−ジ−・ライダ−』みたいな色調)がたいへん美しく感じました。最近の映画って色調が重たい。みんな『ツイン・ピ−クス』の重たさばかりなので、すごく見た後疲れるんです。あと、『スロ−タ−ハウス5』では、グレン・グ−ルドのピアノ曲の起用が秀逸ですね。意表を突いた美しさに、映画鑑賞にあるまじきことですが、私、目をつむって音楽に聴きほれてしまいました。
 

 ………はい。というわけで終わりの時間が来ました。今週の『週刊ブック・レビュ−』を終わります。また来週の昼休みにお会いしましょう!