眠れぬ夜の哲学・『原爆追悼碑文の構造』

 April 16, 2001

 

 


 こんにちは。マーサ(オス)です。
 

 広島原爆記念公園にある石碑に刻まれた碑文に、『やすらかに眠ってください。あやまちはにどとくりかえしませんから。』というものがある。

 大変に有名な碑文であり、様々な所で引用されるし、記念公園に立ち寄る人々なら必ず目に止めていると思う。

 平和への祈りとしての、純粋な思いは分かる。確かに、戦争という手段は、将来においても避けなければならない外交上の行為だと思う。

 先の大戦において犠牲となった方々への哀悼の念は忘れてはいけない。
 

 ただ、僕の癖なのだろう。この碑文が表す「追悼の念」ではなく、その文章の「構造」に、疑問を持ったのだ。

 この碑文が捧げられているのは、もちろん、原爆による犠牲者の方々だ。言うまでもないが、彼らは、直接的には原爆によって命を落としている。その方々に対して、「やすらかに眠ってください。」という呼びかけをしている。

 さて、問題はこの続きの文だ。「あやまちはにどとくりかえしませんから。」とある。

 さて、この「あやまち」とはなんだろう。

 これは一般的には、「戦争」という認識を持たれている。もちろん、その戦争を引き起こした主体、戦争責任を問われているのは私たち日本人なのだ。

 碑文の後半部分に主体を入れて補足すれば、「(わたしたちは)にどとあやまちをくりかえしませんから。」となるだろう。

 ところが、被爆者の方々の第一の死因は原爆である。よってこの碑文の「あやまち」には、原爆投下という事実も含まれていないと、追悼の意をなさない。

 よって、この「あやまち」の中には、「原爆投下」という事実も含まれている。

 ところが、この文章の構造では、原爆を投下した主体は、アメリカではなく、(少なくとも第一原因としては)日本だという事を表明している。

 すなわち、「わたしたち」の「あやまち」によって引き起こされた戦争により、原爆が投下され、多くの人々が命を落としたことになった、と、この碑文の後半部分は述べているのだ。

 
 『原爆はなぜ落とされたのか』という問いに対し、『日本が戦争をしたから』という答え。

 その答えを正しいものとして、そしてそれ以上考える事を放棄し、「追悼」という封印をしている。

 
 僕たちは、あの戦争に「何か」を置き去りにしているような気がする。

 
 
 

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