医療事故物語
医療事故発生から訴訟まで

Medical Malpractice Information Center


医療裁判はどのように行われるのでしょうか。皆様に具体的なイメージを持っていただくために、お子さんが医療事故に遭われた稲垣克巳さんがお書きになった「克彦の青春を返して 医療過誤、十八年の闘い」(2001年中日新聞社)を参考にさせていただいて、医療事故が起こってから訴訟が終わるまでを簡単にご紹介いたします。平成10年に新しい民事訴訟法が施行されて、裁判の手続が変わっているところもありますし、また、皆様により分かり易くご理解いただくために、創作している箇所もあります。従いまして、稲垣さんのケースの訴訟の流れとは異なっているところもあります。


目 次
 
1. 医療事故の発生
2. 弁護士への相談、依頼
3. 証拠保全とその後の検討
4. 示談交渉
5. 訴訟
 訴訟の提起
 口頭弁論期日
 弁論準備手続期日
 担当医師・看護婦の尋問
 原告本人の尋問
 鑑定意見書の提出
 訴訟上の和解
 鑑定
 口頭弁論の終結
6. 判決


登場人物・機関

正志君 医療事故の被害者
お父さん 正志君のお父さん
お母さん 正志君のお母さん
病院 医療事故を起こした医療機関
担当医師 医療事故を起こした医師
看護師 医療事故発生直前に正志君の看護に当たった看護師
神田弁護士 正志君のご両親から最初に相談を受けた弁護士
松原弁護士 正志君のご両親、正志君から依頼を受けて神田弁護士とともに訴訟を担当した弁護士
A医師 神田弁護士の依頼で鑑定意見書を書いた医師
B教授 病院の依頼で鑑定意見書を書いた大学医学部教授
C教授 裁判所からに鑑定人に指定された大学医学部教授



1 医療事故の発生
 正志君は首の左の部分が少しずつ腫れていく病気になりました。「リンパ管腫」という病気でした。左の首が腫れているものの、熱が出るとか痛いとかかゆいといった症状は一切ありませんでした。
 正志君は病院で診療を受けたのですが、担当医師は、
「リンパ管腫は良性で、取り除けば良くなりますよ。」
と正志君やご両親にも話しました。その話を聞いて、正志君は、リンパ管腫の摘出手術を受けることにしました。ご両親も担当医師からの説明を聞き、安心していました。

 手術自体は成功しました。

 ご両親は、手術翌日に病院の責任者の人から、
 「経過は順調です。これから日一日と良くなりますよ。」
との説明を受けました。実際、正志君も、排尿用の管を取ることができ、自分でおしっこに行けるまでになっていました。

 ところが、手術の翌々日になって、病院からお母さんに、
 「正志君の具合が悪いので、病院に来てください。」
との連絡が入りました。びっくりしたお母さんは、すぐに病院に駆けつけたのですが、既に正志君の病室には大勢の医師や看護師が集まり、慌ただしく出入りしていました。お母さんは一所懸命正志君の様子を見ようとしましたが、出入りする人たちにさえぎられて、正志君の様子を見ることはできませんでした。仕方なくお母さんは、不安な気持ちに襲われながら、病室の外で待っていました。暫くして、看護師が病室から出てきて、お母さんに対し、
 「命だけはとりとめました。今から再手術をします。」
とだけ話しました。

 このようにして、正志君は、再手術を受けることになりました。
 お母さんから連絡を受けてお父さんも病院に駆けつけましたが、お父さんが病院に到着した時は正志君が再手術のため手術室に移動した後でした。

 そして、手術から戻って来た時、正志君はご両親が呼びかけても応答することができない状態になっていたのです。

 正志君のご両親は、再手術後、病院の責任者から説明を受けました。
 「病院ではよくあることです。意識が回復していませんが、できるだけのことはします。」
その人はこのように話すだけで、正志君がどうしてこんな状態になってしまったのかということは何も説明してくれませんでした。
 ご両親は、気が動転していて、その場では何も質問できませんでした。

 その後、正志君は、運動することはもちろん、物事を認識したり記憶したりすることもできない、完全な寝たきり状態になってしまいました。

 正志君のご両親は、事故が発生して数日してから、自分達が看病した時の正志君の様子、医師や看護師とのやりとりを細かく手帳に記すようにしました。そして、担当医師や看護師、同じ部室の患者さんから、病状が急変した当時の状況を聞き出して、聞いた内容を手帳に細かく記録するようになりました。
(注1)
医療事故ではないかという疑問を持ったら、必ず記録に残しておきましょう。医療事故の発生から間もなく作成されたメモや記録等に基づく証言であれば、単に記憶だけの証言より信用性に違いが出てきます。人間の記憶は段々と薄れていくので、初期の段階では記憶していたことも、後日裁判の場になると不確かな証言しかできないようになり、裁判所に有利な心証を持ってもらえないことにもなりかねません。

○医療事故ではないかと思ったら 医療事故を疑ったときやっておくべき事
稲垣さんからのコメント

毎日の看護記録を手帳に記したのは、親が息子の病状を的確につかんで、それを基に医師、看護師と話し合って、よりよい治療をするためでしたが、結果としてこの記録は、訴訟の上で証拠書類として大きく役立ちました。
 
2 弁護士への相談、依頼
 正志君のご両親は、正志君の病状が急変した前後の状況をいろいろな人から聞いていくうちに、病院や担当医師のミスで正志君の病状が急変し、完全な寝たきり状態にまでなってしまったのだと強く思うようになりました。それは、次のような事情が分かったからでした。
 まず、最初の手術から30時間余り経過した段階で、正志君は、出血が気になって眠れないということでナースコールをしていました。看護師が駆けつけ、手術した箇所からの出血でガーゼと寝衣が汚れ、シーツも汚れていたのを認めています。しかし、ガーゼを増やして当てられ、絆創膏で圧迫されただけで、担当医師に報告はされず、病院側ではそれ以上の処置はされませんでした。
 その後、4時間ほど経過し、正志君は看護師に息苦しいと申し出ていました。看護師が「息苦しい」との言葉に嫌な感じを受け、担当医師に連絡を取り、正志君を診察しました。担当医師は、静脈性出血が考えられるので再手術の必要があるかもしれないと看護師に話したそうですが、結局ガーゼ交換をしただけで、それ以上の処置はなされなかったのです。
 担当医師が帰った後数十分して、正志君は、再びナースコールをしました。そして、看護師が見に行った時には、正志君は、ベッドの上にうつむき加減に座った状態で、看護師が仰向けにしようとしましたが、みるみるうちに、正志君の手足は硬直して紫色になっていったのです。気がつくと、正志君は呼吸停止の状態になっていました。看護師らが2人がかりで人工呼吸などを行いましたが、医師はなかなか来ず、気管切開ができたのはナースコールがあってから45分も経過してからのことだったのです。
 このように、正志君に出血が続いているのに止血処置がなされず、正志君が息苦しいと訴えても放っておかれたことが、正志君の病状が急変した原因ではないか、呼吸停止から気道確保されるまでに、5分間という許容時間を大きく超えて45分間もかかったことが、懸命に治療をしても回復しなくなった原因ではないか・・・・そうであれば、これは、病院や担当医師のミスじゃないのか・・・・そんな思いがお父さんやお母さんに強く沸いてきたのです。

 正志君のご両親は、担当医師や担当の看護師のほかに、病院の責任者など関係者を交えて何回も話し合いをしました。その際に、出血が続いており、また息苦しいと申し出ても、何の処置もされなかったこと、呼吸停止から気道確保までに少なくとも45分間を要したことは、病院側に責任があるのではないかと追及しました。
 ある時、看護師から、
 「正志君が息苦しいと訴えていた時に、酸素吸入、気道確保をすべきだったか…」
と独り言のように、ポツンと話が出ました。
 しかし、病院の責任者は、「最善の努力をしましたが、このようなことになりお気の毒です。」と繰り返すばかりで責任は一切認めず、謝罪もなされませんでした。
 当然のことながら、ご両親は納得できませんでした。

 正志君のご両親は、このままでは同じような医療過誤が、これからも何度も繰り返されるのではないかと心配になり、病院や担当医師の責任を明らかにしてもらいたいと思うようになり、裁判を起こすことを考え、弁護士に相談することにしたのです。

 お父さんやお母さんは、当時の状況、その後の経過などがメモしてある手帳や診断書などの資料を用意して、正志君の病状が急変した前後の状況を自分達が調べてわかった範囲で神田弁護士に説明しました。
 神田弁護士からは、
 「事情はかなり分かりました。ただ、実際に訴訟を起こすかどうかの判断をするには、訴訟を起こす前に病院のカルテ等の資料が散逸したり書き換えられたりしないように予め入手し、その内容を調べてみる必要があります。病院のカルテ等の資料を入手するためには、裁判所に証拠保全の申立てをする必要があります。」との説明がありました。
(注2)
 往々にして患者側には被害者感情があり、ともすればそれが医師との話し合いの中で爆発しがちです。しかし、医師に対する患者側の感情的対応は、医師の説明を十分に引き出せないままに終わることにもつながりますし、何より、医師に危機意識をうえつけ、カルテ等の改ざん・廃棄を誘発する危険を招くことになりかねません。したがって、ともかく冷静な態度で医師の説明を聞くことが必要です。この段階では医師に過失があるのかどうかを判断することは困難であり、説明を聞くのは状況を明らかにし、それをメモ等によって記録化することが目的なのであって、医師の責任を追及することが目的なのではありません。

(注3)
 近年、カルテ開示の自主的な取り組みは進んできましたが、未だカルテの開示は法律上の義務とはなっていませんので、あなたがカルテの写しを求めても病院は拒否することが可能です。カルテの写しを求められれば病院側としては今後あなたから責任が追及されるかも知れないという危機感が募りますので、カルテの書換などがなされる危険が高まります。初回の相談の際に依頼者がカルテを持参していることの方が稀ですので、手元になければそのまま弁護士に相談し、どのようにカルテを入手すればよいかを相談してみてください。

○医療事故ではないかと思ったら 医師に説明を受けるとき
○FAQ 証拠保全に必要な費用は
○FAQ 弁護士に相談に行く前に病院に資料(カルテ等)を請求すべきか
医療情報の公開・開示を求める市民の会
稲垣さんからのコメント

医療過誤が起こったのは、首の長時間手術後の厳重な術後管理を怠った病院の管理態勢が根本にありました。
さらに、医師、看護師が、出血、患部の腫れ、脈拍の急上昇、息苦しいとの訴えなど、いくつもの危険な徴候があったのを見逃した責任も大きいと思います。
最近も、次々に医療過誤が起こっていますが、日本の医療の世界は、事故を隠そうとし、過誤があっても謝罪しない体質を持っています。
事故を隠さず、被害者に謝罪するとともに、徹底的に原因を究明して初めて、再び同じ事故を繰り返さないとの誓いが出てくるのだと思います。

 
3 証拠保全とその後の検討
 正志君のご両親は、神田弁護士に証拠保全の申立てを依頼し、病院のカルテ等の資料を入手してそれらを検討してもらうことにしました。
 神田弁護士から、
 「証拠保全の申立てには、正志君の病状が急変した前後の状況など、正志君が病院で診療を受けた経緯について説明した陳述書という書類を作成し、それを裁判所に提出することが必要です。」
という説明がありました。
 神田弁護士が、お父さんやお母さんから説明を受けた内容を基にして陳述書の下書きを作成し、内容を確認してもらって陳述書を作り、ご両親が署名押印して陳述書が完成しました。

 その後、神田弁護士から、
 「陳述書を申立書に添付して裁判所に証拠保全の申立てを行いました。」
との連絡があり、10日ほどして、
 「裁判所が証拠保全を行うとの決定をしました。実際に病院に裁判官や裁判所職員の人や神田弁護士が出向いて証拠保全を行う日にちも1ヶ月後に決まりました。」
との連絡をもらいました。

 そして、約1か月後、病院で証拠保全が行われました。

 証拠保全後、正志君のご両親は、神田弁護士から正志君の診療に関するカルテなどの資料のコピーをもらいました。
 お父さんとお母さんも、もらった資料のうち、正志君の手術と、入院から手術までと手術から正志君の病状が急変するまでの看護記録にすぐに目を通し、正志君が看護師に息苦しいと申し出ていた時脈拍が急上昇していたこと、出血が続いているのに病室へ見回りに来るなどの注意が払われていなかったこと、24時間以上にわたって血圧が測られていなかったことなど新たな事実も知ることができました。

 その後、神田弁護士から検討結果の説明を受けました。
 神田弁護士からは、
 「協力医の助言などを基に検討した結果、出血が気になって眠れないという正志君のナースコールで駆けつけた看護師が、正志君に大量出血が認められるのを確認しながら、担当医師へ連絡しなかったことや、看護師に息苦しいと申し出た正志君を診察した担当医師が、正志君の容態の悪化する可能性を考えて直ちに再手術に踏み切るか、ベッドサイドに救急器具を運ぶなど救急態勢をとるべきだったのに、それをしなかったこと、担当医師が、正志君の容態が悪化する可能性を考えて待機すべきだったのに、正志君が呼吸停止の緊急状態になった際に連絡の取れないところにいたことなど、なすべきことをしなかった過失が担当医師や看護師に認められる可能性があります。訴訟で勝訴できる可能性は十分あると思います。」
との説明がありました。
 しかし、神田弁護士から、
 「訴訟は大変な時間と、費用と、労力を要しますので、まず示談による迅速な解決が可能かどうかをみるため、一度病院と交渉をしてみましょう。」
と勧められました。
 お父さんとお母さんは、話し合いによって病院が責任を認めてくれるならそれに越したことはないと考え、神田弁護士の勧めにしたがい、訴訟を提起する前に病院と示談交渉をすることにしたのです。

 なお、神田弁護士からは、
 「正志君は既に成人なので、正志君自身の損害の賠償を求めて訴訟を提起したり、病院と示談をする場合には、正志君自身が当事者とならなければいけない、しかし、正志君は現在意識のない寝たきり状態なので、正志君の成年後見人を裁判所に選任してもらって、その成年後見人から私が依頼を受ける必要があります。」
という説明がありました。
 そのため、示談交渉に入る前に、お父さんが家庭裁判所に正志君についての後見開始の審判申立てを行い、お父さんが成年後見人に選任され、お父さんが正志君の成年後見人として改めて神田弁護士に病院との交渉を依頼することになったのです。
○医療事故ではないかと思ったら 証拠保全について 協力医について
センターパンフbQ 証拠保全のはなし
○FAQ センターの協力医紹介について
4 示談交渉
 神田弁護士は、正志君の代理人として、病院に宛てて、正志君の病状が急変した経緯と担当医師の過失、それによって正志君が完全な寝たきり状態になってしまい、どれだけ正志君が損害を被ったかということを指摘し、損害賠償を求める申入書という書面を、内容証明付書留郵便で送りました。

 その後、しばらくして、病院から神田弁護士のところに、
 「責任はないと確信していますが、保険の審査会に聞いていますので、結論が出るまで待っていてください。」
との連絡が入りました。
 そして、待っていると、
 「保険の審査会で責任はないとの結論が出ましたので、やはり損害賠償請求には応じられません。」
との回答がありました。
○FAQ 医師賠償責任保険とは何か
5 訴訟
訴訟の提起
 正志君のご両親は、神田弁護士と改めて訴訟を提起するかどうかの相談をしました。
 神田弁護士からは、
 「保険の審査会で責任がないとの回答が出ても、その後訴訟で勝訴した例は少なくありませんので、それほど気にする必要はありません。ただ、医療過誤訴訟自体は、一般の民事訴訟に比べ『密室性の壁』『専門性の壁』『封建性の壁』があり難しい訴訟で、必ずしも勝訴できるとは限りません。その点よく考えて、訴訟をするかどうか決めて下さい。」
との説明がなされました。
 お父さんとお母さんは、いろいろ考えた結果、やはり
 『病院や担当医師の責任をできる限り明らかにして欲しい。このままでは真相が覆い隠されてしまう。』
との思いから、訴訟を提起する決意を固め、神田弁護士にそのことを伝えました。
 神田弁護士からは、
 「医療過誤訴訟は、弁護士が費やす時間・労力が他の訴訟と比べ多く、また専門的知識・経験も必要になるので、できれば複数の弁護士で訴訟を行いたい。」との話があり、お父さんお母さんは神田弁護士から、一緒に訴訟を行う弁護士として、松原弁護士を推薦されました。
 そこで、神田弁護士と松原弁護士に依頼して訴訟を提起することになったのです。

 そして、神田弁護士・松原弁護士は、作成した訴状案をお父さんとお母さんにも見てもらい、意見を聞くなどして訴状を作成し、訴訟を提起したのです。
○センターパンフbR 医療過誤裁判のはなし
○FAQ 医療事故裁判はどのように進むか
口頭弁論期日
 訴訟提起後しばらくして、神田弁護士から、
 「第1回の裁判の日時が決まりました。」
との連絡が入りました。
 「裁判の最初は、書面のやりとりだけで終わってしまう『口頭弁論期日』ですが、傍聴されますか?」
と神田弁護士から問いかけを受けた正志君のご両親は、できる限り自分の目と耳で裁判の進行を確かめつつ積極的に対応していきたいという気持ちから、「口頭弁論期日」についても、それ以外の期日についても、可能な限り出席しようと決めました。

 神田弁護士から説明があったとおり、第1回目の口頭弁論期日では、双方の代理人の弁護士が
 「訴状を陳述します。」
 「答弁書を陳述します。」
とだけ言って、裁判所と次回の期日の日時を1ヶ月ほど先に決めただけで終わってしまいました。
 双方の弁護士の意見が聴かれた上で、次回は争点を整理するための弁論準備手続期日が開かれることになりました。
(注4)
 依頼したのだから一切弁護士にお任せではなく、自分が何を望んでいるのかをきちんと弁護士に伝え、積極的に資料を提供したり、協力して事件の解決にあたろうとする姿勢も必要です。但し、仕事を休んででも全ての裁判に出席しなければならないということではありません。
○FAQ 弁護士と良い関係を築くには
○FAQ 仕事を休んででも裁判には出席しなければならない?
弁論準備手続期日
 正志君のご両親は、松原弁護士から、弁論準備手続について、
 「法廷と違い、率直な意見交換・協議を通じて争点を整理していくために、裁判所内の準備手続室という部屋で行われる手続です。一般には公開されないのですが、裁判の当事者は立ち会うことができます。また裁判の当事者以外でも当事者が求めた傍聴人については特に支障がない限り傍聴が認められることになっています。」
という説明を受けました。

 弁論準備手続期日が4〜5回開かれ、正志君のご両親も立ち会いました。
 その手続の中で、正志君の診療経過や診療経過を基にした担当医師の過失の有無などの各点において、自分たちと病院側との言い分のどこに違いがあるのかが、整理されていきました。

 この間に、お父さんとお母さんが正志君の病状が急変して以来記録していた手帳も書証として提出しました。
 この手帳は、正志君の病状が急変した直後の状況や担当医師との話し合いの状況などが克明に記されていたため、貴重な資料となりました。

 そして、争点整理が概ね済んだということで、証人尋問の手続に移ることになりました。
担当医師・看護婦の尋問
 証人尋問では、病院側からの申請で、正志君の診療を担当した医師と、正志君の病状が急変する直前に正志君の看護を担当していた看護師とが証人として証言台に立つことになりました。
 お父さんとお母さんは、
 「以前の裁判では、争点の整理を十分に行わないまま証人尋問に入り、証人も一人ずつ順番に聞いていくということもありましたが、最近は、民事訴訟法も改正されて、争点の整理が意識的に行われ、証人尋問はできる限り集中して行うようになっているんです。」
との説明を松原弁護士から聞きました。
 それは、1回の期日に担当医師と看護師の病院側からの主尋問を終えてしまい、その次の期日にこちら側からの反対尋問を終えてしまうという話でした。

 実際の尋問期日の事前には、担当医師と看護師の陳述書が病院側から裁判所に提出されていました。
 陳述書については、松原弁護士から、
 「現在の裁判実務では、当事者や当事者に近い立場の証人の尋問の前には、予め尋問を受ける人が法廷で話す内容の概要を記載した陳述書が裁判所に証拠として提出されることが多いんです。」
という説明がありました。
 これらの陳述書のコピーを神田弁護士から受け取って、お父さんもお母さんもこれを読み、お父さんが手帳にメモしていた担当医師や看護師との事故発生後の実際のやりとりと違う記述などについて便箋などにメモし、手帳の該当箇所のコピーとともに神田弁護士に渡しました。

 看護師は、裁判になる前に、病院の責任者や担当医師と一緒にお父さんたちと話し合いをした際、「正志君が息苦しいと訴えていた時に酸素吸入、気道確保をすべきだったか…」と独り言のようにポツンと話をしたことがあったのですが、尋問の際には最初そのような発言をしたことを否定していました。
 しかし、お父さんが克明に記していた手帳の記録にそのような記載がされていることを神田弁護士が尋問の際に指摘したところ、看護師は、
 「後から考えてみると、そのように酸素吸入、気道確保をすべきだったと考えられた というような話をしたのではないですか。」
というように話のニュアンスを変えました。

 担当の医師の尋問により、正志君のところに担当医師がかけつけた時点では、人工呼吸器で強制的に呼吸をさせても、気道が確保されていないため酸素供給が不十分で、挿管を繰り返している余裕はなく、一刻も早く気管切開を行うべき状態であったのに、それが大きく遅れてしまった様子が明らかになりました。また、静脈性出血が続いていて注意して管理すべきだった正志君について、特別の注意が払われていなかった様子も明らかになりました。
 ただ、担当医師は、正志君の病状が急変した原因について、手術箇所の血液を外に出すために大きなドレーンを入れていたが、それが迷走神経を刺激してショックで心臓が停止した可能性があると述べ、そのようなことが起こるのを予見するのは不可能だなどと責任を否定する趣旨の話をしました。
原告本人の尋問
 正志君のご両親は、神田弁護士らと相談して、正志君の法定代理人としてお父さんが証言台に立つことに決め、その旨尋問の申請をしていました。

 その尋問の前に、松原弁護士が中心となって、お父さんが法廷で話す内容の概要をまとめた陳述書を作成し、尋問期日の前に証拠として裁判所に提出しました。

 担当医師、看護師と同じ期日で行われたお父さんの主尋問では、神田弁護士が、書証として提出した手帳の内容や、お父さんとお母さんが正志君の異状を聞いて病院へ駆けつけた状況、家での正志君の看護状況などについて順番に質問し、それに対しお父さんが答える形で進んでいきました。

 次の期日にお父さんに対する反対尋問が病院の弁護士から行われ、続いて裁判官から補充尋問が行われました。
鑑定意見書の提出
 尋問が一通り終わった後、神田弁護士の尽力によりA医師に鑑定意見書を書いてもらうことになりました。
 正志君のご両親、神田弁護士、松原弁護士の4人が、訴訟での資料を基にA医師に正志君の病状が急変した当時の状況などを説明し、A医師に関係資料を渡しました。

 出来上がったA医師の鑑定意見書は、
@ 正志君の手術後の病院の管理が悪かったに尽きる、病院側のミスである。
A ドレーンが迷走神経を刺激してショックで心臓が停止したという担当医師の見解は、手術後30数時間も経ってからは起こり得ないことで、浮腫による圧迫のために気道が狭くなったこと以外には正志君の病状が急変した原因は考えられない。
B 正志君の「息苦しい」との訴えに対し、その原因追及がきちんとなされていない。
C 気管切開手術の開始までに少なくとも30分間かかっているのは、時間のかかり過ぎである。
というように、明快に病院側の責任を肯定するものでした。
 そこで、神田弁護士らは、このA医師の鑑定意見書を証拠として裁判所に提出しました。

 他方、病院側は、これに対抗して、某大学医学部のB教授の鑑定意見書を裁判所に提出しました。
 提出されたB教授の鑑定意見書の内容は、
@ 正志君が「息苦しい」と訴えた時点で、その後の病状急変を予見するのは不可能だ。
A 咽頭浮腫が正志君の病状急変の原因ではない。
というものでした。
訴訟上の和解
 尋問が終わり、双方から私的な鑑定意見書が出た後、裁判所から、和解について話し合うことの提案があり、一度そのための期日が持たれました。

 正志君のご両親は、神田弁護士から和解についての考えを尋ねられました。
 『病院や担当医師の責任を明確にするという意味でできれば勝訴判決が欲しいけれど、この先勝訴判決の確実な保証もないし、病院がある程度非を認めるのであれば…』
という気持ちもあり、
 「病院側の対応を見て考えたいと思います。」
と答えました。

 しかし、和解期日には双方交替で裁判官と面談しましたが、病院側は全く非を認めず、和解の意向が全くないということで、再び審理に戻りました。
鑑定
 審理に戻り、病院側から鑑定の申請がなされました。
 正志君のご両親は、すでにA医師の明快な鑑定意見書や文献などで病院側の過失を立証できていると考えていましたので、 病院側からの鑑定申請は、いたずらに裁判を長期化させようとしているかのように思われ、神田弁護士らは裁判所に対し、このような鑑定は必要ないとの意見を述べました。
 また、神田弁護士からもご両親に対し、
 「鑑定というのは、一見すると第三者の医師の意見を聴くというもので公平な結論が期待できるようですが、実際は、同じ医師同士、同じ分野の医師同士では、相互批判が行われにくいという現実がありますので、注意しなければなりません。」
との説明がありました。

 しかし、正志君側の反対にもかかわらず、裁判所は、病院側からの鑑定申請を採用してしまいました。

 そして、鑑定採用から半年ほど経過し、鑑定人が、B教授や病院とは学閥の異なる大学のC教授に決まりました。

 その後、C教授の大学まで裁判官、書記官、神田弁護士、病院代理人弁護士が出向いて、C教授に誠実に鑑定する旨の宣誓をしてもらい、鑑定をお願いする手続が行われました。

 宣誓手続から半年ほど経過し、C教授から裁判所に鑑定書が提出されました。
 大筋においてA医師の鑑定意見書と同様の病院側の過失を認める内容でした。

 病院側からは、鑑定書が提出された後、C教授の証人尋問の申し出がありました。
 しかし、裁判所は、尋問事項について書面で照会するに止めることとしました。
 C教授から、尋問事項に答える形で鑑定補充書が裁判所に提出されました。内容的には鑑定書のとおりで変更はありませんでした。
口頭弁論の終結
 その後、口頭弁論期日が開かれ、正志君側、病院側、双方からの最終的な主張が記された準備書面が提出されました。
 そして、裁判長から
 「弁論を終結します」
と、審理終了が宣言されました。
6 判決
 判決期日当日、法廷で、裁判長が判決主文のみを読み上げました。
 「被告は、原告に対し、金○○○○万○○○○円及び…を支払え。…」
 正志君の完全な勝訴判決でした。
 ご両親にとってはあまりにあっけない判決の言い渡しでしたが、松原弁護士から、「刑事事件と違い、民事事件の場合は主文の朗読だけで終わるのが一般なんです。」
という説明がありました。

 約30分後ご両親は、判決文の全文を入手して神田弁護士、松原弁護士とともに急いでその内容に目を通しました。
 その要旨は、
@ 首の手術は合併症が引き起こされることがあるので厳重な術後管理をすべきであった。
A 多量の出血が続いていたので、止血のための緊急手術をするとか、もしくは厳重かつ積極的な管理をすべきであった。
B 呼吸困難に陥るなどの重大な事態になることが予見されたにもかかわらず、緊急気管切開手術を行うなどの有効な措置を取らなかったので、ショック状態になり、回復不能な後遺症が残った。
C 担当医師の医療上の過誤があったと認められる。
 判決は、内容的にも、全面的に正志君側の主張を受け入れ、病院側の責任を認めたものでありました。
稲垣さんからのコメント

 私たちの場合は、第1審の判決を得るまでに、ちょうど8年かかりました。8年の間に裁判長は4人目になりました。最近は司法の改革の一つとして、裁判の迅速化が図られているようです。
 控訴されませんでしたので、勝訴が確定しました。しかし、勝っても息子は元に戻りません。息子は19年間にわたって寝たきりの状態で自宅療養中であり、家族ぐるみで看護をしています。
妻の短歌2首

 「応えなき子と知りつつも呼びかける
      遠山なみのあした光るを」

「九年目の判決は額を上げ聴かん
      為し尽くしたる思いを持てば」

医療事故関連用語集もご参照ください。



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