先日永福西町会の総会が有り「井の頭通りの昔はどうだったんですか」と聞いた所、会長さん(渡部守久氏)が明大前の手前に碑が有るから言ってみるといいよと教えて下さった。
早速いってみて、この写真を撮った。
裏面の文字は写真では読みずらいが昭和13年10月、時の首相近衛文磨公が此の地を通
った際未だ名前が無かったのでこの道を、井の頭街道と命名したと書いてある。
又渡部会長は、戦時は道路のわきで食料なんかを作っていたぞ車などはめったに通
らなかったからな、昔から幅はあれ位あったな、そんなこんなのいろいろ話をして下さった。
井の頭通りというのは街の人に聞くと、水道道路ともいうよという。水道道路なら水道管が有るだろうということで都の水道局(和泉庁舎)
を訪れ話を聞いた所、庶務課の人達がとっても優しく接してくださり、いろいろ教えてもらった。
此処らあたりは2400mm〜700mmの管が 4本埋まっていて2400mmの管は東京オリンピックの少し前に埋設したとのこと。。又
此の地区の水源は境から取水し東村山の浄水場を通り和田堀給水所 迄来ている。水道管は電気と同じ様に網の目のようにはり巡らされていて、水が足りない時などは融通
しあっているょと。(本当に有り難うございます、お礼をいいます)
杉並風土記によると「もともと水道管の施設用地であったのが、昭和12年9月から道路として利用されるようになったので、水道道路の名が生まれたのです。(大正7年8月着工、大正13年4月一部開通
)大正13年に境浄水場から、世田谷区松原に有る和田堀給水場まで約10.7キロの間に、直径1.9メートルの送水管が施設されました。次いで、昭和8年に第二送水管、同34年に東村山浄水場と朝霞浄水場から第三送水管が施設され、城西地区の水道の大動脈となりました」
森泰樹著「杉並風土記」より引用。
井の頭通りと言うのは通称名で、正式の名前を赤坂杉並線と言うのだそうです。ん???(東京都の建設局路政課の話に拠る)始点は港区赤坂2丁目、終点は杉並区高井戸東3丁目とのこと。
赤坂杉並線と言う呼び名になったのは昭和40年4月1日から。
じゃ地図に載っている井の頭通りでそれ以西は?これは杉並あきる野線と言うんだそうです。
五日市街道と言うのもやはり通称名で正式名称はこれ又、杉並あきる野線と呼ぶんだそうです。始まりは杉並区梅里1丁目からあきる野市まで。
じゃ方南通りは?‥‥
新宿国立線。渋谷区本町から国立市迄、
いやぁ難しい‥‥‥。
まぁこれはこれでいいが、私には水道道路とか井の頭通りの方が情緒があっていいなぁ。
『森泰樹著「杉並風土記」』 の著者、森先生に直接お話しを伺った所、井の頭通りとはもともと水道用のための用地で、作られたのは大正7年8月以降と言うことになるとのこと。
又、西永福近辺はその昔水久保と呼ばれていた。(江戸・明治・大正・昭和の始めまで)この水久保の久保とは窪で、水が湧き出ている土地という意味。
昭和7年の改定町名で永福町となり現在に至っている。