「産科医療における無過失補償制度」に関する意見書

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2006年12月27日
自由民主党医療紛争処理のあり方検討会 御中 
医 療 事 故 情 報 セ ン タ ー
   理事長 柴田 義朗
 貴検討会は、2006年11月29日付で「産科医療における無過失補償制度の枠組みについて」(以下「枠組み」といいます)を公表しました。
 医療事故情報センターは、医療事故被害者の被害回復と医療事故の再発防止の実現を目的として、医療事故の被害者の側にたって活動している全国の弁護士を正会員とするグループ(2006年12月現在の正会員数645名)であり、医療事故の無過失補償制度について重大な関心を持っておりますので、貴検討会の示す「枠組み」に対し、以下のとおり意見を申し上げます。
 なお、今回の「枠組み」では、無過失補償制度の個別の内容は必ずしも明らかではありませんが、貴検討会では、日本医師会「分娩に関連する脳性麻痺に対する障害補償制度」の制度化に関するプロジェクト委員会が2006年8月にとりまとめた「分娩に関連する脳性麻痺に対する障害補償制度について」(以下「日医原案」といいます)を踏まえて検討を進めていることと存じますので、この書面では、主に日医原案を前提として意見を述べます。
第1 制度の目的について
1 患者のための制度としての位置づけを
 現在、医療事故によって生命を失い、あるいは身体の機能を失った患者とその家族は、事故後非常に過酷な生活を余儀なくされている。こうした医療事故の被害者の現況に鑑みれば、医療事故全般に対して、医療機関側の過失の有無に関わらず、医療事故の被害者に一定の補償を行う制度の創設は急務である。
 しかし、同時に、医療事故の被害者が、単に金銭的な補償だけを望んでいるのではないことも決してないがしろにされてはならない。
 医療事故の被害者は、事故に至った経過が十分な調査によって明らかにされ、原因究明と再発防止のための取り組みが行われることによって、医療の安全性が確保され、同様の苦しみを負う患者や家族がいなくなることを、心から願っている。
 医療事故全般に対する補償制度を創設するための第一歩として、分娩に関連する脳性麻痺に対する障害補償制度(以下「分娩関連脳性麻痺補償制度」という)を先行的に創設することそのものには賛同するが、その試みは、将来の医療事故全般に対する補償制度の実現に、道筋を付けるものとなる必要がある。
 そのためにも、分娩関連脳性麻痺補償制度は、単なる金銭的補償の制度ではなく、原因究明と再発防止の実現に結びつく制度として創設される必要がある。
  以上を踏まえ、分娩関連脳性麻痺補償制度を設置するのであれば、その目的については
  T 脳性麻痺児とその家族に対する経済的な補償の実施
  U 分娩に関わる医療行為による脳性麻痺発生の原因究明と再発防止策の実施
 の2点にあることを、制度理念として明確にすべきである。
 なお、原因の如何を問わず、脳性麻痺児とその家族の置かれた状況は一様に過酷である。この制度においては、分娩に関わる医療行為を原因とする脳性麻痺児のみを補償の対象とするのであれば、それ以外の原因による脳性麻痺児とその家族に対する十分な生活支援策の実現も別途必要であることは他言を待たない。
2 制度の目的に関する日医原案の問題点
(1)原因究明と再発防止が目的として位置付けられていないこと

 日医原案は、【制度理念】において、上記のUを制度の目的としていない点で極めて不十分である。
 原因究明と再発防止を制度目的として明確に位置付けないままでは、いわば、「単にお金を払っておしまい」という制度となり、医療事故の被害者の願いとはかけはなれた制度となるおそれが高い。
 後述するとおり、日医原案では、調査委員会等の組織や開催頻度が不十分であり、このままでは、個別の脳性麻痺発生事案に対して十分な調査分析が行われないことが容易に想像される。これは、原因究明と再発防止が制度の目的として位置付けられていないことに起因すると言わざるを得ない。
 分娩関連脳性麻痺補償制度の実現にあたっては、金銭的補償の実施と、原因究明・再発防止をいわば「車の両輪」とした制度設計が不可欠であり、原因究明と再発防止の点を制度の目的として明確に位置付けるべきである。

(2)訴訟回避は目的ではなく、結果にすぎないこと

 分娩関連脳性麻痺補償制度の目的は、前項に指摘したとおり、金銭的補償と原因究明・再発防止の2点とすべきであり、「無過失・無責の産科医師から分娩事故訴訟による時間的、精神的負担を取り除き、医師と患者の信頼関係に基づく健全な周産期医療環境を確保すること」は、そうした2点の目的が実現された場合に、患者・家族が医療事故の経過を理解し、納得することによって、もたらされる結果にすぎない。これを、同制度の直接的な目的とするべきではない。
 このような、いわゆる「訴訟対策」的要素を制度の直接的な目的として位置付けることは、分娩関連脳性麻痺補償制度の理念と目的をあいまいにするおそれが高く、制度のあり方自体をゆがめかねない。
 制度の目的はあくまで上記の2点であることを明確にするべきである。

(3)現状認識の誤り

 日医原案は、「医療行為は、医師・患者間の医療契約に基づくものであるという認識が国民の間に広がったことから、期待に反した診療結果に対して、過失無過失を問わず医師を問責し損害賠償を求める傾向が一般化し」「医療過誤訴訟件数が年々増加し、その結果、医師・患者間の信頼関係は損なわれ、本来あるべき我が国の安全安心な医療環境は、益々悪化しつつある」との現状認識の下に、分娩関連脳性麻痺補償制度の目的の1つとして「無過失・無責の産科医師から分娩事故訴訟による時間的、精神的負担を取り除き、医師と患者の信頼関係に基づく健全な周産期医療環境を確保すること」を掲げている。
 しかし、そもそもかかる現状認識は全くの誤りである。
 医療の専門家ではない個人が、専門家である医師・医療機関を相手に医療過誤訴訟を提起することには、経済的にも精神的にも非常に大きな負担がある。そうした負担の中、「過失無過失を問わず医師を問責する」ために訴訟を提起するなどということは行われていない。また、患者、家族から医療事故の法律相談を受けた弁護士は、当該医療行為に過失があるかどうかを慎重に判断するなどしたうえで、訴訟を提起している。
 分娩に関わる損害賠償請求が増加しているとすれば(なお、最高裁判所事務総局による司法統計によれば、医療関係訴訟事件中の産婦人科が占める割合は、平成11年には、16.1%であったが、その後漸減し、平成17年は11.1%である)、分娩に関連する医療行為の安全性が確保されないまま、放置されつづけてきた結果、過失に基づく分娩関連脳性麻痺の発生が絶えないからに他ならない。
 例えば、日本医師会は、従前から医師賠償責任保険の請求を通じて、医療事故を繰り返す医師(いわゆる「リピーター医師」)に関する情報を得ていたにも関わらず、その対策として「リピーター医師」に対する研修を行うことを決定したのは、2005年に入ってからのことである。
 また、日本産婦人科医会が会員からの事故報告制度を設けたのは、2004年になってからのことであり、しかも2005年に公表された初の集計に対しては、全国から十分な報告が上げられていない可能性が指摘されている(毎日新聞2005年11月13日付報道参照)。
 このように、分娩に関わる医療行為の安全確保を怠ってきたことへの反省がないままに、あたかも患者が不当に賠償を請求しているかのような現状認識に基づいて分娩関連脳性麻痺補償制度を設計しても、健全な制度となるとは考えがたく、制度創設に対する患者や社会の理解は到底得られないであろう。
3 「枠組み」における制度趣旨について
 貴検討会による「枠組み」においては、日医原案と異なり、事故原因の分析を通じた産科医療の質の向上を制度趣旨の1つとして位置付けており、その点は評価に値すると考える。
 今後の検討にあたっては、正しい事実認識に基づき、本来あるべき制度趣旨に基づいた制度設計がなされるよう申し入れる。
第2 制度の内容について
 日医原案及び「枠組み」において示された制度の内容について、検討を要すべき点は多岐にわたると考えるが、以下、この意見書では、特に重要な点についてのみ意見を述べる。
1 原因分析が形骸化しないような調査組織の設置を
 日医原案によれば、調査委員会が、診療記録の検討や医療関係者への質問等を行って事案の調査を行う組織として位置付けられている。
 しかしながら、日医原案では、年間約250例が対象となると見込まれていながら、調査委員の人数はわずかに医師6名(周産期医学専門医4名、小児脳神経専門医2名)及び弁護士3名であり、調査委員会の開催頻度は原則月1回とされている。分娩経過の周産期医学的検討は、周産期医学専門医4名が担当することになると思われるため、周産期医学専門医1人あたり年間60件を越す事案の調査を主任として担当することとなる。また、調査委員会では、毎月20例を越す事案の検討を行うことになるため、1例あたりの検討時間が十数分程度となってしまうことが容易に想像される。
 このような体制では、1件1件の脳性麻痺の発生原因を十分に分析することは到底不可能であり、この制度の目的である、分娩関連脳性麻痺の発生原因の究明と再発防止の実現は全く期待できないと言わざるを得ない。日医原案のままであれば、調査は形骸化し、単に補償金を支払うだけの制度となることが非常に強く危惧される。
 この制度の本来の目的を実現するためには、運営組織において、「補償の要否の要件のみを判定する部門」と「原因究明のための事実調査を行う部門」に分けるべきである。そして、後者については中央1カ所だけでは到底対応しきれないことは明白であるから、都道府県単位で事実調査を行う組織を設置するべきである(このような体制であれば、各都道府県の事実調査部門で担当する件数は年間数例程度となり、全例について詳細な調査が行われることを期待しうることになる)。
 貴検討会による「枠組み」においては、調査を行う組織の詳細に関する言及はないが、「枠組み」の趣旨として掲げられた「事故原因の分析を通して産科医療の質の向上を図る仕組み」を実現するには、上述のような調査体制が不可欠である。
2 基礎資料となる診療記録の質の向上を
 分娩関連脳性麻痺の原因分析を行うためには、診療経過を正しく把握することを可能とするだけの質を持つ診療記録が不可欠である。
 しかしながら、現実の医療過誤訴訟では、
  ・診療記録そのものの廃棄や改ざん(例:甲府産婦人科医偽証教唆事件)
  ・分娩監視装置不使用(陣痛促進剤使用例においても見られる)
  ・分娩監視記録の廃棄
  ・不明確なアプガースコアの記載
  ・パルトグラムの不存在あるいは、不十分な記載
 等により、診療経過を確定できなかったり、原因究明の基礎となる情報が欠落している事案が少なくない。
 分娩関連脳性麻痺の原因を究明するためには、検討に値するだけの質を維持した診療記録の存在が不可欠である。
 それゆえ、分娩関連脳性麻痺補償制度を設けるにあたっては、単に調査分析の組織を整備するだけではなく、病院・診療所・助産所における診療記録の標準化のためのガイドラインを設けてその遵守を徹底するとともに、診療記録の義務的保存期間の延長、診療記録以外の資料(画像記録、分娩監視記録用紙等)の保存義務の明確化、診療記録の改ざんに対する罰則の創設といった、関連法規の整備をあわせて実施することが必要である。
 日医原案及び貴検討会による「枠組み」においては、診療記録の質が不十分である場合が多いことについては特に触れられていないので、上述のような施策を別途実現するよう申し入れる。
3 当事者の位置付けについて
 患者・家族は、なぜ脳性麻痺が生じたのかという事実を知りたいと願っている。しかしながら、日医原案では、患者・家族は補償金の受け手としての位置付けはなされているものの、それ以外の点は明確となっていない。
 事実調査部門が行った詳細な調査結果を記した報告書は、脳性麻痺児とその家族に交付するべきであり、そのことは制度の根幹として位置付けられなければならない。
 また分娩を取り扱った当該医療機関においては、究明された原因に基づいて再発防止策を講じる必要がある。医療機関に対しても、報告書を交付した上で、実際に再発防止策が実施されたか否かを検証するべきである。
 貴検討会による「枠組み」においても、当事者となった患者・家族や医療機関が調査結果を知ることができる仕組みが明記されておらず、また、再発防止策実施の検証についても触れられていない。
 制度の具体化にあたっては、こうした点もあわせて検討するよう申し入れる。
4 補償対象について
 日医原案は、補償対象を「生下児体重2,200g以上」または「在胎週数34週以上で出生した児」であることを要件としている。
 しかしながら、生下児体重2,200g未満の児や在胎週数34週未満で出生した児であっても、分娩に関わる医療行為によって脳性麻痺が発生しうる。
 すなわち、生下児体重2,200g未満であることや、在胎週数34週未満で出生したことは、発生した脳性麻痺が分娩時の医療行為と関連しないことを直接意味するものではない。
 それゆえ、かかる要件を満たさない場合を一律に補償対象外とすると、分娩時の医療行為によって発生した脳性麻痺児でありながら、補償の対象とされない例が生じることとなる。
 制度創設の目的は、分娩時の医療行為に関連して発生した脳性麻痺児に対する補償を行うことにある。補償の要件を判定する際に、一定の生下時体重や在胎週数を満たす症例は補償要件を満たすものと推定する扱いとすることは、迅速な補償を実現するためにも必要なことと考える。
 しかし、一定の生下児体重や在胎週数を満たさない場合を一律に補償対象から除外するべきではなく、分娩に関連する医療行為以外の要因が唯一の原因となって脳性麻痺が発生したことを明白に確認できない症例については、一定の生下時体重や在胎週数を満たさない場合であっても補償の対象とすべきである。
 貴検討会による「枠組み」では、補償の対象者については今後事務的に検討するとされているが、そうした検討にあたっては、上述の点を十分に参考とするよう申し入れる。
5 財源と医療事故の損害賠償保険のあり方について
 日医原案では、補償の財源等について公費が直接または間接に投入されることを念頭に置いているものと思われる。
 他方、日医原案では、明白かつ重大な過失がある場合には、基金から医師または助産師等に求償を求めることとされている。
 本来であれば、過失による場合には、その過失が「明白かつ重大」であるか否かを問わず、医師・助産師側が賠償の負担を負うべきであるが、求償を「明白かつ重大な場合」に限定することは、本来医師・助産師側が負担すべき賠償金(=通常は医師賠償責任保険等から支払われる)を、この補償制度で負担する結果となる。このことは、現行の医師賠償責任保険等の引受保険会社が負担すべき賠償金を、公費によって肩代わりすることを意味する。
 脳性麻痺児と家族の救済及び分娩関連脳性麻痺の原因究明という目的の実現のためには、一定の公費を投入する必要性は認められると考える。
 しかしながら、仮に公費を投入するならば、それによって利益を受ける結果となる医師賠償責任保険等の引受保険会社に対しては、公費投入を正当化しうるだけの、保険の運用に関する改革を求める必要がある。
 特に、引受保険会社には、[1]医師賠償責任保険等の運営を通じて多数の医療事故事案の情報を集約していながら、その貴重な情報を、医療事故の再発防止といった公共の利益のために十分活用してこなかったこと、[2]賠償の要否の審査が極めて不透明であること、[3]多くの場合、患者のみならず医療事故の当事者となった医療機関に対しても、審査の結論のみしか伝えられず、結論に至った理由等に関する説明責任を果たしてこなかったこと等の問題点が指摘されてきた。
 よって、分娩関連脳性麻痺補償制度に公費を投入するのであれば、これを契機として、引受保険会社が医療安全実現という公共の利益のための活動を率先して行うとともに、保険審査結果についての説明責任を果たすことを特に求めるべきである。
 引受保険会社によるこうした真摯な姿勢が見られないのであれば、公費投入は、単なる引受保険会社の負担の肩代わりで終わってしまうことになり、到底社会の理解は得られない。
 貴検討会による「枠組み」においては、「明白かつ重大」であるか否かの留保を付けることなく、過失が認められた場合には医師賠償責任保険等に求償するとした上で、出産育児一時金による補填や国による事務費用の支援を想定しているが、現行の医師損害賠償責任保険等のあり方については特に触れていない。
 今後の検討にあたっては、引受保険会社に対し、医師賠償責任保険等の運営のあり方について十分な改善を求めるよう申し入れる。
以 上


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