C伽耶子のために

《大沼/Northern songs 1997年5月号》
 
 

 新緑の大沼公園は美しい。
昔、東京の学生だった頃は、親が国鉄職員だったこともあって、帰省の行き帰りはすべて鉄道でやってました。東北本線や奥羽本線を使って夜通し走ってきて、青函連絡船で夜が明けて、そのまま函館(室蘭)本線に乗ると朝の大沼公園を突っきります。夏の早朝の大沼公園なんて、ほとんどドイツの森の中を駆け抜けているような気分でしたね。ドイツ、行ったことないけど…
 
 私は別名「ダム男」です。そう呼ばれるほど、北海道のダムというか人造湖が好きですね。自分でドライブ・コ−スを作ると必ず人造湖がコ−スに折り込まれているのに気づくんだけど、最近、なんとなくその理由がわかってきた。
 あの−、湖の自然とか景観が好きなんじゃなくて、私は「水面を走る」ってのが好きなんじゃないか…と思うのです。
 古くは深名線の朱鞠内湖(しゅまりないこ)やこの大沼公園、新しいところでは、車の運転ができるようになってからのサロベツ原野まで、これらすべてに共通していることは、湖面や水面をすべるように疾走するということなのではないか。なにか、水の上を走る…水際を疾走する…ということに快感則があるんですね。
 最近見つけたところでは、穂別(ほべつ)ダムと小平(おびら)ダムが良かった。これらは「北海道パタ−ン」とでも呼ぶべき人造湖で、ダムへ行くトンネルを抜けるといきなり人造湖の真ん中に出てしまう…というパタ−ンですね。トンネルの出口でまた一般道に出るんだろうと思っているから、いきなり眺望がひらけて、今、水の上を走っているんだ!ということに気がつくとかなり驚きます。
 小平ダムの近くに「幌加内湖」(私がつけた仮名です。人造湖だけど、まだ名前がない!)があり、これは北海道パタ−ンの別ヴァ−ジョン。ダムの周りを走る道が一部水面と同じ高さのところまで降りて行きます。水が入ったばかりの新しいダムなので、まだ湖底の立ち枯れの樹海なんかが見え、人気のない濃い霧の水際を走っていると、ほとんどあっちの世界にこのまま行きそうです。朱鞠内湖が誰でも車で行ける行楽地になって往年のド迫力を失ってしまった今、こちらの方が秘境度が高いかな…
 
 かように人造湖の世界は奥が深い。けれど、ダム開発は20世紀の環境破壊のA級戦犯みたいなものだからな、今は。どこ行っても評判悪い。あんまり手放しで「ダムが好き」とか言ってると、さすがの北海道でも顰蹙ものですね。
 人造湖については、この連載でも、これから折りにふれて何回か扱うことになるでしょう。夕張の「シュ−パロ湖」とか、ぜひとりあげたいものはまだまだたくさんあります。
 

 夏の大沼公園で相俊(サンジュニ)と伽耶子がボ−トにのってデ−トする場面はかなり有名な場面です。美しい。まあ、『伽耶子のために』のハイライトです。
 これ、どうしても「大沼公園」でなければならない場面なんですね。小説の中で相俊は札幌出身の早稲田大学生という設定ですし、また、作者の李恢成も札幌西高(←私の母校でもあります)の卒業生だったみたいで、やはり私と同じに、東京の大学からの帰省の往き帰りには、この大沼公園を汽車の窓から眺めていたのではないかと思います。
 なにか、地方と都会、知識人と大衆、男と女…といった古典的な二項対立のテ−マが交錯しやすい独特のエリアなんです、「函館」とか「大沼」って。釧路と同じで、風景のつくりが、私ら北海道人から見てもレトロに感じるくらいの街ですからね。
 で、李恢成の場合、ここに、「祖国と日本(在日)」というかなり強力なテ−マがかぶさってきますから、小説としての完成度は、真面目にテ−マに向かっている限りは、そう簡単には崩れはしないよ…ということになるのではないかと思います。
 
 同じ小説家でも、毎度、霧の摩周湖や雪の阿寒湖を出しては金を稼いでいるのもいるけれど、そういう人間がバカに見えるほどには、この「大沼」や伽耶子が住んでいる「R町」はインパクトがありますね。
 ちなみに、この「R町」は現在の「森」という町ですが、この海岸線も夜行列車で走っていると、なかなか人間の存在というものが寂しくなっていって、いいんですよね。
 
 こんなやみよののはらのなかをゆくときは
 客車のまどはみんな水族館の窓になる
 
と、宮沢賢治がうたったのは「青森」なんですが、私の心象風景の中では、この海岸線に変形してしまっています。
 

 ああ、大沼公園のボ−トの話でした…
 
 ありきたりですけれど、この場面を読むと「花のような一瞬」とか「この世で一番キレイなもの」といった早川義夫風の言葉が浮かびますね。人間の青春の、いちばんイイ時なんでしょう。誰もが持っている「あの頃は良かったなぁ」「愉しかったなぁ」という感情に近い。
 この一点に関する限り、戦時下も高度成長下もない、在日も貧乏もないんじゃないでしょうか。もう二度とは還れない…という人生の基本の前では誰だって似たようなものだと思います。
 
 誰だって短いよ…
今の小説って、そういう「花のような一瞬」が、みんなよりちょっと長かったとか、俺のはヘヴイだったとか、そんなこと言ってるようなへなちょこな奴ばっかりね。いっそ、私なんかは、この相俊の、大沼公園のボ−トの夏一回きりの青春の方がいさぎよくて好きですけれど。
 
 小説を読んでいて少し気になったのは、相俊が最初から最後まで「伽耶子のために」という考え方を手放さなかったところです。ちょっと硬直してるんじゃないか、この人。なぜ、伽耶子の「相俊のために」というベクトルを真正面から受けとめないのか?
 「伽耶子のために」じゃない。必要なのは「伽耶子のおかげで」とでもいうべき視点なんです。これがないと、北朝鮮に飛んでまでトンマなセクハラ談義をやっている「よど号」の連中たちと同じレベルなんじゃないのか。
 
 青年が悩んでいることなんて、本当はどうでもいいようなことばっかりだよ…という見本のような小説でもあります。
 
 相俊は「(祖国への)帰国をとるか、伽耶子をとるか」とか真剣に悩んでいるみたいだけど、真剣な分だけ今となっては滑稽にも感じる。
 だって、伽耶子が相俊と北朝鮮に帰国していたら、今話題の「日本人妻」だぜ。相俊だって、資本主義の悪弊に汚染された南のスパイ分子で、とっくに収容所送りでしょうね。(最近、私は「北朝鮮もの」を集中的に読んでいるので少し詳しいんです…)
 
 まあ、そんな青年の想いなんか、そうやすやすと実現するわけはないわけで。北朝鮮への帰国第一船「クリリオン号」に乗ったのは、崔明姫(チェミョンヒ)であって、林相俊(イムサンジュニ)ではなかった。相俊の帰ってゆくところは今も昔も「R町」でしかないわけで、決して「北朝鮮」ではないんだよね。
 すでに「祖国」はセ−ネンの夢見る「北朝鮮」ではなく、水族館の窓の「R町」なんだ…という相俊の姿は、等しく、戦後日本の高度成長を歩んできた私たち青年の姿そのものです。
 伽耶子さんの暗い血の爆発によってにせよ何にせよ、バサッと「祖国」(←ここの括弧には「ベトナムに平和を!」でも「ウイ・ア−・ザ・ワ−ルド」でも何でも入れ替えてください)への帰国の夢が絶たれたことは、本当は、相俊にとってありがたいことではなかったのではないでしょうか。だって、相俊は、自分ではもう答を出せなかっただろうから。
 

 あ−、なんか、前の章は意味が通らなかったかもしれません。
 カギを握っているのは、昭和三十年代に起こった在日朝鮮人たちの北朝鮮への「帰国運動」の高まりとか、今となってはなかなか実感としてわからない、当時の明日にも「南北統一」が実現しそうな気運なんですね。で、私も昭和三十年代は小学生ですから、さすがに見てきたようなウソは言えません。
 というわけで、今回の文章を書くにあたって最も参考にしたのは、新潮文庫『伽耶子のために』を除けば、『金正日の拉致指令』石高健次著(朝日新聞社 1996.10刊)という本でした。
 新潟の少女拉致の関連で読み進めて行くうちに出会った本ですけれど、これが意外にも、昭和三十年代の帰国運動から現在の少女拉致・日本人妻問題に至るまでの歴史の闇を解明しているのですね。たいへん優れた仕事だと感じました。(テレビ朝日で放送されたドキュメンタリ−も、ビデオに撮って、もう何十回となく観ました。)
 田宮高麿や高沢皓司みたいなバカばっかりが日本人じゃないんだ…ということを知らしめる意味でも、ここに特に書名を記しておきます。
 

 『伽耶子のために』、結局、この小説は最後に何が残るのか? うただけがのこる…と私も早川みたいにカッコよく言いたいところです。私にとっては、伽耶子といっしょにボ−トにいた大沼の夏の思い出だけが心に残る名作です。