民権ブログ集成
《 千 挫 不 撓 》






 

 

 

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☆挙句(揚句)を三句列記します。まずは『冬の日』第一歌仙からの引用です。季節は春、安心・平和な情趣を表出した佳い短句です。俳人の重五(ジュウゴ)は名古屋の材木商でした。

(挙句)廊下は藤のかげつたふ也    重五
 ロウカワフジノ カゲツタウナリ

☆句意は、藤の花ぶさの影が長く伸びて、穏やかに廊下に映っているというものです。

☆25年前の「非核銚子歌仙」において、凡一居士(ボンイツコジ)は挙句を下記のように詠みました。骨董に詳しい友人御一家の影響を受けたようです。

(挙句)骨董の塵非核元年       凡一
 コットウノチリ ヒカクガンネン

☆東日本大震災一周忌を迎え、独吟歌仙(俳詩)「3・11大震災」の挙句は、パロディー短句ながら定石通り静かに着地するよう心がけました。

(挙句)燈下は海の凪謡う也      凡一
 トウカワウミノ ナギウタウナリ

房総半島の燈台の灯りを思い浮かべて戴けますように。銚子市犬吠埼、いすみ市太東埼、南房総市野島崎、館山市洲崎。穏やかな朝凪(アサナギ)・・・。

☆大震災で御逝去された皆様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

☆そして今週も、10年以上続く次の記事を読むことになりました。ニホンの戦後「復興」における「人権」尊重の底の浅さが、延々と露呈し続けるかのようです。

◎全国の自殺者が14年連続で3万人を超えた。「学生・生徒」が1978年以降初めて1000人を超えた。「この先に良い人生が待っていると思えない」。東京都港区の住職は「苦しんで自分らしい生き方を見つける場がもっと」と話す。
(読売2012年3月9日14時・抜粋)

☆大震災の犠牲者数よりも、年間自殺者数が多いこのニホン。(要医療・要介護の?)私達の世代は、この惨酷社会(=絶望国家)の現実に耐えられるでしょうか。

☆福島原発汚染は原因だったか、それとも結果だったか? 跋(バツ)の長句は、愚生の英文俳句です。

◇We should survive
 Every summer, young leaves put forth
 Even when crying

(2012/03/11)



☆今週は再度、俳諧連歌『犬筑波集』に挑みます。「下の句(シモノク)」(七・七)に、「上の句(カミノク)」(五・七・五)を付ける方が俳諧らしくて楽しいですね。

●きりたくもあり切りたくもなし(七・七)

◎盗人をとらへて見れば我が子なり
 ヌスビトヲ トラエテミレバ ワガコナリ(五・七・五)
◎さやかなる月を隠せる花の枝
 サヤカナル ツキヲカクセル ハナノエダ(五・七・五)
◎心よき的矢の少し長きをば
 ココロヨキ マトヤノスコシ ナガキヲバ(五・七・五)
(山崎宗鑑編『犬筑波集』)

☆一句目の、「我が子」は切れないでしょうね。二句目の「さやかなる月」の季節は秋で、「花の枝」は春ではないでしょう。三句目の「的矢」は、的を射るための矢のことですね。

☆当世風に詠み変えて、次のようなパロディー俳句(略してパロ句)を作りました。御笑覧をお願い申し上げます。

◆きりたくもあり切りたくもなし

◇寒去れば小沢に稚鮎群れるなり
 カンサレバ オザワニチアユ ムレルナリ
◇雪散るや一路に掛かる松の枝
 ユキチルヤ イチロニカカル マツノエダ
◇田中なる槙に婿殿居直れば
 タナカナル マキニムコドノ イナオレバ

☆自注を少し記します。一句目の「寒」は、前総理の「カン」某氏。「稚鮎」は一回生議員のパロディーで、「オザワ」某氏は言わずもがな。 

☆二句目の「雪」は元総理の「ユキ」、「一路」は元幹事長の「イチロー」で、「松」は脱党した「マツキ」某氏。 

☆三句目の田中の「槙」は「マキ」で元外相、「直」は「ナオ」で現防相。 凡一居士編『ドジョウ?筑波集』とでも名付けましょうか?

☆昨夏の8月以来、延々と詠み続けてまいりました。独吟歌仙(俳詩)「3・11」は、名残の裏五句目で「花」の定座(ジョウザ)です。

◇(五句目)渓流へ奥入瀬川も花開き        凡一
      ケイリュウヘ オイラセガワモ ハナヒラキ

◆(非核銚子)街めぐる心に紅い薔薇を挿し
       マチメグル ココロニアカイ バラヲサシ

☆本日、次のような記事を拝読致しました。


◎東日本大震災から1年になるのを前に、児童と教職員計84人が死亡・不明となった石巻市立大川小学校の一周忌法要が4日、市内のホールで営まれた。無事だった大川小の児童も含め計約500人が出席。2児を亡くした遺族会会長は「寄り添い助け合い、懸命に生きていこうではありませんか」と呼び掛けた。
(福島民報2012年3月4日17時・抜粋)


☆来週の日曜日は3月11日で、ようやく歌仙一巻の挙句(アゲク)です。三十六句を無事に詠み終えることができましたら、次は「民権」術語考を連載の予定です。

(2012/03/04)


☆独吟歌仙(俳詩)「3・11」は、今週も連続二句を詠みました。

◇(三句目)夢の夢子々孫々も祈るべく
      ユメノユメ シシソンソンモ イノルベク
◆(非核銚子)空襲の銚子哀しや浜の俳諧
       クウシュウノ チョウシカナシヤ ハマノハイカイ

◇(四句目)今日は孤老の雪かきを見て
      キョウワコロウノ ユキカキヲミテ
◆(非核銚子)映画館からザ・デイ・アフター
       エイガカンカラ ザデイアフター

☆市内の書店の店頭で購入した青木美智男『小林一茶』(山川出版2012年)を一読しました。参考文献に挙げられている田辺聖子『ひねくれ一茶』(講談社1992年)程のインパクトはありませんが、次の引用句(『一茶全集』信濃毎日新聞社)が近世史研究の碩学らしいと思いました。

◎田の雁や村の人数はけふもへる      一茶
 タノガンヤ ムラノニンズワ キョウモヘル
(前掲書27頁)
◎雪ちるや七十顔の夜そば売        一茶
 ユキチルヤ シチジュウガオノ ヨソバウリ
(前掲書65頁)
◎世が直るなをるとでかい蛍かな      一茶
 ヨガナオル ナオルトデカイ ホタルカナ
(前掲書74頁)

☆凡一居士も還暦を過ぎて、通院や検査の回数が増えました。体力の衰えには逆らいようがないようです。来週はもう3月です。

(2012/02/26)



☆寒中、世界恐慌とニューディールの資料を読み返していましたら、ローズヴェルト大統領の1933年の
3R政策に再会しました。

☆下記の3項目です。

Relief(救済)・・・緊急銀行救済法、緊急(貧民)救済法。
Recovery(回復)・・・農業調整法(農産物の買い上げ)、全国産業復興法(労働条件改善と産業統制)。
Reformation(改革)・・・TVA( Tennessee Valley Authority )

☆現ニホン政権の消費税アップ「一体改革」( social security and tax reform )は、雇用問題と電力問題の解決につながるのかどうか・・・。

☆今週は次のような記事を読みました。

松戸市が小中学校に勤務している臨時学校事務職員64人に伝えた「解雇通告」が波紋。市は4月から設置する「スクールアシスタント」での再雇用案を示したが、賃金は大幅ダウン。年収に換算して約110万円、現行の約160万円に比べ3分の1カット。勤務時間は7時間半から5時間45分に短縮で、非常勤職員。
(千葉日報

☆独吟歌仙(俳詩)「3・11」は、ようやく名残の裏に到着しました。今週は連続二句、二つの「地域」を詠み込みます。

◇(一句目)馬の柵嶺岡牧の夕焼けに
      ウマノサク ミネオカマキノ ユウヤケニ
◆(非核銚子)母思う子供ら生きよゲン生きよ
       ハハオモウ コドモライキヨ ゲンイキヨ

◇(二句目)身に吉里吉里の尾根の頂
      ミニキリキリノ オネノイタダキ
◆(非核銚子)シェルター嘆く初老の外科医
       シェルターナゲク ショロウノゲカイ

☆「ゲン」は、中沢啓治氏の『はだしのゲン』でした。故井上ひさし氏のユニークな大著『吉里吉里人』には、サクマ姓なる姉弟が登場して大変印象的です。

☆今春初めて「蕗の薹」を採取し、味噌汁の具にして家族で食しました。高浜虚子に下記の秀句があります。

◎夙くくれし志やな蕗の薹     虚子
 ト(疾?)ククレシ ココロザシヤナ フキノトウ

☆若い頃『層雲』の自由律俳句に影響を受けた愚生は、下記のような新句を詠みました。「蕗の薹」には整腸の効能があると言われています。

◇老骨ゲップに蕗の薹の香る    凡一
 ロウコツ ゲップニフキノトウ ノカオル

☆俳諧連歌抄の『新撰犬筑波集(シンセンイヌツクバシュウ)』には、次の二句(後句・前句)が載録されています。室町時代に、「蕗の薹」がニホン人の春の食用野草であったことを証明する俳諧連歌ですね。

◎苦々しくも尊かりけり
 ニガニガシクモ トウ(薹?)トカリケリ
◎みな人の参るやふきのたう供養
 ミナ(皆)ヒトノ マイルヤフキ(蕗)ノ トウ(薹=塔?)クヨウ

☆三寒四温、来週は少し暖かくなるでしょう。

(2012/02/19)



☆寒気の中、拙宅の白梅が開花しました。一週に一句ずつ、独吟歌仙(俳詩)「3・11」を詠み継いで来ました。このペースでは、大震災一周忌に「挙句(アゲク)」まで詠み終える事ができないようです。今回は7句一気に進めました。

◇(六句目)分け入りて尚一人青山     凡一
      ワケイリテナオ ヒトリセイザン
◆(非核銚子)病の息子抱いて闘い
       ヤマイノムスコ ダイテタタカイ

◇(七句目)粉々に砕けしは戦後思想家か
      コナゴナニ クダケシワセンゴ シソウカカ
◆(非核銚子)酔いどれはポンタ反核酒場にて
       ヨイドレワ ポンタハンカク サカバニテ

☆『冬の日』の第一歌仙七句目の本句は、杜国(トコク)の「しらじらと碎けしは人の骨か何(シラジラト クダケシワヒトノ ホネカナニ)」です。蕉翁の発句ではありませんが、『芭蕉七部集』では指折りの秀吟と言えるでしょう。

◇(八句目)蓮は泥田の国の眼目
      ハスワドロタノ クニノガンモク
◆(非核銚子)天保水滸義侠の一節
       テンポウスイコ ギキョウノヒトフシ

◇(九句目)戯れの謎解きもせぬ信天翁
      タワムレノ ナゾトキモセヌ アホウドリ
◆(非核銚子)反トマのキャラバン過ぎし醤油町
       ハントマノ キャラバンスギシ ショウユマチ

◇(十句目)樽詰一斗語り継ぐ冬
      タルズメイット カタリツグフユ
◆(非核銚子)二十歳の夢飛び散らず候
       ハタチノユメトビ チラズソウロウ

◇(十一句目)福島の原発浜に月冴えて
       フクシマノ ゲンパツハマニ ツキサエテ   
◆(非核銚子)被爆者の深き皺見ゆノーモアの月
       ヒバクシャノ フカキシワミユ ノーモアノツキ

◇(十二句目)膚に経書く琵琶弾きの杖
       ハダニキョウカク ビワヒキノツエ
◆(非核銚子)三十九年の恨みを放ち
       サンジュウクネンノ ウラミヲハナチ

☆十一句目は月の定座(ジョウザ)です。名月ではなく、前句を受けて寒月を詠み込みました。「非核銚子」では8月の夏の月でしたが・・・。

☆今週は次のような痛々しい記事を読みました。3・11大震災の傷痕の深さを再認識し、犠牲者の御冥福を心よりお祈りします。

◎東日本大震災の発生から11日で11カ月となるのを前に、宮城県警は石巻市の北上川河口部で重点捜索を実施した。現場は全校児童の7割が津波の犠牲になった大川小から約4キロの距離。北上川右岸の尾崎地区では骨が4本見つかり、県警は人骨かどうか今後鑑定する。周辺では大川小児童4人と教員1人を含む計約140人が行方不明。

(河北新報2012年2月11日6時10分・抜粋)

☆もうすぐ一周忌がやって来ます。残る所は、「名残の裏」六句です。 See you again. Have a nice weekend.

(2012/02/12)



☆異常な寒波襲来のため、縮こまって暮らしています。特に明け方、肩の当たりが冷え込みます。昨日は立春でした。凍えながらも、独吟歌仙(俳詩)「3・11」を詠み継ぎます。
        
◇(四句目)しかし憶良の嘆きし貧窮       
◇(五句目)蓑かけて無理にも詠める子規      凡一
      ミノカケテ ムリニモヨメル ホトトギス

☆愚句の「子規(ホトトギス)」は、正岡子規を思い浮かべています。明治の青春を描いた『坂の上の雲』にも登場しました。

☆『冬の日』の本句は、荷兮(カケイ)の名吟「笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨」です。非核銚子歌仙では、凡一居士は五句目を、「初時雨‘ 歴史 ’のポスター貼り歩く」と詠みました。

☆本日、象の「はな子」サンに関して、次のようなニュースが報道されました。

◎国内飼育最高齢記録65歳に並んだ、アジア象の「はな子」の誕生会が武蔵野市の井の頭自然文化園で行われた。「はな子」には「65」を焼き入れた65個の特製パンをプレゼント。1949年9月、戦後初めてタイからやってきた雌象で、戦争中に餓死させられた上野動物園の「花子」の名を受け継いだ。
(スポーツ報知2012年2月5日13時6分・抜粋)

☆凡一居士より、3歳年上の雌象です。人に歴史があり、象にもまた歴史があります。Happy Birthday Hanako. Have a nice weekend.

(2012/02/05)


☆大寒の日は、房総半島でも凍えるような冷雨です。独吟歌仙(俳詩)「3・11」は、名残(ナゴリ)の表(オモテ)の四句目です。連歌師の宗祇(ソウギ)より遡って、万葉歌人の山上憶良(ヤマノウエノオクラ)に登場してもらいました。「貧窮」は「ビング」と読みました。

◇(三句目)白浜に里見の船の彷徨いて         
◇(四句目)しかし憶良の嘆きし貧窮       凡一
      シカシオクラノ ナゲキシビング

☆『冬の日』の本句は、杜国(トコク)の「しばし宗祇の名を付し水」です。宗祇には「世にふるも更に時雨の宿りかな」の名句があり、蕉翁は「世にふるも更に宗祇のやどり哉」というパロディー句(略してパロ句)を詠んでいます。

☆「非核銚子歌仙」では、四句目を次のように付けました。この句の「戦地」はサイパンとテニヤンです。

◆(三句目)若人が万歳クリフ藍の海
◆(四句目)ピースボートに戦地の旅愁      凡一
      ピースボートニ センチノリョシュウ        
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年167頁)

☆今週は次のようなネットニュースを読みました。薪ストーブ灰から放射性物質です。

◎福島県二本松市で、住宅の庭で保管されていた薪をストーブで燃やしたところ、灰から1キロ当たり4万ベクレルを超える放射性セシウムが検出された。・・・今回の薪は、いずれも住民が近くの山から採ってきて震災前から庭で保管していたもので、原発事故によって放射性物質が付着した。
(NHK2012年1月19日17時・抜粋)

☆エコロジー派の心痛が続きますね。

(2012/01/22)



☆今週は名残(ナゴリ)の表(オモテ)の三句目です。

◇(二句目)今は津波の襲い来る世ぞ
◇(三句目)白浜に里見の船の彷徨いて         凡一
      シラハマニ サトミノフネノ サマヨイテ

☆「白浜」は「安房白浜」です。『冬の日』の本句は下記の通りです。

◎(二句目)いまぞ恨の矢をはなつ声         荷兮
◎(三句目)ぬす人の記念の松の吹きおれて      芭蕉
      ヌスビトノ カタミノマツノ フキオレテ
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年10頁)

☆前掲書の注記に拠れば、蕉翁の付句は大盗賊の史跡を詠み込み、荒涼とした風景が眼前に浮かびます。荷兮の短句と蕉翁の長句の間に、緊迫感が漂いますね。

☆「非核銚子歌仙」では、三句目を次のように付けました。

◆(二句目)空手の演武は刃の如く
◆(三句目)若人が万歳クリフ藍の海         凡一
      ワコウドガ バンザイクリフ アイノウミ
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年166頁)

☆ Banzai Cliff (マッピ岬)は、サイパン島最北端の岬です。南洋諸島やリトルボーイ・ファットマンを搭載した爆撃機の発進基地の「戦地」を、実際に訪問した友人にスライドで説明して戴いたことがあります。25年以上も前に・・・。

(2012/01/15)



☆独吟歌仙(俳詩)「3・11」は、名残(ナゴリ)の表(オモテ)の二句目です。

◇(折立) 一反にゲゲゲの女房跳び乗らん      
◇(二句目)今は津波の襲い来る世ぞ         凡一
      イマワツナミノ オソイクルヨゾ

☆『冬の日』の第一歌仙の本句は、下記の通りです。名古屋の鬼才の荷兮(カケイ)は、後年、蕉翁から離反します。(両雄並び立たずか?)

◎(折立) のり物に簾透顔おぼろなる        重五
◎(二句目)いまぞ恨の矢をはなつ声         荷兮
      イマゾウラミノ ヤヲハナツコエ
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年10頁)

☆愚生は「非核銚子歌仙」において、二句目を次のように付けました。

◆(折立) ビキニ遠く鮪に鰯コンサート
◆(二句目)空手の演武は刃の如く          凡一
      カラテノエンブワ ヤイバノゴトク
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年165頁)

☆『芭蕉七部集』から、武具(矢・刀・弓・刃)を詠み込んだ付句を、幾つか列挙しましょう。

◎血刀かくす月の暗きに               荷兮
 チガタナカクス ツキノクラキニ
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年18頁)

☆荷兮の、現代人にはかなり暗い印象の(オドロオドロシイ?)短句です。最期まで蕉翁の忠実な門人であった去来(キョライ)は、もっと率直で明朗ですね。

◎何事ぞ花みる人の長刀               去来
 ナニゴトゾ ハナミルヒトノ ナガガタナ
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年47頁)

◎秋風やしらきの弓に弦はらん            去来
 アキカゼヤ シラキノユミニ ツルハラン
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年78頁)

◎いまや別れの刀さし出す              去来
 イマヤワカレノ カタナサシダス
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年213頁)

◎ただとひやうしに長き脇差             去来
 タダトッピョウシニ ナガキワキザシ
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年215頁)

☆「しらき(白木)の弓」を詠んだ去来の長句を、凡一居士は長年愛唱して来ました。

☆先師蕉翁にも武具(脇差・旅刀)を詠み込んだ長句はあります。徳川幕府の道中統制策をやんわりと風刺した秀句と言えるでしょう。

◎脇指に替てほしがる旅刀              芭蕉
 ワキザシニ カエテホシガル タビガタナ
『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年299頁

☆1683(天和3)年2月、それ以前まで許されていた旅行中の刀の使用が、徳川幕府によって全面的に禁止されました。(新日本古典文学大系『芭蕉七部集』岩波書店458頁)

☆本日、次のような記事を読みました。『日本経済新聞』のコラム「風見鶏」は、「自由民権の故郷 福島よ再び」という論題でした。

◎ようやく発足する復興庁の本部は東京となり、被災地に置くよう求めた地元の願いは無視された。除染や農工業の再構築、一瞬の無駄も許されないのに。(中略)民間の最先端の知や人材を全国、いや世界から福島に集め、平成の万機公論の場を作るしかない。それこそが自由民権運動など時代を開いた先人に報いる道だろう。
(日経2012年1月8日朝刊・抜粋)

☆コラム「風見鶏」には、福島県田村郡三春町(ミハルマチ)の或る寺院の檀家において、3カ月で6人もの自殺者があった悲惨な実態が報道されています。

☆今週は、歯肉炎で歯茎から出血し、かかりつけの歯科医に駆け込みました。処置をしていただき、止血剤と化膿止めの薬を飲んでいます。身体の老化現象でしょうか・・・。

(2012/01/08)



☆謹賀新年。昨年は千年に一度の大震災の渦中で、独吟連句(俳詩)を詠み継ぎました。初折(ショオリ)18句までは詠み終えました。

☆新年は気持を新たにして、名残(ナゴリ)の表(オモテ)に入ります。

◇(折立)一反にゲゲゲの女房跳び乗らん      凡一
     イッタンニ ゲゲゲノニョウボウ トビノラン

☆『冬の日』の第一歌仙の本句は、以下の通りです。門人の重五(ジュウゴ)は、名古屋の富裕な材木商人でした。

◎(折立)のり物に簾透顔おぼろなる        重五
     ノリモノニ スダレスクカオ オボロナル      
(『ワイド版岩波文庫・芭蕉七部集』1991年10頁)

☆25年前の「非核銚子歌仙」では、折立(オリタテ)を次のように詠みました。

◆(折立)ビキニ遠く鮪に鰯コンサート       凡一
     ビキニトオク マグロニイワシ コンサート
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年164頁)

☆校舎跡地活用事業(地域の活性化・公募)に愚生のプランが受理され、今まで調査研究をして来た幕末・明治期を中心の文書と刊行物(約1万点)を収蔵・展示する地域近代資料館が誕生することになりました。

☆想定外の余生を迎えることになります。余生?それとも余勢? 本年も御教導と御愛読を宜しくお願い申し上げます。

(2012/01/01)


《2011年》


☆師走です。喪中欠礼の挨拶状が次々に届くシーズンです。。2011年3月18日に、国文学者の井上宗雄先生(いすみ市出身)が他界されました。民権家の井上幹(ミキ)夫妻の写真は、故人の御好意によって提供して戴きました。生前の御厚誼に感謝すると共に、心より御冥福をお祈り申し上げます。

☆独吟歌仙(俳詩)の初折18句をなんとか詠み終えました。「時運来(とき・めぐり・きたる)」のようです。以下に1987年と2011年の愚句を並記しましたので、御笑覧をお願い申し上げます。

 歌仙「3・11」(2011年12月)  歌仙「非核銚子」(1987年10月)

(発句)パロ句秋風の身は蕉翁に似たる哉
パロクアキカゼノ ミワショウオウニ ニタルカナ  
☆秋

(脇 )黄昏に散る肩のコスモス  
タソガレニチル カタノコスモス  
☆秋

(第三)十六夜のどんどと酒屋梯子して
イザヨイノ ドンドトサカヤ ハシゴシテ
☆秋


(四句目)カシラを赤く唐辛子振る
カシラヲアカク トウガラシフル  
☆秋

(五句目)韓流のラブコメ好きの笑い泣き 
カンリュウノ ラブコメズキノ ワライナキ
☆無季

(折端)人散り散りに霜夜に怒る     
ヒトチリヂリニ ソウヤニイカル
☆冬

(折立)我が家は牛に軒貸す村時雨    
ワガイエワ ベコニノキカス ムラシグレ
☆冬

(二句目)髪染める間をなでしこの恋   
カミソメルマヲ ナデシコノコイ  
☆冬?(恋句)
  
(三句目)指先の愛しとフラを踊り出で  
ユビサキノ イトシトフラヲ オドリイデ 
☆無季(恋句)

(四句目)波を墓標に蒲公英も咲く    
ナミヲボヒョウニ タンポポモサク  
☆春

(五句目)春光の終日寒く故紙を焚き
シュンコウノ ヒネモスサムク コシヲタキ
☆春


(六句目)姑は独り耐えし古民家
シュウトワヒトリ タエシコミンカ  
☆無季

(七句目)棚田なる古代は早苗暮れる頃
タナダナル コダイワサナエ クレルコロ
☆夏

(八句目)義理に異を立て駿馬か驢馬か
ギリニイヲタテ シュンメカロバカ  
☆無季


(九句目)東を夏至に眺める月近し
ヒンガシヲ ゲシニナガメル ツキチカシ
☆夏(月)


(十句目)スカイツリーは六三四に夕立  
スカイツリーワ ムサシニユダチ  
☆夏

(十一句目)先帝に吉野の花の便り聞く
センテイニ ヨシノノハナノ タヨリキク
☆春(花の定座)


(折端)蝶は剣に双び怯える       
チョウワツルギニ ナラビオビエル  
☆春


①曼荼羅白い花人間を返せ  
マンダラシロイハナ ニンゲンヲ カエセ
☆夏

②メガトン大火滅びの地球  
メガトンタイカ ホロビノチキュウ  
☆無季

③此の秋は非核護憲の行脚にて  
コノアキハ ヒカクゴケンノ アンギャニテ ☆秋

④芒を揺らす利根の川風
ススキヲユラス トネノカワカゼ  
☆秋

⑤有明の貧しき家は炬燵哉
アリアケノ マズシキイエワ コタツカナ
☆冬

⑥血脈絶えず牢獄の唄
ケツミャクタエズ ロウゴクノウタ  
☆無季

⑦七夕のプルトニウムは笹の葉に
タナバタノ プルトニウムワ ササノハニ
☆夏

⑨宗匠語る蝶々爆弾
ソウショウカタル チョウチョウバクダン
☆春?


⑨日の丸の挺身隊は乙女哉
ヒノマルノ テイシンタイワ オトメカナ
☆無季(恋句)

⑩セーラー服に俤もなく
セーラーフクニ オモカゲモナク  
☆無季(恋句)

⑪叛核絵のTシャツ売れどやっぺの輪  ハンカクエノ ティーシャツウレド ヤッペノワ  
☆夏

⑫祭りの港花火は踊る
マツリノミナト ハナビワオドル  
☆夏

⑬明月や草の根照らす影法の
メイゲツヤ クサノネテラス カゲボウノ☆秋(月)

⑭重き文具を背負う廃道
オモキブングヲ セオウハイドウ
☆無季


⑮鬼っ子の牧師とっぱずれの赤い土
オニッコノ ボクシトッパズレノ アカイツチ☆無季


⑯ユダこそ許せ平和の愛
ユダコソユルセ ヘイワノアガペ  
☆無季

⑰原爆忌向日葵倒れ生者の鎖
ゲンバクキ ヒマワリタオレ ショウジャノクサリ  
☆夏(花は向日葵)

⑱吾が妻問いし三里への門
アガツマトイシ サンリヘノモン  
☆無季

☆1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所(旧ソ連)において原子炉の爆発事故が起こり、北欧・東欧諸国へ放射能汚染 radioactive contamination が広がりました。(凡一愛用『電子辞書』)

☆2011年3月11日の大震災によって、東京電力福島第一原子力発電所(現日本)において水素爆発事故とメルトダウンが起こり、東北・関東に深刻な放射能汚染が広がっています。

(2011/12/25)


☆家庭菜園は青首大根が順調で、(無農薬・無肥料・無精農法なれど?)道の駅で販売している太さに育ちました。土中から引き抜いて洗い、大根おろし、大根の味噌汁、大根の煮物、おでん等にしています。Y先生(故人)の教えに従って、葉、根、尖端、丸ごと調理します。

☆聖護院大根の方は種を播くのが遅かったので、まだ小蕪くらいの大きさです。毎朝起きるとすぐに、根の成長を観察します。隣接区画の空豆、白菜、キャベツ、小松菜、髙菜、ジャガイモは愚妻が世話しています。

☆ダイコンの原産地は中央アジアか、地中海沿岸であると考えられています。ピラミッド建設労働の報酬であったようです。遙か地中海やナイル川流域を遠望できる、人類の歴史と共に歩む野菜の長老です。

☆ダイコンは、英語ではradish、仏蘭西語ではgros radis(グロ ラディ)、独逸語では der Rettich (デル レッティヒ)、伊太利亜語ではravanello giapponese(ラバネロ ジャッポネーゼ)、 西班牙語と葡萄牙語ではnabo(ナボ)、中国語では夢卜(ルオボ)、ハングル語では무(ムー)と呼ばれて来ました。

☆凡一居士(愚夫?)が、自家製麺麭(パン)のため10日ほど前に種播きした国産小麦が、もう地表に芽を出しすくすくと伸び始めました。成長が速いです。12月後半には、(生まれて初めて)第1回麦踏みをすることになりそうです。

◎麦を踏む父子嘆を異にせり         楸邨
 ムギヲフム オヤコナゲキヲ コトニセリ  シュウソン
(田川飛旅子(ヒリョシ)著『加藤楸邨』桜楓社1963年47頁)

☆独吟歌仙(俳詩)「パロ句秋風」の初裏九句目は、次のように付けました。

◇(初裏八句目)義理に異を立て駿馬か駄馬か   
◇(初裏九句目)東を夏至に眺める月近し           凡一
        ヒンガシヲ ゲシニナガメル ツキチカシ   ボンイツ

☆25年前の歌仙「非核銚子」の初裏九句目は、「ほととぎす / 銚子は国の / とっぱずれ」(古帳庵、1841年、圓福寺句碑)を踏まえています。「とっぱずれ」は、近世銚子の風土的(精神的?)な位置表現でした。

◆(非核銚子) 重き文具を背負う廃道
◆(非核銚子) 鬼っ子の牧師とっぱずれの赤い土
        オニッコノ ボクシトッパズレノ アカイツチ
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社162頁)

☆連句的セカイ経済論の「発句」は、イタリア(伊太利亜)から始めました。(既述)「四句目」はスペイン(西班牙)です。こんな記事を読みました。

◎(11月)22日のスペイン総選挙で下院の過半数を獲得した中道右派・国民党のマリアノ・ラホイ党首は、財政赤字、巨額の累積債務、22%の高失業率、景気低迷という「四重苦」に直面。マドリード中心部では、失業者が営業停止したホテルを占拠。貧困層が住み込み、元清掃員(50)は「予算を減らされたら、娘や8人の孫を抱えてやっていけない」と訴えた。 
(読売2011年11月22日9時・抜粋)

☆Ocupa un hotel.(オクパ ウン オテル)  Ocupa Madrid.(オクパ マドリード) 地中海セカイは、軒並み、失業者 Desempleados(デセンプレアドス)の実力行使です。

☆次は、俳諧的ニュースの抜粋です。駄目王子「キン肉マン」が、復活するようです。子育てで多忙だった頃が懐かしいですね。

◎80年代に大ブームを巻き起こしたマンガ「キン肉マン」が、24年ぶりに復活する。キン肉マンは「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載、キン肉星のダメ王子・キン肉マンがテリーマンやロビンマスクらと(共に)、悪の超人たちと戦う格闘マンガ。(11月)28日午前10時から「週プレNEWS」に掲載。
(毎日新聞デジタル11月25日14時・抜粋)

☆寒波襲来で、かなり冷え込んで来ました。来週は師走です。See you again. Have a nice weekend.

(2011/11/27)



☆畑では菜の花がほんの少し咲き始めました。早過ぎるような気がします。今週の独吟歌仙(俳詩)「パロ句秋風」の短句は次の通りです。

◇(初裏七句目)棚田なる古代は早苗暮れる頃  
◇(初裏八句目)義理に異を立て駿馬か駄馬か    凡一    
        ギリニイヲタテ シュンメカダバカ

☆『芭蕉七部集』の本句は、野水(ヤスイ)吟の「霧にふね引(く) / 人はちんばか」でした。江戸時代の河川で働く民衆の過酷な労働を詠み込んだ句と言えるでしょう。現代風に詠み変えました。

☆25年前の歌仙「非核銚子」の初裏八句目は、以下のような付句でした。

◆(非核銚子) 明月や草の根照らす影法の
◆(非核銚子) 重き文具を背負う廃道
        オモキブングヲ セオウハイドウ
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社162頁)

☆今週、抜粋紹介するのは、次の記事です。

◎福島市大波(オオナミ)地区で生産されたコメから、国の暫定規制値(500ベクレル)を上回る放射性セシウムが検出され、地元のJAは説明会を開いた。参加者からは「来年はつくっても売れない」の声が上がった。農家154戸のうち約100人が参加、JA組合長は全戸調査に協力するよう呼びかけた。
(時事2011年11月18日20時・抜粋)

☆切ない記事ですね。房州弁で「セツネーヨー」と書くべきでしょうか。

(2011/11/20)




☆独吟歌仙(俳詩)「パロ句秋風」の巻初裏を、春(蒲公英)、春(春光)、無季と詠み継ぎました。ここで季を転じます。季節は初夏(早苗)です。

◇(初裏六句目)姑は独り耐えし古民家
◇(初裏七句目)棚田なる古代は早苗暮れる頃       凡一 
        タナダナル コダイワサナエ クレルコロ

◆(非核銚子) 祭りの港花火は踊る
◆(非核銚子) 明月や草の根照らす影法の
        メイゲツヤ クサノネテラス カゲボウノ
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社161頁)

☆棚田は各地に残存しています。凡一居士は、鴨川市に残る「大山千枚田」を思い浮かべています。今秋、南房総産の古代米(黒米)を知人から頂戴し、白米にスプーン一杯ほど混ぜて御飯を炊きました。美味でした。

☆25年前の歌仙「非核銚子」の「初裏七句目」は、本句「影法の / あかつき寒く / 火を焼(タ)きて」(芭蕉)をパロディー化したものです。

☆今年の流行語について一笑。「TNPってなんですか?」「知らないのか、低燃費だよ」「短くなってないじゃないですか」「ナントナクカッコイイダロウ・・・」。

☆TPPについて一笑。「TPPってなんですか?」「知らないのか、Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement、環太平洋戦略的経済連携協定だよ」「分からないじゃないですか」「ナントナクゴマカセルダロウ・・・」

☆TPPでは無くTSPですね。不人気なオバマ政権の戦略的( Strategic )意図に危惧の念を持ちます。現ソーリについても一笑。「野田(ノダ)ソーリ?」「いや、野田(ヤダ)ソーリ」「いやいや、野田(Noダ)ソーリ」。(凡一居士作「千葉笑い」)

☆今週は、次のような記事を抜粋しました。「フーテンの寅さん」の悪戯でしょう。

◎東京都葛飾区の柴又帝釈天で今月、賽銭箱が盗まれたことが(11月)8日、警視庁亀有署への取材で分かった。賽銭箱は1日午後8時ごろまで、境内の「浄行菩薩」像の前に置かれていたが、翌2日午前5時ごろ無くなっていた。賽銭がいくら入っていたかは分かっていない。
(時事2011年11月8日19時・抜粋)

☆次のような記事も読みました。『日本経済新聞』所載の統計グラフ(1951年~2011年)が、ほとんどそのまま自分史の61年余と重なってしまいます。雇用問題が大変深刻です。

◎全国で生活保護を受給している人が7月時点で205万495人となり、過去最多だった1951年度の204万6646人を超えた。支給総額は3兆円を超え、厚労省によると東日本大震災の影響で3月は約3万2000人、5月以降は毎月約1万人のペースで増加。
(日経2011年11月9日10時・抜粋)

☆先日、友人が急逝し、葬儀参列のために夜間、鴨川~銚子間(126キロ)を自家用車で往復しました。25年以上前の非核都市宣言運動では、共に教会( church )の会合に出席し、深夜のステッカー貼り等の行動も共にしました。

☆蕉翁が残した追善句で有名なものは、早世してしまった門人の「一笑(イッショウ)」(加賀国金沢の商人)を追悼した一句です。「一笑」は優れた門人であったようです。(『芭蕉七部集』参照)

◎塚もうごけ我泣く声は秋の風         芭蕉
 ツカモウゴケ ワガナクコエワ アキノカゼ
(『芭蕉自筆奥の細道』岩波書店58頁)
(尾形仂ほか訳注『新版おくのほそ道』角川文庫51頁)

☆蕉翁の嘆きが聞こえるようです。凡一居士も先師芭蕉翁に倣い、追悼吟を詠ませて戴きました。帰鴨後の或る日、荒海に沿う外房の清澄方面を眺望し苦吟。

◇立冬や白鳥遠く断雲              凡一
 リットウヤ シラトリトオク チギレグモ

☆I pray its soul may rest in peace.

(2011/11/13)




☆先週、蕉翁の「不自由」という術語について、『芭蕉七部集』の連句から一例、書状から四例を検証しました。(管見の限りでは)芭蕉の「不自由」観を分析した論考は、これまでありません。

☆蕉翁に、「自由」のみの使用例は皆無と前述しました。門人が記録した伝聞にはありますので、所在だけ確認しておきます。『去来抄』一例、『三冊子』二例です。

◎(1)俳諧自由の上に(後略)
(現代語訳=自由な表現を生命とする俳諧において)
(『新編日本古典文学全集88俳論集ほか』小学館445頁)
(『去来抄・三冊子・旅寝論』「去来抄」岩波文庫20頁)

◎(2)自由をふるひて世上にひろしといへども(後略)
(現代語訳=のびのびと作品を作ることで世間に知られているが)
(『新編日本古典文学全集88俳論集ほか』小学館549頁550頁)
(『去来抄・三冊子・旅寝論』「三冊子」岩波文庫84頁)

◎(3)自由をふるはん(後略)
(現代語訳=肩の力を抜いて作品を作る)
(『新編日本古典文学全集88俳論集ほか』小学館633頁634頁)
(『去来抄・三冊子・旅寝論』「三冊子」岩波文庫140頁)

☆「俳諧自由」という四字熟語は含蓄が深いですね。前世代の宮本武蔵の『五輪書』と同じように、「意のままに」、「思いのままに」、「自在に」、詠むという意味でしょう。

☆武蔵は『五輪書』において、果たし合いに勝つための身心(心身?)の「自由」について詳述しています。(既述)

☆『芭蕉七部集』載録の門人には、「不自由」と「自由」の術語を詠み込んだ二例があります。正秀(セイシュウ)は近江国膳所の商人、洞木(ドウボク)は伊賀国上野の医師でした。

◎須磨はまだ物不自由なる台所      正秀
 スマワマダ モノフジユウナル ダイドコロ
(『新日本古典文学大系・芭蕉七部集』「ひさご」岩波書店252頁)
(『芭蕉七部集』岩波文庫167頁)

◎自由さや月を追行置火燵         洞木
 ジユウサヤ ツキヲオイユク オキゴタツ
(『新日本古典文学大系・芭蕉七部集』「続猿蓑」岩波書店552頁)
(『芭蕉七部集』岩波文庫358頁)

☆正秀の「物不自由」は、「食膳の支度にも事欠く」という意味です。 洞木の句の「自由さや」は、「移動可能なこと」です。

☆蕉翁の門人が詠んだ「自由」の句は、『芭蕉連句集』にもう一例あります。この句の「自由」は、「便利」と注記されています。佐次(サジ)は尾張国名古屋の僧でした。

◎舩(船)の自由は半日に行       佐(左)次
 フネノジユウワ ハンニチニユク
(『芭蕉連句集』岩波文庫265頁)

☆先日、高知市の自由民権記念館だより『自由のともしび』第71号を送付して戴きました。植木枝盛旧邸書斎の「移築と復元」が特集されています。11月12日(土)には、「板垣退助の一代華族論」について研究報告があります。

☆では、独吟歌仙(俳詩)「パロ句秋風」の巻を続けます。今年の大晦日までには半歌仙(18句)を詠み終える事が出来るでしょう。(チョー、オセー?)「遅筆堂」(故人)という雅号の現代作家も居ました。

◇(初裏五句目) 春光の終日寒く故紙を焚き              
◇(初裏六句目) 姑は独り耐えし古民家        凡一
         シュウトワヒトリ タエシコミンカ

◆(非核銚子)  叛核絵のTシャツ売れどやっぺの輪     
◆(非核銚子)  祭りの港花火は踊る
         マツリノミナト ハナビワオドル
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社161頁)

☆初裏六句目の本句は「あるじ(主)はひん(貧)に / たえし虚家(カライエ)」です。無季の短句です。「たえし」は通常、「絶えし」と考えられています。「耐えし」と解釈しても味わいが出るような気がします。

☆今週は地域に関する次のような記事を読みました。

◎千葉県は(11月)2日、市原エコセメント(市原市)の工場排水から、国が示した目安(1リットルあたり75ベクレル以下)を超える放射性セシウムを検出と発表した。10月の測定では1054ベクレルを検出。操業は現在停止中。同社は県内34市町のごみ焼却場で発生した焼却灰や、下水浄化施設の汚泥を燃やしセメントを生産している。
(日経2011年11月2日23時・抜粋)

☆水道水、野菜、牧草、椎茸、汚泥、側溝、焼却灰、乗用車、セメント・・・。次第に増えます。房総半島は三面(東・西・南)が海、一面(北)が大河ですが、「四面射禍」(凡一造語)になって来たようです。韓国では、アスファルトのセシウム汚染が報道されました(朝日11/5)。

☆「自業自毒」(凡一造語)。経済人間(町人国家)一辺倒時代の非循環汚染のツケを、これから幾世代かに渡って払い続けることになるのでしょう。(除染は何百年賦? 何世代ローン?)

☆Money was the key that opens all doors. See you again. Have a nice weekend.

(2011/11/06)

☆先週に続き、芭蕉の「(不?)自由」観について整理します。次の書状は二例目です。1689(元禄2)年、松尾芭蕉の実兄宛書状です。実家は裕福では無かったのでしょう。句読点と( )は筆者記。

◎(二)そこもと、旧年、御仕舞(オシマ)ひも、御不自由に御座(ゴザ)有るべく候。
(現代語訳=そちらは、昨年末の、お支払いも、とどこおっていることと思います。)
(田中善信『全釈芭蕉書簡集』新典社174頁175頁)

☆次の書状は三例目です。1692(元禄5)年、近江国の豪商夫人であった門人の智月(チゲツ)宛書状です。松尾芭蕉はこの頃江戸に居ました。(女性俳人の智月については既述)

◎(三)この方(ホウ)、万(ヨロズ)大まかなる処にて、何事も不自由に御座候へば、御おんの程もひとしほわすれがたく、御なつかしきばかりに御座候。
(現代語訳=こちらは、万事大雑把な所で、何事も不自由ですので、ご恩のほどもひとしお忘れがたく、なつかしく思うばかりです。)
(前掲書467頁468頁)

☆次の書状は四例目です。1694(元禄7)年、江戸に居た門人の曾良(ソラ)宛書状です。「島田」と「金谷」は、東海道の大井川両岸にあった宿場です。この書状は、近江国の膳所(ゼゼ)で書かれました。

◎(四)十五日の晩方、島田いまだ暮れ果てず候(ソウロウ)間(アイダ)、すぐに川を越え申すべきやと存じ候へども、松平淡路殿、金谷に御とまり、宿も不自由に有るべくと、(後略)。
(現代語訳=15日の夕方、島田に着きましたがまだ日が暮れていませんでしたので、すぐに大井川を越えようかと思いましたが、松平淡路守殿の一行が、金谷に泊まっており、金谷では宿も取れないだろうと思って、(後略)。
(前掲書657頁661頁)

☆「不自由」という術語が、ほとんど(経済的に)思うようにならないという意味で使用されていますね。松尾芭蕉の俳諧思想の庶民性を裏付けるように思います。

☆筆者はルソー(1712-1778)の「自由権」について、拙著『底点の自由民権運動』(岩田書院2002年)で、下記のように記述したことがあります。「人世(ジンセイ)」は、社会とか世間という意味です。(  )のカタカナは筆者追記。

◇明治前期の青年たちに、「自由権」について思想的な影響を及ぼした訳書は、中江兆民の『民約訳解』巻之一(仏学塾出版1882)である。同書「第八章 人世」には、「人義之自由(ジンギノジユウ)」、「保有之権(ホユウノケン)」、「心之自由(シンノジユウ)」と漢訳されている。
(前掲書195頁「『自由権』と『抵抗権』の淵源について」)

◇フランス語の原書 J.J.Rousseau(ジャン・ジャック・ルソー) : Du Contrat Social (デュ・コントラ・ソシアール)は、購入して手許に置き時々参照している。「人義之自由」は liberté civile(リベルテ・シビル) の訳であり、「保有之権」は propriété(プロプリエテ) の訳で、「心之自由」は liberté morale(リベルテ・モラル) の訳である。

◇桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』(岩波文庫1954)では、「市民的自由」(人義之自由)、「所有権」(保有之権)、「道徳的自由」(心之自由)と訳されている。
(前掲書195頁)

◇井上幸治訳『社会契約論』(中公文庫1974)では、「社会的自由」(人義之自由)、「所有権」(保有之権)、「精神的自由」(心之自由)という訳語が当てられており、微妙なニュアンスの違いがある。
(前掲書195頁)

☆独吟歌仙(俳詩)「パロ句秋風」の巻は、初裏の五句目に移ります。

◇(初裏四句目)波を墓標に蒲公英も咲く       
◇(初裏五句目)春光の終日寒く故紙を焚き          凡一
        シュンコウノ ヒネモスサムク コシヲタキ  ボンイツ
    
◆(非核銚子) セーラー服に俤もなく
◆(非核銚子) 叛核絵のTシャツ売れどやっぺの輪      凡一
        ハンカクエノ ティーシャツウレド ヤッペノワ
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年160頁)

☆初裏五句目は、凡一居士の旧句「春光に / 終日故紙を / 焚いている」の改作です。愚句は、病に倒れ春の光のなかで、一日中古い原稿を燃やしていた初老の姿を詠みました。季節は前句に続き、後句もまだ肌寒い早春です。

☆「非核銚子」歌仙の「叛核」は、「反核」と同じです。「やっぺ」は、銚子市で毎夏踊られて来た盆踊りです。

☆今週は次のような記事を読みました。新人医師の現実的選択の傾向が明らかになっているようです。

◎来年度、(福島)県内で臨床研修を受ける新人医師の内定者数は、募集定員146人に対し61人にとどまり、研修制度導入以降最も少ない。充足率は41・8%で全国で最も低かった。原発事故で医師の県外流出が相次いでいる中、県は研修医の県内定着の対策強化を迫られる。
(福島民報2011年10月28日8時・抜粋)

☆今日は、嬉しい記事も読みました。「継続して支援していきたい」という言葉が、(フクシマとニホンの)未来の扉を開けてくれるような気がしました。

◎映画「がんばっぺ フラガール」でナレーションを担当した蒼井優が、出演料の全額を福島(県)いわき市に寄付する。06年の映画「フラガール」で脚光を集めた蒼井は震災直後の4月、松雪泰子、富司純子、山崎静代と連名で1000万円を寄付しているが、「継続して支援していきたい」との思いから申し出た。
(スポーツ報知2011年10月30日6時・抜粋)

☆良い記事です。立派ですね。異次元の未来の宝庫(「底点」論の夢未来?)へ行く鍵・・・。

☆房総半島は、朝晩冷え込むようになりました。来週は霜月に入り、11月8日は立冬です。先日、「福島自由民権大学」の事務局から、「総会と秋季講座」(11月13日)の案内状が届きました。開催地は、福島県田村郡三春町です。

☆See you next sunday. Have a nice weekend.

(2011/10/30)



☆雨上がりの暖かい晩秋です。庭先の薄紅の山茶花が既に満開です。毎年二度咲く深紅の薔薇も、蕾が開き始めました。冬へ向かおうとしているのに、何処から来たのか紋白蝶と紋黄蝶が、白菜や菜花の上を飛んでいます。

☆独吟歌仙(俳詩)「パロ句秋風」の巻は、初裏の四句目に移ります。フラガールの福島県いわき市から、北上して宮城県石巻市へ到着しました。
     
◇(初裏三句目)指先の愛しとフラを踊り出で           
◇(初裏四句目)波を墓標に蒲公英も咲く       凡一
        ナミヲボヒョウニ タンポポモサク  ボンイツ
    
◆(非核銚子) 日の丸の挺身隊は乙女哉
◆(非核銚子) セーラー服に俤もなく
        セーラーフクニ オモカゲモナク       
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年160頁)

☆初裏四句目の初案は、「泥を墓標に / 蒲公英の路」でした。熟考の後、修正しました。被災地の石巻市を初めて訪問したときに、土葬されただけの塚が並んでいる場所に案内されました。瓦礫も残る海浜の光景です。「蒲公英」が季語で、季節は冬から早春に変わります。

☆江戸時代中期の与謝蕪村(1716-1783)に、次のような「たんぽゝ」の秀句があります。「忘れ花」は、季節外れに咲く花のことです。

◎たんぽゝのわすれ花あり路の霜         蕪村
 タンポポノ ワスレバナアリ ミチノシモ     ブソン
(尾形仂校注『蕪村俳句集』岩波文庫138頁)

☆ここで、芭蕉の「自由」観について、少しまとめておきます。「自由」の用語(術語)が刻み込まれた、蕉翁自身による唯一の例句を鑑賞します。( )は筆者記。

◎此筋は銀も見しらず不自由さよ         芭蕉
 コノスジワ カネ(ギン)モミシラズ フジユ(ウ)サヨ
(中村俊定校注『芭蕉七部集』「猿蓑集巻之五」岩波文庫215頁)

☆「この地域では銀貨も通用しないので、何と不便なことか」という句意です。「銀」を「カネ」と読むか、「ギン」と読むか、二通りあるようです。凡一居士が長く愛読してきた『芭蕉七部集』(岩波文庫)は「カネ」というルビであり、『新編日本古典文学全集71松尾芭蕉集②』(小学館)は「ギン」というルビです。

☆「不自由さよ」は、「フジユサヨ」と読む場合が多いようです。(『新日本古典文学大系70芭蕉七部集』岩波書店327頁)

☆ドナルド・キーン氏は、上掲の長句を次のように英訳しています。

◎In this neighborhood
 They don't even recognize money-
 How inconvenient !
(『日本文学史近世篇一』中公文庫198頁)

☆「不自由」を ‘ inconvenient ’と英訳しています。コンビニ( 便利、簡便 )の反対語ですね。「銀」は‘ money ’とだけ英訳しています。銀貨と銭貨の差異に拘らなかったようです。

☆蕉翁の書状には、「不自由」(「自由」だけの使用例は皆無)という用語が四例程散見されます。今日は一例だけ検討します。句読点と( )は筆者記。

◎(一)一両年、不自由不調之事共、さてさて残(り)多(く)いたはしく存候。
(現代語訳=ここ一、二年、姉が暮しに困っている様子は、かえすがえす伊賀を出立する際の心残りで、いたわしく思っていました。)
(田中善信『全釈芭蕉書簡集』新典社155頁)
(『芭蕉全図譜』「書簡336」岩波書店)
(『芭蕉書簡集』岩波文庫70頁)

☆伊賀国の門人であった、卓袋(タクタイ)宛の書状です。「不自由」は、経済的に不如意(フニョイ=思うようにならない)という意味で使用されています。「不如意」は、愛用のデジタル版『日本国語大辞典』(小学館)に、「金銭が乏しくて何も出来ないこと」と説明されています。

☆松尾芭蕉(1644-1694)にとって前世代(1年だけ同時代?)の宮本武蔵(1584?-1645)は、『五輪書』で「自由」という術語を武芸者らしく「意のままに」、「柔らかに」、「自在」、「思いのままに」という意味で使用しています。(鎌田茂雄全訳注『五輪書』講談社学術文庫64頁66頁71頁85頁111頁117頁151頁157頁173頁192頁203頁219頁)

☆今週は、次の記事を抜粋転載して紹介します。ニュースの原文は、パソコンで「福島民報2011年10月20日21時」と入力すれば、ネット上で辿り着きます。

◎東京電力福島第1原発事故を受け、福島県議会は(10月)20日の本会議で、県内にある第1、第2原発計10基全ての廃炉を求める請願を賛成多数で採択した。採択を受け、佐藤雄平知事は「(採択の意義は)本当に重い。第1、第2原発の再稼働はあり得ない」と述べた。
(福島民報2011年10月20日21時・抜粋)

☆民権家で、明治前期に福島県会議長であった河野広中(福島県田村郡三春町出身)は、草葉の陰で何を思うでしょうか。三春町の松本登先生(福島自由民権大学・故人)の御厚情を、凡一居士は忘れることができません。

☆菜園の球根類が、順調に芽を吹いています。玉葱(タマネギ)はニョキニョキと伸び、辣韮(ラッキョウ)はヒョロヒョロと分かれ、分葱(ワケギ)はズンズンと増え、大蒜(ニンニク)はスックと立っています。そのまま俳句に詠みました。

◇ニョキニョキと ヒョロヒョロズンズ スックと秋   凡一

☆このような句を、どのように言うべきでしょうか。玉葱を詠んでいますから玉句(ギョック)? 変わっているので奇句(キク)。それとも汗が、駄句(ダック)駄句(ダク)。いやほんの、冗句(Joke)冗句(Joke)? 

☆三者三様、十人十色、千差万別。So many men, so many minds. 人生も野菜も色々です。ではまた来週。 Have a nice weekend.

(2011/10/23)



☆恋句は二句続けるのが通例です。「なでしこJAPAN」に続いて、いわき市の「フラガール」を詠みました。顔に満面の笑みを浮かべ、ステージに踊り出た炭坑の娘達は、映画「フラガール」(第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞)のラストシーンです。

◇(初裏二句目)髪染める間をなでしこの恋     
◇(初裏三句目)指先の愛しとフラを踊り出で        凡一
        ユビサキノ イトシトフラヲ オドリイデ  ボンイツ     

◆(非核銚子) 宗匠語る蝶々爆弾
◆(非核銚子) 日の丸の挺身隊は乙女哉
        ヒノマルノ テイシンタイワ オトメカナ
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年159頁)

☆福島県いわき市の常磐(ジョウバン)炭坑が舞台でした。(アオイユウは綺麗だったなー。シズチャンが演技派に見えたっぺよー。フジジュンコは老けたなー。男優の脇役陣もイカッター。)DVDも購入し手許にあります。

☆服部土芳(藤堂藩士)の『三冊子(サンゾウシ)』に、先師芭蕉翁の言葉が紹介されています。昔の恋句を、「心の恋の誠を思はざるなり」と切り捨てています。「心の恋の誠」という洞察は、非凡ですね。(不易の恋愛論?)土芳は次のような言葉も書き留めています。(句読点は凡一居士)

◎恋、別して大切のことなり。なすに、やすからず。
(『新編日本古典文学全集88俳論集ほか』小学館555頁)

☆現代語訳すると、「恋」の句というものは俳諧歌仙一巻の中で特別に大切なもので、句作するのが非常に難しい、ということになります。蕉翁の「別して大切」という洞察も、やはり非凡と言うべきでしょう。

☆ドナルド・キーン氏が英訳した恋句を、ここで鑑賞しておきます。出典は、『猿蓑』所収の歌仙「市中(まちなか)は」の巻です。蕉翁の長句の後に、武骨な門人の去来(落柿舎庵主)が短句(麗句?)を付けています。

◎(初裏五句目)魚の骨しはぶる迄の老を見て     芭蕉
        ウオノホネ シワブルマデノ オイヲミテ
◎(初裏六句目)待人入し小御門の鎰(鍵)      去来
        マチビトイレシ コミカドノカギ   キョライ

◎I have lived to see
 Such old age I can only
 Suck the bones of fish.
◎He let my lover in
 With the key of the side door.
(ドナルド・キーン『日本文学史近世篇一』中公文庫202頁)

☆蕉翁の長句は逐語訳されています。「魚の骨」は ‘ the bones of fish ' 、 「しはぶる(しゃぶる)迄の」は ‘ I can only suck ' 、 「 老を見て」は ‘ I have lived to see such old age ' と直訳風です。

☆去来の短句の方は意訳ですね。‘ He ' は、老門番(『源氏物語』「末摘花」の「翁」)の介在を想定して、キーン氏が独自に訳出したと考えられます。「待人」を‘ my lover ' と英訳されると、句意が現代風( ナウイ? イマイ? マイウ? )になり明確です。‘ my ' は、「 小御門 ‘ the side door ' 」 のある家に住む姫君のことでしょうか。

☆かつて詠んだ「非核銚子歌仙」の、「日の丸の挺身隊は乙女かな」も恋句のつもりでした。恋の句のことをあれこれと思い巡らしていたら、とんでもないニュースが入って来ました。

◎千葉県船橋市によると、「ふなばしアンデルセン公園」で市民グループが実施した測定で、地表から高さ1センチのところで毎時5・82マイクロシーベルトを検出した。東京都世田谷区でも毎時3・35マイクロシーベルト、各地で高線量の検出が相次いでいる。
(産経2011年10月13日14時・抜粋

空間汚染、それとも地下汚染?(民族大移動の第二段階に突入か) 前ソーリは、安全な西国(サイゴク)をゆったり歩いている遑(イトマ)などないはずですね。

☆船橋市は現ソーリの地元です。福島県飯舘村レベル(毎時2・1マイクロシーベルト)以上の高線量です。先日、『朝日新聞』千葉版の「千葉笑い」欄に、こんな作品がありました。「ドジョッ(鰌)コダッテネー、フナッ(鮒=船)コヨー」。クニワ、アニ(何=兄)シテッダヨー?

☆3・11東日本大震災の津波で流され、太平洋を漂流していたと思われる漁船や漁網が、ハワイ北西のミッドウェー海域で発見されました。同海域は亡父の戦争体験の現場であったので、凡一居士の心中は穏やかではありません。

◎津波によって流された小型漁船や冷蔵庫などが、ミッドウェー諸島にまで流れ着いていることがわかった。ハワイ大学が発表した。ホノルルからウラジオストクに航行中のロシア訓練用帆船「パラダ」が見つけた船体には、「福島」の文字が書かれていた。
(読売2011年10月15日13時・抜粋)

☆痛々しい記事です。ではまた来週お会いしましょう。

(2011/10/16)



☆「狂句こがらしの」の巻(『冬の日』所収)は、初折二句目に芭蕉の恋句(コイク)が登場します。独吟歌仙(俳詩)「パロ句秋風」の巻も、今週は恋句に挑みます。凡一居士、久々の苦吟です。(ムネノイタキニ?)

◇(初裏折立) 我が家は牛に軒貸す村時雨
◇(初裏二句目)髪染める間をなでしこの恋      凡一
        カミソメルマヲ ナデシコノコイ    ボンイツ

◆(非核銚子) 七夕のプルトニウムは笹の葉に
◆(非核銚子) 宗匠語る蝶々爆弾
        ソウショウカタル チョウチョウバクダン
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年159頁)

☆「なでしこ」の句は、女子サッカー日本代表チーム「なでしこJAPAN」を詠み込みました。「なでしこの、恋」であって、「なでし、この恋」ではありません。掛詞(カケコトバ)として受け止めて戴いても構いませんが・・・。

☆前句の「村時雨」を受けて、「なでしこ」の句も季節は冬のつもりです。現代の歳時記では、「 撫子 or 瞿麦 or 石竹 」は秋の季語です。しかし希代の大歌人であった藤原定家には、冬の「なでしこ」を詠んだ秀歌があります。

◎霜さ(冴)ゆる あしたのはら(原)の ふゆかれ(冬枯)に 
 シモサユル アシタノハラノ フユガレニ 
 ひとはな(一花)さ(咲)ける やまとなてしこ(大和撫子)
 ヒトハナサケル ヤマトナデシコ
(冷泉為臣編『藤原定家全歌集』文明社13頁)

☆上記の短歌は、水の「縁字」が三文字詠み込まれています。「冴」と「冬」の部首はニスイで、「霜」の部首はアメカンムリです。人の「縁字」は、クチヘンの「咲」と「和=咊」、テヘンの「撫」が使用されています。「人」の「縁字」の定義は、他日詳論の予定です。

☆鴨川市出身の女性俳人に、鈴木真砂女(1906-2003)がいます。恋の句を数々残して逝きました。

◎羅や人悲します恋をして            真砂女
 ウスモノヤ ヒトカナシマス コイヲシテ    マサジョ
(『季題別・鈴木真砂女全句集』角川学芸出版2010年71頁)

☆「羅(ウスモノ)」が季語で、季節は盛夏でしょうか。次のような母性的な、「髪染め」る句も残しています。

◎人は子を生みわれ惜春の髪染めて        真砂女
 ヒトワコヲ ウミワレセキシュンノ カミソメテ  
(同書24頁)

☆「おくのほそ道」紀行中の連句に、「羅(ウスモノ)」を詠み込んだ蕉翁の短句が記録されています。鈴木真砂女の「羅や」の句も、或いは下記の句を踏まえたのかもしれません。

◎(初裏九句目)月見よと引き起されて恥ずかしき      曾良
        ツキミヨト ヒキオコサレテ ハズカシキ  ソラ
◎(初裏十句目)髪あふ(扇)がするうすもの(羅)ゝ露   翁(芭蕉)
        カミアオガスル ウスモノノツユ       
(『芭蕉おくのほそ道』「俳諧書留」岩波文庫144頁)
(東明雅『芭蕉の恋句』岩波新書135頁)

☆「髪あふ(扇)がする」は、薄絹をまとっただけの(『源氏物語』の?)女性が、髪を扇がせているという意味でしょう。なかなか微妙ですね。

☆蕉翁の恋句は沢山残存します。特に「おくのほそ道」紀行中の連句に、秀逸な恋句を次々と詠んでいます。(東北の門人に対する受け狙いか?)プラトニックな恋句を鑑賞しましょう。

◎(初裏九句目)あの月も恋ゆへにこそ悲しけれ    翠桃
        アノツキモ コイユエニコソ カナシケレ  スイトウ
◎(初裏十句目)露とも消ね胸のいたきに      翁(芭蕉)
        ツユトモキエネ ムネノイタキニ  
(『芭蕉おくのほそ道』「俳諧書留」岩波文庫132頁)

☆翠桃は豪農層ではなく、28歳の武士(禄高448石)でした。『おくのほそ道』の「黒羽」(栃木県大田原市)に登場する若い門人です。地方(1万8000石の城下)の裕福な武士階級でした。

☆25年前に詠んだ「非核銚子歌仙」の「宗匠」は、蕉翁のような俳諧宗匠と、市民平和講座の講師として招請した作家の小田実 (故人)を二重写しに捉えています。(講演会は1983年7月7日夕刻、演題は「ぷるとにうむを知ってますか?」、聴衆約300人)

☆先日、次のような記事を山形新聞HPで拝読しました。翌朝に何が起こるか全く予測できないような、現代史の展開になってきました。中央紙にはこんな(ラディカルな?)記事は見当たりませんでしたが・・・。

◎ウォール街近くで始まり、米各地に広がった格差社会の是正を訴えるデモに対し、世界各国で連帯の動きが出始めた。(10月)15日に国際的な行動が呼びかけられ、各地のデモをまとめたウェブサイトには、「オキュパイ・トウキョウ Occupy Tokyo 」という行動を含め、カナダや欧州など20以上の都市の行動が案内されている。
(山形新聞2011年10月3日18時・抜粋)

☆一段と憂鬱になるような、地域に関する記事も読みました。

◎我孫子市でシイタケから基準を超す放射性セシウムが検出され、県は(10月)7日、君津市で露地栽培された原木シイタケからも、基準値(500ベクレル)を超す、734ベクレルのセシウムが検出されたと発表した。森林課によると、大多喜町、鴨川市、木更津市のシイタケからは、34.9~406ベクレルが検出された。
(千葉日報2011年10月8日10時・抜粋)

☆上記の記事を千葉県HPで確認しましたら、大多喜町は34.9ベクレル、鴨川市は76.5ベクレル、木更津市は406ベクレルでした。基準値以下でも汚染は汚染ですね。ではまた来週お会いしましょう。

(2011/10/09)



☆水に縁のある漢字を多用した短歌と俳句を追いかけて来ました。水の「縁字」は、水部(サンズイ・シタミズ・ニスイ)、雨部(アメカンムリ)、巛部(マガリカワ)の漢字です。「縁語」という語彙は辞書にありますが、「縁字」は筆者の造(創?)語です。

☆『芭蕉七部集』には、次のような俳句が載録されています。撰集された句ですから、「凡句」であるとか、「駄句」であると否定はできません。強いて判定するならば、「妙句 or 奇句 or 珍句」でしょうか。

◎水無月の水を種にや水仙花          不玉
 ミナヅキノ ミズヲタネニヤ スイセンカ   フギョク
(『芭蕉七部集』「猿蓑」岩波文庫177頁)

☆一句のうちに「水」を3回も詠み込んでいます。不玉は医師で、出羽国酒田(現山形県)の門人でした。先師の蕉翁にも、「毛」の字を3回詠み込んだ奇妙な俳句が残っています。

◎女をと鹿や毛に毛がそろふて毛むつかし     宗房(芭蕉)
 メオトジカヤ ケニケガソロウテ ケムツカシ
(『芭蕉全句集』角川文庫373頁)

◎a pair of deer
 hair on hair in agreement
 with hair so hard
(ジェーン・ライクホールド訳『BASHO』42番)

☆「女をと鹿」は夫婦の鹿で、「毛に毛がそろふ」は求愛の動作と考えられます。「毛むつかし」は、気味が悪いという意味でしょう。鹿の夫婦は、一雄多雌です。

☆凡一居士も、「水」の字を3回詠み込む冒険をしてみました。

◇水郷の水門深き雨水かな            凡一
 スイゴウノ スイモンフカキ ウスイカナ   ボンイツ

☆銚子市に15年間在住し、利根川河口の風土からは強い影響を受けました。利根川両岸を民権家調査等で往来した記憶を辿りながらの句作です。「雨水」は春の季語で、2月18日頃です。

☆凡一居士の拙句をもう一句。安房の秋の夕暮れ、畑(家庭菜園)仕事の合間に書き留めました。薩摩芋は先日収穫して試食し、8月に植えた、「辣韮」、「大蒜」、「分葱」、「玉葱」の球根は元気に育っています。球根名、読めたでしょうか?

◇虫の音に孤影は黒き嶺岡山           凡一
 ムシノネニ コエイワクロキ レイコウザン

☆上記の野菜名は、「ラッキョウ」、「ニンニク」、「ワケギ」、「タマネギ」です。「嶺岡山」は、通常「ミネオカヤマ」と読みます。されど、今週も次のような憂鬱な記事を読みました。

◎千葉県は(9月)27日、我孫子市で露地栽培された原木シイタケから、国の基準を上回る放射性セシウムが検出されたと発表し、原木シイタケの出荷自粛を要請。国の暫定基準値(1キロ当たり500ベクレル)の4倍の1955ベクレルが検出された。
(千葉日報2011年9月28日11時・抜粋)

☆今年、春から夏にかけて福島県民の人口移動は、凄まじいものがありました。5万5,793人の県民が県外避難しています(読売9/9)。今も県外転出は続き、毎月2,000人を超えるようです(朝日9/30)。次のような憂うべき記事を読みました。

◎福島第一原発事故後、福島県内の24病院で常勤医師の12%125人が自主退職し、看護師の退職者も5%407人(42病院)に上った。夜間救急休止の影響が出ている。医師は、南相馬市の4病院で46%(13人)、いわき市の5病院で23%(31人)、福島市の6病院で9%(41人)、郡山市の4病院で8%(25人)減少した。
(読売2011年9月28日14時・抜粋)

☆房総でも、つくばエクスプレス沿線が人口減少の傾向です。過去のどのような時代の民族大移動と比較検討すべきでしょうか。筆者は第2次世界大戦中の集団疎開や、東京大空襲で逃げ惑った体験はありません。亡父から東南アジア諸島、インド洋、ミッドウェー海域を転々とした軍人体験(海軍)を聞いただけの世代です。

☆では、歌仙「パロ句秋風」の続きを詠みます。出口を塞がれたような鬱陶しい世に、気分転換を図りながら・・・。

◇(折端)  人散り散りに霜夜に怒る
◇(初裏折立)我が家は牛に軒貸す村時雨         凡一
       ワガイエワ ベコニノキカス ムラシグレ

◆(非核銚子)血脈絶えず牢獄の歌
◆(非核銚子)七夕のプルトニウムは笹の葉に
       タナバタノ プルトニウムワ ササノハニ
(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年158頁)

☆折立(オリタテ or オッタテ)の「我が家は」の長句は、福島第一原発周囲の警戒区域をイメージしています。季節は前句に続き冬です。初案は、飯舘村(全村避難)を考慮して、「我が家は避難区域の枯野にて」と詠みましたが、野生化した黒牛の群れに修正しました。「村(群・叢)時雨」が季語で、季節は初冬です。

☆プルトニウム239の半減期は約24,000年です。(ウッソー、アリエナーイ?)その毒性について、武谷三男編『原子力発電』(岩波新書1976年)は肺ガン発生との関連を指摘し、次のように記述しています。

◎プルトニウムの出す放射線はアルファ線で、周辺の細胞にはきわめて大きな線量の照射をあたえる。その局所的高被爆のためそれらの細胞がガン化すれば、肺ガンの発生となり、死亡につながると恐れられる。アルファ放射性物質の微粒子をホット・パーティクル hot particle と呼んでいる。
(同書165頁・抜粋)

☆今週はスイスで、次のような動きがありました。それぞれのクニで、(類的存続の為に)未来を模索(掘削?)しなければならない時代が到来したようです。

◎スイス全州議会(上院)は(9月)28日、福島第1原発事故を受け、原子力政策見直しの一環として、新設禁止と4カ所ある原発を全廃する計画を承認した。国民議会(下院)は6月に承認。2019年にベツナウの発電所を廃炉にし、2034年のライプシュタットを最後に完了予定。 
(時事2011年9月29日5時・抜粋)

☆原発推進の仏(フツ)・英(エイ)・露(ロ)三国の狭間に、独(ドク)・瑞(スイ)・伊(イ)の、「脱原発 De-nuclear power generation」「クリアー・ベルト clear belt 」が成立したようですね。 ( no nuclear belt ! ) 

☆「クリアー・ベルト」は、凡一居士の造(新?)語です。ニホン語では「除核地帯」(意訳)、或いは「除去地帯」(直訳)と呼ぶことになるでしょう。(今年の新語大賞か?)

☆芭蕉が残した俳句の総数は約1,000句です。『芭蕉俳句集』(岩波文庫1970年)は982句、『芭蕉全句』(ちくま学芸文庫1998年)は1,016句、『芭蕉全句集』(角川文庫2010年)は983句を採録しています。

☆『新編日本古典文学全集・松尾芭蕉集①・全発句』(小学館1995年)は976句を集録し、確実ではない88句を存疑の部に載録しています。ジェーン・ライクホールド訳『(英文版)松尾芭蕉全句集』(講談社インターナショナル2008年)は1,012句を採録しています。

☆一番新しい角川文庫の『芭蕉全句集』(季語順)で確認しましたら、総数983句の内、水の「縁字」を詠み込んだ句が合計383句もありました。約39%、4割近い数字です。(エレーオーイベー?)凡一居士の創見です。

☆次週から再び芭蕉翁の全句に戻り、水の「縁字」を多用(5字・4字・3字・2字)した秀句の鑑賞を続けましょう。

(2011/10/02)

☆「水と氷」を同時に詠み込んだ、芭蕉自身の発句については既述しました。今週は、『芭蕉七部集』に載録された門人の俳句から、「水と氷」の句を拾い上げて鑑賞します。

◎こほりふみ行く水のいなずま        重五
(『芭蕉七部集』岩波文庫15頁)

☆上記の「こほりふみ行く」という短句については、荷兮(カケイ)の「津波」の句を評釈したときに既に言及しました。『冬の日』所載の第三歌仙です。残りの三句について評釈します。

◎水棚の菜の葉に見たる氷かな        勝吉
 ミズダナノ ナノハニミタル コオリカナ
(『芭蕉七部集』「阿羅野」岩波文庫86頁)
◎氷ゐし添水またな(鳴)る春の風      野水
 コオリイシ ソウズマタナル ハルノカゼ
(前掲書「阿羅野」91頁)
◎若水や手にうつくしき薄氷         少年武仙
 ワカミズクム テニウツクシキ ウスゴオリ
(前掲書「続猿蓑」327頁)

☆「水棚」は、台所の洗った物を載せる棚です。勝吉(ショウキチ)は尾張国津島の人でした。「氷ゐし」は、氷に閉ざされたという意味で、「添水」は竹を加工した「ししおどし」のことです。野水(ヤスイ)は名古屋の旧家の呉服商人でした。いずれの句も澄みきった雰囲気の漂う長句です。

☆「若水」は、元旦に初めて汲む水のことを言います。少年の武仙(ブセン)については残念ながら不詳です。凡一居士の旧句にも、「若水」を詠んだ句があります。青年時代の自画像でした。背中の丸さは親譲りです。

◇若水汲む背中の丸き男子哉         凡一
 ワカミズクム セナカノマロキ オノコカナ

☆今回は、(自称?)巨視の国際経済アナリストから、微視のNPP(原発)ウォッチャーに復帰し、時評を続けます。次のような記事を読みました。

◎農水省は、農地に含まれる放射性セシウムの分布図を公表。千葉県内は、最高値777ベクレルが検出された流山市など県北部で高い。松戸市718ベクレル、柏市718ベクレル、佐倉市686ベクレル、鎌ケ谷市505ベクレルで、低かったのは鴨川市の19ベクレル、館山市の22ベクレル。
(千葉日報2011年9月15日10時・抜粋)

☆県北の柏市と流山市(つくばエクスプレス沿線)が、人口増地域から減少地域に転じたというニュースも読みました。子供を持つ家庭の転出によるようです。(読売9/17)いつになったら安心して暮らせる環境に戻るのでしょうか・・・。県南でも焼却灰や汚泥の不安は残ります。

☆先日、福島第1原発の収束を目指す作業について、『産経新聞』ネットニュースを興味深く拝読しました。同紙、久々の力作長文記事でした。(『産経』引用は久し振り?)

(1)福島第1原発の安定化を目指す作業は、北海道から沖縄までの建設会社から2千人が集まる。1カ月で規定線量を超える作業員も多く、「いくら呼んでも人が足りない」。弁当運びで1日2万円、放射線作業は数万円単位で危険手当。ベテラン作業員は1回1時間半で8交代。

(2)見えない放射能の恐怖は作業員を悩ませる。夏の暑い日、トレーラー部分が外れたまま走り回る大型トラックがあった。恐怖に襲われた作業員が逃げ出した。

(3)「国のためじゃねえ、自分と家族のため」、そう語る作業員は警戒区域内出身。一時帰宅した自宅で、散乱していた牛の糞を片付けた。

(4)家族の心配を振り切って神奈川県から来ている作業員は、「終わるたびにパンツはびしょびしょ」。現場では1時間仕事、1時間休憩を3回繰り返す。

(5)「今日は0・9だった、俺は0・7」、単位はマイクロシーベルトではなく千倍のミリシーベルト。夜の作業員は冗舌だ。興に乗ればビール、ウイスキー、日本酒。明けて午前5時、打って変わって無口。ハムエッグ、納豆、味噌汁をかっ込み、「誰かが行かなきゃいけねえんだ」。
(産経2011年9月20日7時・抜粋)

☆過酷な原発収束作業のルポです。「いくら呼んでも人が足りない」と報道されています。では、「パロ句秋風」の巻、初折の「折端(オリハシ)」を詠みましょう。

◇(五句目) 韓流のラブコメ好きの笑い泣き
◇(折端)  人散り散りに霜夜に怒る      凡一
       ヒトチリヂリニ ソウヤニイカル

◆(非核銚子)有明の貧しき家は炬燵哉
◆(非核銚子)血脈絶えず牢獄の唄
       ケツミャクタエズ ロウゴクノウタ

☆『冬の日』の本句(ホンク)は、「日のちりちりに野に米を刈(る)」です。作者は執筆(シュヒツ)の正平(ショウヘイ)でした。

☆「ちりちり」(或いは「ヂリヂリ」か?)という表現が、残暑の時期の農作業をよく捉えています。筆者の脳裏に、若い頃からこびり付いて離れない短句です。故井上ひさしは、『吉里吉里人』(新潮文庫1985年)を、ずうずう弁風に「チリチリヅン」(同書第3章)と読ませました。

☆折端の短句は、「日のちりちりに」を、「人散り散りに」とパロ化しています。。福島第一原発の放射能汚染によって、今も約85,000人(読売9/9)の人々が避難生活を強いられています。(警戒区域・計画的避難区域・特定避難勧奨地点)

☆季節は秋から冬へ変化します。「霜夜に怒る」は、3・11東日本大震災後初めて迎える冬を詠みました。「笑い」、「泣き」、そして「怒る」のも「人」です。次週は、初折の裏へ移ります。

(2011/09/25)



☆『芭蕉七部集』は、様々な門人の句を載録していますので(江戸の『万葉集』か?)、蕉翁の全俳句と比較して、水の縁字(水部・雨部・川部)を多用した例は少ないと言えます。次の発句が最多の例句です。今回は、廉価な岩波文庫から引用しました。

◎す(澄)みきりて汐干の沖の清水哉     俊似
 スミキリテ シオヒノオキノ シミズカナ   シュンジ
(『芭蕉七部集』「曠野(アラノ)集巻之三・暮夏」岩波文庫76頁)

☆丹後国の「天の橋立」にあった、磯の清水を詠んだ句と思われます。水の縁字である「澄」、「汐」、「沖」、「清」、「水」の五文字が詠み込まれています。透明感に溢れた佳句ですね。俊似は尾張国の門人でした。

☆短句では、『芭蕉連句集』所載の付句が最多の例句です。

◎産棚に白絵の桶を居ならべ          友五
 ウブダナニ シラエノオケヲ スエナラベ   ユウゴ
◎濁りをす(澄)ます砂川の水         夕菊
 ニゴリヲスマス スナガワノミズ       セキギク
(中村俊定・萩原恭男校注『芭蕉連句集』「雪の夜は」岩波文庫73頁)

☆前句の「白絵」に、付句の「澄ます砂川」が響き合うように感じられます。水の縁字である「濁」、「澄」、「川」、「水」の四文字が詠み込まれています。友五は常陸国の潮来の門人でした。夕菊は江戸の門人ですが、女性の俳号のような気もします。「砂川」を地名として評釈すべきかどうか・・・。

☆『芭蕉七部集』に記載された蕉門、約440人のうち女性は10人程です。「一有妻(イチユウノツマ or イチウノツマ)=園女(ソノメ or ソノジョ)」、「羽紅(ウコウ)=とめ」、「奥州(オウシュウ)」、「可南(カナ)」、「扇(セン)」、「田上尼(タガミノアマ)」、「智月(チゲツ)」、「千子(チネ)」、「李下が妻(リカガツマ)」です。(アイウエオ順)「たつ」も女性ではないでしょうか。(卓見?)

☆女性俳人の「奥州」は、江戸の(上方という説もある)「遊女」であったようです。『猿蓑(サルミノ)』に、麗句が一句のみ載録されています。蕉門の裾野は広いですね。

◎こひ(恋)死ば我塚でなけほとゝぎす      遊女奥州
 コイシナバ ワガツカデナケ ホトトギス
(『芭蕉七部集』岩波文庫184頁) 

☆「ほととぎす」(時鳥=子規=不如帰 etc)は、5月にニホン各地へ飛来し、8~9月に南方に去ります。自分の巣を作らない(悲運の遊女に似る)不思議な鳥です。房総では「トッキョキョカキョク」と鳴(泣)きます。春は鶯、夏は時鳥、秋は雁、冬は鶴、されど近年は鳥ウィルス・・・。

☆先週は、微視的(俳諧的?)ニホン経済論と銘打って、「築地銀だこ」ニュースを取り上げました。今週は、対極的な巨視的セカイ経済論の(連句的?)試論です。現代セカイの「発句」に相当する、海外経済記事を取り出してみましょう。

◎イタリア下院は14日、財政均衡を目指す542億ユーロ(5兆7000億円)の緊縮策を、賛成314反対300で承認した。緊縮策は当初案を修正、〈1〉年間所得30万ユーロ(3200万円)以上の個人に3%の特別課税、〈2〉付加価値税(VAT)を20%から21%へ引き上げ、が盛り込まれた。
(読売2011年9月15日11時・抜粋)

☆国民投票で原発「凍結」を選択したイタリアは、富裕層への3%特別課税です。「VAT」は、value added tax の略語です。ニホンの消費税とは異なります。14票差の可決はぎりぎりでした。

☆次は、発句を受けて展開する「脇」的、海外経済記事です。イタリアに『吉里吉里人』(井上ひさし著)の国が出現するのでしょうか。

◎イタリアの山村が緊縮財政(の)小村廃止に反発、「独立」と「独自通貨」を表明。「イタリアから離脱、公国になる」。フィレティーノ村の村長は訴える。「文化や方言が絶え認められない」。村はスキー客が定宿を取る観光名所、水や森林資源もある。新通貨「フィオリート(花盛りの)」の試作も始めた。
(読売2011年9月16日11時・抜粋)

☆イタリアの国花 ( fiore nazionale ) はデージー(雛菊)です。ニホンの国花は、先ず桜です。本年9月、津波被災木の桜が突然開花したという記事を読みました(岩手県岩泉町・大船渡市、福島県いわき市)。フィレティーノ村の花は、桜かもしれません。桜の花言葉は「独立」です。

☆クニ ( nazione ) ハ、ギリギリ、ムラ ( villaggio ) ハ、キリキリ? それとも、ハハ、ギリギリ、イハ、キリキリ? 又は、クニハ、バラバラ、ムラハ、ハラハラ?


☆では、初折の表の「第三」的、海外経済記事です。「て」止めの句を詠むのが、蕉風俳諧の約束事です。

◎デンマークで15日、国会選挙(1院制・定数179)。社会民主党など中道左派、10年ぶり政権奪還。社会民主党のシュミット党首(44)が、初の女性首相に。争点は経済で、失業率や財政悪化に有効な対策を打ち出せなかった政権への批判票が野党に。ノルウェーで起きた極右テロで、右派離れが加速。
(毎日9月16日10時・抜粋)

☆いつから、(俳諧的?)国際経済アナリストを自称(僭称?)するようになったのかって。平成のこの頃、ミヤコに流行るものは以下の通り。

◎京鎌倉(キョウ・カマクラ)ヲ  コキマゼテ
 一座ソロハヌ  エセ連歌
 在々所々(ザイザイショショ)ノ  歌連歌(ウタレンガ)
 点者(テンジャ)ニナラヌ  人ゾナキ
 譜第非成(フダイヒセイ)ノ  差別ナク
 自由狼藉(ジユウロウゼキ)  世界也(セカイナリ)
(『建武年間記』「二条河原落書」・抜粋)

☆「点者」は、詩歌の優劣を決める判者です。「ナラヌ、人ゾナキ」は、誰もがホラを吹くという意味でしょう。「譜第(代)」は、代々の家臣ですね。(力量よりも血筋の2代目、3代目?)「非成」は「ヒジョウ」とも読み、試験に合格しないまま官職につくことです。(○○補佐官、××参与?)

☆では、「パロク秋風」の巻の第五句目です。

◇(四句目) カシラを赤く唐辛子振る
◇(五句目) 韓流のラブコメ好きの笑い泣き        凡一
       カンリュウノ ラブコメズキノ ワライナキ

◆(非核銚子)芒を揺らす利根の川風
◆(非核銚子)有明の貧しき家は炬燵哉
       アリアケノ マズシキイエワ コタツカナ

☆「ラブコメ」は、「恋愛喜劇」ですね。先年、「ソル薬局の息子たち」という韓流DVDを、レンタルで最終回まで鑑賞しました。凡一居士も人並みに、ソウルの街並み散歩に出かけたことがあります。

☆「有明の貧しき家」の句は、荷兮(カケイ)の「有明の主水に酒屋つくらせて」のパロ句でした。25年前は、史実の進行との関連で五句目に置きました。次週は、初折の表六句をひとまず詠み終えることができるでしょう。

(2011/09/18)



☆デスクトップパソコン(マウスコンピューター)がとうとう壊れてしまい、新しいノートパソコンに買い換えました。再設定と再インストールに半日かかりましたが、何とか自力で元通りにできました。(マダボケテナイ?)

☆最初に購入したワープロは、東芝の「ルポ」でした(25年前)。今は廃棄して拙宅にありません。次に購入したのは、NECのノートパソコン(MSドス)でした。その後、マッキントッシュに買い換え、暫くはマック派を自称しました。

☆長男の入学祝(12年前)に購入したソニーの「バイオ」は、今でも使用可能です。次男の入学祝(7年前)に購入した富士通の「ビブロ」は、修理しながら今も使用できます。頑丈です。

☆今回は、愚妻の薦めで、富士通の「ライフブック」にしました。(コレデサイゴカ?)

☆『芭蕉七部集』(全3482句)は、長年の愛読書です。古書店で衝動買いしたものが何種類かあります。手許にある『芭蕉七部集』でもっとも古い版は、1851(嘉永4)年刊の上下二冊本(和綴)です。草書体の印刷なので読みにくいのですが、折に触れて通覧しています。

☆3・11大震災から、半年が経過しました。今秋は台風12号の北上で、紀伊半島が大洪水です。水害で他界された皆様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

☆『芭蕉七部集』には、熊野詣で詠んだ女性俳人の句が載録されています。

◎蛍火やこゝおそろしき八鬼尾谷      田上尼
 ホタルビヤ ココオソロシキ ヤキヲダニ
(『新日本古典文学大系70・芭蕉七部集』岩波書店285頁)

☆長崎県出身の田上尼(タガミノアマ)は、『芭蕉七部集』中の数少ない女性俳人です。向井去来(ムカイ・キョライ)の叔母でした。同句には、「三熊野(ミクマノ)へ詣(モウデ)けるとき」という詞書があります。

☆「八鬼尾谷(ヤキヲダニ)」は、奈良県十津川村(トツカワ・ムラ)の山中にあった谷のようです。「蛍火」が、鬼火のように見える峡谷の夜景です。なぜ「おそろしき」谷なのかは、前掲書に注記がありません。

☆では、独吟「パロ句秋風」の巻を詠み続けます。下段の◆は、約25年前の「非核銚子歌仙」です。

◇(第三)  十六夜のどんどと酒屋梯子して
◇(四句目) カシラを赤く唐辛子振る
       カシラヲアカク トウガラシフル

◆(非核銚子)此の秋は非核護憲の行脚にて
◆(非核銚子)芒を揺らす利根の川風
       ススキヲユラス トネノカワカゼ

☆四句目の「カシラ」は豚の頭部の肉で、串焼の一種です。「チョーシ」では「マタベー」へ、「オーハラ」では「ミズホ」へ、友人達と(屡々?)通いました。現在、凡一居士は持病のため断酒ですが・・・。

☆『芭蕉七部集』には、房総の地名(利根・安房・小湊・白浜)を詠み込んだ佳句が散見されます。参考までに、三句鑑賞しておきましょう。名古屋の鬼才、荷兮(カケイ)が「利根の川」を詠み込んでいます。

◎(1111番)さぶうなりたる利根の川舟     荷兮
        サブウナリタル トネノカワブネ
(『新日本古典文学大系70・芭蕉七部集』岩波書店180頁)

◎(1161番)水しほはゆき安房の小湊      亀洞
        ミズシオハユキ アワノコミナト
(前掲書187頁)

◎(3114番)しら浜や何を木陰にほととぎす   曾良
        シラハマヤ ナニヲコカゲニ ホトトギス 
(前掲書507頁)

☆荷兮と亀洞(キドウ)は名古屋の俳人です。「しほはゆき」は、「塩辛い」(ショッペー?)という意味です。曾良(ソラ)は信州出身で、『おくのほそ道』に随行した門人です。「しら浜」については、房総半島ではないとする異説もあります。

☆今週はこんな記事を読みました。微視の(俳諧的?)ニホン経済論です。 「たこ焼き店」は、ニホンを変えられるかどうか?

◎たこ焼き店「築地銀だこ」を展開するホットランド(群馬県桐生市)は、本社を石巻市に移す。「雇用や納税を通じて復興に貢献したい」としている。7月にトレーラーハウスを使った飲食店会社を設立。新本社では100人程を雇い、タコの加工場新設も検討。同社は全国に約400店舗、年商は約205億円。
(asahi.com 2011年9月7日21時・抜粋)

(2011/09/11)



☆自称「泥鰌(ドジョウ)総理」の誕生です。御母堂は房総農村の御出身という報道でした。昭和初期の「ライオン宰相」は、高知県出身の浜口雄幸(オサチ)でした。「雄幸」の由来は、酩酊した御尊父が「幸雄」を誤記したようです。

☆『芭蕉七部集』には、ドジョウを詠み込んだ焦翁の付句(長句)が載録されています。(『炭俵』歌仙「空豆の」の巻) 新内閣発足の賀歌(賀句?)として、少し評釈を述べさせて戴きます。

◎(初折の裏六句目)家のながれたあとを見に行     利牛
          イエノナガレタ アトヲミニユク   リギュウ
◎(初折の裏七句目)鯲汁わかい者よりよくなりて     芭蕉
           ドジョウジル ワカイモノヨリ ヨクナリテ
(『新日本古典文学大系70・芭蕉七部集』岩波書店372頁)

☆越後屋の手代であった「利牛」吟の「家のながれたあと」からは、直ぐに「津波の瓦礫」を思い浮かべてしまうでしょう。蕉翁は、前句の短句(七・七)を海水による被災とは捉えず、初折(ショオリ)の裏(ウラ)七句目に淡水魚のドジョウを詠み込んでいます。「津波」ではなく、「洪水」の被害と評釈するのが一般的です。

☆蕉翁の長句(五・七・五)の「よくなりて」は、どのように評釈されて来たのでしょうか。諸書には「よく食べる」とか、「元気になる」と記述されています。本当に蕉翁の俳諧表現なのか不思議です。「氷」と「軒」を誤読した研究史もあります。(前述)

☆門人の土芳(ドホウ or トホウ)著『三冊子(サンゾウシ)』(『新編日本古典文学全集88 連歌論集・能楽論集・俳論集』小学館577頁)に記されている、「高悟帰俗」を考慮に入れてもなお疑問が残ります。蕉翁は、高雅な「恋句」は残しましたが、卑俗な「破礼(バレ)句」は皆無です。(ビミョー?)

☆『芭蕉七部集』には、名古屋の門人であった舟泉(シュウセン)のドジョウを詠んだ句もあります。『あら野』の「員外」に載録されている、歌仙「美しき鰌」の巻の発句です。ついでに紹介しておきます。脇句(ワキク)は門人の松芳(ショウホウ)です。

◎(発句)美しき鰌うきけり春の水          舟泉
     ウツクシキ ドジョウウキケリ ハルノミズ
◎(脇) 柳のうらのかまきりの卵          松芳
     ヤナギノウラノ カマキリノカイ  
(『新日本古典文学大系70・芭蕉七部集』岩波書店188頁)

☆「うきけり」は「浮きけり」です。発句の季語は「春の水」でしょう。脇句に詠まれた「かまきりの卵」は、何を暗示しているのでしょうか。編者の荷兮(カケイ)は、「そら面白き山口の家」という挙句(アゲク)で詠み終えていますが・・・。

☆現代ニホン経済の特徴を(微視的に)どう把握するか。最大被災地の宮城県石巻市には、筆者は7月上旬、仙石線(センセキセン)に途中まで乗車して訪問しました。最近、こんな記事を読みました。

◎石巻市の中心商店街にさらなる空洞化。「本家秋田屋」が貸し出す物件のうち、半数以上が退去。社長は「行政の青写真も明確に出ていない。高齢の店主は諦めざるを得なかった」と話す。約3キロ内陸にある蛇田(ヘビタ)地区は、津波被害が小規模にとどまり、震災前以上の賑わい。来春はテナント複合施設がオープン。
(河北新報2011年9月1日9時・抜粋)

☆震災、汚染、高齢化、過疎化、郊外化、複合化。ニホン経済の現状を(微視的に)どう把握するか。こんな記事も読みました。

◎東日本大震災で、社長らを失った北海道釧路市の漁業会社「浜木漁業」が(9月)1日、釧路地裁に自己破産を申請。1919年創業。出漁する漁船を見送るため、宮城県気仙沼市にいた社長(85歳)が死亡、専務(55歳)が行方不明。負債総額は約6億7000万円。
(読売2011年9月1日15時・抜粋 )

☆創業約100年の漁業会社の倒産です。釧路、気仙沼、石巻、フクシマ・・・。ギリシャ神話の歴史の女神「クリオ」は、どのような詩を語り、曲を奏でるのでしょうか。

☆「パロク秋風」の巻、今週は第三まで詠み進めます。下段の◆は、約25年前に「非核銚子歌仙」(『つくる・つなぐ・ひらく』汐文社1987年)と題して公表したものです。比較検討しながら評釈(自注?)を続けます。

◇(発句)パロ句秋風の身は蕉翁に似たる哉
     パロクアキカゼノ ミワショウオウニ ニタルカナ
◇(脇) 黄昏に散る肩のコスモス
     タソガレニチル カタノコスモス
◇(第三)十六夜のどんどと酒屋梯子して
     イザヨイノ ドンドトサカヤ ハシゴシテ

◆(非核銚子)曼荼羅白い花人間を返せ  
       マンダラシロイハナ ニンゲンヲ カエセ
◆(非核銚子)メガトン大火滅びの地球  
       メガトンタイカ ホロビノチキュウ
◆(非核銚子)此の秋は非核護憲の行脚にて  
       コノアキハ ヒカクゴケンノ アンギャニテ

※(四句目以降次週)

☆四半世紀を経て、凡一居士のパロディー歌仙( 略してパ歌仙 or 俳詩 )は進化したか、それとも歩き疲れ、考え疲れてヘトヘト連句? 蕉風は「寂び」と「軽味」でしたが、凡風は「寂寥」、「放念」、そして今や「跛行」です。

(2011/09/04)

☆7月と8月は、原発関連ニュースのネットサーフィン( NPP watcher )の傍ら、『万葉集』から、貫之(ツラユキ)、西行(サイギョウ)、定家(サダイエ)へと、「水と氷」の歌史を辿って来ました。

☆良経(ヨシツネ)が主催し、俊成(シュンゼイ)が判者(ハンジャ)であった『六百番歌合(ロッピャクバンウタアワセ)』(27番・32番・33番等)にも、「水と氷」の歌が散見されます。定家の実父であった俊成の判詞(ハンシ)は、見事な(歌論的)教育論であると指摘できるでしょう。

☆鎌倉幕府の第3代将軍であった、実朝(サネトモ)の『金槐和歌集』(「深夜霜」「冬歌」「湖上冬月」)にも、琵琶湖等の「水と氷」を詠み込んだ秀歌が載録されています。しかし、今回はワープ(超光速移動)して先を急ぎます。

☆今週は、宗祇(1421-1502)編の連歌から、「水と氷」の歌を鑑賞します。有名な「水無瀬三吟百韻」には無いので、「湯山三吟百韻(ユノヤマサンギンヒャクイン)」から引用します。「湯山」は、現在の神戸市有馬温泉です。

◎(79)見るめにも耳にもすさび遠ざかり       肖拍
     ミルメニモ ミミニモスサビ トオザカリ     
 (80)冬のはやしに水こほるこゑ          宗長
     フユノハヤシニ ミズコオルコエ         
 (81)夕がらすねに行く山は雪はれて        宗祇
     ユウガラス ネニユクヤマワ ユキハレテ     
(『連歌集・俳諧集』小学館134頁~135頁)

☆肖拍(ショウハク)と宗長(ソウチョウ)は、漂泊の連歌師であった宗祇(ソウギ)の門人でした。肖拍(1443-1527)の「すさび遠ざかり」は、老化の悲哀です。宗長(1448-1532)が詠んだ、冬の林から聞こえる「水氷る声」は、どのような水の音であったか。唐詩の「悲哀」、宋詩の「巨視」(吉川幸次郎『宋詩概説』岩波文庫46頁)。

☆「水と氷」の付句(ツケク)は、『芭蕉七部集』の「冬の日」歌仙第3巻にもあります。(『七部集』3482句で唯一の付句) 米穀商人の杜国(トコク)も、材木商人の重五(ジュウゴ)も名古屋の連衆でした。

◎(発句)つゝみかねて月とり落す霽かな        杜国
     ツツミカネテ ツキトリオトス シグレカナ   
 (脇) こほりふみ行水のいなづま          重五
     コオリフミユク ミズノイナズマ
(『新日本古典文学大系70・芭蕉七部集』岩波書店13頁)

☆脇句(ワキク)の「氷」を歩くときの音は、みしみしと、それとも、ぎしぎしと。「水の稲妻」は薄氷の割れた形を表現したのでしょう。その水溜まりは、凍雨の後の街道か畦道か、それとも湖面なのか。(ワッカンネーヨー?)

☆第3歌仙「つゝみかねて」の巻は、「月とり落す」の巻とも、「霽(シグレ)」の巻とも呼びます。同巻には、「杖をひく事、僅かに十歩」という序詞があります。深淵に臨み、薄氷(ハクヒョウ)を履(フ)む老人の孤影・・・。

☆「つゝみかねて」の巻には、珍しく「水と津波」を同時に詠み込んだ発句(ホック)があります。(『七部集』3482句で唯一の発句) 医師であり、連歌師でもあった荷兮(カケイ)の吟です。

◎(初折裏九句目)まがきまで津波の水にくづれ行き     荷兮
         マガキマデ ツナミノミズニ クヅレユキ
 (初折裏十句目)仏喰たる魚解きけり           芭蕉
         ホトケクイ(ウ)タル ウオホドキケリ 
(『新日本古典文学大系70・芭蕉七部集』岩波書店15頁)

☆「まがき」は籬です。垣根(竹・柴)と格子戸(郭)の二種類の意味があります。名古屋の荷兮の句は1684年の冬に詠まれていますので、上記の「津波」には、1605年被災の史実が背景にあると考えられます。(そんな評釈は今まで何処にも存在しない?)

☆芭蕉翁の「仏喰たる」という付句も、時空を越えて凄いですね・・・。(凄過ぎるので、評釈省略) 後の『俳諧武玉川(ムタマガワ)初編』(1750年)には、「津波の町の揃う命日」という短句が載録されています。

☆慶長大地震について、地震考古学者である寒川旭氏は次のように述べています。

◎徳川幕府誕生から2年後の1605年2月3日午後8時頃(慶長9年12月16日)、太平洋沿岸の広い範囲が津波に襲われた。(中略)南海トラフから東海地震と南海地震が同時に発生したと考えられているが、地震規模はいずれも約M7・9程度で、揺れが小さくて津波だけが押し寄せる「津波地震」だった。
(寒川旭『地震の日本史・増補版』中公新書2011年112頁~113頁)

☆「トラフ」は深海底の細長い凹地のことです。慶長の「津波地震」によって、房総半島も被災しました。(既述)

☆「つゝみかねて」の巻の挙句(アゲク)は、非の打ち所のない名吟です。芭焦翁の天才的な俳諧師振りが、遺憾なく発揮されています。

◎(名残の裏五句目)こがれ飛たましゐ花のかげに入     荷兮
          コガレトブ タマシイハナノ カゲニイル 
 (挙句)     その望の日を我もおなじく       芭蕉
          ソノモチノヒヲ ワレモオナジク
(『新日本古典文学大系70・芭蕉七部集』岩波書店17頁)

☆名残の裏五句目は、「花」の定座(ジョウザ)です。荷兮の「こがれ飛(ぶ)」は、恋い焦がれて飛んで行くという意味です。「たましゐ」は「魂」ですが、或いは吉野山で病没した後醍醐帝の「魂魄(コンパク)」(『太平記』)でしょうか。

☆芭蕉の「望の日」は、満月です。句意は、私(芭蕉自身)も同じように桜の咲く下で、2月(新暦3月)の満月の頃に他界したいものであるという感懐です。西行の短歌を踏まえて詠まれていることは、言うまでもありません。

◎願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃    西行

☆この短歌は、同時代(平安末期)の歌人達にとっても、余程素晴らしいと受け止められたのか、西行の訃報に接し、藤原定家は『拾遺愚草』に態々この名歌を書き留めています。「きさらぎ」(新暦3月)を除けば、殆ど現代日本語として通用します。

☆奈良県吉野山の西行庵には、二十歳の頃、友人と同行したことがあります。起点の寓居は、京都市聖護院の界隈。リュックを背負い、暗闇の吉野山中で一晩野宿しました。純白の八重桜は満開に近く、夕風にほんのり香るように感じられました。(安田講堂落城の翌春であったか?)

☆愚作の五言絶句(孟浩然のパロディー漢詩)です。水の縁字(語)は一字(語)も詠み込んでいませんが・・・。「花の香」と「夕風」の光景については『源氏物語』「初音」に既述。「暮風」を「ユウカゼ」と読むことについては『万葉集』2230番を参照。

◇去春落講堂  (キョシュン コウドウハ オチ)
 謫居聞同行  (タッキョシテ ドウコウヲ キク)
 闇夜南山声  (アンヤ ナンザンノ コエ)
 暮風知花香  (ユウカゼニ ハナノカオルヲ シル)
(凡一居士)

☆ドイツの原発廃炉作業に関する記事を、夏休み中に読みました。これまでの費用が約41億ユーロ(約4500億円)で、除染作業はこれからも続くと報道されています。

◎福島第1原発事故を受け、2022年までに原子炉全17基の閉鎖を決定したドイツでは、処理が続いている。バルト海沿岸ルブミンには原子炉5基があり、「ロシアの技術だが、チェルノブイリとは違う型」という。1995年に始まった除染作業は、コストは約41億ユーロ、2014年まで続く。
(AFP=フランス通信社2011年8月10日15時・抜粋)

☆今週、原発避難先にある廃校の空き校舎を活用し、新学期が始まった小学校と中学校があります。(福島県二本松市ほか)こんな記事も読みました。

◎化粧品ロレアルや、エネルギー大手トタルの富豪が、(8月)23日財政赤字削減を支援するため、高額所得者への増税を政府に要請。16人の連名で、富豪を対象にした「特別貢献税」の創設を提唱。「われわれはフランスの制度と欧州の環境から恩恵を受けている」と訴えた。
(ロイター2011年8月24日12時・抜粋)

☆円高で、海外へ拠点を移すようなことばかり発言する、ニホンの財界幹部とは異なる経済思想に立脚しているようです。われわれはニホンの制度と環境から恩恵を受けていないか? ホームページに、連名で「特別貢献税」を発信するような富豪が、我がニホンにも登場することを期待しましょう。

☆先週、連句のパロ句(発句のみ)ができましたので、20年振りに独吟連句(歌仙)に挑みました。凡一居士のパロディー連句(略してパ連句 or パロ歌仙)を、残暑の憩いに御笑覧あれ。

◇(発句)パロ句秋風の身は蕉翁に似たる哉         凡一
     パロクアキカゼノ ミワショウオウニ ニタルカナ
 
◇(脇) 黄昏に散る肩のコスモス
     タソガレニチル カタノコスモス

◇(「パロ句秋風」の巻、以下次週)

(2011/08/28)



☆残暑お見舞申し上げます。先ずは、今週の筆者の愚句を御覧あれ。(コレッテ、ハイク?)

◇パロ句秋風の身は蕉翁に似たる哉           凡一
 パロクアキカゼノ ミワショウオウニ ニタルカナ  ボンイツ

☆句意は、秋風の吹き始める頃に、パロディー俳句(略してパロ句)ばかりを詠んでいる我が身が、少しは芭蕉翁の後ろ姿に似ているだろうか、という心象風景です。

☆「本句」が下記の狂句であることは、『芭蕉七部集』を一度でも通読したことがあれば、すぐに判ってしまうでしょう。尾張名古屋における、「冬の日」歌仙一巻の発句です。下段の英文俳句は、ジェーン・ライクホールド女史訳です。

◎狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉         芭蕉
 キョウクコガラシノ ミワチクサイニ ニタルカナ
(『芭蕉七部集』岩波文庫1966年9頁)
 comical poetry
 in a winter wind I resemble
 a poor poet-doctor
(英文版『松尾芭蕉全句集』講談社インターナショナル82頁)

☆「狂句」を comical poetry と訳し、「竹齋」を a poor poet-doctor と訳しています。固有名詞をそのまま訳出するのは避けたようですね。苦吟の様子が窺える英文俳句です。「竹齋」は、江戸初期の物語(仮名草子)の主人公でした。薮医師であり、旅の俳諧師でもありました。この発句は、蕉翁のパロ句と言えます。

☆では今週の二句目を御覧あれ。蕉翁に、「樫の木の花にかまはぬ姿かな」(『野ざらし紀行』)、「旅人と我名よばれん初しぐれ」(『笈の小文』)の両句あれど。

◇枯れ樫は警告に似る蝉時雨             凡一
 カレガシワ ケイコクニニル セミシグレ      ボンイツ

☆酷暑の夕陽、拙宅西側の照葉樹林(樫・楠・椿・黐木・椎)から聞こえる、蝉の異様な大合唱に戦慄し詠む。四面蝉歌、生態異常の兆候か? 不可視の放射能汚染の渦中で、本能的な恐怖心の表出。こんな記事を読みました。

◎福島地裁は(8月)16日、会津若松支部の側溝の汚泥から1キロ当たり放射性セシウム約18万6000ベクレルが検出と発表。政府方針では10万ベクレルを超えた汚泥はコンクリートで遮蔽。支部は、2カ所を立ち入り禁止。福島第一原発から約100キロ西。
(福島民報2011年8月17日9時・抜粋)

☆明治初期の斗南(トナミ)藩への強制移住、そして余市(ヨイチ)への集団入植。斗南(青森県むつ市)の近くには東通原発、余市(北海道余市町)の近くには泊原発。会津藩の敗軍の維新史に、更に放射能のホットスポットとは・・・。(センジワ、イズコ?)

☆今週は、希代の大歌人であった藤原定家の「水と氷」の歌を一首鑑賞します。改めて『拾遺愚草』を全首通覧し、「氷」を詠んだ五首の中から選びました。

◎瀬だえして みなわわかるゝ 涙河 そこもあらはに 氷とぢつゝ
(久保田淳『訳注藤原定家全歌集・上』河出書房新社1985年1442番)

☆「だえ」は「絶え」、「みなわわかるゝ」は、「水泡別るる」です。「そこも」は「底も」、「あらはに」は「露わに」、「とぢつゝ」は「閉じつつ」でしょう。「水」と「氷」を、同時に詠み込んでいます。

☆同歌の「本歌」は、『古今和歌集』573番、紀貫之「世とともに ながれてぞゆく 涙河 冬もこほらぬ みなわなりけり」(前出)であると、『訳注藤原定家全歌集』は注記しています。貫之(ツラユキ)の「氷らぬ涙河」は、定家(サダイエ)へ「氷閉じつつ」流れたようです。(サダイエ、ダサイエ?)

☆次に、定家の『全歌集』から、水の「縁字」(水部・雨部・川部)を詠み込んだ最多の例を一首鑑賞します。

◎泉河 かはなみ清く さすさをの うたかた夏を おのれ消ちつゝ
(久保田淳『訳注藤原定家全歌集・上』河出書房新社1985年1844番)

☆「かはなみ」は「川波」で、「さすさを」は「差す棹」です。「うたかた」は「泡沫」で、「おのれ」は「己」でしょう。「泉」、「河」、「川」、「波」、「清」、「泡」、「沫」、「消」の八文字が、水の縁字であると言えます。結構、多いですね。

☆「泉河(イズミガワ)」 は、京都府南部を流れる木津川の古名です。「泉河」の源流は、芭蕉翁の生地もある三重県上野盆地です。

☆名古屋の門人であった荷兮(カケイ)は、川柳のような発句を、「冬の日」の歌仙に残しています。(コレモ、ハイク?)
 
◎笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨           荷兮
 カサヌギテ ムリニモヌルル キタシグレ      カケイ
(『芭蕉七部集』岩波文庫1966年10頁)

☆「無理にもぬるゝ」の表現は、殆ど現代の「お笑い芸人」風の仕草です。「北」は「来た!」の掛詞かもしれませんね。名古屋の連衆(レンジュウ) party of good friends の句心(クゴコロ) は凄いと思います。

(2011/08/21)



☆立秋(8月8日)を過ぎて、残暑の時節になりました。家庭菜園で採れた無農薬、少肥料、(微セシウム?)のトマト、キューリ、ナス、スイカ、ゴーヤ、オクラ、青ジソを少しずつ食べています。ザクロも、もう少しで食べられそうです。

◇赤々と日射に伸びる唐辛子          凡一
 アカアカト ヒザシニノビル トウガラシ   ボンイツ

☆上記の新句は、偶然、「伸」と「子」の二文字を詠み込んでいました。「家庭内(官邸内?)野党」でもあった、ファースト・レディー First Lady への挽歌(挽句かな?)になってしまったかもしれません。

☆今週の拙句は、けっして意図的なパロディー俳句(略してパロ句)ではないのですが、『おくのほそ道』(金沢)所載の名句を想起させます。下段の英文俳句は、ドナルド・キーン氏の英訳です。

◎あかあかと日は難面も秋の風
 アカアカト ヒワツレナクモ アキノカゼ
(『芭蕉自筆・奥の細道』岩波書店58頁)
 Redly, redly
 The sun shines heartlessly, but
 The wind is autumnal
(『英文収録・おくのほそ道』講談社学術文庫105頁)

☆キーン翁は「難面も」を、“heartlessly”と意訳していますね。非情な「秋の風」が吹く政局の中で、新ファーストレディー New First Lady の行方や如何・・・。(韓流歴史ドラマの影響か?)

☆現内閣の致命傷は、成立時から国民に対して、“ dreamless ” であったことです。参院選の消費税論議で “ helpless ” に変化し、大震災後の今、“ heartless ” のうちに閉幕を迎えるかのようです。辛口(激辛)時評でしょうか。(ボンレス・ワイヤレス・ホームレス等の外来語もあれど?)

☆蕉門の重鎮、向井去来(ムカイ・キョライ)は、「名句」と「類句( 佳句 or 駄句 or 愚句 )」の連関を、「等類」ではなく、「同巢(ドウソウ)」と規定しています。(『去来抄・三冊子』岩波文庫34頁)

☆今回は『新古今和歌集』と『山家集』から、「水と氷」を同時に詠み込んだ短歌を鑑賞します。

(1)岩間とぢし 氷も今朝は とけそめて 苔のした水 道求むらむ  
(『新古今和歌集』7番、西行、角川ソフィア文庫)

☆続けて、西行の『山家集』から一首引用します。やはり、「水と氷」を詠み込んでいます。

(2)池水に 底清くすむ 月かげは 波にこほりを しきわたすかな   
(新潮日本古典集成『山家集』1474番、西行、新潮社)

☆上記(2)の短歌は、水の縁字を七文字詠み込んだ『山家集』の一例でもあります。「池」、「水」、「清」、「澄=住」、「波」、「氷」、「渡」の七文字を使用しています。

☆『山家集』最多の例は217番で、「瀬」、「川」、「渡」、「沖」、「澪」、「水」、「深」、「雨」の八文字を使用しています。多いですね。

☆『新古今和歌集』最多の例も、二首鑑賞しておきます。(3)と(4)の両歌共に六文字を使用し、京都の「清滝川」を詠んでいます。

(3)降りつみし 高嶺のみ雪 とけにけり 清滝川の 水の白波     
(『新古今和歌集』27番、西行、角川ソフィア文庫)

☆次の一首は、権力の中枢に近仕した公卿政治家の詠吟です。『新古今和歌集』の「摂政太政大臣」は、藤原(九条)良経(ヨシツネ)でした。兼実(カネザネ)の二男で、慈円(ジエン)の甥に当たります。

(4)水上や たえだえ氷る 岩間より 清滝川に 残る白波    
(『新古今和歌集』634番、摂政太政大臣、角川ソフィア文庫)

☆「水」、「氷」、「清」、「滝」、「川」、「波」の六文字が水の縁字です。短歌を愛好した、鎌倉時代初期の太政大臣(30代後半に暗殺)も、「水と氷」を同時に詠み込んだようです。

☆若い頃に友人を誘い、清滝川と保津川(大堰川)の合流地点まで歩いたことがあります。リュックを背負い、嵐山の渡月橋から河川の左岸(道なき道)に沿って、薮漕(ヤブコギ)をしながら遡りました。河原で夜明けまで焚き火の、無鉄砲な野宿でした。

☆京都愛宕山の渓谷は、晩夏から初秋へ移る季節でした。筆者も、あの頃は(メッチャ)頑丈だった。

☆芭蕉翁に「清滝川」を詠んだ秀句があります。初吟の一句のみ引用します。下段の英文俳句は、ジェーン・ライクホールド女史訳です。

◎清瀧や波に塵なき夏の月          芭蕉
 キヨタキヤ ナミニチリナキ ナツノツキ  
(『芭蕉俳句集』岩波文庫1970年291頁)
 clear cascade
 no dust on the waves
 the summer moon
(英文版『松尾芭蕉全句集』講談社インターナショナル394頁)

☆南極の氷山が解けて、巨大な氷塊がニュージーランド沖へ漂流するという記事を、以前ブログで紹介したことがあります。地球異変の兆候でした。下記のニュースは、3・11大震災の影響が南氷洋で確認されたものです。

◎東日本大震災の津波が、約1万3600キロ離れた南極に到達し、棚氷を破壊して巨大な氷山が現れたことを、米航空宇宙局が確認した。3月12日午前9時ごろ、津波が到達した。氷山は最大で長さ9.5キロ、幅6.5キロ、厚さ80メートル。
(毎日2011年8月10日19時・抜粋)

☆棚氷(タナゴオリ)が割れて発生した巨大な流氷群は、何処へ漂着することになるのでしょうか? 象の「耳」、「鼻」、「膚」、そして「心眼」・・・。

(2011/08/14)



☆パロディー俳句(略してパロ句)、パロディー漢詩(略してパロ詩)と、筆者(凡一居士)の専売特許のように書いて来ました。

☆パロディー parody とは、「既存の文体・語句・韻律を模して、別の意図のもとに、滑稽・風刺・諧謔・教訓を目的として作りかえる」ことです。(愛用の電子辞書版『日本国語大辞典』小学館を参照)

☆何年か振りに、『校本芭蕉全集』(富士見書房)を市立図書館から借りて再読していましたら、偶然、次のような解説文に出会いました。

◎芭蕉俳文の注釈にあたっては、中国の典拠をつきとめ、芭蕉がそれをどうパロっているかを見きわめることが、重要な作業になる。
(『校本芭蕉全集第6巻』月報、尾形仂「校注余言」富士見書房1989年)

☆「どうパロっているか」という碩学、故尾形仂(オガタ・ツトム)氏の文章に、我が眼を疑いました。(アリエネー?)「校注余言」には、「氷」の草書体を「軒」と誤読した研究史も指摘されています。(「軒」をたたかず、「氷」をたたく?) 

☆尾形仂氏は、「雅化」という造語も提起しています。(『芭蕉の世界(下)』日本放送出版協会144頁)

☆世は、メルトダウン(炉心溶融)時代です。継承すべき芭蕉翁の俳諧精神は、「水と氷」の自然観と、「パロディー化(略してパロ化)」の歴史観でしょう。ニホンの水脈? ニホンの細道? 

☆先週は、「水と氷」の発句から、「水と氷」を詠んだ万葉短歌まで遡りました。西行(サイギョウ)や定家(サダイエ)の「新古今調」に移行する前に、『古今和歌集』所載の貫之(ツラユキ)の短歌に寄り道して、「水と氷」の歌を鑑賞します。

◎袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ
(『古今和歌集』2番、紀貫之、角川ソフィア文庫)

☆「ひちて」は「浸ちて」、「むすびし」は「結びし」です。「こほれる」は「氷れる」で、「とくらむ」は「解くらむ」でしょう。「立春」は、新暦の2月4日前後です。

☆貫之は『礼記』の「東風解凍」をパロ化(歌)し、貫之の短歌からは、芭蕉翁の「凍て解けて筆に汲み干す清水かな」“ melting away  the brush draws up the water  of a spring ”の秀句が想起されます。

☆もう一首鑑賞します。

◎世とともに ながれてぞゆく 涙川 冬もこほらぬ みなわなりけり
(『古今和歌集』573番、紀貫之、角川ソフィア文庫)

☆涙の川は激しく流れ続け、冬も氷らない。強い否定形の歌ですね。「流」、「涙」、「川」、「氷」、「水(み)」「泡(なわ)」の六文字が水の縁字です。(『古今和歌集』の最多の例は913番の七文字だが) 杜絶なきニホンの水脈・・・。

☆恥ずかしながら本年6月12日に、被災された皆様を悼み詠んだ拙句も、このような(「古今調」の?)自然観に棹さす感受性であったのかもしれません。

◇浪の江に氷る涙や水棺            凡一
 ナミノエニ コオルナミダヤ ミズヒツギ   ボンイツ

☆今週は、1万ミリシーベルト「以上」の放射線量を測定という記事を読みました。一度に浴びると、人間は死去するそうです。10,000ミリシーベルト「以上」は、10,000,000マイクロシーベルト「以上」です。

◎東電は(8月)1日、福島第一原発1、2号機の間にある主排気筒付近で、毎時10シーベルト(1万ミリシーベルト)以上の放射線を測定したと発表。事故後では最高値、一度に浴びると確実に死に至る量。放射線源は不明。
(朝日2011年8月1日21時・抜粋)

☆測定可能な上限値を越える、想定外の放射性物質についての報道。「ブログル」という造語が流行のようです。「パロ句ル」という筆者の造語は如何でしょうか。 ブロゲヨ、パロケヨ、サランヘヨ。(ワッカンネーヨー?)

(2011/08/07)

☆今夏も、世界中で異常気象が続きます。韓国と新潟・福島両県の記録的な豪雨、アメリカの洪水・竜巻・ワシントンの猛暑、アフリカ大陸ソマリアの大干魃・・・。火山活動については、アイスランド、チリ、そしてインドネシアのロコン山噴火。

◎インドネシア政府は(7月)17日、スラウェシ島にあるロコン山が大規模噴火を起こし、火山灰が上空3500メートルに達したことを明らかにした。「いつ沈静するか予測できない」と述べ、空港に警戒を呼び掛けた。
(ジャカルタAFP=時事2011年7月17日23時・抜粋)

☆筆者は、本年3月20日ブログに「天気予報は雨のようです。日本に再度、黒い雨 black rain が降るのか? See you again my friend. Have a nice weekend. Never go out today. 」と書きました。放射性雨 < radioactive rain > の予測は、的中してしまったようです。

◎国立環境研究所はセシウムなどの拡散を分析し、「放射性雲(プルーム)」の動きを計算。3月11日~14日は西寄りの風、「プルーム」は太平洋へ。15日に風向きが北東に、「プルーム」は原発から関東方面に、群馬・栃木両県の北部で雨が降ったためホットスポット。21日にも「プルーム」が関東に。広域で雨が降ったため千葉県・神奈川県などの茶葉から高濃度のセシウム検出。
(日経2011年7月25日4時・抜粋)

☆皮膚感覚的、経験的、直観でした。「象の耳」、「象の鼻」、「象の皮膚」? No more Hirosima. No more Nagasaki. No more Fukusima.

◎ホットスポットがある福島県いわき市は、(7月)25日、子どもの被ばく限度を毎時0・3マイクロシーベルトに設定した。年間では1・58ミリシーベルトに相当。自治体独自の基準値としては、埼玉県川口市が年間1・64ミリシーベルト、千葉県野田市が年間1ミリシーベルト。
(福島民報2011年7月25日18時・抜粋)

☆東日本の住民は、今後幾世代に渡って、どれだけ遺伝子の変異(苦痛)を累積することになるのでしょうか。

☆奈良興福寺にある国宝「阿修羅像」(鬼神)は、「三面六臂(サンメンロッピ)」(3個の顔・6本の腕)の異形立像です。如何なる情況で考案され、制作されたか? 同寺には、国宝「八部衆像」の中に、象 elephant の冠をかぶった「五部浄像(ゴブジョウゾウ)」もあり暗示的です。

☆東大寺法華堂にある国宝「不空羂索(フクウケンジャク)観音像」は「三眼八臂(サンガンハッピ)」(3個の目・8本の腕)の異形立像です。「羂」は獣を捕らえる網、「索」は釣り糸であると云います。何故、同像の光背はあの様に仰々しく、放射線状なのか・・・。3・11大震災後の放射性セシウム汚染の今、漸く合点がいきました。(オソスギッカー?)

☆阿修羅像や、不空羂索観音像の如き変異と異形の時代が、現実に到来せぬように祈ります。

☆メルトダウン(炉心溶融)時代の芭蕉像を、「水と氷」の俳人と形容しました。芭蕉翁は『万葉集』の影響を指摘されることは少なかったようですが、『万葉集』から「水」と「氷」の漢字を同時に詠み込んだ歌を、一首だけ引用します。

◎悪氷木乃 山下動 逝水之 時友無雲 戀度鴨    (原文)
 あしひきの山下響ゆく水の時ともなくも戀ひ渡かも  (読み下し)
 アシヒキノ ヤマシタトヨミ ユクミズノ トキトモナクモ コイワタルカモ
(中西進『万葉集』講談社文庫2704番)

☆短歌は、多分これだけでしょう。長歌は、約260首のうち79番に、「川」、「霜」、「氷」の漢字が同時に詠み込まれています。しかし「水」はありません。

☆水の縁字(水部・雨部・川部等)を詠み込んだ、芭蕉翁の最多(合計5文字)の発句は、「汐越や」と「露凍てて」の句でした。『万葉集』所載の短歌(約4200首)では、次の一首が最多です。

◎泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久    (原文)
 泊瀬川ながるる水脈の瀬を早み井堤越す波の音の清く   (読み下し)
 ハツセガワ ナガルルミオノ セヲハヤミ イデコスナミノ オトノサヤケク
(中西進『万葉集』講談社文庫1108番)

☆「泊」「瀬」「川」「流」「水」「湍」「浪」「清」の8文字を詠み込んでいます。「井」を加えると9文字ということになりますね。約4500首のすべての万葉仮名を確認するのは大変でした。

☆「泊(初)瀬川」は奈良県桜井市を流れ、佐保(サホ)川と合流する河川です。芭蕉著『笈の小文』には、初瀬(ハツセ)での秀吟が残されています。

◎春の夜や籠リ人ゆかし堂の隅
 ハルノヨヤ コモリドユカシ ドウノスミ
(『芭蕉紀行文集』岩波文庫80頁)

◎spring night
 someone in retreat is lovely
 in the temple corner
(英文版『松尾芭蕉全句集』講談社インターナショナル107頁)

☆「籠リ人」を someone in retreat と英訳し、「ゆかし」に “ lovely ” という語を当てています。ジェーン・ライクホールドさんは、珍しく直訳ではなく、(眼の醒めるような?)大胆な意訳を試みたようです。「堂」は桜井市の真言宗長谷寺です。

(2011/07/31)




☆壊れたと思ったデスクトップパソコンが、暫く休ませたら、快調に作動するようになりました。不思議・・・。女心と秋の空? 娘心は山の天気? 女心と我が家のパソコン?

☆「なでしこ」を詠んだ歌を『万葉集』から引用して、先師(センシ)芭蕉翁の発句を紹介しないでは、不公平になるでしょうね。先師の「なでしこ」俳句を三句書き抜いてみました。下段の英文俳句は、ジェーン・ライクホールド女史訳です。

(1)酔うて寝むなでしこ咲ける石の上    (1687年)
   ヨウテネム ナデシコサケル イシノウエ
   lying down drunk  
   wild pinks bloom  
   on the stones

(2)霜の後撫子さける火桶哉     (1690年)
   シモノノチ ナデシコサケル ヒオケカナ
   after a frost   
   some wild carnations still bloom   
   on the brazier

(3)なでしこの暑さ忘るゝ野菊かな     (1692年)
   ナデシコノ アツサワスルル ノギクカナ
   pinks
   their heat is forgotten with
   wild chrysanthemums
(『芭蕉俳句集』岩波文庫100頁・226頁・259頁)

☆「なでしこ」は、『万葉集』では「秋」の七草ですが、芭蕉翁は「夏」の季語として詠んでいるようです。(2)「霜の後」の句は、季語について二説あります。「撫子」ならば夏の風景、「火桶」ならば冬の情景です。(英文俳句はどちらの説に立脚したか?)

☆古代末期から中世初頭を生き、長命であった藤原定家(1162-1241)には、「なでしこ」を詠んだ次の秀歌が残っています。『拾遺愚草』の「冬十首」から引用します。

◎霜さゆるあしたのはらのふゆかれにひとはなさけるやまとなてしこ
 シモサユル アシタノハラノ フユガレニ ヒトハナサケル ヤマトナデシコ
(冷泉為臣編『藤原定家全歌集』文明社13頁)

☆流石、天才歌人です。「さゆる」は「冴ゆる」で、「あしたのはらの」は「朝の原の」でしょう。「ふゆかれに」は「冬枯れに」で、「ひとはな」は「一花」か、それとも「人・花」か? 冬枯れに咲く「撫子」の光景は清冽です。

☆万葉歌人の家持(ヤカモチ)の「なでしこ」短歌は、本能的な(類的存続の?)力感に溢れています。野辺に立つ(中世初期の)日本女性の凛とした姿を想わせる定家(サダイエ)の「なでしこ」短歌の方に、筆者は求心力を感じています。

☆茨城県、千葉県の海水浴場で、子供の声が聞こえないという記事を読みました。夏休み、子供は何処へ行くのか? 

◎子供のはしゃぎ声が聞こえない。茨城、千葉の海水浴客が激減。福島第1原発事故の影響で、宿泊予約は1割程度。南房総市の老舗旅館は溜息をついた。和歌山県など西日本では増える予測。白浜温泉旅館協同組合によると、5~6月の宿泊客は2~3%伸びた。
(時事通信2011年7月17日14時・抜粋)

☆夏休みに入り、劇場公開中の「大鹿村(オオシカムラ)騒動記」( ラブコメ?それとも トラコメ? )を鑑賞しました。料金は何故か一律千円。しかし、信じられない位の豪華脇役陣でした。

☆南アルプス山麓の自然景観と軽快なBGM。主題歌は、原子力発電所批判の曲を歌ったこともある、故忌野清志郎(イマワノ・キヨシロウ)の「太陽の当たる場所」。偶感を五言律詩風に記してみます。杜甫「春望」のパロディー漢詩(略してパロ詩?)です。

◇夢破大鹿在 (ユメヤブレテオオシカアリ)
 村春歌舞伎 (ムラハルニシテカブキケリ) 
 
 老妻認知症 (ツマオイテワニンチヲシルシ)  
 恨別三角疵 (ワカレヲウランデモサンカクノキズ)
 
 少子連高齢 (ショウシワコウレイニツラナリ)
 異性抵同一 (イセイドウイツニアタル)
 
 白菜抱更貧 (ハクサイワダクゴトニサラニマズシク)
 再来風水害 (フタタビフウスイガイノキタル)
(「春望」の読み下しは、吉川幸次郎他著『新唐詩選』岩波新書を参照)

☆映画は「芸能の原点」へと、回帰を挑んだ力作に感じられました。久し振りに暗闇の映画館内で笑いこけ、ラストシーン近くで一度だけ笑い泣き・・・。多謝。

(2011/07/24)


☆暑中お見舞い申し上げます。自宅のパソコンが不調なので(起動時に時々フリーズ)、修理を依頼することにしました。暫くの間、HPの更新を休ませて戴きます。(療養休暇かな?)

☆フランクフルトの素晴らしい決勝戦を、テレビで観戦しました。(メルケル首相の姿もあった) 女子サッカーの優勝記念に、「なでしこ」(撫子、瞿麦、石竹花)を詠んだ歌を、『万葉集』約4500首の中から一首だけ引用します。

◎石竹之 其花尒毛我 朝旦 手取持而 不戀日将無 (原文)
 石竹のその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日無けむ (読み下し)
 ナデシコノ ソノハナニモガ アサナサナ テニトリモチテ コイヌヒナケム
(中西進『万葉集』第一冊講談社文庫・230頁)
 
☆大伴家持の短歌で、番号は408です。リービ英雄氏の、大変優れた『万葉集』の英訳も鑑賞しましょう。(口語訳は前掲書を参照)

◎You should have been
(あなたは)
 a flower of the wild pink;
(撫子のあの花であってほしい)
 every morning I would pick you
(そうしたら毎朝私はあなたを)
 and take you in my hands,
(手に持って)
 and every day I would cherish you.
(日々、恋い慕うことでしょう)
 IAN HIDEO LEVY “ The Ten Thousand Leaves ” PRINCETON LIBRARY OF ASIAN TRANSLATIONS

(2011/07/18)



☆先週、『おくのほそ道』被災地紀行(暗澹跛行)へ、家族と一緒に出かけました。旅立ちの拙句は次の通りです。

◇リュック一つ夏を旅立つ瓦礫かな         凡一(ボンイツ)
 リュックヒトツ ナツヲタビダツ ガレキカナ

◇札一枚雪に旅発つ津波かな            凡一
 サツイチマイ ユキニタビダツ ツナミカナ     

☆3・11大震災後、被災地石巻市周辺には雪が舞いました。上記二句は、『おくのほそ道』の「遊行柳(ユギョウヤナギ)」(栃木県那須)に記載されている、芭蕉翁の秀句のパロディー俳句(略してパロ句)に過ぎません。

◎田一枚植ゑて立ち去る柳かな            芭蕉
 タイチマイ ウエテタチサル ヤナギカナ
(『新版おくのほそ道』角川ソフィア文庫21頁)

☆若い頃は銚子市に在住し、こんなパロディー俳句(略してパロ句)を、独身時代に詠んだこともありました。(今や、老いて枯淡の境地?)

◇麺麭一切れ喰って飛び出す師走かな         凡一
 パンヒトキレ クッテトビダス シワスカナ

☆今回は、福島、仙台、松島、石巻、平泉と歩きました。松島では、芭蕉翁の随行者であった曾良(隠密?)の佳句をパロディー化しました。古代アケメネス朝ペルシアには「王の耳」、「王の目」と呼ばれた監察官。暗澹跛行の小生は「象の耳」、「象の鼻」? 

◇雪の江や靏に津波の流れ沓              凡一
 ユキノエヤ ツルニツナミノ ナガレグツ

◎松島や靏に身を借れほととぎす           曾良(ソラ)
 マツシマヤ ツルニミヲカレ ホトトギス
(『新版おくのほそ道』角川ソフィア文庫34頁)

☆筆者のパロディー俳句(略してパロ句)は、「水の縁字」を七文字詠み込んでいます。雨冠は「雪」、「靏」、三水は「江」、「津」、「波」、「流」です。「沓」も水部です。(コレイジョウ、ヨミコムノワムリカ?)

☆「水の縁字」を敢えて十文字詠み込むと、下記のような句になってしまいます。ほとんど漢詩です。(絶句?)

◇「汚染水海浜」「漂泊漁消滅」        凡一
 オセンスイ カイヒンヒョウハク リョウショウメツ

☆『おくのほそ道』は、「雛の家」(新暦5月16日)から「別れ行く秋」(新暦10月18日)までの紀行文なので、「雪」の句は一句(新暦7月20日の羽黒山)しか採録されていません。

☆宮城県石巻市では、地盤沈下で冠水の漁港跡、診療停止の市立病院跡、瓦礫と延焼の門脇(カドノワキ)小学校跡、生産ライン崩壊の日本製紙工場跡、被災範囲を一望できる標高60メートルの日和山(ヒヨリヤマ)等を案内して戴きました。 山上合掌。

☆3・11東日本大震災では、石巻市の被害は最大でした。「死亡3025人、行方不明約2770人、住宅全壊約2万8000棟、避難約7580人」(朝日新聞2011年6月5日) 

☆石巻市HP(7月2日現在)に拠ると、「死者3127人、行方不明2770人」、そして「人口16万2822人、世帯数6万928」です。住宅全壊の割合が、異常に高い数値(約5割?)になるようです。 港の瓦礫の前に佇立し、再建の困難さを膚で感じました。

☆旅先で購入した『河北新報(カホクシンポウ)』の「河北俳壇」入選句に、方言を詠み込んだ一句がありました。偶然です。

◎若葉萌ゆ泣ぎながらでも生ぎっべし       石巻市(姓名略)
 ワカバモユ ナギナガラデモ イギッベシ
( 河北新報2011年7月3日 )

☆旅行(跛行)中、この句の英訳を熟考(苦吟)しました。

◇We should survive
 Every summer, young leaves put forth
 Even when crying
(凡一英訳)

☆如何でしょうか。「イギッベシ」は I will live のほうが良いですか。

☆「若葉」については、芭蕉翁の大変有名な句があります。唐招提寺の鑑真和尚(ガンジンワジョウ)像を詠んだ名吟です。苦境にある石巻市民の皆様の為に、英文版から引用させて戴きます。

◎with young leaves
 I would like to wipe away
 the tears in your eyes
(ライクホールド訳・英文版『松尾芭蕉全句集』講談社インターナショナル110頁)

◎若葉して御めの雫ぬぐはゞや
 ワカバシテ オンメノシズク ヌグワバヤ
(『芭蕉紀行文集』「笈の小文」岩波文庫85頁)

☆被災地訪問の二日目、岩手県平泉町の浄土史跡群(世界文化遺産登録)を半日、徒歩で見学しました。前夜の濃霧は消えて、歩行中に次のパロディー俳句(略してパロ句)ができました。

◇霧と杉流れる汗や芭蕉像               凡一
 キリトスギ ナガレルアセヤ バショウゾウ

☆中尊寺金色堂の近くにあった芭蕉像は、大変優しい表情をしていました。(誰をモデルにしたのか?)パロ句の本句は、もちろん芭蕉翁の名句です。

◎五月雨の降り残してや光堂
 サミダレノ フリノコシテヤ ヒカリドウ
(『新版おくのほそ道』角川ソフィア文庫38頁)

☆芭蕉自筆の『おくのほそ道』には、「五月雨や年々降て五百たび」と清書されています。(『芭蕉自筆奥の細道』岩波書店40頁) 

☆小高い丘の上にある「高館・義経堂(タカダチ・ギケイドウ)」にも、句碑が建てられていました。眼下の大河は北上川です。少し疲れたので、碑前で一休みをして句碑の英訳を考案しましたが、うまく行きませんでした。

☆三行を完訳できたのは、JR平泉駅の近くにある「柳之御所遺跡(ヤナギノゴショイセキ)」(1189年戦乱焼失)見学を終えた後です。帰路の東北新幹線座席で、熟慮(呻吟)しました。

◇Dreams are hidden and buried
 Under the summer grass of the field
 As many young soldiers died
(凡一英訳)

◎夏草や兵どもが夢の跡
 ナツクサヤ ツワモノドモガ ユメノアト
(『新版おくのほそ道』角川ソフィア文庫37頁)

☆英訳でも、五(単語)・七(単語)・五(単語)となり、非の打ち所のない英文俳句ができあがりました。凡一居士、畢生の名訳でしょう。(自画自賛か?)

☆「夢の跡」を Dreams are hidden and buried (夢は隠され、埋められる)と英訳するのは誤訳でしょうか? 芭蕉翁は「平泉」を「平和泉」“ source of peace ” or “ spring of peace ” と清書しています。(『芭蕉自筆奥の細道』岩波書店37頁)

☆ジェーン・ライクホールド女史は、「平和泉」の名吟を、原文に忠実に(あっさりと?)直訳しています。

◎summer grass
 the only remains of soldiers'
 dreams
(ライクホールド訳・英文版『松尾芭蕉全句集』講談社インターナショナル137頁)

☆鴨川市の自宅に帰着後、こんな記事を読みました。本当に逃げ場が無くなって来たようです。何処から運び込まれ、何処で使用するのか、不明です。(不気味?ですね)

◎東日本大震災で発生したコスモ石油千葉製油所の火災に伴い、隣接する劣化ウラン保管施設も延焼していた。(千葉県)消防課は、チッソ石油化学の保管倉庫の屋根が焼け落ちていたことを明らかにした。劣化ウラン765キロ、放射性物質0.3%。
(千葉日報2011年07月01日14時・抜粋)

☆更に、房州(ボウシュウ)の地域紙にはこんな記事も・・・。

◎鴨川市水道局は(7月)5日、市内浄水場で採取した汚泥の放射性物質について分析結果を発表、放射性セシウム137を1キロあたり10ベクレル検出。汚泥は建設改良土として再利用する予定だが、福島第1原発事故以降まだ国の基準がない。
(房日新聞2011年7月6日20時・抜粋)

(2011/07/10)



☆最近の「原発」に関わる五つの記事を抜粋しました。時系列で紹介します。ユーモラスな記事もストックしましたが、被災者(範囲が拡大)の皆様の御心中を推察し省きました。ローカル紙では、今、福井新聞(HP)が大変シャープな記事を掲載しているように感じています。

(1)全国で唯一、県庁所在地に原発を抱える島根県は(6月)24日、事故発生時に、県庁機能を30キロ圏外に移転させるための調査を始めた。原発から県庁までは約9キロ、30キロ圏外で移転候補地を探す。知事は「できることから進める必要がある」と話した。
(読売2011年6月24日21時・抜粋)

☆キューキロカー、エラークチケードー、ヨークコンナートコニオッタテタナー、アブナッカシクーネーノカー?

(2)反原発を掲げるドイツの「緑の党」は、(6月)25日臨時党大会を開き、2022年までに国内原発17基を全て廃炉にするメルケル政権与党案に、賛成する方針を決めた。これにより、改正原子力法案は大半の野党の支持も受け、30日の連邦議会と7月8日の連邦参議院で成立する。
(共同2011年6月26日11時・抜粋)

☆メルケルッテユー、ドイツノーシュショーワー、テーシターモンダナー。

(3)フランス・アルザス地方のフェッセンハイム原子力発電所で、(6月)26日原発反対集会があり、約5000人が人間の鎖を作った。フランスには58の原子炉があるが、フェッセンハイム1号機は最も古い。 政府は稼働を10年間延長するか検討。集会に参加した人たちは直ちに閉鎖することを要求。
(ロイター2011年6月27日11時・抜粋 )

☆フランスノーサルコジワーショーネー、イコジーダー、ソリャーコジツケダッペー?

(4)NIE(教育に新聞を)実践校のS市H小で(6月)28日、原発をテーマに公開授業。福井新聞記事「フクシマの今」などを参考に「肯定派」、「否定派」、「聞くグループ」の3班に分かれ討論。肯定派は「原発以外で賄うと電気代が高く大変」とアピール。反対派は「事故の不安を抱え、事故処理に当たる社員はかわいそう」の意見。
(福井新聞2011年6月28日18時・抜粋)

☆フクイワーゲンパツレットーノニシギンザダベー、フクシマワーヒガシギンザダヨナー、ニギヤカスギッペヨー。

(5)千葉県で放射線量の数値が局地的に高い、「ホットスポット」が見つかり、国に要望書を提出した。(6月)29日、提出したのは、柏市、流山市、我孫子市、鎌ケ谷市、野田市、松戸市の市長。子どもを持つ市民の間で不安の声、福島県以外でも学校や幼稚園における基準を策定するよう求めている。
(FNN2011年6月29日19時・抜粋)

☆ボーソーハントーナンブワー、ホットスポットジャーネーケッドー、セマッテーキタナー、オイネードー、ボーシューワー、シラハマデーユキドマリダー、ニゲランネーヨー。(カタカナ書きは1275年のアテ河荘民訴状からの影響?)

(2011/07/03)


☆先々週からの続きです。反核( Anti-nuclear weapon )・反原発( Anti-nuclear power plant )のニュース・レビューと呪詛を書き連ねて来たつもりが、いつの間にか「水」の位相の蕉風俳諧鑑賞に転じていました。(ワリークセダー) 近日中に、「奥の細道被災紀行」( 暗澹跛行 )に出かける計画も立てました。

☆融点と沸点のはざまの、「水」の縁語(字)を詠み込んだ最多の例句(計二句)の一つは、『おくの細道』の象潟(キサガタ)における吟詠にあります。

◎汐越や靏はぎぬれて海涼し
 シオゴ(コ)シヤ ツルハギヌレテ ウミスズシ
(『芭蕉自筆・奥の細道』岩波書店53頁)

☆「塩越(シオコシ)」村は地名で(『角川日本地名大辞典・秋田県』)、入り江の汐によって、鶴の長い脛(ハギ)が濡れる海辺の涼しさを詠んでいます。1689(元禄2)年の旧暦6月中旬の発句で、「涼し」が季語です。

☆「汐(セキ)」という漢字について、白川静氏の『新訂字統』(平凡社)は、「朝しおを潮というのに対して、夕しおを汐、あわせて潮汐という」と解説しています。前掲句の風景を、ひきしおの夕景と解釈することも可能でしょう。( 新解釈? )

☆筆記されている漢字五文字のうち、「 汐 tide 」、「 海 sea 」、「 涼 cool(ness) 」の三字の部首が水部(三水)です。「 靏=鶴 crane 」の部首は雨部(雨冠)です。平仮名の「ぬれて」は、「濡」れて wetted と解釈すべきでしょう。やはり、水部(三水)です。( 貝塚茂樹他編『角川漢和中辞典』 )

☆「水」の縁語(字)が合計五文字で、最多です。同句で、「水」に無縁な漢字は「越(コシ)」だけです。「腰(コシ)だけや靏はぎぬれて海涼し」の句稿も残存しています。( 『芭蕉・おくのほそ道』岩波文庫149頁・217頁 )

☆同句には「はぎ」という語彙があるので、透明感だけの発句ではありませんが、水墨画のような雰囲気は漂います。この句の前に「松島は笑うがごとく、象潟はうらむがごとし、寂しさに悲しみをくわえて、地勢、魂をなやます」と流麗な文章があります。

☆1804(文化元)年、旧暦6月4日の大地震と海底隆起によって、同地の美観は一変しました。( 田辺聖子『古典の旅⑪おくのほそ道』講談社1989年183頁 )

☆ジェーン・ライクホールド女史の英訳は次の通りです。
◎low tide crossing
 the crane's shank is wetted
 with the sea's coolness
( 英文版『松尾芭蕉全句集』講談社インターナショナル142頁 )

☆ドナルド・キーン氏の英訳は次の通りです。
◎Tide-Crossing-
 The crane's long legs are wetted
 How cool the sea is !
( 『英文収録・おくのほそ道』講談社学術文庫112頁 )

☆「ぬれて」 を、両氏共に wetted と英訳しています。英文俳句が病み付きになりそうですね。両氏(師)の学恩に感謝。今週、拙宅では、家屋の周囲を蟻が行列で歩く「蟻の堂参り」がありました。房総半島では、そろそろ梅雨が明けるかもしれません。

(2011/06/26)



☆先週の続きです。「水」と「氷」を同時に詠み込んだ俳句が、松尾芭蕉にはもう一句あります。(合計三句)
◎露凍てて筆に汲み干す清水かな
 ツユイテテ フデニクミホス シミズカナ
◎frozen dew
 a dry brush draws
 clear water
( 英文版『松尾芭蕉全句集』102頁“ BASHO : The Complete Haiku ” by Jane Reichhold )

☆「凍つ」は「氷る」と同じ freeze ですから、上掲句も「水と氷」の俳句と言えるでしょう。夜露が凍る程の寒さの中で、わずかな清水を筆で汲み干してしまったという情景です。

☆これは、1687年の発句です。一句の中に、「 露 dew 」、「 凍 freeze 」、「 汲 draw 」、「 清 clear 」、「 水 water 」の五文字が詠み込まれています。「水」の転移した字形を使用した最多の例です。芭蕉には、もう一例あります。他日の鑑賞に残しておきましょう。( 二文字、三文字、四文字使用はかなり有る )

☆「 露凍てて frozen dew 」の句は、澄明な霊気の漂う一句です。秀吟ですが、名吟ではないような気もします。(「メルトダウン=炉心溶融」時代にあってはどう判断するか?) 

☆芭蕉翁も流石に「水」の縁語(縁字?)が多すぎると考えたのか、(無意識に?)一字減じて改作したものがあります。1688年の発句です。( 加藤楸邨『芭蕉全句』ちくま学芸文庫、上巻459頁・中巻65頁 )
◎凍て解けて筆に汲み干す清水かな 
 イテトケテ フデニクミホス シミズカナ 
◎melting away
 the brush draws up the water
 of a spring
( 英文版『松尾芭蕉全句集』109頁 )

☆ジェーン・ライクホールド氏は「凍て解け」るを、「メルトアウェイ melt away 」と英訳しています。(メルトダウンではない) 解けた「清水」を、「春(水源?)の水 the water of a spring 」と英訳しています。

☆今週は、こんな不幸な記事を読みました。
◎福島県相馬市で酪農を営む男性が、首を吊った状態で死亡していた。原発事故のあと、妻と2人の子どもがフィリピンに避難し、男性も家族のもとに向かったがその後戻った。黒板に「原発で手足ちぎられ酪農家」「やる気力なくした6/10pm1:00」の書き置きがあった。
( 朝日2011年6月14日3時・抜粋 )

☆「書き置き」の文言が報道の通りであるとするならば、筆者には、相馬農民の辞世の句ではないかと思われました。
◎原発で手足ちぎられ酪農家
 ゲンパツデ シュソクチギラレ ラクノウカ
◎やる気力なくした6/10pm1:00
 ヤルキリョク ナクシ(タ)ミナヅキ トオカイチジ

☆二句目は字余りのようです。急逝された牛飼男性(牽牛)の御冥福を、心よりお祈りします。合掌。

☆夏目漱石の発句を引用し、追悼吟に代えさせて戴きます。7月7日の七夕はもうすぐですが・・・。
◎別るるや夢一筋の天の川          漱石
 ワカルルヤ ユメヒトスジノ アマノガワ
( 『漱石俳句集』岩波文庫159頁 )

◇A straight dream
 On the milky way
 Why do you part ? 
( 筆者英訳 )

☆英文俳句は筆者の拙訳です。行頭は大文字にしました。「牽牛(ケンギュウ)」は、「織女(ショクジョ)」の夢を見る dream ことはなかったのでしょうか。(ソーマコイシヤ、ナツカシヤ、ナンダコラヨート)
◎生き残るわれ恥ずかしや鬢の霜       漱石
 イキノコル ワレハズカシヤ ビンノシモ
( 『漱石俳句集』岩波文庫161頁 )

◇I am ashamed
 However, I survive
 The frost of sideburns
( 筆者英訳 )

☆1910(明治43)年、漱石が伊豆の修善寺で危篤(胃潰瘍)に陥った頃の名吟です。英文学者であった漱石の俳句を英訳するなど、蛮勇の沙汰ですね。同年の吟詠には、もっと凄惨な句があります。( 坪内稔典『俳人漱石』岩波新書 ) 引用は避けます。

☆こんな記事も読みました。
◎金沢市の浅野川で14日、アユが大量に死んでいるのが見つかった。朝霧大橋から下流約6キロに浮かんでおり、約1万匹の死骸を回収した。環境指導課は「現段階では原因は全く分からない」としており、詳しく検査する。 
( 時事2011年6月15日13時・抜粋 )

☆九十九里浜の鰯、紀伊水道の烏賊、駿河湾の深海鮫、そして金沢市浅野川の鮎と異変が続いています。陸電と関電の原発防災対策は、如何(イカ)に歩(アユ)むか?

☆北海道では、次のような報道がありました。三石東蓬莱(ミツイシヒガシホウライ)の浜は、日高郡新ひだか町にあります。襟裳岬(エリモミサキ)の西側です。
◎三石東蓬莱の海岸に6月8日、大量のイワシが断続的に打ち上げられた。町民らは走り寄って捕まえ、手にしたバケツや袋に入れて笑顔を見せ、「祖母から、昔は打ち上げられていたと聞いた」と話した。
( 北海道新聞2011年6月10日15時・抜粋 )

☆「襟裳岬」は森進一さんのヒットソングでしたね。第16回日本レコード大賞を受賞しました。(ワケノワカラナイコトデ、ナヤンデイルウチニ、オイボレテシマウカラ) 稼働中の北電の泊(トマリ)原発と、停止中の東北電の東通(ヒガシドオリ)原発は、大丈夫でしょうか。

(2011/06/19)



☆英文版『松尾芭蕉全句集』“ BASHO : The Complete Haiku ” by Jane Reichhold を書庫から取り出して開きましたら、次の句に出会いました。全くの偶然です。(天啓?)
◎drawing water
 by monks from the icy
 sound of clogs
or
◎drawing water
 the sound of the clogs
 of the freezing monks
( 水取や氷の僧の沓の音 ミズトリヤ コオリノソウノ クツノオト )
( 前掲書84頁 )

☆1685年、『野ざらし紀行』所載の秀句です。緊張した僧侶が氷のような厳粛さの中で行進し、硬い沓音だけが響いてくるという光景です。一句の中に「 水 water 」と「 氷 icy or freezing 」の二語が詠み込まれています。

☆こんな記事を読んだことを想い出しました。年収約7000万円の(現代)長者が、古都の観光旅行を優雅に楽しむ途中で、大震災に出会ったお話です。(平成の『今昔物語集』?)固有名詞は削除して引用しました。

◎3月11日の東電社長の行動が明らかになった。平城宮跡や東大寺のお水取り見物で、平日に夫人同伴という観光。見学中の午後2時46分に大震災が発生、自衛隊小牧基地から東京本店に戻ろうとしたが、途中で引き返した。翌12日、民間ヘリで戻った。会長も中国出張で不在。この間、福島第1原発はメルトダウン。
( 毎日2011年5月28日2時・抜粋 )

☆(ワラシベ?)長者は風雅な趣味をお持ちです。しかし、「油断は禁物 Overconfidence is our greatest enemy. 」でしたね。記事にある観光予定の期日は、少しずれていると筆者は推測しました。( 松本清張の影響か )

◎「お水取り」は、(3月)12日夜、始まる。13日の午前1時過ぎ、松明が行列を先導し、篝火(カガリビ)と奏楽の中、石段を下り閼伽井屋(アカイヤ)に至る。
( 奈良東大寺HP )

☆「お水取り」の由来は、若狭国で魚を採っていて、二月堂へ参集が遅れた遠敷明神(オニュウミョウジン)が、「清水」を涌き出させたというものです。筆者も40年程前に、友人と深夜の見学に出かけたことがあります。こんな未来に遭遇するとは、思ってもみませんでしたが・・・。

☆松尾芭蕉には、「水」と「氷」の秀句がもう一句あります。
◎the water's source
 in an ice cavern if I ask
 the willow
( 水の奥氷室尋ぬる柳哉 ミズノオク ヒムロタズヌル ヤナギカナ )
( 前掲書139頁 )

☆1689年の発句です。柳の側を澄んだ小川が流れ、源流には氷の貯蔵庫があるかもしれないという風景です。季語は「柳」ではなく、「 氷室 ice cavern 」ですね。季節は盛夏でしょう。クロサワ映画『夢』(第8話「水車のある村」)のシーンと重なります。

☆芭蕉が「水」と「氷」の俳人であったことを、見落として来たようです。『野ざらし紀行』には、「水」に関する語彙が多数含まれています。驚きました。「メルトダウン=炉心溶融」時代の新しい芭蕉像が描けそうです。

☆全句集(約1000句)には、「三水(サンズイ)」(池・酒・洗etc)と「雨冠(アメカンムリ)」(霧・霜・雫etc)の漢字が非常に多いことも発見しました。原発による海洋汚染や放射能雨の所産でしょうか。(英文で読んだおかげか?)

☆1689年『奥の細道』所載の芭蕉吟詠から、「三水」の漢字を拾い上げます。「泪」、「滝」、「流」、「ぬ(濘)かる」、「涼」、「し(沁)みる)」、「湯」、「温」、「海」、「浦」、「潟」、「汐」、「ぬ(濡)れる)」、「波」、「渡」、「河」、「泣」、「消」、「浜」、「清」、「ま(混)じる」の21字があります。

☆「雨冠」は、「雨」、「雪」、「靏(ツル)」、「雲」、「露」の5文字です。更に、「川」(部首はカワ、又はマガリガワ)と「尿(バリ)」(部首はシカバネ)の漢字も詠み込まれています。『奥の細道』所載の俳句は、全部で63句あります。その内、芭蕉自身の吟が52句、随行者の曾良の吟が10句、門弟の低耳の吟が1句です。芭蕉吟52句の内、26句が「水」に関わる漢字(合計27?字)を含みます。約半分です。(『芭蕉自筆・奥の細道』岩波書店1997年) 

☆多いですね。「啼」、「魚」、「田」、「苗」、「島」、「降」、「蛍」、「稲」、「磯」、「砂」、「貝」、「蛤」の12字も、「水」に縁の深い漢字と言えるでしょう。これらを加えれば、更に句数は増えます。(我「田」引「水」か?)

☆芭蕉翁の「水と氷」の世界(輪廻転生)に挑んでみます。筆者、得意のパロディー俳句(略してパロ句)です。「 水 water 」と「 氷 freeze 」の二文字と、「三水」の漢字を三文字( 「 浪 wave 」・ 「 江 inlet 」 ・ 「 涙 tear 」 )詠み込みました。

◇浪の江に氷る涙や水棺               凡一
 ナミノエニ コオルナミダヤ ミズヒツギ     ボンイツ

◇The tears freeze
 By the inlet of the wave
 Ah water coffin
(凡一英訳)

☆原子炉の「水棺(スイカン)」を「ミズヒツギ」と読み、音数を五・七・五に整えました。地名に関する説明は、原発被災者の皆様の御心中を拝察し省略させて戴きます。「凡一」は、若い頃からの俳号です。英訳は我流(オレリュウ?)です。行頭は大文字にしました。

(2011/06/12)



☆今週、妻が「六つ葉のクローバー」を畑で採取しました。今まで、四つ葉のクローバーは時々見かけましたが、六つ葉のクローバーは初めてです。しばらく凝視しました。妖気が漂っているようにも見えます。放射性セシウムによる遺伝子異常かと思い、標本にしました。

☆アメリカ合衆国 The United States of America は大竜巻、中華人民共和国 The People's Republic of China は大干魃です。世界の気象は尋常ではありません。次のような記事を読みました。

◎長江中下流域が、60年ぶりとも言われる深刻な干ばつ。中国で7番目に大きい洪湖(コウコ)を訪れると、水は所々に細い流れとなって残るだけで、茶色い湖底があらわになった。日本の琵琶湖の半分程の湖は、雨が降らず水は日に日に減少。
( 読売2011年6月3日18時・抜粋 )

☆衆議院における内閣不信任決議案をめぐる討論をテレビで見て、二つの文言が思い浮かびました。一つは『論語』の「これを如何(イカン)、これを如何(イカン)、と曰(イ)わざる者は、吾れこれを如何(イカン)ともすること末(ナ)きのみ」です。

☆文意は「どうしよう、どうしようと、自分自身、苦慮煩悶しないものを、私(孔子)はどうしてやりようもない」( 吉川幸次郎『論語』〈衛霊公〉朝日選書・下巻206頁 )ということです。百家争鳴と被災民の声、筆者には提案説明も反対意見も、緊迫感の欠如は感じられませんでした。

☆もう一つの文言は「碁敵(ゴガタキ)ハ憎さもにくしなつかしさ」(『誹風柳多留一』岩波文庫48頁)でした。この川柳は、囲碁の良い相手は負けると憎さがつのるが、しばらく碁を打たないでいると懐かしくてたまらないという意味です。

☆「座敷牢?」の「一兵卒?」は、「急遽、国会内の自室に側近らを集め、退陣の言及にまで追い込んだのは一つの成果だ」(読売2011年6月2日23時)と述べられたようです。

☆権力の頂点で、異常な緊張を長く継続すれば、神経が摩耗することもあるでしょう。福島第一原発の組織的なチェックも十全に機能していないようです。(コレガフシンニンノゲンインダッペヨ) 

☆ソーリは早めに「一兵卒」に戻り、もう一人の「一兵卒」と余暇の囲碁を楽しまれては如何。(ゴインキョデモレイオンテイシニトリクメッペ) 「六つ葉のクローバー」には、予言の力をもたらすという伝承があるそうです。

(2011/06/05)



☆先日、アメリカ映画の『チャイナ・シンドローム THE CHINA SYNDROME 』(1978年制作)を、家族と一緒にDVD(881円)で鑑賞しました。原発事故を描いた約2時間の映画です。愚(恐?)妻は、吐き捨てるように「ニホンノ、ゲンジツノホウガ、ハルカニヒドイワ」と呟いています。

☆主演はジェーン・フォンダ、 女性キャスター役でした。共演のジャック・レモンは、原子力発電所の男性技術者を演じています。安全性を優先し、電力会社の上層部と対立した現場責任者が、警察の特殊部隊によって射殺され、精神錯乱者として社会から葬られるというプロットでした。

☆この映画で、筆者が恐ろしいと思ったのは、USAの原発会社の凄絶な利潤追求です。(目的の為には手段を選ばない )暴力的な言論封殺が罷り通るという点です。公開直後に、スリーマイル島の原発事故(1979年)が現実に起きました。

☆今週は、原子力研究(被災?)史を復習 study again します。拙宅の蔵書から、2種類の年表を選びました。下記の「  」内の和文は、山口幸夫著『新版20世紀理科年表』(岩波ジュニア新書)から引用し、< >内の英文は“ The Timetable of History ” By Bernard Grun からの引用です。

☆1905年・・・「アインシュタイン三つの大論文、光の発生と転換、液体中に浮遊する粒子の動き(ブラウン運動)、運動物体の電気力学」。<Einstein establishes law of mass-energy equivalence; creates Brownian theory of motion; and formulates the photon theory of light.> 天才アインシュタインは暗記物が大の苦手で、大学入試に失敗した経験があることを、山口『理科年表』は紹介しています。

☆1925年・・・「量子力学の誕生、ハイゼンベルクの理論は安定状態の間の電子の移り変りだった」。

☆1932年・・・「中性子・重水素・陽電子が発見された」。<Chadwik discovers the neutron. Kuhn investigates riboflavin. Anderson discovers positron.>

☆1934年・・・「中性子で原子核をこわす、フェルミはできるかぎりの元素を集めて、中性子をあてる実験を始めた」。ここから、原爆と原発への歩みが始まることを、山口『理科年表』は指摘しています。 Fermi はイタリア人で、中性子の「魔術師」です。アメリカへ亡命しました。(夫人の国籍問題が原因)

☆1935年・・・「28歳の湯川秀樹が中間子(陽子と中性子がやりとりする新粒子)の理論を創り出した」。若い頃に、湯川記念館 Yukawa Institute for Theoretical Physics の前を歩いたことが想い出されます。

☆1945年・・・「ヒロシマ、8月6日午前8時15分、ウラン235爆弾炸裂。ナガサキ、8月9日午前11時2分プルトニウム爆弾」。<U.S. drops atomic bombs on Hiroshima Aug.6 and Nagasaki Aug.9.>

☆1954年・・・「ビキニ水爆実験で第五福竜丸被爆(母港は静岡県焼津市)、ビキニ被爆の翌日、原子炉予算2億3000万円をN議員が国会提出」。「ソ連、実験用原発5000kWを運転開始」。<U.S. tests hydrogen bomb at Bikini.> 

☆1979年・・・「スリーマイル島の原発事故、炉心部金属がウラン燃料と共に融けだした(メルトダウン)」。想えば、筆者は29歳で、妻と出会った年でした。

☆1986年・・・「チェルノブイリ原発事故、最悪の原子炉大爆発、死者31人、住民13万5000人避難。甲状腺ガン(子供)・白血病・肺ガン多発」。<The world's worst nuclear accident takes place at Chernobyl.> 被爆したソ連の子供達が、房総にも療養に来ました。

☆3・11大震災は、未来の年表にどのように記載されるでしょうか。《2011年・・・東日本大震災、死者・行方不明者約2万4千人。福島第一原発でメルトダウン(1号機・2号機・3号機)、原発避難者約8万人?》

☆次のような記事を読みました。安心立命(アンジンリュウミョウ)の日々は、益々遠のいて行くようです。
◎川崎市にある研究用原子炉に市民が不安を隠せない。川崎区浮島町にある東芝原子力技術研究所の臨界実験装置では、原子力プラント用燃料の実験。防災拠点となるオフサイトセンターを日ノ出町に設置。市立川崎病院に、安定ヨウ素剤2500錠を用意。(毎日5月28日14時・抜粋)

☆先週書き忘れたこと。大震災で生き残った少年少女よ、東京に行くな(イカンホウガエエヨ)。関東大震災の東京(府)の住宅被害は約20万棟、死者・行方不明者は約7万人です。1923年の轍を踏まないように。(レキシノメガミヲ、ナメタラアカン) 筆者の大叔父(故人)は、東京都で戦後の防災行政に従事した人でしたが・・・。

☆では何処へ? 「明日香還都(アスカ・カント)」論の「夢 dream 」はいかが? 今、日本で一番安心できる地域は、世界最古の木造建築が残る寺域です。そこに「夢殿」が在ります。生者と死者の霊魂が集い、憩い、夢を見る救世観音。(敦賀市に「もんじゅ」はあれど) 最先端が最後尾に還(カエ)るパラドックス。夢はいかが。(『雨月物語』の影響?)

(2011/05/29)



☆逃げ場が狭められて、閉所恐怖症の筆者としては、ほとんど自己喪失の状態です。(シンペーシスギダッペヨ) 原発のない沖縄方面へ避難しても、その先には原子炉6基が稼動する隣国の島があります。(イッテー、ナンキロクレー、ハナレテンダー?)

☆この島で先日、(地震予知魚と言われる)深海魚のリュウグウノツカイ(竜宮の使い)が捕獲されました。最早、日本列島に安心・安全な避難場所は、存在しないようです。今週は、次のような記事を読みました。
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◎「暗中八策」をやりたい。福島県浪江町の町長は、二本松市(臨時役場)で坂本龍馬「船中八策」になぞらえた。30ミリシーベルトの高濃度汚染、双葉(町)と大熊(町)は多額交付金、浪江は何の恩恵もない。人口2万1500人、137人が行方不明、町民は全国に避難。引き取り手のいない骨を泣きながら拾っている。(毎日2011年5月19日・抜粋)

☆ Save FUKUSHIMA.

☆1867年6月の坂本龍馬「船中八策」(江村栄一編『日本近代思想大系9・憲法構想』岩波書店)は、要約すれば、(一)奉還、(二)議政、(三)人材、(四)公議、(五)大典、(六)海軍、(七)親兵、(八)平均の「八策」でした。(龍馬→後藤→容堂→幕府への献策だった)

☆放射能に揉みくちゃにされ、現代史(クリオ)に翻弄されて、筆者は「暗澹跛行(アンタンハコウ)」、「染中発策(センチュウハッサク)」です。(コンナ、ヨンモジジュクゴ、アッタッケー?) 汚染の「染」、原発の「発」です。

☆小生の「染中発策」は、要約すると、(1)Reflect(想う)(2)Stop(停止する)(3)Limit(制限する)(4)Secure(安心・安全にする)(5)Save(扶ける=タスケル)、(6)Plow(発す=オコス)、(7)Retain(存続する)、(8)Dream(夢を見る)です。Verb(動詞)だけですが、国難の時代に運良く生き残った少年少女に伝えたい、再建の為の「八策(語)」です。

☆地域に関するニュースは、下記のような記事がありました。井上幹(ミキ)や君塚省三(セイゾウ)等、夷隅郡の民権家が存命であったら、痛憤したかもしれません。「農事改良」「物産蕃殖(ブッサンハンショク)」(精農社規則)、そして「減租請願」(自由新聞)の実現を希求していましたから。

◎東北・関東の牧草から、規制値を超える放射性物質。対象となる牛は70万頭、牧草の廃棄方法もない。飼料を買うと1000万円以上のコスト増。千葉県いすみ市では、刈り取った牧草を前にため息、市原市では牧草1キロから放射性セシウム1100ベクレルを検出(後略)。(読売2011年5月17日14時 )

☆「メルトダウン」について、高木仁三郎著『プルトニウムの恐怖』(1981年岩波新書)は、次のように定義しています。同書の初版は380円でした。故高木氏とは1970年代後半に、三里塚公園で行き逢った事があります。

◎事故発生後、数分-数十分後には、炉心燃料は融け始め、ついには融けた燃料は原子炉の底に向って崩れ落ちるという決定的な瞬間がやってくる。これが、メルトダウンである。
(『プルトニウムの恐怖』初版40頁)

◎原子力発電所の大規模な事故は、おそらくわれわれの想像を越えた被害をもたらしうるし、そんな事故は世界のどこかで一度でも起こってはならないものだ。
(『プルトニウムの恐怖』初版39頁)

☆起こってはならないものが起き、想像を越える被害が現在進行中です。上記のような見解を、熊本県の阿蘇山の火山活動と結びつけるべきかどうか。一体全体、地下で何が起きているのか・・・。

☆ほとんど直感的世界ですが、『熊本日日新聞』記事を引用します。阿蘇山周囲に降っている火山灰と火山ガスの放射能検査(モニタリング)が必要でしょう。(カガクッテ、ソーユーモンジャーネーノカ) 周辺のミヤマキリシマや稲に異変が出ているようです。
 

☆「真理がわれらを自由にする」(国立国会図書館標語)。 The truth will make you free. JOHN 8 (『ヨハネによる福音書』第8章) 

◎福岡管区気象台は(5月)16日、阿蘇山の噴火警戒レベルを「平常」の1から「火口周辺規制」の2に引き上げた。半径1キロ立ち入り禁止。中岳で灰白色の噴煙が火口縁から約500メートルまで上がった。(くまにちコム2011年5月16日・抜粋)

☆それでも、人間は生き続けるものよ。(オッカネー、ツマガツブヤイタ) アメリカのミシシッピ川下流域は、再び大洪水で家屋が水に浸かり、数万人が避難しています。(朝日2011年5月21日)

(2011/05/22)



☆福島自由民権大学の事務局から、『喜多方事件125周年記念集会報告書』と『事務局だより』が届きました。大震災の為に、南相馬市の「原町(ハラマチ)市史編纂事業」が中断されたようです。又、福島県歴史資料館収蔵の史料が大きな被害を受けました。困難な情況が続きます。

☆今週は、巨大な深海魚「カグラザメ」が、静岡県沼津市で捕獲されたという記事を読みました。九十九里浜のイワシの大量死、紀伊水道のイカの豊漁、そして駿河湾の深海ザメの浮上です。

◎(5月)8日、沼津市内浦の定置網に掛かった巨大なサメが、関係者を驚かせた。駿河湾などに分布する深海性のカグラザメ。体長は4メートル程で、重さは200キロ以上ある。・・・恐る恐る触ったり、あまりの迫力に写真を撮る人の姿があった。(静岡新聞2011年5月09日8時・抜粋)

☆HP原稿を更新中に、放射能による更なる自然環境劣化を伝えるニュースが飛び込んで来ました。檜原(ヒバラ)湖周辺は、かつて喜多方事件の史跡探訪をしたときに、家族と一緒に宿泊し見学したことがあります。

◎福島県は(5月)13日、北塩原村のワカサギと、いわき市の鮎から暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されたと発表した。北塩原村の檜原湖で採取したワカサギから870ベクレル、いわき市の鮫(サメ)川で採取した鮎から720ベクレルを検出した。(毎日2011年5月13日23時・抜粋)

☆神奈川県の自然環境劣化(悪化?)の拡大を報道する、下記のようなニュースも読みました。汚染源から300キロメートルも離れている地域です。放射性セシウムは動植物の遺伝子異常を起こすと考えられています。(スリーマイルトウニレイガアルヨウダ)

◎神奈川県は(5月)11日、南足柄市で採取した生茶葉から、放射性セシウムが検出されたと発表した。セシウム134と137の合計値が1回目に550ベクレル、2回目に570ベクレル検出され、暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を上回った。神奈川県は商品の回収や出荷の自粛を要請。(読売2011年5月11日20時)

☆昨年は5月の連休前後に、自宅裏の茶の木(10本程)から新芽を摘み取って、家族でささやかに新茶を作製しました。(ナツモチカヅクハチジュウハチヤ・・・)今年も新芽は出て来ましたが、これではどうにもなりません。(アー、シンチャノカオリ!)

☆3・11大震災から二カ月が経過して、東京電力が「メルトダウン」を発表しました。(イママデワカラナカッタノカ?)次のような記事を読みました。

◎福島第一原発1号機で、大量の燃料が溶融し圧力容器の底部にたまる「メルトダウン」が起きたことを(5月)12日、東電が認めた。底部には、直径数センチ程度の大きさに相当する複数の穴があいている。燃料が圧力容器の外に漏れている可能性が否定できない。(アサヒコム2011年5月13日3時・抜粋)

☆余り想像したくはありませんが・・・。念のために「メルトダウン Meltdown 」の最悪の事態について、35年前の武谷三男(タケタニ・ミツオ)編『原子力発電』(岩波新書1976年)がどのように予測していたか、復習しておきましょう。初版は230円でした。

◎格納容器のコンクリートは、溶融金属塊によって分解され、塊りは壁をこわし土台をとかして、どんどん下方へ沈降してゆくだろう。100トンをこえるこの高温の塊りをさえぎり喰いとめるものは何もありえない。そして岩石を溶融しつつ、地下深く沈降をつづけるのである。  
(『原子力発電』初版100頁)

☆溶融金属塊(ヨウユウキンゾクカイ)の沈降を、アメリカでは「チャイナ・アクシデント(シンドローム)China accident 〈 syndrome 〉」と呼んだようです。前掲『原子力発電』は、日本の場合なら「ブラジル型事故 Brazil accident 〈 syndrome 〉」と呼ぶべきであると述べています。(チンコウハ、ダイジョウブカ?)

☆戦慄の連続です。筆者の亡父はミッドウェー海戦(1942年6月)の生き残り(初夏の海を漂流)でした。小生は東日本大震災の生き残りということになるのでしょう。福島原発で最近他界された、作業員の方の御冥福を心よりお祈ります。

(2011/05/15)



☆柳田国男『雪国の春』は、若い頃に購入して読みました。しかし、その後一度も振り返ることのなかった書物です。

☆『雪国の春』に、3・11大震災の被災地域である、三陸沿岸を旅行した紀行文があります。同書の「二十五箇年後」の項には、類い希な筆力で明治三陸津波(1896年6月15日)のエピソードが採録されています。柳田国男は、日本常民(ニホンジョーミン)の哀しい性格を(珍しく、感情を露わにして?)指弾しているように受け取れました。

☆柳田国男が、宮城県唐桑浜で聞き取りをした民譚について、三カ所引用します。
(1)二階に子供を寝させておいて湯に入っていた母親が、風呂桶のまま海に流されて裸で命をまっと(全)うし、三日目に(自宅の)屋根を破って入ってみると、その児が疵もなく生きていた。
(2)話になるような話だけが、くり返されて濃厚に語り伝えられ、不立文字の記録は年々にその冊数を減じつつある。
(3)回復(恢復)と名づくべき事業は行われにくかった。智慧のあるひとは臆病になってしまったという。(中略)結局、村落の形はもとのごとく、人の数も海嘯(ツナミ)の前よりずっと多い。一人一人の不幸を度外におけば、疵はすでにまったく癒えている。
(『雪国の春』角川文庫1956年・117頁~118頁)
(『定本柳田國男集第二巻』筑摩書房1968年・86頁)

☆(1)は「御伽草子」か「創世記神話」のような口碑です。(2)において柳田国男が使用している「不立文字フリュウモンジ」という四文字熟語は、「以心伝心」(無言のうちに心が通じ合う)という意味ですが、民間伝承の観念的空間を指していると小生は解釈しています。

☆『雪国の春』の原著は1928年の刊行ですから、昭和三陸津波(1933年3月3日)よりも以前の執筆ということになります。吉本隆明氏の『柳田国男論集成』には、『雪国の春』の「二十五箇年後」について、何故か、殆ど(全く?)論及がありません。(『柳田国男論集成』JICC出版局1990年・24頁~26頁、183頁~184頁)

☆今週、気仙沼市唐桑町(カラクワチョウ)に関して、次のようなニュースが報道されました。
◎岩手県陸前高田市に住んでいた高校教師のもとに、妻と出会った高校の思い出が一つ、届けられた。「結婚おめでとう」と寄せ書きが記されたバスケットボール。約13キロ離れた宮城県気仙沼市の海辺(唐桑町)に流れ着いて、 ぽつんと落ちていた。 (妻の)行方は分からないまま。
(アサヒコム2011年5月2日1時・抜粋)

☆菅総理大臣が、画期的な「浜岡原発全炉停止要請」の発表をした日(5/6金)の翌日、筆者は千葉県浦安市の液状化現象を家族と一緒に見学しました。(歴史家は万巻の書、千里の道?)京葉線新浦安駅で下車し、海岸線の公立高校(液状化のために全校生徒が他市へ引越)まで、高層マンション街を徒歩で巡りました。「心胆を寒からしむ」という光景です。

☆大震災後約二カ月、街路には生々しい傷跡があちこちに残っていました。隆起した箇所、陥没した箇所、アスファルト、マンホール、石畳、私邸の塀、公園。歴史の女神「クリオ」の冷酷(残酷?)さが、再び思い出されました。(茨城県神栖市は、まだ下水道が復旧しない)

☆隣接地区にある、東京ディズニーランド駐車場の液状化被害も観察しました。アスファルトを修復した痕跡が明らかで、やはり痛々しいと言わざるを得ません。初めて入場料(シニア料金?)を支払って、「ディズニーシー」に一歩入れば、そこは別天地、夢を売るビジネスの世界でした。

☆園内は、再構成された古めかしい地中海世界と石造建築、流れる音楽はイタリア民謡、弦楽器の音色が白髪の古老(初老?)のノスタルジアを掻き立てます。「生きる希望としての夢」では無く、「忍従を支え合う夢」も有るのかと今まで経験したことのない、不思議な感懐に襲われました。(夢は、未来の存続が前提だ)

☆日常が、無数の不幸の坩堝(ルツボ)と化したようです。 In current Japan, is the happiness possible ? The system called Japan 〈 nuclear power plant 〉 made a human being unhappy. 今日は、母の日でした。

(2011/05/08)



☆先日、鴨川市内にある元禄津波の史跡を家族で見学しました。旧暦では元禄16(1703)年11月23日で、新暦換算では12月31日夜の大震災でした。(ヒャッコカッタローネー)『鴨川市史(通史編)』(261頁)には、約1000軒が押し流され、1300人余りの死者が出たと記述されています。

☆元禄地震は推定M8.2です。房総半島の津波の最大は推定7~10メートルです。(鴨川市HP所載「防災マップ」) 海岸の街には、当時の住民が避難した日枝神社の丘や石碑が現存しています。10メートルの津波では大丈夫ですが、この丘も20メートルの津波では、海水に呑み込まれていたかもしれません。

☆白砂青松の海岸線には、観光施設、学校、病院、ホテルが林立しています。改めて地域の史跡探訪をして、300年前の元禄津波の教訓が、近現代の都市計画に生かされて来たかどうか疑問に思いました。小生宅は海岸線から約8キロ、海抜約40メートルです。(ギリギリダッペヨー)

☆連休中に自家用車を運転して、千葉県九十九里浜沿岸の3・11被災地を訪ねました。河口の堤防の上に、小型漁船が打ち上げられている光景を撮影しました。

☆関西電力敦賀原発(福井県敦賀市明神町)の故障が報道されました。そして、こんな記事を読みました。

◎徳島県内でイカの水揚げが大幅に増えていた。漁場は紀伊水道で、小松島漁協によると、今年1~2月、水揚げされたイカは例年の2~4倍。対岸の有田箕島漁協(和歌山県)でも、例年の2~3倍あった。漁師は「阪神大震災の時も、1946年の南海地震の直前にも、イカが大量に取れた」と話す。
(読売2011年5月1日11時・抜粋)

☆新聞社は、こういう記事を丹念に拾い上げて欲しいですね。四国には、四国電力伊方原発(愛媛県西宇和郡伊方町)があります。パソコンのグーグル・アースで立地を確認すると、福島原発と同様に海岸線に建設されています。幾重にも防備されているとは思いますが、原発周辺都市の人口は、高知市約34万人、高松市約42万人、八幡浜市約4万人、対岸の別府市は約12万人です。

☆森進一さんの「港町ブルース」4番の歌詞は下記の通りです。
四、別れりゃ三月 待ちわびる
  女心のやるせなさ 
  明日はいらない 今夜が欲しい
  港 高知 高松 八幡浜
 (深津武志・なかにし礼作詞)

☆「油断大敵」は、英語では次のようになります。 Carelessness〈 Overconfidence 〉 is our greatest enemy. 3・11以来、筆者は時々立ち眩みがします。花粉症か、高血圧か、地震酔いか、放射線宿酔か、原因は不明です・・・。

(2011/05/05)

☆ゴールデン・ウィークです。日本は津波・原発災害、アメリカは竜巻災害です。大規模開発の結果、いずれ地球はこのようになるのではないかと予期はしていました。しかし、自分が生きている間に、次々と巨大自然災害が世界各地で発生するとは・・・。(チキューワ、ドーナンダヤ?) こんな記事を読みました。

◎千葉県は28日、市原市と八街市で採取した牧草から、1キロ当たり1110ベクレルの放射性セシウム(許容値の約4倍)と230ベクレルの放射性ヨウ素(同3倍超)を検出した。
(毎日新聞4月28日22時・抜粋)

☆唐突なニュースでした。水道水、葉物野菜、母乳、(海水)、そして牧草も許容値を超えたという報道です。(コンジャー、ヤソーワ、クエネッペヨ) 房総農(漁)民は、放射能被害と風評被害に晒され、更に難しい選択を迫られそうです。 こんな記事も読みました。

◎27日午前9時半ごろ、千葉県立鴨川青年の家近くの海で、原発事故により福島県から避難している、小学6年生(11才)が溺れているのが見つかった。千葉県警鴨川署によると、原発の周辺市町にある障害者の施設利用者(後略)。
(産経新聞4月27日14時配信)

☆房総で誕生した日蓮上人(1222~1282)は、常々「女人成仏」を書状に記しました。(『日蓮文集』岩波文庫) 少女が、『法華経』の「非常に清らかな相を具えた顔をいつも微笑ませ、心に慈しみ深く、憐れみ深い」竜女(リュウニョ・8才)の如く昇天されますように。(『法華経』第十二・岩波文庫) 筆者は心よりご冥福をお祈りします。合掌。

☆歴史の女神「クリオ Clio 」(ギリシャ神話)は内気な性格の美しい女性ですが、冷酷な面を持っているように描かれています。(E.H.ノーマン『クリオの顔』岩波文庫参照) 「クリオ Clio 」は、こんなにも冷酷であったのかと改めて驚き、戦慄しています。

☆初夏の鴨川の海はコバルト・ブルーです。断崖の灌木からは鶯の啼き声が聞こえます。眼下には源頼朝が落ちのびて隠れたという仁右衛門島が見えます。夢ではありません。海の彼方を呆然と眺めている時に、下記の俳句が筆者の心をよぎりました。

◎あるときは船より高き卯浪かな         真砂女
 アルトキワ フネヨリタカキ ウナミカナ     マサジョ
(『鈴木真砂女全句集』角川学芸出版)

☆房総出身の鈴木真砂女(1906~2003)は、すでに他界しました。「卯浪(波)」は初夏の季語ですね。大津波後の今、この秀句の印象は一変しました。

(2011/04/29)


☆4月19日、福島原発事故の避難指示区域(20キロ圏内)に、牛が約3千頭、豚が約3万匹、鶏は約60万羽取り残されたことが、福島県の調べでわかりました。避難指示から一ヶ月以上が過ぎ、すでに多数が死んだのではないかと報道されました。(YOMIURI ONLINE 2011年4月19日)生死の確認も埋葬することもできないのですね・・・。

☆余震の続く晩春の夜、こんな夢を見ました。群青色の海の彼方から、初夏の太陽が静かに昇って来ます。海岸線には山のようなダイブツが座していて、朝日に輝いています。しかし、その後ろ姿はどこか寂しげです。海岸線は、廃炉になった福島原発の跡地のようです。ダイブツに反射する金色の光線は、夜明け前の日本列島の津々浦々に放射線のように伸びて、その先には安心・平和を祈り合掌する、無数の人民の姿が見えます。(『栄花物語』の影響?)

☆「井戸塀(イドベイ)」政治家という言葉があります。明治の民権家は私財を投げ打って、政治活動に取り組んだようです。筆者はこれまで多くの民権家の屋敷跡を訪ね歩いて来ました。文字通り井戸と塀しか残っていない旧家がありました。

☆夢の後に、下記のような書簡をしたためましたので、公開書簡として発表させて戴きます。「安心・安全祈念像」造立基金の為に。

(前)内閣総理大臣殿 
(元)民主党幹事長殿

冠省

晩春の候、両大兄には益々ご清栄の事とお慶び申し上げます。
さて、両先生に建言(諫言カンゲン)を申し上げます。昔、奈良時代の聖武天皇の御代に大仏造立の詔(743年)が出されました。

その詔の中に
「預かる者は懇(ネンゴロニ)に至れる誠を発し、各(オノオノ)介(オオキ)なる福を招き」
(加わる者は誠を尽くし、大きな福を招くことができるように)
「一枝の草一把の土を持ちて、像を助け造らむと情(ココロ)に願はば、恣(ホシイママニ)に聴(ユル)せ」
(一枝の草、一把の土でも運んで造像に参加したいと願う人があるなら、そのままに許可しなさい)
「この事に因りて百姓を侵し擾(ミダ)し、強ひて収め斂(アツ)めしむること莫(ナカ)れ」
(このことのために人民を苦しめ悩まし、強いて多く税を納めさせるようなことがあってはならない)
(『続日本紀(ショクニホンギ)』天平十五年十月)
の文言のあることは、ご承知の事と拝察申し上げます。

善根の「安心・安全祈念像」を造立するために、史実を踏まえて、以下の五項目を提案させて戴きます。
(案)
(一)福島原発廃炉後の跡地に、「安心・安全祈念像」を造立する為の募金活動を行います。
(二)基金は、東京電力による原発廃炉早期実現に対して影響力を確保するために使い、原発避難自治体の住民の救援にも当てます。廃炉後、同跡地に記念像を造立します。残額は、次世代の安全学・安心学の科学者養成基金に当てます。
(三)募金は一口五万円(金額は未定)で、第一期は日本国籍者に限定し、第二期は世界の人々に御協力を依頼します。全て個人献金とし、目標額は二兆五千億円とします。
(四)福島原発の廃炉を見届けた後、同跡地に、物故した献金者名を刻んだ記念碑を設置します。(沖縄戦の「摩文仁の丘」のように)
(五)造立、建碑の募金運動は、福島において放射能汚染の消滅するまで継続します。(例え何百年、何千年かかろうとも)

小生は、3・11大震災と原発放射能汚染の前に、総選挙による政権交代が日本において実現していたことは、天命であったのではないかと愚考しております。献金で躓き、日本国民の巨大な期待を裏切るような結果になってしまった両大兄に、汚名を拭い、後世に名政治家として名前を刻まれるよう進言させて戴きます。
(一)私財を投げ打ち、「安心・安全祈念像」の造立基金に死力を尽くされ、平成の井戸塀政治家に成られてはいかが。(聖武天皇末裔の陛下は日本国憲法上の制約があるので先頭に立てない)
(二)率先して、国会議員としての給与を、当面、半額返納されたし。(国民の惨状を鑑みて)
(三)両大兄、襤褸(ランル)の御覚悟をなされよ。(骨は後世の心ある歴史家が必ず拾ってくれるはず)

末筆ながら、両老兄の御健康を祈念致しております。未曾有の国難ですから、非礼の段はなにとぞ御容赦の程を。 

不一

房総自由民権資料館(Digital Museum) 主宰

☆筆者は、亡母に「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺をよく聞かされました。一身を犠牲にする覚悟があって、初めて活路を見出し、成就することができるという意味ですね。英語では次のような短文になるようです。
 Fortune favors the brave〈 bold 〉. 
( 運命の女神は勇者に味方する )

☆避難指示区域の牛舎の写真は『 F O C U S 』(新潮社4月20日号)に掲載されています。チェルノブイリの消火活動で命を落とした消防士(6人)の記念像の写真も収録されています。同誌の「精鋭カメラマン・この一枚」の写真の中には、思わず雑誌を持つ手が震える頁がありました。

(2011/04/24)



☆昨日(4月16日)、裏山で孟宗竹の筍(タケノコ)掘りをしました。夕飯は、筍御飯に、筍の煮物に、筍の味噌汁でした。

☆愚妻の定番の(郷土?)料理です。今年は、放射能に対する恐怖感か、妻はまだ芹(セリ)、蕗(フキ)、三つ葉(ミツバ)等、毎春の房総の野草を料理していません。(葉片に見えるのは土埃か放射能か?)

☆樫の根元に置いてある原木から、にょきにょきと椎茸が成長していますが、今季は一度も採集していません。降雨に含まれている放射性ヨウ素とセシウムへの恐怖感です。(例え微量でも) 嗚呼、田舎暮らしの劣化、スローライフの危機!

☆ガソリンスタンドで車に給油をしたときに、フロント・グラスの白い無数の斑点に気が付きました。知人の従業員に「放射能でしょうか?」と聞きましたら、「桜の花粉でしょう」、「放射線は透明ですよ」、「放射能だったら大変です」と言われました。

☆先週、蔵書の武谷三男(タケタニ・ミツオ)編『原子力発電』(岩波新書1976年)と高木仁三郎(タカギ・ジンザブロウ)著『プルトニウムの恐怖』(岩波新書1981年)を、書庫から探し出して久し振りに再読しました。両書とも「 死の灰 Lethal ash 」、「 放射性廃棄物 Radioactive waste 」の処理について危惧を述べています。

◎最後まで残る「死の灰」の始末のつけ方もわからぬままに、大容量の原子力発電所が、ぞくぞくと建設されている現状-まるで「便所のないマンション」が、つぎつぎに建てられているようなものだ。(後略)
(『原子力発電』189頁)

☆全国の原発( Nuclear power plant )は、便所のないマンション( Apartment without the rest room )ですか?

◎放射性廃棄物は、どのような形で管理・処分されようとも、数十万年から数百万年の桁の期間、生物のすむ環境から厳密に隔離されている必要が生じる。しかし、いったいそれだけの長期にわたる確実さを、我々の社会や技術が保障できるだろうか。(後略)
(『プルトニウムの恐怖』204頁)

☆「数百万年」前は、人類の起源であるアフリカの猿人の時代です。「隔離」を「保障」できるはずがない・・・。 武谷氏も高木氏も他界してしまいました。次世代の若い批判的(市民的)原子力研究者は、育っていないのでしょうか。(根絶やしされたか?)(誰に?)前掲書を再読してそんな危惧を抱きました。

☆九州水俣市出身の戦後詩人、谷川雁(タニガワ・ガン)氏は「東京へゆくな」という詩句を残しました。筆者は「大震災で生き残った(異才の)少年少女よ、東京(の)大学を目指すな」と言い置きたいのですが、いかが。

田中正造(タナカ・ショウゾウ)は、「亡国に至るを知らざれば之即ち亡国(ボウコクニイタルヲシラザレバ、コレ、スナワチ、ボウコク)」と国会で発言しました。(1900年)少年少女よ、「亡国」の科学者に、成る莫れ。

☆No more Asio. No more Hirosima. No more Nagasaki. No more Minamata. No more Fukusima. No more anywhere !  Stop, reflect, limit, change and keep security. 

(2011/04/17)



☆3月11日(金)の大震災から一ヶ月が経過しました。今年も庭の岩躑躅が咲いています。春の夜に、こんな夢を見ました。長く続く砂浜の沖の彼方から、放射能(セシウム)によって巨大化したカニが、群れをなして陸地を目指し這って来ます。人家を踏み潰し、山麓方面へ通り過ぎて行ってしまいました。巨大なカニは泣いているようにも見えましたが、泡を吹いていたのか、涙を流していたのかはっきりしません。遠くに霞んでいた尾根は、北上高地か阿武隈高地か。それとも南アルプスであったのか・・・。

☆余震で眠れない夜もあります。「春の夜の夢」は、『平家物語』の歴史観を象徴する文言です。その春の夜に、こんな夢も見ました。放射能汚染によって遺伝子異常を起こした大きなトビウオが、海の彼方から何百匹も飛来して、密集する民家を襲っています。鋭く尖った嘴でニンゲンを啄んでいるようです。老若男女が逃げ惑っていますが、何故か、悲鳴は聞こえて来ません。夢の中で、海底の異変を起こしているのは、「ハヤブサ」が持ち帰った微粒子の中の地球外生命体で、ハリウッド映画のエイリアンやプレデターの姿ではありませんでした。切り立った崖は鋸山か、屏風ヶ浦か・・・。(夏目漱石『夢十夜』の影響?)

☆福島第1原発の事故を受けて、千葉県は4市の水田と畑で採取した土壌を3月31日に初めて検査し、放射性セシウム(Cs-134とCs-137の合計)が次のように検出されたと発表しました。
◎4か所の検出値(水田1キログラム当たり)
 山武市 113ベクレル
 千葉市  90ベクレル
 館山市  35ベクレル
 香取市 247ベクレル
(読売新聞千葉版2011年4月9日)(千葉県HP上でも公開)

☆第1回の検査では、香取市が最大で、館山市が最小です。(朝日新聞千葉版は4市の数値を記載しなかった) 香取市の水田は液状化の被害もあるので気の毒です。政府の発表したコメの作付け制限値は、1キログラム当たり5000ベクレルですから、房総の米作りはひとまず大丈夫です。しかし、地域の自然環境の劣化は時間と共に進行(累積)するかもしれません。(福島県HPデータを比較参照) 東京電力と日本政府は、このような放射能被害のすべての補償を終えるまで(例え何年かかっても)、新規の原発を語ることは許されないでしょう。


☆津波に関する、下記のようなネットニュースを読みましたので紹介します。昨年、岩手県遠野市を旅行したときには気が付きませんでした。浅学を恥じています。
◎「高き住居は児孫の和楽、想(おも)へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」
岩手県宮古市、重茂(オモエ)半島にある姉吉(アネヨシ)地区には、海抜約60メートルの小高い場所に、こう刻まれた石碑が立つ。明治29(1896)年の明治三陸地震と昭和8(1933)年の昭和三陸地震で、津波の激しい被害にあった。昭和三陸地震では、海抜約40メートル近くまで押し寄せた大津波により、生存者はわずか4人を数えるのみだった。その生存者たちが、津波到達地点より、さらに20メートル高い場所に石碑を建立。今回、津波は石碑の約50メートル手前で止まり、石碑より高い場所に避難した住民は全員無事だった。
(産経新聞2011年4月4日7時・抜粋)

☆歴史の重い教訓です。「オモエ reflect 」は復興の「第一原理」かもしれません。病身老躯に鞭打って、今後更に広く歩き続け、より深く考え続けねばならないのでしょうか。昨日も黒い雨(放射能雨)が降りました。
Black rain < radioactive rain > fell again yesterday.

(2011/04/10)



☆一昨年、こんなニュースを読みました。
◎九十九里浜、白里海岸を大量のカタクチイワシが埋め尽くし、千葉県はイワシの死骸を砂浜に埋める作業を行った。(中略)一時は海岸線の波打ち際、長さ約600メートルを数十万匹の死骸が埋め尽くしていた。
(千葉日報2009年12月26日10時・抜粋)

☆鰯の(原因不明の)大量死は、東日本の太平洋岸に暮らす人々の、1年半後の命運であったのです。自然からの警告、天の啓示を、私達は心を研ぎ澄まして受け止めることができなかったようです。

☆もし、東海・東南海沿岸で(又は北海道沿岸で)小魚の何十万という(原因不明の)大量死や、深海魚の(原因不明の)浮上を発見したなら、海岸線の原子力発電所はただちに最小限の稼動に「制限 limit 」し、高い防潮(波)堤を急いで築造しなければならないでしょう。身の毛がよだちますが。中部電力浜岡原発(御前崎市)は、巨大都市の名古屋市や横浜市から僅か100キロ余です。

☆「港町ブルース」3番の歌詞は次の通りです。
◎出船 入船 別れ船
 あなた乗せない帰り舟
 うしろ姿も 他人のそら似
 港、三崎 焼津に 御前崎
 (深津武志・なかにし礼作詞)

☆転ばぬ先の杖。Look before you leap. 天啓を聞き誤っては、更に膨大な犠牲者が発生することになるでしょう。何か予言者めいた物言いになってしまいましたが、御容赦を。西日本の無事を祈念します。

(2011/04/03)

☆今日は筆者61歳の誕生日です。還暦を過ぎて、千年に一度の大震災に遭遇することになろうとは・・・。安心立命の余生は、最早無いようです。老躯の身で耐えきれるかどうか。余震の回数は減り、ガソリンスタンドは平常営業に戻りました。しかし、苦界はこれからも続きます。

☆千葉県内の水道の放射能汚染が、南房総にも迫って来ています。半減期の長い放射性物質セシウム137の堆積は、今後30年間、増えることはあっても減ることは無いでしょう。(トーデンとセーフは何をやっているのか?)世界のクロサワが制作した映画『夢』では、セシウム137が生物の遺伝子異常の原因という指摘がありました。

☆放射能による、農作物汚染、水源汚染、海洋汚染、土壌汚染が今後徐々に拡大するでしょう。チェルノブイリでは、土壌をそっくり入れ替えた事例もあるようです。(子供達は何処へ行くのか?)(類的存続は?)運良く生き残り、天賦の才に恵まれた理論家達は、力を合わせて、復興の諸原理を創出する責務があります。(中途半端な体制派の殻は捨てよ)

☆それは、
(1)地球を痛めつけ過ぎた巨大開発の「停止」
(2)非循環・反自然の産業システムの「転換」
(3)資本の自己増殖に対するエコロジカルな「制限」
に必然的に近づくことになるでしょう。

☆徹底的な「反省」の立場(千年スパンの価値原理)を見出さなければ、復興しても更にとんでもない事態に陥るような気がします。(より、改良された原子力発電の道を再度進むのか?)民衆(国民)は「安心」して生き続けられるでしょうか。

☆筆者の試論ですが、「停止 stop 」、「転換 change 」、「制限 limit 」、「反省 reflect 」、「安心 secure 」が、復興の五原理(順不同)です。もし、まだ間に合うならば・・・。

☆昨日の土曜日は、館山市内の公開講座(安房歴史文化研究会主催)で、「1871年の大嘗祭と主基田」について講演をさせて頂きました。講演後、多くの質問を拝聴することになりました。次回も主基田について考え続け、書き続けます。

☆妻が呟いています。「森進一は、港町ブルースを歌って、被災者慰問チャリティーコンサートをやるべきだ」。過激な発言と思いましたが、もう少し若かったら、自分でトラックを運転してでもプロモートすべきかと・・・。この提言が、森進一さんに届くかどうか分かりませんが付記しました。

☆若い頃に筆者も愛唱した歌詞を、2番のみ引用します。
◎流す涙で 割る酒は
 だました男の 味がする
 あなたの影を ひきずりながら
 港 宮古 釜石 気仙沼
 (深津武志・なかにし礼作詞)

(2011/03/27)



☆余震が継起し、計画停電もあり、夜間は枕元にヘルメットと懐中電灯を置いて寝ているような日々です。JR鴨川駅は、外房線と内房線の終着駅ですが(上り始発駅でもある)、連続して1週間運休し、沿線の高等学校は軒並み臨時休校になりました。地域のガソリンスタンドは、ほとんど休業状態です。(房総半島南部は、陸の孤島か?)

☆かつて、非核都市宣言運動に取り組んだときに(1982年~1984年)、こんな連句を詠んだことがあります。
◇発句:曼荼羅白い花人間を返せ
マンダラ シロイハナ ニンゲンヲカエセ
◇脇:メガトン大火滅びの地球
メガトンタイカ ホロビノチキュウ
(中略)
◇初折の裏11句:原爆忌向日葵倒れ生者の鎖
ゲンバクキ ヒマワリタオレ ショウジャノクサリ
(中略)
◇挙句:骨董の塵非核元年
コットウノチリ ヒカクガンネン
(「非核銚子歌仙」『つくる・つなぐ・ひらくーなのはなのくにの平和教育』汐文社1987年)

☆核兵器と原子力政策への徹底的な批判にはなり得なかったようです。「骨董の塵」ではなく、「放射能の塵」と遭遇してしまいました。先日、地域の郵便局から、寸志を東北・関東大震災義捐金として振り込みました。福島自由民権大学の人達が心配です。

☆黒沢明監督のオムニバス映画『夢』(1990年)に、放射能汚染後の世界(夢)を描いたシーンがあります。遺伝子異常の植物(巨大なタンポポと異形のバラ)や人類(鬼のような姿で哭いている)が登場する物語でした。強烈な映像でしたが、現実になってしまうのかもしれません。

☆今週も史料の紹介を続けます。中山忠能(明治天皇の外祖父)の「祝詞」です。カタカナは筆者の訓読です。
◎祝詞
ノリト
掛巻母恐支八柱大神天神地祇八百萬神御代御代乃天皇都弖三所乃大前尓従一位行神祇伯藤原朝臣忠能恐美恐美母白左久
カケマクモカシコキヤハシラオオカミ アマツカミクニツカミ(テンジンチギ)ヤオヨロズノカミミヨミヨノスメラミコト スベテサンショノオオマエニ ジュイチイギョウジンギハクフジワラノアソンタダヨシ カシコミカシコミモマヲサク

◎今年天皇乃御代乃始乃大嘗聞食左牟尓悠紀主基乃国与利御饌御酒奉出志種々乃物等波大蔵省与利仕奉良牟止為弖
コトシ スメラミコトノミヨノハジメノ オオニエキコシメサムニ ユキスキノクニヨリミケミキタテマツリイデシ クサグサノモノドモワ オオクラノツカサ(オオクラショウ)ヨリツカエマツラムトシテ

◎今日乎生日乃足日止此大前乃神籬尓卜庭神乎坐世奉利卜部尓負弖悠紀主基乃国郡乎卜弊麻迦那波志米弖定米給波牟為乃故尓
キョウヲイクヒノタルヒト コノオオマエノヒモロギニ ウラニワノカミヲマセ(タテ)マツリ ウラベニオワセテユキスキノコクグンヲウラナエマカナワシメテ サダメタマワムタメノユエニ

◎御酒波甕上高知甕腹満並弖青海原乃物鰭広物鰭狭物奥津藻菜辺津藻菜山野乃物波甘菜辛菜菓等乎礼代止脩奉弖
ミキワミカノヘタカシリミカノハラノミテナラベテ アヲミノハラノモノ ハタノヒロモノハタノサモノ オキツモハヘツモハ ヤマノノモノワ アマナカラナカタチヲ イヤシロトオサメ(タテ)マツリテ

◎斎祭良世給布故今年止云年乃間波今年与利始弖殊尓斎麻波里清麻波里仕奉良牟状乎聞食弖
イワイマツラセタマウユエ コトシトイウトシノアイダワコトシヨリハジメテ コトニイワイマワリキヨメマワリツカエマツラムスガタヲキコシメシテ

◎天皇乃朝廷乎始弖天下四国尓波百災起留事無久平気久安気久治米給比幸弊給弊止白須事乎高々尓聞食世止恐美恐美母白須
スメラミコトノミカドヲハジメテ アメノシタヨクニニワモモノワザワイオコルコトナク タイラケクヤスラケクオサメタマイ サキワエタマエトマヲスコトヲタカダカニキコシメセトカシコミカシコミモマヲス

◎次神饌ヲ供ス
(以下略)
(『太政官日誌』1871年5月22日)

☆現在の筆者の心境からは、「天下四国尓波百災起留事無久」という文言が大変印象的です。『太政官日誌』5月22日の卜定関係記録の最後に、卜定結果が記述されています。
◎国郡卜定 
コクグンボクジョウ 

ゴウ
悠紀 甲斐国 巨摩郡
ユキ カイノクニ コマゴオリ
主基 安房国 長狭郡
スキ アワノクニ ナガサゴオリ
(『太政官日誌』1871年5月22日)

☆3月20日(日)の天気予報は雨のようです。(日本に再度「黒い雨 black rain」が降るのか?)
See you again my friend. Have a nice weekend. Never go out today.

(2011/03/20)



☆被災者の皆様に衷心より御見舞を申し上げます。

☆ 2011年3月11日。大きな地震でした。丁度、海岸線近くの道路で信号停止をしていた時でした。鴨川市で此程揺れた(横揺れ)経験は初めてです。そして、生涯にこのような巨大津波に出会うことになるとは思ってもみませんでした。直視するのが恐い位です。

☆加茂川の水が、少し増えたようだと妻が話していました。私たち老夫婦の被害は、今の所軽微です。本棚の文庫本が数冊落ちた程度です。少し大きな余震が来ると、庭に駐めてある自家用車に移動し、茶の間と車を行ったり来たりです。夕方から、小雨もぱらつきました。

☆ライフラインの水・電気・ガスは大丈夫でした。テレビも見ることができます。同夜、おにぎり用の御飯を、少し多めに炊きました。地球の自転(地軸?)の微少なズレが気になります。

☆史料紹介を続けようと思います。新史料や新史実の発見ではないので、地域の「主基田」関係史料の、段階的(巨視的?)整理に過ぎないと言えるでしょう。「微視」の地域民衆史を、「巨視」の中枢権力史(政治史)から再規定する試みです。カタカナは筆者の訓読です。

◎五月廿日
正三位吉田良義 来ル廿二日悠紀主基国郡卜定参勤被仰付候事
ショウサンミ ヨシダヨリヨシ キタルニジュウニニチ ユキスキコクグンボクジョウ サンキンオオセツケラレソウロウコト 

◎鈴鹿煕明  来ル廿二日悠紀主基国郡卜定参勤申付候事
スズカヒロアキ キタルニジュウニニチ ユキスキコクグンボクジョウ サンキンモウシツケソウロウコト

◎山田有年 鈴鹿通安 来ル廿二日悠紀主基国郡卜定ニ付役送勤仕申付候事
ヤマダアリトシ スズカミチヤス キタルニジュウニニチ ユキスキコクグンボクジョウニツキ ヤクソウキン(ゴン)シモウシツケソウロウコト

☆吉田良義は堂上公家、 鈴鹿煕明 、山田有年、鈴鹿通安は京都の吉田神社の社司でした。東京に呼び寄せられたのです。文書の形式は「参勤被仰付」、「参勤申付」、「役送勤仕申付」の3種類があります。

☆卜定当日の式次第は、『太政官日誌』に詳細に記載されています。(何故か、不思議?)貴重であると思われるので、全文を紹介しておきます。

◎神祇官ニ於テ悠紀主基国郡卜定御祭典次第
ジンギカンニオイテ ユキスキコクグンボクジョウ ゴサイテン シダイ
早旦神殿装束ヲ奉仕ス
八字辨参入卜儀ノ具否ヲ問フ
次 神祇官太政官民部省官員着坐
次 大臣辨ヲ召卜儀ノ具否ヲ問フ辨全脩ヲ申ス大臣ト定ヲ命ス辨之ヲ祐ニ傳フ
次 開扉
奏神楽歌
次 祝詞伯奏之

☆以下に、中山忠能(明治天皇の外祖父)の「祝詞」が続きます。紹介は次回にします。巨大な自然災害(人災?)の襲来の渦中で、もし幸運にも、書き続けることができたらですが・・・。

(2011/03/13)


☆悠紀田(ユキデン)と主基田(スキデン)の卜定(神祇官所管)は5月22日ですが、4月中から候補地選定作業(民部省所管)は始まっていました。山陵奉告と斎国(サイコク)選定の作業が同時進行でした。先ずは悠紀田に関する史料です。カタカナは筆者の訓読です。
◎明治4年4月 日詳ナラス 本管内ニ就テ斉田ヲ相セントシ民部省来訪アリ
・・・ヒツマビラカナラズ ホンカンナイニツキテ サイデンヲソウセントシ ミンブショウライホウアリ
(「祭典附録」『山梨県史第2巻』山梨県立図書館1959年・587頁)
悠紀田を記念する石碑(1922年建碑)は、現在、山梨県甲府市の公園(南西第一公園)内にあります。

☆主基田に関する史料(4月12日付)は下記の通りです。『鴨川市史』と『千葉県史』には、大嘗祭の卜定関係史料の翻刻が殆どないので(未だ研究の余地があるということか?)、『安房郡誌』から引用します。
◎御用有之民部省より出役差出候間右先触到着致候様即刻可届候也 辛未4月12日 民政方 (中略) 滑谷村ヨリ坂東村北小町村ヘ可相届候也
ゴヨウコレアリ ミンブショウヨリ シュツヤクサシダシソウロウアイダ ミギサキブレトウチャクイタシソウロウヨウ ソッコクトドクベクソウロウナリ シンビ・・・ミンセイカタ (中略) ヌカリヤムラヨリ バンドウムラキタコマチムラヘ アイトドクベクソウロウナリ
(『安房郡誌』1926年・835頁)
「4月12日」が、史料で確認できる初動の日付です。滑谷(ヌカリヤ)、坂東(バンドウ)、北小町(キタコマチ)は鴨川市内の地名です。主基田を記念する石碑(1916年建碑)は、現在、鴨川市北小町の公園内にあります。

☆甲斐国2郡と安房国2郡が、斎田卜定の候補に挙げられた理由は何であったのでしょうか。偶然(歴史の女神クリオ)の悪戯?それとも新政府(神祇官と民部省)の作為? 神祇伯(ジンギハク)は中山忠能(タダヤス)、民部大輔(ミンブタイフ)は大木喬任(タカトオ)でした。太政大臣であった三条実美の大嘗祭祝詞(ノリト)については後日論及の予定です。

☆卜定の儀式(吉田神社神職担当)は、二つの候補から一つに絞ったに過ぎないと言えます。武田秀章氏の『維新期天皇祭祀の研究』(大明堂1996年)は、候補選定について次のような見解です。
◎ひるがえって考える時、ここで卜定された悠紀・主基両国は、いずれもかつての戊辰戦争の激戦地であった。
(同書272頁)

☆甲斐国内は激戦地で、東山道先鋒総督府参謀は板垣(乾)退助でした。(『板垣退助君傳記・第1巻』原書房2009年を参照) 『明治天皇紀』は、戊辰戦争の房総の擾乱(第1巻)と請西(ジョウザイ)藩主の林忠崇(ハヤシ・タダタカ)の永預(第2巻)を特記しています。
◎江戸を脱走せる旧幕府兵撤兵頭福田八郎右衛門等は木更津に拠り、安房・上総両国の間に嘯集する者凡そ3200人(後略)
(『明治天皇紀・第1巻』688頁)
撒兵(サンペイ)は、フランス人に教練された幕府の洋式歩兵の事です。嘯集(ショウシュウ)者3200人は多いですね。何故、請西藩のあった上総国の木更津周辺(望陀郡)を斎国候補にしなかったのでしょうか? 疑問が残ります。

☆『明治天皇紀・第2巻』は、理由を明記せずに、甲斐国2郡と安房国2郡の選定結果について記述しています。
◎悠紀を甲斐国巨摩郡、若しくは同国山梨郡、主基を安房国長狭郡、若しくは同国平群郡と予定し(後略)
(同書469頁)
誰が、長狭(ナガサ)郡と平群(ヘグリ)郡を候補地と決定したのでしょうか?

☆「激戦地」説以外の説は無いようです。筆者の自説は近日公開? 次回は、京都の吉田神社の神職を出張させて、5月22日に神祇官(東京)において実施された、卜定の儀式について史料紹介の予定です。1969(昭和44)年、吉田神社はバリケードの東側に見えた・・・。

(2011/03/06)


☆還暦を過ぎ、自己の民権研究の終着駅で、「宣命(センミョウ)」の思想的解読に取り組むことになろうとは思ってもみませんでした。今回は、孝明天皇山陵前で奉読された「宣命」のエッセンスを史料紹介します。カタカナは筆者の(オリジナルな?)訓読です。

◎・・・往志明治二年乃春東京尓伊傳麻志弖与利内外乃國乃政乎聞食志治服弊給布(中略)
・・・ユキシメイジニネンノハル トウキョウニイデマシテヨリ ウチトノクニノマツリゴトヲキコシメシ  オサメシタガエタマウ
◎・・・随尓尚東京尓留坐弖御代乃大嘗聞食佐牟事乎今大前尓告左世給布(後略)
・・・マニマニナオ トウキョウニトドマリマシテ ミヨノオオニエキコシメサムコトヲ イマオオマエニツゲサセタマウ
(『太政官日誌』1871年4月8日)

☆「さ」の漢字表記は、「佐」と「左」の2種類が使用されています。東京遷(奠)都と東京大嘗祭を、前天皇(先帝と書くべきか?)に詫びているかのような文言です。孝明天皇の死因は病死説と他殺説が存在します。名著である遠山茂樹氏の『明治維新』(岩波全書初版1951年)には、アーネスト・サトー(英国外交官)が書き残した毒殺談話が和訳で紹介されています。

☆遠山氏自身の見解は、前掲書に下記のように注記されています。前天皇と倒幕派公家の厳しい対立を指摘しています。(即位の祭儀への言及は皆無ですが)
◎孝明天皇が存生していたとすれば、倒幕の「密勅」は実現を見なかったであろうことは疑いない。蓋し文久3年8月18日の政変の責任者である天皇の下では、倒幕派公卿の進出は不可能であった。
◎慶応3年正月、明治天皇が即位するや、尊攘派・倒幕派の親王・公卿の一斉赦免が実行された。中山忠能・正親町三條・中御門はその中にあり、岩倉もまた入京を許され、ここにはじめて彼らの公然たる政治活動が開始されたのであった。
(前掲書212頁)

☆遠山茂樹先生には、昼食時に同席させていただき、談話をした想い出が残っています。お公家さんの世界も物騒ですね。明治天皇の外祖父(生母の父)であった中山忠能と三條(嵯峨)実愛は、1871(明治4)年11月の大嘗祭に参列します。辣腕の岩倉具視は、条約改正交渉の為に洋行し(何故か?)大嘗祭の時は不在です。この辺もかなり微妙です。

☆1866年12月25日(旧暦)の孝明天皇(孝明は追号)逝去について、藤田覚氏の『幕末の天皇』(講談社選書メチエ1994年)は、「悪性痘瘡」という原口清説と「砒素をもられた毒殺」という石井孝説の論争(90年代初頭)を整理しています。
◎孝明天皇陵の調査が・・・許されるのは何時か、皆目見当もつかない。となると、毒殺か病死かを断定するのは困難というしかない。
(同書237頁)

☆孝明天皇逝去後の即位関係記事を、『明治天皇紀(全13冊)』(1933年編集完了)の第1巻と第2巻から抜粋して整理しておきます。
①慶応2年12月25日:遂に崩御あらせらる、宝算36、秘して未だ大喪を発せず、親王、大に哀悼。
②慶応3年1月3日:山陵を京都泉山(センザン)に営造。
③同年1月9日:清涼殿代小御所に於て践祚。
④同年12月29日:孝明天皇の一周聖忌に丁るを以て、般舟三昧院(ハンジュザンマイイン)・泉涌寺(センニュウジ)の両寺に於て法会。
(1868年1月3日:鳥羽・伏見の戦)
⑤明治元年8月27日:紫宸殿に出御、即位の礼。
⑥同年9月20日:京都御発輦(ハツレン)。(10月13日江戸城着)
⑦同年12月25日:孝明天皇の3回聖忌・・・山陵に参拝。(一時在京都)
⑧明治2年3月7日:東幸のため京都を発。(3月28日東京着)
⑨明治2年12月25日:孝明天皇3年祭・・・山陵を遙拝。(在東京)
⑩明治3年12月25日:阿野公誠を勅使として後月輪東山陵に差遣し、陵祭を執行。(在東京)
⑪明治4年11月17日:大嘗祭。(在東京)

☆毒殺説は、韓流歴史ドラマの展開に似ていますネ。筆者が泉涌寺境内の雪見に出かけた頃(70年代前半)は、死因論争はまだありませんでした。次回は、甲斐国の悠紀田(現甲府市)と安房国の主基田(現鴨川市)の、卜定(ぼくじょう)に関する史料紹介を予定しています。

(2011/02/27)



☆1871(明治4)年4月8日の『太政官日誌』には、大嘗祭執行を報告する勅使として徳大寺実則が命じられた沙汰書と、宣命の全文が記載されています。徳大寺実則は西園寺公望(昭和の最後の元老)の実兄でした。カタカナは筆者の訓読です。
◎大納言徳大寺実則 孝明天皇山陵勅使被仰付候事 (御沙汰書写)
(ダイナゴン トクダイジサネツネ コウメイテンノウサンリョウ(ミササギ) チョクシオオセツケラレソウロウコト)

☆『明治天皇紀・第2巻』(吉川弘文館1969年)には、4月の大嘗祭関係事項が次のように記述されています。
◎4月6日 大納言徳大寺実則を勅使として孝明天皇後月輪東山陵に差遣し、・・・本年東京に於て大嘗会を行はせらるる旨を奉告せしめたまふ。・・・京都に至り、17日陵前に参向して宣命を奏し、5月2日帰京復命す。
(同書445頁)

『明治天皇紀・第2巻』の「4月6日」と『太政官日誌』の「4月8日」には、2日程の期日の差異があります。「差遣」と「沙汰書」(追認か?)のずれでしょうか。高木博志氏の『近代天皇制の文化史的研究』(校倉書房1997年)は、『明治天皇紀・第2巻』を典拠にして、「4月6日」の「差遣」を史実として採用しています。(前掲書31頁)

☆孝明天皇の後月輪東山陵(ノチノツキノワノヒガシノヤマノミササギ)は、泉涌寺の境内東側にあります。読み仮名が難しいですが、この寺は大変清潔感の溢れる寺院で、学生時代に何度か(桜の頃や紅葉の頃に)訪れたことがあります。(山紫水明?)雪見に出かけた冬の日は立入禁止でした。

今回もまた懐メロです。久し振りに韓流ドラマにハマっています。かつては、下記のような作品を延々と鑑賞しました。(総鑑賞時間は何千時間?
◇「若者のひなた」(1995年・全56話):ぺ・ヨンジュン(青年映画監督役)とチョン・ドヨン(炭坑町出身の新進女性作家役)が初々しかった。

◇「白夜」(1998年・全20話)」:南北問題が地球的スケールで描かれ、イ・ビョンホン(南の空軍パイロット役)とチェ・ミンス(北のスナイパー役)が競演した。
◇「ホジュン」(1999年~2000年・全64話):豊臣秀吉と同時代の李朝朝鮮の名医が主人公だった。
◇「朱蒙チュモン」(2006年~2007年・全81話):高句麗の複雑で壮大な建国物語だった。

☆最近、「ソル薬局の息子たち My too perfect sons 」(2009年・全53話)をレンタルで、毎夜、延々と鑑賞しています。パク・ソニョン(女性弁護士役)、ユソン(女性外科医役)、綺麗ですネ。BGMもバラード風で素敵でした。ラブコメ? それともトラコメ? 現代のコレアン・ドリームでしょうか。10分に1回の笑顔です。( 笑う門には福来たる! )

(2011/02/20)



☆今週、淡紅色の寒椿が開花し、その花弁に小雪が舞いました。「祭儀論」(『共同幻想論』)の実証的な検討の為に、1871(明治4)年の大嘗祭(ダイジョウサイ・オオニエノマツリ)の史実を、資料に忠実に暫くの間追いかけてみます。(地域の視点を喪失することなく、段階的に)

☆『太政官日誌』3月25日の記録は下記の通りです。カタカナは筆者の訓読です。
◎今冬於東京大嘗会被為執行候旨被仰出候事 (御布告写)
(コントウ トウキョウニオイテ ダイジョウエシッコウセラレソウロウムネ オオセイダサレソウロウコト)
◎大納言嵯峨実愛 大辯坊城俊政 大嘗会御用掛被仰付候事 (御沙汰書写)
(ダイナゴン サガサネナル ダイベン ボウジョウトシタダ ダイジョウエゴヨウガカリ オオセツケラレソウロウコト)
(国立国会図書館「デジタルライブラリー」)
若い頃に較べると格段に便利になり、国会図書館の明治期の資料は自宅のパソコン上で閲覧できます。(周縁の老人に優しいシステム?) 国立公文書館の方は残念ながら未だ部分的のようです。

☆上掲資料は、1871年の大嘗祭の実務が始まったことを証明する基本資料です。『明治天皇紀・第2巻』(吉川弘文館1969年)には、次のように記述されています。
◎3月25日 大嘗会執行の事を布告す
◎祭儀、11月卯の日、天皇、天神地祇を親察したまひ、辰巳の両日、悠紀・主基両国の新穀を聞食し宴を群臣に賜ふ
(同書435頁~436頁)
「悠紀」はユキと読み、「主基」はスキと読みます。「聞食し」はキコシメ(オ)シと読みます。典拠資料として、『太政官日誌』、『公文録』、『明治四年大嘗会記』、『冷泉為理日記』、『福羽美静履歴書』、『諸家系譜』、『法規分類大全』が列挙されていますので信用できる史実でしょう。

☆『明治天皇紀・第2巻』3月25日には、大嘗祭は1870年に行われる予定でしたが、東北地方不安定等の理由で延期されたと記述されています。大嘗会御用掛人事は後に(5月19日)、神祇少副の福羽美静(フクバ・ビセイまたはヨシズ)、神祇大祐の北小路随光(キタコウジ・ヨリミツ)と門脇重綾(カドワキ・シゲアヤ)、従一位の中山忠能(ナカヤマ・タダヤス)も追加任命されています。(上記の公家、国学者の動向は後日詳述の予定)

☆同書には、大嘗祭がニニギノミコト(天孫)以来の祭事であったこと、古代の天武朝前後に大嘗祭と新嘗祭(シンジョウサイ・ニイナメノマツリ)が分離されたことも指摘されています。(この点については他日、碩学の学説整理を予定)では、次回。

(2011/2/13)

☆「幻想」逍遙の最後です。K.マルクスの「幻想」概念は、『経済学・哲学草稿』において経済的幻想に変化しました。筆者のオリジナルな(独断?的)見解です。次のような記述があります。
◎所有欲がたんに金持の消費だけを促すわけではなかろう、というロマン的幻想。
◎経済的であろうとし、幻想に引きまわされて没落する。
(長谷川宏訳『経済学・哲学草稿』「第三草稿・欲求と窮乏」光文社文庫216頁)

☆40年程前に購入した、壮年マルクス(49歳)の大著『 DAS KAPITAL (資本論)』(DIETZ版)にも、「幻想」表現はあります。(索引に illusion は見当たらないが)『資本論』の第1巻第1章第4節「商品の物神的性格とその秘密 Der Fetischcharakter der Ware und sein Geheimnis 」に次のように記述されています。
◎重金主義の幻想はどこから来たか?
◎地代が土地から生じて、社会から生ずるものでないという重農主義的な幻想。
(向坂逸郎訳『資本論(一)』岩波文庫149頁)
『資本論第1巻』の初版は1867年でした。(龍馬暗殺と同年)

☆青年マルクス(25歳)の『ヘーゲル国法論批判』のように、宗教的幻想や政治(法)的幻想ではありません。マルクスの「幻想」(「疎外」と書くべきか?)概念の到達した水準(位相または地平と書くべきか?)は、物神的性格=Der Fetischcharakter であったと言えるでしょう。(第4節には、「狂想」「幻影」「夢幻境」という表現も散見)

☆レーニンの『国家と革命』は、「階級国家」論であるというのが一般的な評価です。しかし、レーニンが「幻想国家」論にまったく無自覚であったかというと、それは違うようです。(深入りはしませんが)次のような新聞(ラボーチー・イ・ソルダート)の論説の記述があります。
◎1917年7月のロシアに立憲的幻想が生まれるなどということは問題になりえない、と思えるかもしれない。だが、それは大きなまちがいである。
(「立憲的幻想について」『レーニン全集』第25巻211頁~226頁)
やはり、懐メロかな・・・。

(2011/2/6)。



☆拙宅では、白梅に3週間程遅れて、紅梅も開花しました。古在由重訳『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫1956年)には、1970年前後の全共闘の Key Concept であった(と思われる)、「自己否定」( Selbstverleugnung ゼルプストフェルロイグヌング)という訳語が登場します。マルクスの著作における初出として指摘できるでしょう。
◎法と法律における自己否定〔克己〕・・・。
◎自己否定と自己主張・・・。
◎『自己と一致する主我主義者』にとってのみ自己否定・・・。
(前掲書194頁)
筆者の懐メロです。

廣松渉編訳(小林昌人補訳)『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫2002年)を読むと、「幻想的な共同性 illusorische Gemeinschaftlichkeit 」という術語が、ほとんど欄外の書き込みであったことが判ります。
◎そして同時に幻想的な共同性として(エンゲルスの書込)。
◎そもそも、普遍的なものというのは共同的なものの幻想的形態なのだ(エンゲルスの書込)。
◎共同的利害の幻想。当初はこの幻想は真実だった(マルクスの書込)。
(同書68頁・69頁・116頁)
筆者には、「分業」概念の好きだったエンゲルスの書込が不思議ですが・・・。

☆K.マルクスとF.エンゲルスの「 illusion 」、「 illusorische Gemeinschaftlichkeit 」概念を一巡りしましたので、再び『共同幻想論』の「祭儀論」に戻ります。では皆様、鳥インフルエンザウイルスに御警戒を。今夕は、鴨川市山間部でも小雪が舞い始めました。

(2011/01/30)



☆鴨川市では、1月3日に白梅が開花し、先週は蒲公英(タンポポ)が咲き始めました。(早過ぎる?)古在由重(コザイ・ヨシシゲ)訳の『ドイツ・イデオロギー』は、長い文章を短文の集積に置換した、簡潔で達意の日本語訳です。1984年の自由民権百年全国集会で、私は偶然、古在の講演(実母の清水紫琴の想い出等)を聴いたことがあります。初々しい感受性に驚きました。(これでマルクス主義哲学者かと?)

☆新旧岩波文庫の『ドイツ・イデオロギー』を比較しながら、思い付いて、新旧『一茶俳句集』も併読してみました。自由律俳句の総帥であった、荻原井泉水(オギワラ・セイセンスイ)編の旧岩波文庫版(1937年)から3句選びます。(筆者青年期の愛唱句?)
◎春風や地蔵の口の御飯粒  (文化11年・1814)
 ハルカゼヤ ジゾウノクチノ ゴハンツブ
◎明六を鳩も諷ふや春の雨  (文政元年・1818)
 アケムツヲ ハトモウタ(ト)ウヤ ハルノアメ
◎子を負て川越す猿や一しぐれ  (文政2年・1819)
 コヲオウテ カワコスサルヤ ヒトシグレ
「子を負て」の句は、水墨画のような風景を詠んでいますね。

☆文政元(1818)年は、一茶の長女が生まれた年であり、K.マルクスの誕生年でもあります。丸山一彦校注『新訂一茶俳句集』(1990年)からは、次の句を選びました。(老境の感傷的鑑賞眼で)
◎田の雁や里の人数はけふもへる  (文化8年・1811)
 タノカリヤ サトノニンズハ キョウモヘル

☆次回は、廣松渉(ヒロマツ・ワタル)編訳(小林昌人補訳)『ドイデ』を比較検討の予定です。インフルエンザ・ウイルスには、くれぐれも御用心を。

(2011/01/23)



☆前回、K.マルクスの「幻想的な共同性 illusorische Gemeinschaftlichkeit 」の初出について指摘しました。『ドイツ・イデオロギー』には、「共同的なものの幻想的な形態 illusorische Form des Gemeinschaftlichen 」という術語もあります。では、吉本隆明さんの著作における「共同の幻想」概念の初出は、いつ頃だったでしょうか?

☆1964(昭和39)年の吉本さんは、『図書新聞』に「マルクス紀行」を連載し、『20世紀を動かした人々1』(講談社)に「マルクス伝」を執筆しました。次のような記述があります。(現在は文庫本で読める)
◎マルクスは宗教、法、国家という幻想性と幻想的な共同性についてかんがえつくし(後略)
(『カール・マルクス』光文社文庫2006年16頁)
◎幻想的な個別性や共同性のカテゴリーが全現実的人間よりも小さいように(後略)
(同書62頁)
◎政治が幻想の共同性であり、社会が個別的な具体性である(中略)
(同書98頁)

☆吉本さんが読んだ(と思われる)『ドイツ・イデオロギー』の序文が、「戦後思想の価値転換とは何か」(『現代の眼』1964年2月号)という論考の冒頭に引用されています。一部分を紹介しましょう。
◎・・・一生涯かかってこの男は重力の幻想と戦った。その間、凡(あら)ゆる統計はこの幻想が有害な結果を齎(もたら)すという多数の新しい証拠を彼に提供した。(後略)
(『吉本隆明全著作集13』勁草書房1969年164頁)

☆しかし、この古風な訳文の典拠は明記されていません。三木清訳(リヤザノフ編)でもなく、古在由重訳(アドラツキー編)でもなく、『マルクス・エンゲルス全集3』(大月書店1963年)の訳文とも一致していません。(吉本さんのオリジナル訳か?)

☆1964年が、「共同幻想」概念の揺籃期であったように考えられます。東京オリンピックが開催され、私は主基(すき)中学校2年生でした。(統廃合で今は存在しない)名著『共同幻想論』(河出書房新社)の初版は、それから4年後の1968(昭和43)年12月でした。

(2011/01/16)



☆吉本隆明さんは、「『ドイツ・イデオロギー』の中で、僕は非常に惹かれたのが、国家は共同の幻想なのだという時評的な文章です。」と語っていますので(『現代思想』2008年8月臨時増刊45頁)、「共同の幻想」という訳語(術語と書くべき?)の周辺を更に逍遥します。

☆手許には、3種類の岩波文庫版『ドイツ・イデオロギー』があります。三木清訳、古在由重訳、廣松渉編訳(小林昌人補訳)です。まず、三木訳の「共同の幻想」について引用します。
◎まさに特殊の利害と共同の利害とのこの矛盾に基いて、共同の利害は、現実の個々の及び総体の利害から分離されて、国家として、一つの独立なる態様をとる、そしてそれは同時に幻想的な共同性として現れるのであるが、(後略)
(リヤザノフ編『ドイッチェ・イデオロギー』岩波文庫1930年61頁)

☆凡ての個人において、共同の利益は、国家として、同時に、幻想として、現れるという洞察です。「幻想的な共同性」は、ドイツ語では「 illusorische〈イルゾーリッシェ〉Gemeinschaftlichkeit〈ゲマインシャフトリッヒカイト〉」 です。(ドイツ語の「WERKE〈ヴェルケ〉版」と「新MEGA〈メガ〉試行版」については、後日論及の予定。 非力を顧みず?)

☆愛用の電子辞書(「百科事典マイペディア」の項)には、リヤザノフ(リャザーノフ)はソ連の文献学者で、本名はゴリデンダフ(1870-1938)と説明されています。1931(昭和6)年に、メンシェビキ支持者として断罪され、党を除名になり獄死しました。ベルンシュタインとK.マルクスの次女ローラ(ラウラ)・ラファルグから草稿を提供されたことが、前掲文庫の「編輯者緒言」に記述されています。1911(明治44)年に、ラファルグ夫妻は他界しました。

☆前掲文庫は著作権が消滅した為か、今ではネット上からダウンロードできます。(奇特な市民がPDF版を公開している?) たつの市出身の三木清(1897年1月生)は、1945(昭和20)年9月26日に獄死した反骨の哲学者でした。三木訳が日本において初訳でないことは、「訳者例言」に記述されています。(初訳は大森義太郎・櫛田民蔵訳)

☆私は1950(昭和25)年生まれですから、もちろん生前の三木清に面会したことはありません。羽仁五郎(歴史家・元参議院議員・国会図書館創設に尽力)の著書や、日高六郎氏の講演から学びました。では、次回は古在由重の訳(1956年刊)を読みましょう。(物故者敬称略)

(2011/01/09)

新年のお慶びを申し上げます。『一茶全集』(信濃毎日新聞社1979年)を年末に読みましたので、約2万句の中から新春の一句を引用させて戴きます。文化元(1804)年の吟です。筆者の拙句は年頭吟です。
◎春立つや四十三年人の飯   一茶
 ハルタツヤ シジュウサンネン ヒトノメシ
◇寒気充ち耳朶に轟く竹の音   凡一
 カンキミチ ジダニトドロク タケノオト

(2011/01/01)

《2010年》


☆年の瀬です。「幻想」逍遥を続けます。ヘーゲル『法の哲学』§304を批判した、マルクスの記述から拾い出します。「幻想」についてドイツ語で、次のように記述されています。
◎幻想的同一性( illusorische Identitãt )。
「ヘーゲル国法論批判」『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫1970年148
◎幻想的な、漠とした二重像( illusorischer unbestimmter Doppelgestalt )。
(同書149頁)
◎なぜなら哲学は宗教をその幻想的な現実性( illusorischen Wirklichkeit )において理解するからである。
(同書161頁)
◎議会と君主権とが事実上一致し和合するかぎりは、それらの本質的一体性の幻想(Illusion ihrer wesentlichen Einheit )は現実的な、したがって実際上のはたらきをする幻想( wirksame Illusion )である。
(同書161頁)
『法の哲学』§305を批判した、マルクスの記述から引用します。マルクスは、ヘーゲルの「立法権」における「家族」規定を批判しています。
◎それは没精神的な家族生活( das geistlose Familienleben )であり、家族生活の幻想( die Illusion des Familienlebens )である。
同書178
『法の哲学』§307を批判した、マルクスの記述から引用します。マルクスは、ヘーゲルの「立法権」における「抽象的権利」を批判しています。

抽象的人格の幻想的権利( illusorische Recht )。
◎抽象的主体性の幻想的在り方( illusorische Dasein )。
◎諸幻想の社会(Sozietãt dieser Illusionen )。
(同書194
「ヘーゲル国法論批判」にはほかに、「幻想的外観」(同書101頁)や「規定する側だと思いこむ幻想」(同書180頁)という使用例があります。『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』(岩波文庫・城塚登訳)の「ユダヤ人問題によせて」にも、「幻想的な律法 illusorisches Gesetz 」(同文庫9頁)と、「幻想的な国籍 chimãrische Nationalitãt 」(同文庫63頁)という術語が確認できます。
☆「ヘーゲル法哲学批判序説」には、青年マルクス(満25歳)の次のような洞察があり、印象的です。
◎民衆の幻想的な幸福( illusorischen Glücks des Volks )である宗教を揚棄(Aufhebung )することは、民衆の現実的な( wirklichen )幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想( Illusionen )を棄てるよう要求することは、それらの幻想( Illusionen )を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷( Jammertales ) への批判の萌しをはらんでいる。
(岩波文庫72頁)

幻想的な( illusorischen )ユートピアから、現実的な(wirklichen)サイエンスへの転位ですね。

☆前掲の「涙の谷(Jammertales」(詩篇84,7)という訳語について注記します。『マルクス=エンゲルス全集第1巻』(花田圭介訳)では「苦界」と訳され、『国民文庫』(真下信一訳)では「憂き世」という訳語が使用されています。『マルクス・エンゲルス選集(新潮社版)』(日高晋訳)では、「苦しいこの世」と訳されています。
☆いずれも味わい深い訳語です。芭蕉翁には「憂き世」を詠んだ秀句がありますので紹介します。
◎花にうき世我が酒白く飯黒し   
 ハナニウキヨ ワガサケシロク メシクロシ
加藤楸邨『芭蕉全句(上)』ちくま学芸文庫192頁)
「白い酒」は安価な濁り酒です。「黒い飯」は、よく搗いた白米の御飯ではありません。芭蕉翁39歳の発句です。
☆上掲の句には、漢詩の前書が付されています。
◎憂方知酒聖
ウレイテワ マサニ サケノセイヲ シリ)   
 貧始覚銭神
(マズシウシテワ ハジメテ ゼニノカミヲ サトル)
(『白子文集』「江南謫居十韻」)
「憂(ヨウ)」と「貧(ピン)」を詩題とする、白居易(バイヂュイイー)と芭蕉のコラボレーションです。
太宰治の最晩年の名作『桜桃』は、夫婦喧嘩の小説です。「涙の谷 ( Jammertales 」について、次のような記述(類的存続?)が遺されました。太宰( Dasein ?)が、「ヘーゲル法哲学批判序説」を読んでいたとは考えられませんが。
◎「涙の谷。」そう言われて、夫は、ひがんだ。しかし、言い争いは好まない。沈黙した。お前はおれに、いくぶんあてつける気持で、そう言ったのだろうが、しかし、泣いているのはお前だけでない。おれだって、お前に負けず、子供の事は考えている。自分の家庭は大事だと思っている。子供が夜中に、へんな一つしても、きっとがさめて、たまらない気持になる。(青空文庫)
☆やっと次回は、「マルクスの諸幻想 Illusionen(イルジオーネン)」逍遥の終点です70年代以降、研究の進展著しい『ドイツ・イデオロギー』の、「共同幻想」に挑みます。では、皆様良いお年を。
(2010/12/26)


今年も又、次のようなネットニュースが流れました。日本(民衆)は悲惨です。歯止めが掛からないようです。

◎自殺者、今年も3万人超確実に。1カ月間の自殺者は2400~2900人台で推移しており、平成10年以降13年連続で、年3万人超がほぼ確実になった。(産経12月6日配信)
「希望」欠乏症?  「愛情」欠乏症? 「金銭」欠乏症? 「憤怒」欠乏症? 「笑顔」欠乏症? 診断や如何? 名医は何処?(「スギノワイズコ?」では無いだろう)

☆さて、「幻想」逍遥の続きです。前回の「統治権」論から、今回は「立法権」論へ移ります。ヘーゲル『法の哲学』§298~§313までの、全面的な批判です。
◎議会的要素は国家的事柄が国民的事柄として幻想的に存在(illusorische Existenz)する仕方である。
◎公共事(allgemeine angelegenheit)が公共事、公事であるという幻想(Illusion)
◎議会的要素は市民社会の政治的幻想(politische Illusion)である。
「ヘーゲル国法論批判」『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫1970年111頁)
『マルクス=エンゲルス全集第1巻』大月書店1959年299頁
「議会」も「公共事」も、「普遍性」から「幻想」に転化し易いという洞察です。公共性も「幻想」であるとは、ラディカルな見解ですね。

☆マルクスは立法権について以下のように述べています。
◎立法権(gesetzgebende Gewalt)はフランス革命をやった。
◎立法権が国民の代表であり、類意志(Gattungswillens)の代表であったからにほかならぬ。
◎新しい憲法(neue Verfassung)を設ける権利は無条件的に肯定されねばならない。
「ヘーゲル国法論批判」『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫1970年102頁)
『マルクス=エンゲルス全集第1巻』大月書店1959年260頁
人民主権を主張したJ.ルソーの系譜に連なる見解です。マルクスは更に、「立法権」と「憲法」が衝突した場合は、『社会契約論』の一般意志は「幻想」に転落すると指摘しています。(現代世界の憲法状況はどうか?)

☆マルクスの「類」概念は、「ユダヤ人問題によせて」において、次のように整理されています。
①「人間が抽象的な公民(abstrakten Staatsbürger)を自分のなかに取り戻」す関係。
②「人間が固有の力(forces propres)を社会的な力(gesellschaftliche Krãfte)として認識し組織」する関係。
③「社会的な力を政治的な力というかたちで自分から分離しない」関係。
④「人間的解放(menschliche Emanzipation)は完遂」された関係。
⑤「類的関係そのもの、男女の関係( Das Gattungsverhãltnis selbst, das Verhãltnis von Mann und Weib.)」。
ユダヤ人問題によせて・他』岩波文庫1974年53頁・63頁)
(MARX ENGELS WERKE 1, Dietz Verlag Berlin 1.Auflage 1956 )
(『ヘーゲル批判』新潮社1957年73頁・79頁)
『マルクス=エンゲルス全集第1巻』大月書店1959年407頁・412頁) 
『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫1970年313頁・321頁
(MARX / ENGELS GESAMTAUSGABE Ⅰ/2, DIETS VERLAG BERLIN 1982

ユダヤ人問題によせて」で、「類」概念について整理した部分の前後には、J.ルソーの『社会契約論』(第2編第7章立法者について)の中の一文(個人の力と全体の力の関係についての考察)が、フランス語原文のまま引用されています。「類」概念もJ.ルソーの系譜と言えるでしょう。 

☆ヘーゲルの『法の哲学』は、立法権の内に君主権(契機)と統治権(契機)を含め、権力分立と相互制限を、「国家の一体性」同書§300という視点から否定しています。さすが、ドイツ観念論哲学です。(しかし、モンテスキューの三権分立以前か?)

☆ヘーゲルとマルクスに共通しているのは、1689年に出版されたJ.ロックの『市民政府二論(統治二論)』(先月、全訳の岩波文庫版が発売されたが)にまったく言及していない点です。ロックの主張した、自然状態における自己保存と平和、最高権力としての立法権、抵抗権と革命権についての検討は、両著(『法の哲学』『ヘーゲル法哲学批判序論』)共に皆無です。(人名索引にもない)エンゲルスが「イギリスの状態」(『マルクス=エンゲルス全集第1巻』所収)という小論で、(唯物論的)科学史の視点から僅かに触れているだけです。

☆イギリスの1688年の名誉革命を擁護した『市民政府二論 Two Treatises of Government』には、「権力」という Key Word が頻出します。では次回。
◇春近き心の急くや樫と棕櫚   (凡一)
 ハルチカキ ココロノセクヤ カシトシュロ   (ボンイツ)
(2010/12/12)



☆鴨川市内の書店に並んでいた、雑誌『現代思想』のバックナンバーを立ち読みしていましたら、偶然、吉本隆明さんの近年の対談に出会ってしまいました(2008年8月臨時増刊号)。『共同幻想論』について、次のような談話が気になり、衝動買いしました。(定価1400円)
◎マルクスの書いたものの中で、これは原本を確かめたわけではないのですが、国家というのは幻想の共同体だということが言われているのですね。(前掲書42頁)
◎病気のことと、拡大する産業規模をどこで止めるか・・・抜け道があるのかということを考えることが今の課題だろうと思います。(前掲書75頁)

☆偶然の天啓に導かれて、しばらく「幻想」というKEY(鍵)CONCEPT(概念)について、原書と翻訳の周辺を逍遥してみる気になりました。
◎この「国家形式主義」が現実的勢力として成立し、それ自身にとって一つの独自な実質的内容となるのであるから、「官僚制」が実践的諸幻想の織物、あるいは「国家の幻想」であることは自明のことである。
(『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫1970年83頁)
『マルクス=エンゲルス全集第1巻』大月書店1959年282頁)

☆マルクスの著作における「幻想」という用語の初出です。前掲の文章の言いたいことは、あまり難しく考えないほうが賢明であると思います。要するに官僚制は「幻想」(ウッソー、アリエナーイ!)(ウッセー、アリエネー!)と受け止めれば良いでしょう。

☆ドイツ語のセンテンスをそのまま引用するのは煩瑣になるので、用語のみを拾い上げます。「実践的諸幻想の織物」は ein Gewebe von praktishen Illusionenです。「国家の幻想」はdie Illusion des Staats です。官僚制は、諸幻想(Illusionenイルジオーネン)であると言い切っています。(イルミネーションではない)

ヘーゲル『法哲学』(世界の名著35中央公論社1967年)には、「国家の幻想」という訳語は見当たりません。(索引にもない)『法哲学』は三部構成で、第一部「抽象的な権利ないし法」、第二部「道徳」、第三部「倫理」となっています。第三部は全3章からなり、1章「家族」、2章「市民社会」、3章「国家」という順序です。家族論は流石に鋭敏ですが、国家論は立憲君主制の擁護に堕しています。上掲の青年マルクスの文章は、「国家」の章の「統治権」(§287~§297)を批判した部分です。

☆還暦を過ぎ、ようやく『法哲学』をじっくり(寝ころんで?)読む時間的余裕もできました。では、次回もIllusionイルジオーン逍遥の予定です。

(2010/12/5)


☆冬が近づくと俳句ができます。まずは、最近のパロディー句(略してパロ句)を、三句記します。
◇初時雨薔薇もルージュに咲いて散り  凡一
 ハツシグレ バラモルージュニ サイテチリ
〈ハツシグレ サルモコミノヲ ホシゲナリ〉
拙宅の南側(ガーデン?)に咲いた、深紅の薔薇の大輪を凝視して詠める。本句の「コミノ」は「小蓑」。

◇凩に狂うや匂う百合の花  凡一
 コガラシニ クルウヤニオウ ユリノハナ
〈コガラシニ ニオイヤツケシ カエリバナ〉
「凩」が季語です。異常気象の所為か、庭の白百合が突然咲き、驚いて詠める。本句の「カエリバナ」は「帰花」と書き、水仙の異称。

◇加茂川や真鯉鰭打つ冬の音  凡一
 カモガワヤ マゴイヒレウツ フユノオト
〈フルイケヤ カワヅトビコム ミズノオト〉
川に棲む大鯉の、水面に跳ねるを眺めて詠める。鯉は真鯉と緋鯉。

☆いずれも本句取りの吟です。本句はすべて芭蕉で、〈 〉内にカタカナで示しました。来週はいよいよ師走です。旧句(40代の頃)を一句思い出しました。
◇麺麭一枚喰って飛び去る師走かな  凡一
 パンイチマイ クッテトビサル シワスカナ
◎田一枚植て立ち去る柳かな  芭蕉
〈タイチマイ ウエテタチサル ヤナギカナ〉
こんなパロ句を詠んでいては、冥土の芭蕉翁が嘆くかな?(破門!)

(2010/11/28)


☆現代日本語作家であるリービ英雄氏の、『英語でよむ万葉集』は最近の愛読書です。繰り返し読んだ岩波新書の一つです。今回は、子どもを詠んだ山上憶良の長歌と短歌を一首ずつ鑑賞します。
◎立ち躍(をど)り 足すり叫び 伏(ふ)し仰(あを)ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 吾(あ)が子飛ばしつ・・・
(万葉集巻五904)
◎若ければ道行(みちゆき)知らじ弊(まひ)はせむ黄泉(したヘ)の使負ひて通らせ
(万葉集巻五905


☆二首共に、幼くして病死した男子(名前は「古日フルヒ」)を詠んだ和歌です。リービ英雄氏は、長歌904の一節を次のように英訳しています。
◎タチオドリ
 I leaped and danced,
 アシスリサケビ
 I stamped and screamed,
 フシアオギ
 I groveled to the earth and glared at heaven,
 ムネウチナゲキ
 I beat my breast and wailed.
 テニモテル
 I held in my hands,
 アガコトバシツ
 I have let fly the child.
(『英語でよむ万葉集』岩波新書2004年209頁)

☆悲運の光景を歌っていますが、父親の子どもに対する愛情が1300年の時空を超え、ひしひしと伝わって来ます。「吾が子飛ばしつ(アガコトバシツ)」という表現を、リービ英雄氏は同書において、「見たことのない、日本語の絶唱」と絶賛しています。類的存在(存続)概念からは凄い批評です。読書の醍醐味ですね。(生きていて良かった)

☆短歌905については下記のような英訳です。
◎ワカケレバ
 He is young,
 ミチユキシラジ
 and does not know the way,
 マイワセン
 I shall send you an offering.
 シタエノツカイ
 O bearer of Hades,
 オイテトオラセ
 Carry him there on your back.
(『英語でよむ万葉集』岩波新書2004年212頁)

弊はせむ(マイワセン)」は、贈り物をしようという意味です。リービ英雄氏は、「東アジアの親なら誰でもする仕草」と指摘しています。「黄泉の使(シタエノツカイ)」は、あの世への使いの者という意味です。「負ひて通らせ(オイテトオラセ)」は、我が子(フルヒ)を背負い、通って戴きたいという意味です。(中西進『万葉集』講談社文庫1978年参照)

☆ハーデースはギリシャ神話における冥界の神ですから、bearer of Hades は随分思い切った英訳です。Hades は、最近の3D映画「タイタンの戦い」でもゼウスの兄として登場し、勇者ペルセウスと戦っていました。
(秋の星座のアンドロメダ、カシオペア、ペガスス、メドゥーサ?も共演)

☆今回は、筆者の愛唱歌である「貧窮(びんぐう)問答歌」は鑑賞からはずしました。リービ英雄氏の著作では、『延安』(岩波書店2008年)も示唆に富む書物です。

(2010/11/21)

勝海舟の俳句について続けます。前回は、松浦玲他編『氷川清話』(講談社学術文庫2000年)の「六、文芸と歴史」の章から引用しました。今回は、「一、履歴と体験」の章に掲載の発句(ほっく)を鑑賞します。
◎南洲の後家と話すや夢のあと  海舟 
 ナンシュウノ ゴケトハナスヤ ユメノアト
無季の発句です。「南洲」は西郷隆盛(吉之助)さんの雅号ですね。上掲の句には「今の人は、この句の意を知るまいヨ」と付記されています。

☆私は、海舟の「夢のあと」の本句は、『おくのほそ道』(25平泉)の名吟ではないかと推測しました。
◎夏草や兵共が夢の跡  芭蕉 (1689年)
 ナツクサヤ ツワモノドモガ ユメノアト
季語は「夏草」です。源義経の遺跡高館(たかだち)での吟詠です。

☆ドナルド・キーン氏は、上記の句の「兵共」を brave soldiers と英訳しています(『英文収録・おくのほそ道』講談社学術文庫125頁)。brave は、さすがという感じです。また、杜甫(ドゥーフー)詩の「国(グオ)破(ポー)山(シャン)河(ハー)在(ザイ)」を Countries may fall, but their rivers and mountains remain, と英訳しています。筆者は、「在」を remain と英訳するのは納得できますが、「破」は fall(陥落)ではなく ruin か defeated のイメージです。(違うかな?)

☆海舟の「句意」は、義経及び弁慶郎党と、西郷隆盛一党の命運を重ねて詠むということではないでしょうか。明言すれば、当時の明治政権(第2次伊藤内閣・第2次松方内閣)の根幹を批判することになるので、このように曖昧に語ったと考えられます。第2次伊藤内閣の陸軍大臣は大山巌(隆盛さんの従弟)、海軍大臣は西郷從道(実弟)でした。

☆もう一句、「五、勇気と胆力」の章から引用します。
◎いざ老も気力くらべむ雪の梅  海舟
 イザオイモ キリョククラベン ユキノウメ
「梅」が季語で、初春です。この句には「まー、おれの発句でもお聞きよ」という前置と、「世間の人間相手はもう嫌になった。梅と気力比べもまた風流だ」という付記があります。『国民新聞』(1896年1月)連載の記事が出典です。同句は、編集方針の違いか、角川ソフィア文庫版には記載されていません。

☆「いざ老も」の本句は下記の句ではないかと推定しました。
◎いざ子ども走り歩かむ玉霰  芭蕉 (1689年)
 イザコドモ ハシリアル(リ)カン タマアラレ
霰が降ってきた、子ども達よ走り回ろうという意味の秀句です。芭蕉翁、元禄2年の吟です。過ぎ去った童心を懐かしんでいるかのような情景です。子ども達を詠んでいますが、一茶(「雪とけて村一ぱいの子ども哉」)とは、やはり句風が異なります。(甲乙は保留?)

☆海舟には、まだ幾つかパロディー句(パロ句)があります。まー、この位で止めておきます。


2010/11/14)


パロディー句(略してパロ句)の先達について、少し脱線して紹介しておきます。勝海舟の『氷川清話(ひかわせいわ)』は長年の愛読書です。手許には、角川ソフィア文庫と講談社学術文庫と全集版(講談社)の三種があります。同書において、勝海舟(1823~1899)は松尾芭蕉(1644~1694)の本歌取を公然と語っています。(本「句」取か?)
◎道ばたの木槿は馬に喰はれけり  芭蕉
 ミチバタノ ムクゲハウマニ クワレケリ
(『氷川清話』講談社学術文庫300頁)
◎昼顔のとがまを洩(漏)れてさきにけり  海舟 
 ヒルガオノ トガマヲモレテ サキニケリ
(同書300頁)

☆「道ばたの」は、紀行文『甲子吟行』では「道のべの」と表記されています。「木槿」は秋の季語です。拙宅の垣根では白い花が咲きます。「昼顔」は夏の季語です。「とがま」は「外構え」のことと解釈します。平穏な風景の吟詠です。もし、切れ味鋭い「利鎌」の意味でしたら、剣術家らしい緊迫感のある情趣に詠み変えたと言えます。(海舟は島田虎之助について剣術修行)

☆もう一つ、「稲妻の行く先見たり不破の関」が芭蕉の発句として語られ、パロ句が詠まれています。同句は勝海舟の記憶違いで、本(もと)の句は「秋風や藪も畠も不破の関(アキカゼヤ ヤブモハタケモ フワノセキ)」(『甲子吟行』1684年)です。編者であった歴史家の松浦玲氏は、『氷川清話』全編にわたって明敏な史料批判の注を執筆しています。しかし海舟の引用した本句が、芭蕉全句の中に存在しないことを見落としたようです。(むろん角川ソフィア文庫も)

☆勝海舟には子供を詠んだ俳句があります。
◎夜(外)の雪草鞋もぬがで子を思う  海舟
 ヨル(ソト)ノユキ ワラジモヌガデ コヲオモウ
(『氷川清話』講談社学術文庫301頁)
講談社学術文庫版は「夜の雪」と記載され、角川ソフィア文庫版は「外の雪」と記載されています。異稿でしょうか、それとも誤植でしょうか。海舟の長男の子鹿は、1852(嘉永5)年に誕生しました。

長年の間、熟読玩味しましたので、『氷川清話』からは沢山のことを学んでいます。影響を受けた談話を一つだけ紹介します。
◎おれが長州へ談判に行った時、井上は顔へ膏薬を貼って出て来たが、これは反対党に斬られたのだといふことだった。その胆力に至っては、伊藤などはとても及ばない。
(『氷川清話』講談社学術文庫150頁)
「井上」は「井上馨(聞多)」のことですね。「伊藤」は「伊藤博文(俊輔)」です。筆者は是迄、井上馨関係の資料を収集して来ました。拙論「房総の三大事件建白運動」(『底点の自由民権運動』所収)においては一瞥しただけで、その後は埃を被っています。井上馨は不平等条約改正の当事者でした。

☆11月(霜月)になりました。房総半島では、今年はまだ霜は降りないようです。
◇初霜や命安堵の草の色   凡一   
 ハツシモヤ イノチアンドノ クサノイロ
筆者50代前半の拙句です。幾らか体調が回復し、雑草の生い茂る畑を見て詠める。


2010/11/7)

パロディー句(略してパロ句)の先達について、少し脱線して紹介しておきます。勝海舟の『氷川清話(ひかわせいわ)』は長年の愛読書です。手許には、角川ソフィア文庫と講談社学術文庫と全集版(講談社)の三種があります。同書において、勝海舟(1823~1899)は松尾芭蕉(1644~1694)の本歌取を公然と語っています。(本「句」取か?)
◎道ばたの木槿は馬に喰われけり  芭蕉
 ミチバタノ ムクゲハウマニ クワレケリ
(『氷川清話』講談社学術文庫300頁)
◎昼顔のとがまを洩(漏)れてさきにけり  海舟 
 ヒルガオノ トガマヲモレテ サキニケリ
(同書300頁)

☆「道ばたの」は、紀行文『甲子吟行』では「道のべの」と表記されています。「木槿」は秋の季語です。拙宅の垣根では白い花が咲きます。「昼顔」は夏の季語です。「とがま」は「外構え」のことと解釈します。平穏な風景の吟詠です。もし、切れ味鋭い「利鎌」の意味でしたら、剣術家らしい緊迫感のある情趣に詠み変えたと言えます。(海舟は島田虎之助について剣術修行)

☆もう一つ、「稲妻の行く先見たり不破の関」が芭蕉の発句として語られ、パロ句が詠まれています。同句は勝海舟の記憶違いで、本(もと)の句は「秋風や藪も畠も不破の関(アキカゼヤ ヤブモハタケモ フワノセキ)」(『甲子吟行』1684年)です。編者であった歴史家の松浦玲氏は、『氷川清話』全編にわたって明敏な史料批判の注を執筆しています。しかし海舟の引用した本句が、芭蕉全句の中に存在しないことを見落としたようです。(むろん角川ソフィア文庫も)

☆勝海舟には子供を詠んだ俳句があります。
◎夜(外)の雪草鞋もぬがで子を思う  海舟
 ヨル(ソト)ノユキ ワラジモヌガデ コヲオモウ
(『氷川清話』講談社学術文庫301頁)
講談社学術文庫版は「夜の雪」と記載され、角川ソフィア文庫版は「外の雪」と記載されています。異稿でしょうか、それとも誤植でしょうか。海舟の長男の子鹿は、1852(嘉永5)年に誕生しました。

長年の間、熟読玩味しましたので、『氷川清話』からは沢山のことを学んでいます。影響を受けた談話を一つだけ紹介します。
◎おれが長州へ談判に行った時、井上は顔へ膏薬を貼って出て来たが、これは反対党に斬られたのだといふことだった。その胆力に至っては、伊藤などはとても及ばない。
(『氷川清話』講談社学術文庫150頁)
「井上」は「井上馨(聞多)」のことですね。「伊藤」は「伊藤博文(俊輔)」です。筆者は是迄、井上馨関係の資料を収集して来ました。拙論「房総の三大事件建白運動」(『底点の自由民権運動』所収)においては一瞥しただけで、その後は埃を被っています。井上馨は不平等条約改正の当事者でした。

☆11月(霜月)になりました。房総半島では、今年はまだ霜は降りないようです。
◇初霜や命安堵の草の色   凡一   
 ハツシモヤ イノチアンドノ クサノイロ
筆者50代前半の拙句です。幾らか体調が回復し、雑草の生い茂る畑を見て詠める。


2010/11/7)


日本史上において、子供を詠んだ歌人の双璧は、『万葉集』の山上憶良と江戸時代の良寛です。今回は、良寛の残した約1400首の短歌から次の一首を鑑賞します。
◎霞たつながき春日を子供らと手毬つきつつこの日くらしつ
 カスミタツ ナガキハルヒヲ コドモラト テマリツキツツ コノヒクラシツ
(『良寛全集・下巻』東京創元社7頁)
村の子供達と遊ぶ曹洞宗の禅僧の姿が思い浮かぶ名歌です。

☆夏目漱石は上掲の短歌について、パロディー句(略してパロ句)を句作しています。
◎良寛にまりを(手毬)つかせん日永哉  漱石   *( )内は異稿。
 リョウカンニ マリヲ(テマリ)ツカセン ヒナガカナ
(『漱石俳句集』岩波文庫189頁)
「日永(ひなが)」は春の季語です。1914(大正3)年の発句ですが、どの様な心情で詠んでいるのか筆者には不明です。47歳であった漱石は、子供と遊ぶ禅僧の境地に憧れたのかもしれません。

☆良寛には、約100句の俳句が残されています。子供を詠んだ句を一句引用します。
◎さわぐ子のとる智慧はなしはつほたる  良寛
 サワグコノ トルチエワナシ ハツホタル
(『良寛全集・下巻』東京創元社315頁)
「ほたる」は夏の季語です。宵に蛍を追いかける子供達の姿が眼に浮かびます。

☆良寛にも明らかにパロディー句(略してパロ句)と思われる俳句があります。
◎新いけやかはづとびこむ音もなし  良寛
 アラ(ニイ)イケヤ カワヅトビコム オトモナシ
(『良寛全集・下巻』東京創元社314頁)
「かわづ」は春の季語です。上掲の句は、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水のをと」(『春の日』1686年)のパロディー句(略してパロ句)であることは間違いないでしょう。(本当に良寛の句?)

☆筆者にも「古池や」のパロ句があります。しかし、意図的にパロディー化した訳ではなく、無意識に韻律を模倣してしまったようです。
◇梅雨寒や青梅落ちる風の音  凡一
 ツユザムヤ アオウメオチル カゼノオト
「梅雨寒」と「青梅」が季重なりです。強風の日、自宅裏の梅園を窓から眺めて詠んだ拙句です。闘病中の40代でした。(高血圧で倒れ救急車で搬送された)

☆良寛禅師には、西行(1118~1190)の名歌である「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」(『新古今和歌集』)のパロディー句(略してパロ句)と思われる俳句もあります。(パロ歌かな?)
◎同じくは花の下にてひと夜寝む  良寛 
 オナジクワ ハナノモトニテ ヒトヨネム (ソノキサラギノ モチヅキノコロ?)
(『良寛全集・下巻』東京創元社314頁)

☆良寛老師は、破礼(バレ)句のような俳句も残しています。(前掲書316頁の「柿もぎ」の句を参照) このような系列の俳句は、小林一茶の方が独壇場でしたね。越後の良寛(1756~1831)と信濃の一茶(1763~1827)は同時代でした。
◎木がらしに女だてらの股火かな  一茶
田辺聖子『ひねくれ一茶』講談社文庫37頁)
田辺聖子氏の『ひねくれ一茶』は力作でした。「木がらし」は冬の季語です。

☆俳聖の松尾芭蕉は、破礼(バレ)句のような発句は全く残しませんでした。さすがは蕉(正)風俳諧です。現存する約1000句の発句の中で、強いて取り上げるならば『おくのほそ道』の次の一句です。
◎一つ家に遊女もねたり萩と月  芭蕉
 ヒトツヤニ ユウジョモネタリ ハギトツキ
(『英文収録・おくのほそ道』講談社学術文庫63頁)
「萩」と「月」が季重なりです。芭蕉にも例外の句はあります。1689(元禄2)年の7月のことでした。

☆ドナルド・キーン氏は上掲の句を次のように英訳しています。
 Under the same proof
 Prostitutes were sleeping
 The moon and clover.
(『英文収録・おくのほそ道』講談社学術文庫108頁)
Prostitute はオックスフォード現代英英辞典(電子辞書)に拠ると a person who has sex for money と説明されています。

☆しかし、通行の難所(新潟県糸魚川市)の「親知らず」( Parents Forget Their Children )と「子知らず」( Children Forget Their Parents )を越え、芭蕉と曾良は疲れ果てていたと『おくのほそ道 THE NARROW ROAD TO OKU 』(34市振)には記述されています。「市振(いちぶり)」の章は、一巻の中において異色です。

☆筆者は、タイトルの NARROW ROAD を「海浜 seacoast」(25頁・159頁)でもなく、「田野 fields」(50頁・126頁)でもなく、森々たる「高山 high mountains」(52頁・123頁)でもなく、「氷雪 snows that never melt」(56頁・117頁)でもなく、「難所 dangerous places」(62頁・109頁)であった断崖の細道としてイメージします。( Parents and their children forget each other.) 上掲の句は人生の悲哀を詠んだ名句であり、猥雑さとは無縁です。

霞たつ」の短歌から「一つ家」の俳句まで、思いつくままに鑑賞しました。晩秋の休日、大型の台風が房総沖を通過し、明日からは11月です。
◇行けど草行けど林の野分哉  凡一
 ユケドクサ ユケドハヤシノ ノワキカナ
季語は「野分」です。漱石のパロ句ですが。(『漱石俳句集』岩波文庫520番参照)


2010/10/31)


『共同幻想論』(特に「対幻想」)について、現時点で整理(相対化)しておくべきことの Key Point は書き終わったような気がします。『遠野物語』と『初版・グリム童話集』(白水社)の恐さ較べは、興味深いテーマです。ヘーゲルについても、まだ『精神哲学』(岩波文庫)を検討していません。振出しに戻って「主基田(すきでん)」、「悠紀田(ゆきでん)」について、もう少し論点を整理しておきます。ボチボチ書き続けます。

☆『古事記』は712年成立(平城遷都2年後)ですから、2012年に1300周年を迎えることになります。100周年の『遠野物語』を長さ1㍍と考えれば、『古事記』は13㍍ということになります。13倍(130倍、1300倍ではない)の昔ということになりますが、怯むことはないように思います。

☆「常民」(ミンカンデンショウ)概念は、「権力」(文書編纂)正史に拮抗するというのが、柳田民俗学のスタンスであったと理解しています。「権力」、「底点」、「類的存続」、この三つが筆者の Key 概念です。叙述は、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のように断章(短命題)風に。(バラバラで、わからへん?)

☆『共同幻想論』は「祭儀論」の章の途中で、分析対象が『遠野物語』から『古事記』神話に転換します。民間伝承と神話は同格に扱われています。
◎だが穀物の生成については、わたしたちは北方民譚である『遠野物語』を捨てなければならない。
(『改訂共同幻想論』角川ソフィア文庫1982年「祭儀論」144頁)
◎悠紀、主基殿の内部には寝具がしかれており・・・なにものかの〈死〉と、なにものかの〈生誕〉を象徴するものといえる。
(前掲書「祭儀論」150頁)

明晰ですね。二十歳の頃に引き戻されそうです。しかし〈生誕〉の連続への推論が途切れていると言わざるを得ません。

☆『共同幻想論』はイザナキとイザナミの神話を二箇所引用しています。出典の明記がないので、詩人の吉本隆明氏自らの現代語訳であったのかもしれません。今回の読書で、再認識させられました。「祭儀論」の章では『古事記』の「黄泉の国」神話が検討され、「対幻想論」の章では「二神の結婚」(よく子供向け絵本になっている)神話が検討されています。

筆者の「類的存在(存続)」概念からは、吉本氏が引用しなかった部分(「黄泉の国」後段)が大変重要であるように思われます。イザナキは、死後の世界へイザナミを訪ねて行きました。かつて愛し合ったイザナミ(元カノ?)とイザナキ(元カレ?)が交わしたヨミノクニ(ヨモツクニ)入口付近における会話(夫婦喧嘩? or 別れ話?)です。
◎「いとおしい我が夫よ、あなたがこんなことをなさいますならば、あなたのクニの人間を、一日に千人、首を絞め殺しましょう」。
◎「いとしい妻よ、おまえがそうするなら、自分は一日に千五百の産屋を建てよう」。
(『新版古事記』角川文庫265頁)

☆私には、両名の問答がけっして呪詛では無く、優れた(求愛の)相聞歌のように聞こえます。それとも運命に抗しえない個への挽歌なのか?1日に1000人は他界しますが、1500人は誕生します。日毎に、500人の人口増(類的存続)です。

☆国学者であった本居宣長の大著『古事記伝』は、この人口増について、儒学の「天命」説を否定し、イザナキの「御恩頼(ミタマノフユ)」に因ると記述しています。(『古事記伝(二)』岩波文庫1941年32頁) 「ミタマ」は「御霊」か「御魂」で、 「フユ」は「殖ゆ」か「振ゆ」であるようですが、筆者は「類的存在(存続)」概念で解釈します。「対幻想」と「共同幻想」の「同致」で相対化できるのでしょうか?

☆では次回。季節の変わり目です。風邪には気を付けて下さい。快癒するのに、筆者は2週間程かかりました。

2010/10/24)


☆ヘーゲルの『精神現象学』で、前回触れることができなかった箇所を検討します。
◎女性が娘として両親を見るとき、両親は自然の運動にうながされ、共同体のおだやかな承認のもとに消えていくものに見える。親子関係を踏み台にして娘は自立した存在になるのだから。両親との対等な関係のうちに娘が自分の自立を感じとることはない。(長谷川宏訳『精神現象学』Ⅵ精神a共同の世界-人間の掟と神の掟・男と女、作品社1998年308頁~309頁))

☆対等な関係の紐帯(ちゅうたい)と自立はあるというのが筆者の(ヘーゲル批判の)見解です。母・娘関係は身の回りに無数に存在します。母と娘の親子関係(娘の自立)について、『共同幻想論』の「対幻想論」の章ではほとんど論じられていません。(「母制論」の章でイザイホウの分析はあるが「自立論」ではない)母・娘関係に無反応であったと言ってもいいでしょう。吉本氏は近代日本文学の主要な論点ではないと判断したようです。同章で論じられているのは森鴎外(『半日』)と夏目漱石(『道草』)の夫婦関係です。

☆『遠野物語』の中から母・娘関係が語られている(と思われる)民間伝承を一つ引用します。「番号55」の伝承です。(MATUIの背番号と同じ)
◎・・・二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きはめて醜怪なるものなりき。(中略)
◎深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々いかにともすべきやうなかりき。(中略)
◎その子は手に水掻きあり。この娘の母もまたかつて河童の子を産みしことありといふ。・・・この家も如法の豪家にて何の某といふ士族なり。(後略)
(『新版・遠野物語』角川ソフィア文庫2004年37頁~38頁)

☆「如法(にょほう)」について、集英社文庫版『遠野物語』には「仏の教えを守って温厚篤実なさま」という一般的な注釈があります。本当は恐ろしい『遠野物語』です。(恐ろしいのは初版『グリム童話集』だけではない)マビキ、キツネツキ、ヨバイ、キケイ、フウヒョウ、キョウドウタイキセイ・・・。これが100年前、明治の日本民衆のデンショウです。この年、柳田国男はまだ35歳でした。(角川文庫と集英社文庫の年譜参照)

☆今夏の遠野旅行の際、バスガイドさんはカッパ淵まで案内してくれましたが、「番号55」の伝承にはまったく触れませんでした。「番号58」の馬と河童の力較べの話が中心でした。(不思議?)明治43(1910)年の初版本では、上掲の「何の某」は「○○○○○」と伏字で表記されていました。この伝承は、吉本氏の『共同幻想論』でも、引用されずに終わっています。

☆柳田国男は『芭蕉七部集』を愛読していました。(と記憶しています)近代日本民俗学と近世連句の交錯を感じ取っていたのでしょう。母と娘の親子関係について、『芭蕉七部集』から、芭蕉本人の付句を二つ取り上げます。(「恋句」とは異なる視点で)
◎娘を堅う人にあはせぬ  芭蕉(『炭俵』「梅が香の巻」)
 ムスメヲカトウ ヒトニアワセヌ
『露伴評釈・芭蕉七部集』(中央公論社1956年)によると、「娘を」の付句は、(前句に詠まれている)菊作りと同じように子(娘)育ても堅実に行い、めったな人には会わせないと解釈しています。

☆幸田露伴の評釈本も、古書店の店頭で二束三文で購入しました。(掘出物でした)
◎定らぬ娘のこころ取りしずめ  芭蕉(『続猿蓑』「霜の松露の巻」)
 サダマラヌ ムスメノココロ トリシズメ
「定まらぬ」の付句は、乱心した娘の気持を鎮めて(前句に詠まれている)庭の鶏頭を眺めさせるという解釈です。前回引用した、延宝6(1677)年の「捨て子」の発句とは随分異なる子供観です。

☆「木枯の巻」(『冬の日』所載・1684年)、「梅が香の巻」(『炭俵』所載・1694年)、「霜の松露の巻」(『続猿蓑』所載・1698年)は、『芭蕉七部集』連句のベスト・スリーです。(筆者誤?推奨) 家族全員で風邪をひいてしまい、かわるがわる病院通いをしています。インフルエンザではありませんが、不調です。

2010/10/17)


☆『鬼貫(おにつら)句選・独ごと』(岩波文庫2010年7月)が刊行されましたので、購入して読んで見ました。子供を詠んだ句を一句見つけることができました。(親を詠んだ句もありましたが)
◎大津の子お月様とはいはぬかな
大津は地名です。案内する子供を雇い、三井寺から登るという詞書があります。元禄3(1690)年9月、鬼貫30歳の発句です。

☆芭蕉の全句集は若い頃からの愛読書です。こんなに繰り返し読んだ岩波文庫は他には有りません。かつては200句程暗唱できました。芭蕉の残した約1000句の中から、子供を詠んだ句を(数句あるが)一句だけ拾い上げました。
◎霜を着て風を敷寝の捨て子哉
延宝6(1677)年、芭蕉翁34歳の発句です。(「翁」といっても50歳で他界しました)

☆両句のコンセプト(着想)の違いは何処にあるでしょうか。「捨て子」の句は、俗世間に生きる人々とは隔絶した意識で吟詠していることを実感させられます。漂泊の俳諧宗匠以上の何者かの眼です。(一体何者?)

☆『改訂共同幻想論』(角川ソフィア文庫)の「対幻想論」の章では、ヘーゲルの『精神現象学』(樫山欽四郎訳)が二カ所引用されています。「・・・二つの関係(夫婦・親子)は両者に分け与えられている両側面の移行と、不等のうちに止まっている・・・」(『改訂共同幻想論』181頁)と「一方の意識が他方の意識のうちに、自分を直接認める」(同書183頁)です。後者の引用は出典が明記されていないので、叙述に不備があるのではないかと思いました。

☆私が指摘したいのは、次のようなヘーゲルの叙述を、吉本隆明氏が肯定的に受け継いでしまったのではないかという点です。長谷川宏氏の新訳から引用します。
◎夫と妻、親と子、兄弟と姉妹、という三つの関係のうち、第一にくるのが夫と妻の関係であって、そこでは一方の意識が他方の意識のうちに直接におのれを認識し、相互承認の認識がなりたっている。(長谷川宏訳『精神現象学』Ⅵ精神a共同の世界-人間の掟と神の掟・男と女、作品社1998年307頁)
◎子どもとは夫と妻の関係がそこへと流れていき、そこで消えていくものなのだから。そして、このように世代がつぎつぎと交替していく・・・親と子の一体感という第二の関係も、それだけで完結することはない。前掲書308頁)

☆夫婦が第一の関係?親子が第二の関係?兄弟姉妹が第三の関係?家族の夫婦関係と親子関係に順位・序列はなく、二つの関係は同時的共存(和解的な、時には非和解的な)と考えます。ヘーゲルは鋭利ですが、近代的一夫一婦制というパラダイム(基底の枠組み)の限界内にあるようです。「対幻想」概念から「類的存在(存続)」概念を平行分離して相対化できると良いのですが。

☆更に、ヘーゲルの「移行」(長谷川訳では《感情的に交流》)と「不等」(長谷川訳では《等しくないありかた》)という捉え方は疑問です。「不等」ではなく「同等」(等時という言葉は無いか?)という照射の方法ではどうでしょうか?ヘーゲルのように家族は夫婦関係に本質があると規定することはできません。家族の本質を前近代的な長子相続の親子関係に求めることができないように。喩えて言うならばツートップ(サッカーの陣形にある)概念として捉えた方が良いと考えます。二つの関係は同位・同格です。

太宰治のように「子供よりも親が大事」(『桜桃』)と言うことができますか?

☆ヘーゲルの「類」概念は、「自己同一的な自己関係と純粋な否定の力との統一」(前掲書Ⅴ理性の確信と真理a自然の観察199頁)とか「単一な存在の形をとる一般的な生命」(前掲書201頁)と叙述されています。ヘーゲルはベルリン大学の総長にまで登りつめた哲学者ですから、大器晩成型の学者と考えやすいですが、青年時代から様々の(不等な?)遍歴をしたことが知られています。1831年11月、61歳のときコレラで急死しました。

☆晩秋から初冬にかけての拙句を一句。(筆者20代前半、懐メロです)
◎中京や時雨れる夜半の橋の宿
 ナカギョウヤ シグレルヨワノ ハシノヤド
芭蕉翁に破門された、凡兆(ぼんちょう)のパロディー句(略してパロ句)です。本句は下記の通り。
◎下京や雪つむ上の夜の雨 (『猿蓑』元禄4年刊)
 シモギョウヤ ユキツムウエノ ヨルノアメ
元禄時代、下京区は町人や職人の住む庶民街でした。


2010/10/10)


☆『経済学・哲学草稿』(岩波文庫145頁)に記述されている「類行為」について、更に整理を続けます。アリストテレスの「君は君の父と君の母とによって産み出された」というような文言を、青年マルクスはどの著作から引用したのでしょうか?(注釈がないので自分で探さねば)

☆アリストテレスの主著『形而上学(上)(下)』(井出隆訳、岩波文庫1959年)には、二カ所程「子と父と母」についての記述があります。日本語訳ではさっぱり文意がつかめないと思いますので、蔵書の英語版 THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA, OXFORD AT THE CLARENDON PRESS, FIRST EDITION 1908 を並記します。参考までに。(新訳は出版されないのかな?)
◎事物のアルケー〔始まり、原理、始動因〕というは・・・たとえば、子供がその父母から生まれ・・・。
『形而上学(上)』第5巻哲学用語辞典153頁
◎‘BEGINNING'means ・・・as a child comes from its father and its mother,
THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA 1012b

◎たとえば、子供がその父と母とから・・・と言われるが、それは、それらの或る部分から生じるからである。
『形而上学(上)』第5巻哲学用語辞典203頁
◎e.g. the child comes from its father and mother, because they come from a part of those things.
THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA 1023b


☆アリストテレスの「類(ゲノス)」概念については下記のような記述があります。
◎ゲノス〔種族、類〕と言われるのは、まず、同じ形相をもつ事物の連続的な生成の存する場合。たとえば、「人間どもの種族の存するかぎりは」というのは、「かれらが相継いで生成しているかぎりは」という意味でそう言われるのである。
『形而上学(上)』第5巻哲学用語辞典208頁

◎The term ‘race'or‘genus'is used, if generation of things which have the same form is continuous, e,g,‘while the race of men lasts' means‘while the generation of them goes on continuously'.
THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA
1024a
平易な日本語訳が欲しいですね・・・。

☆形相(けいそう)はform という英単語が当てられています。形相(ギリシャ語ではエイドス:例えば樫の成木,石像彫刻)と質料(ギリシャ語ではヒュレー:例えば樫の実,大理石)はアリストテレス哲学の基礎概念です。形相は「事物の完成したカタチ」であると説明できるでしょう。
アリストテレスの父はマケドニア国王の侍医でしたから、「類行為」について医学的観点から生々しく記述している部分があります。(『形而上学(上)』第8巻〈質料〉307頁
英文のみ引用します。
◎What is the material(質料の) cause of man?
 Shall we say the menstrual fluid?
 What is the moving cause(始動因)?
 Shall we say the seed?
 The formal(形相の) cause?
 His essence(本質).
 The final cause?
 His end(目的).
 THE WORKS OF ARISTOTLE, VOLUME Ⅷ, METAPHYSICA 1044a
古代ギリシャのアリストテレスは、人類の「形相(form)」と「目的(end)」は、「一致(same)」すると述べています。

☆ルソー著『社会契約論』の「類的存在」概念を、青年マルクスは「ユダヤ人問題のために」の中で、フランス語原文のまま引用しています。フランス語は達者であったようですね。故郷のトリールは、ルクセンブルク国境とフランス国境に近い都市でした。吉本隆明氏の『定本・言語にとって美とは何かⅠ』(角川ソフィア文庫138頁)にも「人間の類」に言及した記述があります。

漸く秋冷の候となりました。次回は『精神現象学』と『法哲学』から、ヘーゲルの「類」概念について整理する予定です。「ボチボチイコカ」です。
◎天涯は孤猿の降る秋波かな

 テンガイハ コエンノクダル シュウハカナ
筆者(40代)の旧句です。小湊山誕生寺の旧道にて。

2010/10/3)

☆40年程前に、「ノンセクト・ラディカル」(無党派の活動家)という呼称が流行しました。私は20歳前後でした。60歳を過ぎた今、「類的存在」概念を整理していて、次のような一文に出会いました。
◎ラディカルであるとは、事柄を根元においてとらえることである。
(『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫1970年342頁、絶版か?)
◎Radikal sein ist die Sache an der Wurzer fassen.
(MARX ENGELS WERKE 1, Dietz Verlag Berlin 1956)

☆40年間、「ノンセクト・ラディカル」を標榜し続けました。民衆思想(地域の自由民権)を研究するには、一つの党派的立場に固執しないで良かったと今も考えています。MARX『経済学・哲学草稿』には、ドイツの「民衆の意識(Volksbewußtsein)」について鋭敏な洞察が(只一カ所)あります。
◎自然および人間の自己自身による存在というものは、民衆の意識には理解しがたい。というのは、このような存在は実際の生活のすべての手近に理解できることと矛盾しているからである。(『経済学・哲学草稿』岩波文庫1964年145頁)
◎Das Durchsichselbstsein der Natur und des Menschen ist ihm unbergreifrich, weil es allen Handgreiflichkeiten des praktischen Lebens widerspricht.
konomisch-philosophische Manuskripte, Felix Meiner Verlag 2005)

☆青年マルクスは、民衆は通常、「手近に理解できること(Handgreiflichkeiten)」と「自己自身による存在(Durchsichselbstsein)」の間の矛盾を認識できないと指摘しています。(ドイツでもそうなのか?)吉本隆明氏は、上記の文章の前後(行間)から、日本の大衆ナショナリズムの「自己欺瞞」を導き出したと考えられます。

☆「類的存在」という用語は、『経済学・哲学草稿』の外に「ヘーゲル国法論批判」、「ユダヤ人問題のために」でも使用されています。先ずは、自宅にある5種類の蔵書を、書誌学的に発行年代順に並べてみます。
MARX ENGELS WERKE 1, Dietz Verlag Berlin 1.Auflage 1956
②『ヘーゲル批判』(新潮社1957年第1刷
③『マルクス=エンゲルス全集第1巻』(大月書店1959年第1刷
④『ヘーゲル法哲学批判序論』(国民文庫1970年第1刷)
⑤『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』(岩波文庫1974年第1刷

☆マルクス研究は自分には向いていないと考えていましたが、図書館に行かないで自宅で読めるのは、初老の筆者には有難いことです。MARX ENGELS WERKE Band 1の日本語訳である『マルクス=エンゲルス全集第1巻』は、古書店の店頭でばら売りされていたものを(1冊100円)、憐れを催して購入した書籍です。確か、1990年代前半の頃で、衝動買いでした。(これでは○円全集?)今回、「類的存在」概念を整理するに当たって大変役立ってはいます。

☆町田市立自由民権資料館から、企画展「明治の学び舎~地域における学びと教えの足跡をたずねて~」(2010年10月9日~11月28日)の案内が届きました。銚子市のNさんから、波崎事件再審運動ニュース第40号』を送って戴きました。「第3次再審(死後再審)請求」の記事が掲載されています。御紹介すると共に御礼を申し上げます。
◎犬吠に佇む夜や鰯雲
 イヌボウニ タタズムヨルヤ イワシグモ
◎日輪の燃え尽きるまで秋の暮
 ニチリンノ モエツキルマデ アキノクレ
筆者(独身時代)の旧句です。鰯雲は秋の季語です。「日輪」の句は屏風ヶ浦にて。

今夏の酷暑のせいか、自宅のパソコンが不調です。人類(「類的存在」)は、地球環境の急激な悪化と生態系の異変に耐えられるでしょうか。「子供達はどこへ行くか」、次回もボチボチ考え続けます。卓上に置かれた、ルージュのフランスワイン(円高差益還元?)を凝視しながら。
◎梅一枝フランスワインの瓶に挿し
 ウメイッシ フランスワインノ ビンニサシ
筆者(40代)の旧句です


2010/9/26)


☆30代の頃、友人と京都市三条通りの和風旅館に宿泊して、二階の窓から(比)叡山を眺めていた時に、次のような俳句が思い浮かびました。
◎どっしりと尻を据えたる南瓜かな 
 ドッシリト シリヲスエタル カボチャカナ 
南瓜は秋の季語です。(冬至に食べる風習はありますが)

上記の句を拙句であると書けば、「鈍重な句ね」と酷評されるかもしれません。夏目漱石の1896(明治29)年の句であると説明すれば、誰も「軽妙で、さすが漱石ね」と誉めるのではないでしょうか?(『漱石俳句集』岩波文庫62頁参照)

☆南瓜を詠んだ句をもう一句。
◎南瓜食べよ言う人もなく冬至かな
 カボチャタベヨ イウヒトモナク トウジカナ
こちらは正真正銘、20代の私の句です。京都市左京区東大路にて。当時、筆者の俳号は、芭蕉翁に破門された凡兆に因み「凡一(ボンイツ)」でした。これまで俳門だけでなく、パソコンのWEB上でも使って来ました。

☆漱石にはこんな句もありました。
◎月に行く漱石妻を忘れたり

 
ツキニユク ソウセキツマ(サイ?)ヲ ワスレタリ
(『漱石俳句集』岩波文庫77頁)

1897(明治30)年、妻が流産して静養をしていたとき、独り熊本に旅立つ心境を詠
んだ句であると同書に注記されています。同句の「月」は肥後国の「肥」の月偏を暗示していると解釈しました。

☆漱石は子供について、次のような奇妙な俳句を残しています。
◎安々と海鼠の如き子を生めり

 
ヤスヤスト ナマコノゴトキ コヲウメリ
(『漱石俳句集』岩波文庫120頁)
1899(明治32)年5月31日、長女が誕生した時の句のようです。(海鼠は冬の季語ですが?)漱石の夫婦関係についての卓越した分析は、若い頃に『共同幻想論』の「対幻想論」の章から学んでいます。(夫婦関係は大変だけど、でも結婚しなくては「対幻想」は見えて来ない?)

☆「類的存在」、「類(生活)疎外」、「類幻想」という視点から鑑賞すると、長女の誕生した1899(明治32)年の

◎馬の子と牛の子といる野菊かな
 ウマノコト ウシノコトイル ノギクカナ

(『漱石俳句集』岩波文庫114頁)

という句は、一読して救われたような気持になります。「類生活」の無条件の肯定です。小学生(子供達)のような心持で詠んでいる(と思われる)句なので、名吟とは言えませんが・・。野菊は秋の季語です。

☆今週は仲秋の三連休です。
◎月明に常世を渡る孤舟かな
 ゲツメイニ トコヨヲワタル コシュウカナ
銚子市外川町在住の頃の拙句です。懐かしいですね。1930(昭和5)年9月6日夜半(丁度80年前)、高神村で民衆蜂起が勃発しました。「俳句と子供達」、次回へ続きます。


2010/9/19


☆「対幻想」概念を整理していて、「類幻想」という造語を思いついてしまいました。『経済学・哲学草稿』に記述された、「類的存在(Gattungswesen及びGattungssein)」、「類生活 (Gattungsleben)」、「類的性格 (Gattungschrakter)」、「類的対象性( Gattungsgegenstãndlichkeit)」、「類的意識(Gattungsbewußtsein) 」、「類行為( Gattungsakt)」という語彙に依拠した概念になりそうです。
☆「底辺」には「底点」を、「対幻想」には「類幻想」を、かな?青年時代のK.Marxの著作を読んだことがない若い世代のために、「類的存在」概念のエッセンスを少し紹介しておきます。念のために。

生命活動の様式のうちには、一種属(spec[z?]ies)の全性格が横たわっている。自由な意識的活動が、人間の類的性格である。(『経済学・哲学草稿』岩波文庫95頁、原文はcではなくzなので岩波文庫は誤植か?)
◎対象世界の実践的な産出、非有機的自然の加工は人間が類的存在であることの確証である。(同書96頁)
◎男性の女性にたいする関係のなかに・・どの程度まで人間がそのもっとも個別的な現存において、同時に共同的存在(Gemeinwesen)であるか示されている。(同書129~130)
◎個人は社会的存在である。だから彼の生命の発現は・・社会的生命の発現であり、確認なのである。(同書134頁~135頁)
◎特定の個人はたんに一つの特定の類的存在であるにすぎず、そのようなものとして死をまぬがれない。(同書135頁)
◎君は君の父と君の母とによって産み出された。・・二人の人間の性行為が、したがって
人間の類行為が、君において人間を生産したのである。(同書145頁)。
Key Wordは「意識的活動」「実践的な産出」「自然の加工」「共同的存在」「社会的存在」「人間の性行為」です。青年マルクスは「類的存在」について、結構赤裸々に論述していますね。(まだ子育ての視点はないようですが?)マルクスの父親はユダヤ教からキリスト教に改宗した弁護士のようで、ドイツ中西部の最古の都市トリールで生活していました。
☆岩波文庫版(城塚登・田中吉六訳)より、光文社文庫版(長谷川宏訳)の方が平易な訳であると言えます。ここでは私自身が長く親しんだ日本語訳で紹介しました。手許には、かつて購入したドイツ語原書konomisch-philosophische Manuskripte) も残っています。書物は何時、どのように役にたつか、わかりませんね。
☆では、子供達を詠んだ俳句です。映画「男はつらいよ」シリーズで、「フーテンの寅さん」を演じた渥美清さん(故人)の秀句を鑑賞します。「おふくろ見に来てる」の句は、直接子供達が詠まれているわけではありませんが、少年(時代)の運動会の情景を詠んでいることは確かでしょう。真新しい「白い靴」は、「運動会」と同様に秋の季語になるかどうか?

◎村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
◎おふくろ見にきてるビリになりたくない白い靴
(『みんな俳句が好きだった』東京堂出版)
渥美清さんの俳号は「風天」でした。俳味満点ですね。
受贈図書のお知らせです。岡山県の横山学先生より、下記の雑誌を贈って戴きました。御紹介すると共に御礼を申し上げます。房総の民権家の桜井静が、北海道の小樽で経営していた「桜井農場」について、研究を一段深める(視野を広げた)貴重な論考です。民権研究も日進月歩ですね。
・「坂西志保の不思議:父傳明と桜井農場」『生活文化研究所年報第23輯』(ノートルダム清心女子大学生活文化研究所2010年3月)

2010/9/12)


真夏に一ヶ月以上晴天が続いているのに、里山の南側を流れる加茂川の水がカラカラになりません。(地下水脈に異変を生じているのでは?)長狭平野の夕日の沈む方角と位置が例年と違うような気がします。(まさか地軸がずれたのでは?)深夜の裏山から鷺の奇怪な鳴き声が聞こえます。(鳥も虫も生態系に異変では?)
吉本隆明氏が唱えた「自立の思想」のパラダイム(枠組み)について、この時期に論点を整理しておこうと思い立った理由は二つ程あります。一つは高校教科書に「日本のナショナリズム」の文章が掲載されていたからです。(こんな時代がもう来ていたのか?)
◎日本にも、米国にも、ソ連や中国にも虚像をもたない、・・「虚像」を「虚像」で打つという進歩派にも保守派にもあまり関心がない。
◎インターナショナリズムにどんな虚像をももたないということを代償にして、日本の大衆を絶対に敵としない思想方法を編み出す。
◎生涯のうちに、自分の職場と家をつなぐ生活圏を離れることもできないし、・・どんな支配に対しても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに大衆の「ナショナリズム」の核がある。
◎ここに「自立」主義の基盤がある。
(「日本のナショナリズム」抜粋、初出は『現代日本思想大系4ナショナリズム』筑摩書房1964年)
もう一つの理由は、『吉本隆明1968』(平凡社新書2009年)を購入して通読したからです。著者の鹿島茂氏はフランス史家で、吉本イズムから受けた大きな影響を躊躇することなく記しています。いまだに吉本エピゴーネンが存在するようです。(この素朴で刺激的な感動?)同書は、1968年前後の諸論考を丁寧に追想して(褒めちぎって)います。「社会ファシズム」と「農本主義ファシズム」と「軍部ファシズム」の差異に触れ、北一輝等が陸軍統制派に敗北した経過も指摘しています。大衆ナショナリズムの「自己欺瞞」と「リアリズム」と「揚げ底」についても特筆しています。(こんな本が刊行される時代が訪れたのか?)
吉本思想はいつ「異端」から「正系」に転じるようになったのでしょうか。かつては、まったくの異端であったはず。夏目漱石、柳田国男等に続き教科書(文科省検定済)に登場する日本の現代思想家。「自立の思想」は多くの読者を得て、公共性を獲得し、資本制支配層にも受け入れられて、虎から猫に転位してしまったか。(そんなはずはない?)久し振りに吉本氏の論考を整理していて不思議な気分を味わいました。
吉本氏が半世紀前に主張した「自立の思想」について、著作集から箇条書きに抽出することも可能ですが、今回は一文だけの引用に留めて、整理はこの辺で小休止です。いわゆる大衆の「内観」です。(教科書には掲載されていない部分)
◎政治的には、資本制支配層そのものを追いつめ、つきおとす長い道と、思想的には生活思想の深化によって大衆自体が、自己分離せしめるという方途以外には存在しない
(「日本のナショナリズム」前掲書所収)

☆ロシアのモスクワ近郊の山林大火災、パキスタンのインダス川流域の大洪水、チリ鉱山の地下崩落、房総半島でも今夏は気温36度を記録。嗚呼、古代ギリシヤに誕生したエンペドクレスの自然哲学の基本概念(土・空気・水・火)は、現代世界においても有効のようです。自然哲学と根源(アルケー)の復権。
「咳をしても一人」(放哉)、「鴉鳴いて私も独り」「後ろ姿の時雨れて行くか」(山頭火)という自由律俳句の名吟があります。記録的な猛暑の中、渡り廊下をウオーキングしていた時に、
・息をしても暑い
・鷺鳴いて私も熱い
・浴衣姿の日暮れて逝くか
という無意識のパロディー句(略してパロ句)を詠んでいました。「パロク」は筆者の造語です。
高知市立自由民権記念館から「自由のともしび」(記念館だより)が届きました。9月11日(土)~11月14日(日)まで、特別展「幸徳秋水展-その生涯と思想-」があります。また同時に、企画展・龍馬の遺志を継ぐもの「中江兆民展」が、10月9日(土)~12月19日(日)まで開催されます。
私はこの40年間、吉本隆明氏の主要な著作はほとんど読破して来たと言えます。若い頃は卓抜な洞察に影響も受けましたが、いまだに同氏の文体や概念構成には馴染むことができないままです。教科書風に日本近代思想史の文脈で書くならば、吉本氏が詩人思想家(宮沢賢治の流れ)であり、また文芸批評家(小林秀雄の流れ)であるからでしょう。次回から再び、私自身の最近の関心事である「俳句と子供達」のテーマに戻り、ボチボチ所感を書き続けます。平成の「所感派」かな?
2010/9/5


夏休み最後の日曜日です。前回と同様に、吉本隆明氏のオリジナルな概念である「対幻想」について整理を続けます。この概念は、「自己幻想」に対して(又は「共同幻想」に対して)独立させることが可能なのかどうか?『共同幻想論』(角川ソフィア文庫)の論述の順序に従って引用します。
◎農耕祭儀が・・・はじめから穀神が一対の男女神とかんがえられ、農村共同体の共同幻想にたいして、独立した独自な位相をもっている。(「祭儀論」148頁)
◎〈家族〉のなかで〈対〉幻想の根幹をなすのは、ヘーゲルがただしくいいあてているように(「一方の意識が他方の意識のうちに自分を直接認める」)一対の男女としての夫婦である。・・・親子の関係も根幹的な〈対〉幻想につつみこまれる。(「対幻想論」183頁)
穀物の栽培と収穫の時間性と、女性が子を妊娠し、分娩し、男性の分担も加えて育て、成人させるという時間性が違うのを意識したとき、人間は部族の共同幻想と男女の〈対〉幻想とのちがいを意識し、またこの差異を獲得していった。(「対幻想論」195頁)
「情況とはなにか」(『吉本隆明全著作集13』勁草書房1969年所収)という論考の中にも「対幻想」の定義が記述されています。(390頁~391頁)当時19歳でしたが、こちらの文章の方が私には比較的解りやすかったように記憶しています。著作集の第13巻は繰り返し読んだ書物なので、手垢で汚れ表紙が変色しています。(40年が過ぎたのだ・・)
例えば「家の共同性をどこまで拡張しても社会的な共同体にゆきつかない」。
(成る程、そんな気がする)
「〈幻想対〉共同性は・・個人としての男女、集団としての男女がうみだす共同性と区別される」。
(「対幻想」は個人を離れられるか?離れられないならば、個人や集団の一般的共同性との、同一又は差異の規定はどうなるのだろうか? 保留かな?)
「幻想対は・・対であるという理由で地上を離れることができない」。
(その通り、人類の生命の維持と世代的存続は、大前提で疑い得ない)
「幻想対は人間と人間のあいだの直かの自然関係を基底としている」

(人類は、自己が生き延びるだけでは不十分で、配偶者と子供がいなければ滅び、夫婦の自然関係は自明の理である)
吉本氏のこの論考(「情況とはなにか」)の初出は、『日本』(1966年2月号~7月号)であり、「対幻想」ではなく、専ら「幻想対」という用語が使用されていました。名辞と定義が確定するまで時間がかかったようですね。
ひょっとして、「対幻想」は微視の概念ではなく、人類史的な巨視の概念なのでしょうか?K.Marxの、「疎外」概念(「生産物疎外」「労働疎外」「自己疎外」「人間疎外」「類疎外」)に関わる極大概念の「類的存在」概念のように。(長谷川宏新訳『経済学・哲学草稿』光文社2010年参照)
K.Marx『経済学・哲学草稿』においてアリストテレスの世代論を引用しています。(前掲書162頁)父母から子供へ、次世代の父母から子供へと続く、人類の類的「存続」の規定です。「類的幻想」又は「類幻想」という概念も独立可能かもしれないと考えました。
吉本氏は、前掲『共同幻想論』において「親子の関係も〈対〉幻想につつみこまれる」と書いています。しかし、現在の筆者の心境では「夫婦の関係(対幻想)は親子の関係(類幻想)に引き込まれる」と考えます。(倫理的で、非文学的かな?)
「共同幻想」そのものの概念の方は、若い頃から解りやすいものでした。前掲『共同幻想論』の序章において、「全幻想領域」の中の「国家とか法とかいうような問題」と記述されています。宗教や神話も含むスタンダードな概念です。
「自己幻想」は「芸術理論、文学理論、文学分野」と記述されています。吉本思想の独創性は、「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」という三つの軸を設定し、「内部構造」「表現された構造」「相互関係」の論点から、「全幻想領域」を統一的に解明できるとするパラダイム(枠組み)ですね。

遠野物語』所収の「ガガと伜」(10・11)の伝承は、母親を喪う物語であり、桑原武夫も伝統的な家族問題のように特筆していました。(同書岩波文庫解説)今度の読書では強く印象に残った物語です。『共同幻想論』で
は「憑人論(ひょうじんろん)」の章で、この物語(10)を論じています。しかし「対幻想」の観点からはとうてい問題にならないとして、ほとんど「自己幻想」と「共同幻想」の枠組みだけで論述しています。 (もっと「対幻想」の観点から論じるべきでは?)
猛烈な残暑が続き、日中は畑仕事が無理なので、自宅のハイビジョンテレビでDVD「吉本隆明、語る~沈黙から芸術まで~」(NHKエンタープライズ2009年)を、老妻と一緒に1時間半程鑑賞しました。(同日、韓流ドラマの「アイリス」も鑑賞しましたが)1924(大正13)年生まれの吉本隆明さんが、半世紀以上かけて紡いだ理論を、青年学生男女を前にして、統一的に語ろうとした講演でした。
既に腰がかなり曲がってしまい(老いた農婦のように)、車椅子で長時間の講演をする姿に(小生の、第二次世界大戦をくぐり抜けた両親と同世代)、畏敬と悲痛の感情が湧きました。(嗚呼、幻想革命者の悲哀・・・。失礼?)
(この項、もう一回続けます。締め括りは「日本のナショナリズム」の予定です。)
2010/8/29


先ずは『共同幻想論』で強く印象に残っている下記の文章から始めます。
◎悠紀、主基殿にもうけた〈神座〉にはひとりの〈神〉がやってきてさしむかいで食事する。
悠紀、主基殿の内部には寝具がしかれており、・・・〈性〉行為の模擬的な表象であるとともに〈死〉と〈生誕〉を象徴する。
◎一対の男女神を演ずるのは、あきらかにひとりの〈神〉と異性の〈神〉・・・。
◎大嘗祭の祭儀は、対幻想を〈最高〉の共同幻想と同致させ、・・・じぶん自身の人身に、世襲的な規範力を導入しようとする模擬行為・・・。
(角川ソフィア文庫版150頁「祭儀論」)

初めて『共同幻想論』(河出書房新社1968年)を購入して読んだのは、刊行されて直ぐの頃でしたから約40年前でした。上掲の卓抜な洞察によって、私は天皇制の歴史的権威(呪縛?)を異化できるようになりました。(と今でも考えている)しかし既述したように、我が住む旧主基村は寂れる一方ではあります。
明治天皇即位式の斎田跡を詠んだ拙い旧句を、記憶の闇の底から拾い出します。
・主基村に残る縁や白椿  
 スキムラニ ノコルエニシヤ シロツバキ
主基斎田跡地(現鴨川市)に咲く、紅白一対の椿を見つめて詠む。
(30代後半)
・梅が香や鄙には老いの夫婦達  
 ウメガカヤ ヒナニハオイノ メオトタチ
地域の少子高齢化が一段と進行し、旧主基村が廃れて行くのを目の当たりにして詠む。
(50代後半)

吉本隆明氏の「対幻想」の概念はフロイト(「集団心理学と自我の分析」)とヘーゲル(『精神哲学』『精神現象学』)を踏まえたものと前掲書に記述されています。独身時代の私には唐突な概念に感じられ難解でしたが、今では広い視野で捉え直すことができます。結婚し、子供が生まれ、夫婦喧嘩も経験し、二人の子育てをひとまず終えました。(離婚の危機もなく無事に?)両親は他界しましたが、今年は、初孫が誕生しました。
例えば、チェコスロバキア出身の現象学哲学者フッサールの『デカルト的省察』(岩波文庫201頁~202頁)には、「対になる仕方」「対をなして現れる」「対になる本質的特徴」「対になる連合」「対として構成」という表現が登場します。フッサールはこの対概念を、「交互に生き生きと呼び覚まし合うこと」「交互に押しかぶせながら覆い合うこと」と解りやすく説明しています。
フッサールの対概念は、異性間にのみ成立する性的共同性ではなく、個人(我・エゴ)と個人(他我・アルターエゴ)の間に構成される類似的統一性と呼ぶような概念です。吉本氏の「対幻想」のように、性的な関係のみに限定してはいません。『デカルト的省察』(浜渦辰二訳)は2001年の刊行でした。

「対幻想」という用語は、『共同幻想論』の記述においで表記は一定していないようでした。今回(遠野旅行前後)の読書では、「対幻想」という概念に注意を払いながら読んでみましたが、「〈対なる幻想〉」「〈対幻想〉」「対幻想」「対なる幻想」「〈性〉的な対幻想」「自己幻想(または対幻想)」「男・女のあいだの心(対幻想)」「〈対〉幻想」と様々に表記されていました。
全12章の内、前半の「憑人論」と後半の「規範論」「起源論」は、「対幻想」という用語は使用されることなく、主に「共同幻想」概念で記述されています。
(この項続く)
2010/8/22


還暦を過ぎて、柳田国男(1875~1962)の民俗学への違和感がやっと薄らいだようです。(今までは宮本民俗学一辺倒だった?)岩手県遠野市へ初めて旅行に出かけました。JR遠野駅を下車して、遊覧バス(遠野物語めぐり号)に飛び乗り、曲屋(まがりや)・カッパ淵・佐々木喜善記念館・オシラサマ等を見学しました。
社会科学はやはり、その場に立つべきであると再認識しています。(万巻の書、千里の路)北上山地の早池峰山(はやちねさん・1917m)の山深さを実感できました。房総丘陵の愛宕山(あたごやま・408m)とはかなり違います。
※府県別最高地点としては、千葉県の愛宕山が最も低く、次は沖縄県の於茂登岳(526m)で 、更に京都府の皆子山 (972m) 。(嗚呼、低い?!)
旅行の前後に、『遠野物語』(岩波文庫)を再読して、特に印象に残った山村伝承は五葉山の女(7)、ガガと伜(11)、カッパと娘(55)、ヤマハハ(116)でした。(7)と(55)は子供を喪う物語、(11)は母親を喪う物語、(116)は異人除去の物語です。文語体ですが、どれも刺激的な文章なので引用は避けます。「本当は恐ろしい遠野物語」なのです。JR遠野駅売店には、角川文庫版と集英社文庫版も並んでいました。
※『遠野物語』は1910年に自費出版(100年前)、1935年に郷土研究社から増補再刊、岩波文庫の初版は1976年でした。学者登山家であった故桑原武夫(1904~1988)の文庫解説を参照。
井上ひさし(1934~2010)著『新釈遠野物語』(新潮文庫)を同時に読んでみました。迫力のある短編小説でしたので、筆者は少し驚きました。大学を休学した青年が故郷に戻り、釜石市から遠野方面の山中へ通勤するアルバイトをして、その期間に出会った老人(狐)に様々に化かされる物語です。
「鍋の中」「川上の家」「冷し馬」の章は、子供を喪う物語です。「水面の影」の章は、異人除去の物語です。母親を喪う物語の章は無いようでした。序章から終章まで、辺境のジェンダー(性差)が笑話風に描写されています。同文庫の著者紹介欄には、「浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタート」と経歴があっけらかんに記載されています。井上ひさし氏は先頃(本年4月)他界されました。
※『新釈遠野物語』は1976年に筑摩書房から刊行、新潮文庫の初版は1980年でした。2010年4月で40刷。
(不道徳なこの本がこんなに読まれているのか?)
『共同幻想論』も今回は文庫本(改訂新版)で再読しました。丁度よい機会ですから次回は、吉本隆明氏(1924~)の卓抜な共同幻想(国家)論と対幻想(性的関係)論について、久し振りに筆者の意見(異見?)を整理してみるつもりです。
2010/8/15



(中略)


今年の俳句の詠み始めは下記の句でした。
 梅が香や鄙には老いの夫婦達
 ウメガカヤ ヒナニハオイノ メオトタチ

★英訳して次のような我流三行詩にしてみました。
 Fragrance of plum blossom
 The old married couple

 Live in the country.

★ドナルド・キーン訳『おくのほそ道』(講談社学術文庫)には、1689年3月27日(旧暦)の芭蕉の発句が下記のように英訳されています。名訳です。
 行く春や鳥啼き魚の目は泪
 ユクハルヤ トリナキウオノ メハナミダ
 Spring is passing by.
 Birds are weeping and the eyes
 Of fish fill with tears.

★定年退職間際になり、1月に初孫(Grand daughter)が誕生し、私はジージ(Grand father)になりました。2010年3月27日で満60歳を迎え「アラカン」です。寂寥、セキリョウ・・・。昨年末に詠んだ晩冬の拙句。
 枯れ枝は櫟の下を焚く烟
 カレエダハ クヌギノモトヲ タクケムリ

★「アラカン」は「アラウンド 還暦」の当世流行語ですね。
(2010/3/7)



《2009年》


最後の夏休みも終わりました。必要に迫られ、久し振りに『日本国勢図会』(2009年刊)を購入して読んでいます。下欄に紹介したデータをマジマジと見つめてしまいました。

※ 年齢階層別死因(2007年)
年齢階層 1位 10万人当 2位 10万人当 3位 10万人当
20~24歳 自殺 19.8人 事故 9.4人 ガン 3.5人
25~29歳 自殺 21.6人 事故 7.9人 ガン 4.9人
30~34歳 自殺 22.3人 ガン 9.7人 事故 7.0人
35~39歳 自殺 25.4人 ガン 18.3人 心疾患 8.8人
40~44歳 ガン 33.8人 自殺 28.1人 心疾患 15.1人
(以下略)

自殺者の最も多い世代は50~54歳で、人口10万人あたり34.9人という統計数字です。男女比は記載されていません。この酷い数字を、人口社会学の研究者はどのように受け止め、分析しているのでしょうか?

一昨年の数字ですから、現在はもっと深刻な数字になっていると思われます。(11年連続3万人以上)今回の政権移行(衆院308議席の願望)で「絶望」国家を「希望」国家へパラダイム・チェンジできるかどうか


(2009/9/6)



Marxの資本論』DAS KAPITAL で、資本主義発達の最も異様な光景を叙述した文章は、第13章第5節の「労働者と機械との闘争」です。
・数十年間にわたって徐々に進行し、ついに1838年に至って終りを告げたイギリスの木綿手織工の没落は、世界史上に例のない悲惨な光景を呈した。
・彼らのうちの多くの者が餓死し、多くの者が、家族とともに長いあいだ1日2ペンス半で、命だけをつないだ。
Viele von ihnen starben am Hungertod, viele vegetierten lange mit ihren Familien auf 21/2d. täglich.

上記の叙述は『資本論』DAS KAPITAL の原風景(プロレタリア大衆の原像か?)と言えるでしょう。
労働者は機械と闘っていたわけではなく、相手は機械の導入によって財産を得た人たちでした。IT時代の現代でも同様です。(餓死ではなく自死ですが?)J・S・ミルは『経済学原理』Principles of Political Economy(岩波文庫)において下記のように指摘しています。
・今日までは、従来行なわれたすべての機械的発明が果たしてどの人間かの日々の労苦を軽減したかどうか、はなはだ疑わしい。
Hitherto it is questionable if all the mechanical inventions yet made have lightened the day's toil of any human being.
(第4篇第6章2、富および人口の停止状態はしかしそれ自身としては忌むべきものではない)
・それは、・・・より多数の工業家やその他の人たちが財産をつくることを可能ならしめた。
(前掲)
・公正な制度に加えて、人類の増加が賢明な先見の思慮ある指導のもとに行われるようになったとき・・・このようなときにのみ、科学的発見者たちの知力とエネルギーとによって自然諸力から獲得した戦利品は、人類の共有財産となり、万人の分け前を改善増加させる手段となることを得るのである。
(前掲)
ミルの「停止状態」の効用性(射程距離の長さ)については、かつてシンポジウム後の懇親会場で山下重一先生から御教示を得ました(励まされた?)。
夏休み中ですが、
このテーマ、さらに書き続けます。「絶望」についてはキルケゴールを参照し、「希望」についてはミルを再検討し、Selbstmordについてはプラトン著『パイドン』を再読します。

(2009/8/9)



★『資本論』第13章第5節の「労働者と機械との闘争」、ここから引用を始めます。
◎資本家と賃金労働者との闘争は、資本関係そのものとともに始まる。それは全工場手工業時代を通じて荒れ続ける。
Marxの文体は常に論理的ですが、アイロニカルでもあるので、情熱のほとばしりを感じることは殆どありません。しかし第13章第5節だけは、Marxの文体が直情的になっているように思います。用語も passionate です。例えば次のように。
◎「労働者は闘争する」「彼は反逆する」「労働者の反逆」「民衆の反抗」「労働賃金のための闘争」「大規模で急激で強力な革命」「直接的暴力行為」「政治革命の外観」「労働者の強暴な反逆」「周期的な労働者の叛乱、ストライキ」「高まりゆく労働者の要求」「労働者の反抗」
「彼の自由な精神」
Marxが書いている
「彼の自由な精神」seine liberale Seele(英訳版では his liberal soul)という表現は、大著『資本論』の中でここだけです。第13章第6節にはJ・S・ミル(経済学者としての)の名前も登場します。
(2009/6/28)



再び、南房総地域のMarx研究の地下水に戻ります。梅本克美は「資本主義生産の全体系は、労働者が自己の労働力を商品として売るということにもとづいている」(『資本論』13章)という論述を引用し、資本主義生産体系の構造的基礎を一語のもとに要約するとしたら、まさにこの一事に尽きると書いています。(『唯物史観と現代 第二版』162頁岩波新書1974年)
資本論のドイツ語原書(ディーツ版)では次のように書かれています。
Das ganze System der kapitalischen Produktion beruht darauf, daß der Arbeitskraft als Ware verkauft.
★英語版(ペンギンブックス)では次のような翻訳です。
The whole system of capitalist production is based on the worker's sale of his labour-power as a commodity.
労働力は Arbeitskraft(独)とlabour-power(英)。商品は Ware(独)と commodity(英)です。
学生時代(40年前)私は、時代の雰囲気の中で何気なく、大学は「知的労働力商品」の再生産工場であるという言い方をしていました。それは「帝国主義」大学・「産学協同」路線批判の重要な論点でした。この用語は『資本論』索引には見当たらないので、誰かの造語であったのだろうと今は考えています。
Marx「労働力商品」と「知的労働力商品」の差異と問題点を論じてはいません。梅本克己も同様です。『ドイツ・イデオロギー』には分業による「物質的労働」と「精神的労働」の区別が指摘されています。労働を分断する「知的」部分は現代的探究の課題であったのです。今から思えば。
Marxの権威は日本では地に落ち(40年後)、情況は更に悪化しました。現状分析のために、返って気兼ねなくMarxの著作の真価を自由闊達に論じられるようになったことは一つのパラドックスですね。

(2009/5/17)


★故梅本克己は「経済学・哲学草稿」の疎外論を次のように整理しています。
①生産物の労働者からの疎外
②生産活動の労働者からの疎外
③類的生活の人間からの疎外
④人間からの人間の疎外
(『著作集』第六巻)
時代は1970年代よりも更に深刻化していますので、『経済学・哲学草稿』(岩波文庫) Ökonomisch-philosophische Manuskripte の「疎外された労働」Die entfremdete Arbeit を再読するともっと他の表現が気になりました。(「日本絶望自殺国家」分析のために)
「労働の実現は激しい現実性剥奪」「激しい対象の喪失」「最大の緊張不規則きわまる休止」「労働者には赤貧」「労働者には穴ぐら」「労働者には不具」「労働者には低能」「労働者には白痴」「彼の肉体は消耗」「彼の精神は頽廃化」「労働がペストのように忌み嫌われ」「労働は自己犠牲」「自己を苦しめる労働」「労働者の活動は他人に属し」「労働者自身の喪失」「苦悩としての活動」「無力としての力」「去勢としての生殖」「賃金の下僕」「奴隷の報酬改善」

ドイツからパリへ転居した頃の草稿 Manuskripteですが、Marxは当時(19世紀前半)の労働をよく観察したものですね。私は20代の頃にはこのような指摘はあまり気にかかりませんでした。今はパソコンに向かって書き連ねて、溜め息の連続・・・。
現代日本では、富国有徳の「町人国家論」の異常な破綻が起きています。幻視の亡霊(30万以上)の中を To be or not to be と呟きながら模索する老いたハムレット?還暦老教師。


(2009/4/26)



★学生時代、第二外国語はドイツ語を学習しました。先生はブレヒトの翻訳家でしたが、私は上達しませんでした。しかし手許にはドイツ語の「ヘーゲル法哲学批判」「経済学・哲学草稿」『資本論』等が残っています。
★Marxの著作ではWERKEの他にMEGAも自宅の書庫にあるので、両親(既に故人)に心配をかけながらよく集めたものです。(左翼道楽息子であったかもしれません?)現在、MEGAは千葉県内に何冊残っているでしょうか。もったいないので、少しずつ書き抜き作業をやってみようかと考えています。

(2009/4/19)



南房総の「自由民権運動の地下水」とは異なる、安房地域の「マルクス主義の地下水」に最近辿り着いてしまいました。梅本克己という市井の哲学者は、昭和5年(1930)に安房中学を卒業し、その後旧制水戸高校に進学しました。『著作集第10巻』(三一書房)に拠ると、東大の倫理学科では和辻哲郎に学んだようです。
★梅本克己著『唯物史観と現代(岩波新書)の初版及び二版を読むと、梅本のマルクス理解の特色は
①新時代を創出するプロレタリアートの主体形成(『ヘーゲル法哲学批判序論』に依拠)
②人間疎外の克服(『経済学・哲学草稿』に依拠)
③労働力商品からの脱却(『資本論第13章』に依拠)
です。私的な整理ですが・・・。
講壇哲学者とは異なるこの地下水脈を、地域史研究者の目線で少し考えています。60歳定年まで残り1年となりました。

(2009/4/5)


最近、思い立ってカール・マルクスの『資本論』を拾い読みしています。自宅にはドイツ語原書のDas Kapital(ディーツ版)全3巻、向坂逸郎訳(岩波文庫)、岡崎次郎訳(大月書店)、長谷部文雄訳(青木文庫)、英語訳(ペンギンブックス)全3巻と5種類の『資本論』があります。『漫画で読破・資本論』も購入してあります。今回は長谷部訳を読んでいます。
かつては、高畠素之訳(本邦初訳)も持っていましたが、活動家の同僚に貸してそのままです。古書店に売却した『資本論』もありました。ドイツ語の『資本論』(1972年発行)は学生時代に購入したものですから、35年以上の年月が過ぎ去りました。「搾取度」「分業」「本源的蓄積」等の箇所に書き込みがしてあります。想い出は次から次と甦ります。

(2009/3/22)



★日本の自殺者の数が昨年も3万人を越え、連続11年になったというニュースを先日テレビで見ました。この10年で30万人以上の日本人が自殺したことになります。こんなひどい数字を過去の日本のどんな時代に比較したらよいのかと考え込んでいます。
★世界史でも、災害・疫病・戦争を除くと、連年自殺者合計30万人以上という国家(社会システム)は過去に存在しないでしょう。どうしてこんな国になったのか?史上最悪の「絶望(命の軽い)国家」と言わねばならないでしょう。「過労」「リストラ」「いじめ」「家庭崩壊」「老老介護」「ホームレス」「うつ病」「パワハラ」「派遣切り」・・・。直視するのが恐ろしくなりませんか。
(2009/3/8)



2008年

★夏休みの8月下旬に、ソウル歴史散歩に出かけて来ました。ソウル市庁前のプラザ・ホテルに宿泊し、自分の足で行ける範囲を徒歩見学しました。最近、韓流ドラマは「朱蒙チュモン」をレンタルDVDで鑑賞しています。2000年前の高句麗建国の歴史物語ですが、もう少しで最終回です。

(2008/9/7)


(中略)

映画「日本の青空」に触発されて、鈴木安蔵『自由民権』(白揚社1948年12月・494頁)の再読を始めました。1970年代前半に、京都市から鴨川市の実家に帰郷する途中、東京都の国会図書館に寄り全文複写したものが手許に残っています。房総の民権家「桜井静」の評価について、私は同書から随分学びました。
★30年以上経過して、又本腰を入れて読むことになるとは・・・。分からないものですね。燃やしてしまわなくて良かったと思っています。現在、古書店で購入すると1万円以上します。どこかの出版社が文庫版で復刻してくれると有り難いのですが。
★後藤靖『自由民権』(中公新書)や色川大吉『自由民権』(岩波新書)ではなく、今回は、牧原憲男著『民権と憲法』(岩波新書)と鈴木安蔵『自由民権』をパラレルに比較検討しています。両著に意外に共通性があるので少し驚いています。
自由民権資料研究会編『自由民権をひらく』(2007年12月)には、喜多方市の(百戦錬磨の)赤城弘先生が次のように書いていました。
◎今日的課題である
憲法改悪に真っ向から反対する立場での自主制作映画『日本の青空』(大澤豊監督)の撮影が秋から南相馬市小高区ではじまった。現在、制作委員会への支援が同地区を中心にして県内へ広がっている。

この時代の憲法・教育基本法状況の中で、色川先生の提唱した自由民権の「地下水」「地底の大江」理論は意外な展開を見せているような気がします。今も有効なのかもしれません。「日本の青空」が「フラガール」程ヒットしたら、この国はどうなるのだろう?まだまだ捨てたものではないようです。では次週へ。

(2008/1/20)



《2007年》

(中略)
☆前回に引き続き、ミルの新訳『自由論』について述べてみます。入院中の読書で、ミルの教育観の中心思想は次のような部分ではないかと私は受け取りました。
◎個性は発展と切り離せないものであり、個性を育ててこそ、人間は十分に発展するし、発展しうることを論じた・・・。
(新訳『自由論』第3章「幸福の要素としての個性」143頁)
☆ミルの「個性の発展」と教育基本法の「人格の完成」を結びつけて考えたいというのが私の独自の論点です。(思いつきかな?誤謬を恐れずに?)現日本政府による教育改革の方向性では、ミルの「個性の発展」という理念は切り捨てられたようですから・・・。
☆今回の読後感では、ミルの主張の現代的な有効性はまだ失われていないように思いました。次のような叙述に集約されていると感じましたので、2か所ほど引用します。
◎・・・組織の従業員がすべて政府に任命され、給料を支払われるようになって、政府に認められなければ昇進できない状態になれば、報道の自由があり、議会の選挙が民主的であっても、イギリスも他国も、自由とは名ばかりの国になるだろう。
(新訳『自由論』第5章「原則の適用」242頁~243頁)
◎大衆はすべての点で指示と指導を官僚に求め、優秀で野心のある人は官僚組織に出世の道を求めるだろう。官僚になること、なった後は官僚組織のなかで昇進することだけが、野心の対象になるだろう。このような体制の下では・・・改革を目指す指導者が政権を握ったとしても、官僚の利害に反する改革は実行できない。
(新訳『自由論』第5章「原則の適用」244頁)
(2007/1/21)

(中略)
☆年末に入院したときに、新訳のミル著『自由論』(光文社古典新訳文庫2006年12月15日)をたまたま書店で購入し、病室に持ち込みました。海岸に面した8階の個室でしたから、夜はベッドに横たわって静かに読書ができました。携帯電話の使用も常時可能でした。何度も目を通した訳書の筈なのに、装幀や環境が異なると印象がこんなにも違うものかと不思議な感じがしました。「個性ゆたかな文化の創造をめざす」教育に関係する記述を引用してみます。
◎人間が高貴で美しいといえる人物になるのは、個性的な性格をすべてなくして画一的になることによってではない。他人の権利と利益をおかしてはならないという条件のもとで、個性的な性格を育て際立たせることによってである。そして人間の行うことはすべて、それを行う人の性格を反映するので、個性を育てていくことによって人間の生活は豊かになり、多様になり、活発になり、高級な思想と崇高な感情を育てる材料が豊富になり、人類がはるかに素晴らしいものになる。
新訳『自由論』第3章「幸福の要素としての個性」141頁)
◎教育のすべてか大部分を国が担うことに対しては、わたしは誰よりも強く反対する。各人の個性が重要であり、意見や行動様式の多様性が重要だと・・・論じてきた点は、教育の多様性が言葉ではいいつくせないほど重要であることも示している。国が教育をすべて担うのは国民全員をひとつの型にあてはめて一様にしようとする試みに他ならない。
新訳『自由論』第4章「原則の適用」234頁)
☆民権私塾の「薫陶学舎」では、教科書として『自由論』(自由之理・On Liberty)を使用していました。ミルの自由論の構造や訳語の問題については、拙著『底点の自由民権運動』で論じたことがあります。原著や原書も購入して手許にあります。今回の入院中の読書では、ミルの教育観の特徴を考えることができました。
(2007/1/14)


《2006》

★謹賀新年。今年は「安房万石騒動300年」について書き続けるつもりです。銚子市の『高神村一揆』を書いた25年前を思い出しながら。1月は、まず研究史の整理をしてみます。万石騒動はどのように調査・研究され、評価・叙述されて来たか?
★黒正巌(コクショウ・イワオ)『百姓一揆の研究』(岩波書店1928年)から始めます。昭和初期以前の研究段階については後日に。黒正巌(1859~1949)は、戦前戦後に京都大学の教授であった人です。
○正徳年中房州化(北)条村地方に発生せる所謂萬石騒動なるものは、河(川)井敬(藤)左衛門なる検見役人の非違が動因となったのである。
(『百姓一揆の研究』138頁)
○百姓一揆年代表

西暦

年次

発生月

発生地域名

原因

形態

出典

1711

正徳元

11

安房

苛斂誅求

越訴

小原正雄氏調査報告・安房郡誌1000

(『百姓一揆の研究』421頁・450頁)
★万石騒動発生の原因を「武士の非違」(行政的動因)という項目に分類し、典拠資料として小野武夫編『百姓一揆叢談』を注記しています。地名と人名の記述に誤りがありましたので訂正しました。若い世代は、「
苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)」の意味が解らないかもしれません。
★私が若い頃から敬愛する羽仁五郎は、「幕末に於ける社会経済状態・階級関係及び階級闘争」(分冊後篇16頁・日本資本主義発達史講座第一部1932年)で、黒正巌の百姓一揆研究の「定義」「分類」「革命性否定論」を痛烈に批判しました。この点についての整理は本題から外れるので、今回は詳述しないことにします。日本資本主義発達史講座第四部の小野武夫「農民史料解説」(分冊6頁・1933年)には、「房州万石騒動実録(正徳6年、安房国、訴訟騒乱)」の記述があることを付記しておきます。正徳6年は正徳元年の誤りですが・・・。
(2006/1/元旦)


《2005年》
★先週の12日(土)と13日(日)は、自由民権120年の「東京フォーラム」に参加してきました。報告と討論の原稿準備で疲れたためか、当日は久し振りに胃が少し痛みました。各県の参加者の皆様から、様々な御意見を聞くことができて大変参考になりました。フイールドワークは田崎先生の案内と説明に導かれて、谷中霊園の民権家(花香恭次郎等)の墓参りをすることができました。東京フォーラムが縁で寄贈して戴いた書籍を紹介致します(敬称略)。
○風間三郎『西南戦争従軍記』(南方新社1999年6月)<BR>
○中村明蔵『薩摩民衆支配の構造』(南方新社2005年7月)<BR>
○矢野宏治『薩摩維新秘録』(南方新社2005年7月)<BR>
○塚本四郎遺稿『日本近代史の一面を照射する』(関口民男編・発行2005年8月)
★前掲図書の鹿児島の民権運動や、渡良瀬川流域の民権運動を明らかにしようとする地道な御努力に敬意を表します。全国各地の民権運動研究が、これまで以上にさらに密接に交流を深めることを期待しています。新たな交流によって、自分の地域研究の限界を突き崩すことができるように思います。「東京フォーラム」の集会準備に当たられた事務局の皆様に、心より感謝申し上げます。
(2005/11/20)

(中略)

☆先日、17インチのディスプレイが故障し、画面が真っ暗闇になってしまいました。7年前(1998年4月)に買ったディスプレイですから、寿命かもしれません。購入したラオックス君津店は今は無いので困ったものです。新しく買い換える気になりませんので、市内のリサイクルショップDoki・Dokiで中古の15インチディスプレイを探し、3000円で購入して代用することにしました。結構何とかなっています。そろそろ「パワーブック・G4」を購入しようかな?銀座のアップルストアへ見学に出かけなくては・・・。
☆3月4日は久し振りの春の大雪でした。通勤途中の車内で拙い一句。
 杉の山/霙嶺岡/横殴り (凡一)
(2005/3/6)

(中略)

☆千葉県知事選挙が告示されました。この4年間に次々と、房総の県立高校の統廃合を推し進めた現職女性知事を、私はとても支持する気持にはなれません。得意の環境保護政策も、過疎地域の観光再開発に擦り寄ったものでしかないことが、徐々に明らかになったと私は考えています。年齢もすでに古希を越えて、一体誰に(次世代の)バトンタッチするつもりなのでしょうか?
☆対立候補も、房総の風土のなかから生まれ出たような人物は皆無で、如何にも千葉県の立地環境の曖昧さ(首都従属性?)が浮き出てしまったような選挙戦のように感じています。120年前の民権派の自生型千葉県会議員(君塚省三・齊藤自治夫等)がこれを見たら、どのように嘆くでしょうか?
(2005/2/27)



《2004年》

(中略)
☆入院治療の甲斐無く、老母が、亀田病院にて死去(12月15日水午後12時28分永眠・大正11年生まれ)したため、年末年始の御挨拶を控えさせて戴きます。通夜並びに告別式に御会葬賜りました皆様に、厚く御礼申し上げます。
追悼の拙句
「悲しみに/添い寝する日の/辛夷かな」(凡一)
(2004/12/19)


《2003年》

(中略)
☆新春早々のアクセスに御礼申し上げます。昨年は不思議なくらい良いことが重なり、体調の安定した1年間でした。7月には史料の校訂にへとへとになりながらも、10年分の論稿を1冊にまとめ新著を上梓することさえできました。講演・資料展・出版・交流・集会のため、2002年は少し走り過ぎ、喋り過ぎたかもしれません。今年は、倒れることのないようにまたゆっくりと歩き、考え続け、生き続けるつもりでおります。皆様の御教導を御願い申し上げます。
元旦や 芽吹く辛夷に ぐいと呑む
梅咲いて 人の憂いに 情けあり
卒業式 沈丁花の 隠れている
《旧春三句・凡一》
(2003/1/1)


《2002年》

(中略)
☆南房総の自由民権資料展(第10回)の御案内
残暑お見舞い申し上げます。地域の「自由民権120年」を記念して、久々に資料展を開催します。今年は1カ月間程、長い期間の展示を行いますので、ついでの折にお出かけ下さい。入場は無料です。
☆ 期間 2002年8月21日(水)~ 9月23日(月) *但し祭日以外の月・火は休館
      午前10:30 ~ 午後7:00
☆ 場所 喫茶ギャラリー「山のすみれ」 (0470)28-2345  館山市藤原393-1
     JR館山駅から神戸廻り白浜行きバスで15分(運動公園前下車)
☆ 展示資料 1874年頃から1890年頃の南房総の自由民権運動に関する資料約100点
      (民権家の書簡、演説会史跡写真、原亀太郎日誌、民権私塾のテキスト等)
(2002/8/25)


☆昨夏以来、新著(『底点の自由民権運動・新史料の発見とパラダイム』)の準備を進めて来ましたが、漸く上梓することができました。目次は以下の通りです。
第1章 桜井静「国会開設懇請協議案」関係の新史料
第2章 「自由党本部報道書」の新史料
第3章 1884年自由党夷隅事件の捜索過程
第4章 房総の「三大事件」建白運動
第5章 近代史料の解読 
第6章 三大事件建白運動と北村門太郎 
第7章 底点の民権資料を読む
補論1 房総の自由民権と授業 
補論2 房総の自由民権研究と教科書
(後書き)地域の自由民権120年 
詳しくは岩田書院のホームページを御覧下さい。(2002/7/28)
http://www.iwata-shoin.co.jp/  click


《2001年》

(中略)
☆21世紀の門出を祝し、今冬の拙句を記します。
◇初霜や命安堵の草の色   凡一(ぼんいつ)
 ハツシモヤ イノチアンドノ 
クサノイロ
1950年3月生まれの私は満50才です。昨年末頃から凶悪な強盗事件が相次いで、治安が悪化しています。「このような犯罪が連続する時代は過去にもあったのか?」と最近首をひねっております。再び、大不況、の前触れでしょうか?(2001/1/1)


《2000年》

(中略)
☆10月11日(水)で開局2周年になります。デジタル世界の広がりと壊れ易さと儚さを痛感した2年間でした。この間、メールで感想を送って戴きました皆様に、あらためて御礼を申し上げます。(2000/10/10)


《1999年》

(中略)
☆1999(平成11)年2月22日で、インターネットを始めてから、丁度満1周年を迎えます。1年前は68Kマックでしたが、今はG3マックです。スピードが全く違います。最近、WEB資料館を見ての感想や質問を、E.メールで貰うことが増えました。リンク紹介をして戴いているサイトもあります。交流の輪が広がることが、房総の自由民権研究をこれからも続ける励みになります。昨日は外国からエアーメールも届きました。不思議な時代ですね。(1999/2/14)


《1998年》

(中略)
☆まずはマック派宣言・・・。この「web資料館」は友人や家族の薦めで、G3マックのDT・266を使用し、ソフトはホームページ・Pro3で作製しています。私は48才の手習いですから、創っては壊し、創っては壊しの連続でした。1998(平成10)年の4月21日から構築を始め、取り敢えずアップロードし開局したのが10月11日(日)です。
(1998/10/28)



《経過》
(第1回)房州の自由民権史料展、19878月、鴨川市市民会館
(第回)鴨川の自由民権史料展、19888月、鴨川市市民会舘
(第3回)房州の自由民権史料展「フランス革命200年を問う」、19898月、鴨川市文化体育館
(第4回)国会開設100年・房総の自由民権史料展「銚子・海匝・香取地方を中心として」、19905月、銚子市ぷくぷく亭書店2
(第5回)房総の自由民権史料展「安房・夷隅地方を中心として」、19918月、鴨川市ギャラリー長谷川
(第6回)房総の自由民権資料展「鴨川の自由民権と自然保護」(『房総の自由民権』出版記念)、199210月、鴨川市主基公民館
(第7回)房総の自由民権資料展「人民・進取・民権」、19938月、大原町文化センター
(第8回)房総の自由民権資料展「敗戦50年・憲法9条と21条の初志」、1995年8月、大原町文化センター
(第9回)房総の自由民権資料展「井上幹と薫陶学舎・精農社・以文会」、199711月、大原町市民ギャラリー
 ※1998421日(火)にWEB資料館を構築開始、同年10日(日)インターネット上に開設致しました。



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