私は、法律には全くの素人です。
15年間、愛しみ育ててきた息子を、残虐な暴力によって殺されました。
真実を知りたい。
このままでは、真実を明らかにしなければ、息子は浮かばれない。
どうか、皆さん教えてください。

、 平成 11年(1999)11月 3日・加須警察署副署長・向井氏との会話での疑問点。
少年Aの携帯電話が任意提出されていないのではないか 」
という問いに 「 されてますよ。」 とお答えになりました。
しかし、その後弁護士から再度浦和家裁へ問合せていただいた結果、11/10 (水) 朝 浦和家裁・K.書記官から 「 家裁には、の携帯電話任意提出書は送られていない。」 と回答があったそうです。
これはどういうことなのでしょう? は一番の主犯格です、しかも彼が 119番通報したと言っている。一番重要な携帯電話なのではないでしょうか。

少年Aの供述調書を取るのに最初から最後まで一人の人が取っている。」
との質問に対しては、主意を誤解されて説明をされています。
私が言いたかったのは、他の少年はほとんどが、県警の少年課の刑事と立会人として加須警察の警察官の名前が記述されているのです。つまり、一人の少年に2人の警察官が立ち会って供述調書を取っている。 しかし、一番の主犯格のの取調べに一度も県警の少年課の刑事が立ち会わないことが不自然に感じるのです。 の取調べは他の少年の取り調べ方と明らかに違っています。
例えばの供述調書を読むと、「提出した携帯電話を見せてください。ディスプレイに何時何分番号○○から着信しているので、この時間に誰々から電話があった。」 という記述が出てきますが、の調書には 「携帯電話を提出した」 という言葉も出てこないし 「電話をした時間については、覚えていません。」 とあります。 何度読んでも、携帯電話を提出した会話 (供述) とは思えないのです。
暴力団幹部の甥っ子であるの取調べは、他の少年より明らかに手心が加えられている・甘い、としか思えないのです。

死亡時刻について
 私の一番の疑問点です。
友樹は何時にどこで息を引き取ったのか、親としては一番知りたいことです。
向井副署長は、「 何時に死亡したのかは、たいした問題ではない。 」 と、泥棒に入られたことを例に話されていますが、とんでもない、泥棒と殺人を一緒にしないでいただきたい。
「 死体検案書の死亡時刻よりも、時計を持っていた訳でもない加害少年の仲間の供述を信じる。 」 とおっしゃいました。 「 一時間で死後硬直がおき得る 」 とおっしゃるが、根拠の書類を持参したわけでもありません。

警察官が作成する 『 司法解剖の立会い結果について 』
 「 死亡時刻に触れていないのはおかしいのではないですか?」 の問いに 「 病院の医師が作成する解剖結果の中でも死亡時刻に付いては触れてないと思いますよ。」 と自信満々におっしゃっています。
この点についても、納得できません。

どうして傷害致死なのか
 友樹は午前一時頃まで、金属バット・角材・竹ざお等の凶器を使われ、殴る蹴るの暴行を執拗に、繰り返しされています。生活反応が極めて弱い傷やあまり生活反応のない傷が多数あります。死体検案書には死亡推定時刻午前一時とあります。 それでも向井副署長は、「 殺人にはならないんです。」とおっしゃいました。 本当にそうなのでしょうか?
「 『 鼾をかく 』 ということが危険なことだと承知しながら救急車を呼ばなかった事 」 が 〈 未必の故意 〉 にならないとおっしゃる。 「 単に放置しただけだ。」 とおっしゃる。 これも納得出来ません。
K.弁護士に伺ったところ、「 何時に亡くなったかは大事なポイントなので、解剖結果には死亡推定時刻が記載されているのが一般的です。」 と。
更に、殺人事件かどうかについては、「 一般的に、金属バット・角材などは、いわゆる凶器、ナイフと一緒です。凶器を使い執拗に暴行を加えるということは、〈 未必の故意 〉があったとみなされ殺人事件として扱われるケースが多いですよ。」 とおっしゃいました。

友樹の携帯電話について
 埼玉県警加須警察署は、加害少年らの通話明細も、友樹の通話明細も取り寄せておりません。 ずさんな捜査としか思えません。 (会の方の事件で、長野県警などは加害少年・被害少年すべての通話明細を下四桁まで取り寄せて調べています。)

私共が取り寄せた友樹の通話明細を見て、会話の中で向井副署長は 「最後 4件の番号を調べてみます。」 とおっしゃいました。(最期の四件は一般電話で、大宮と川越の一部で使われている局番でした。四件とも同一場所と思われます。自宅から遠く離れた場所であり、友樹の知り合いの処とは、どうしても思えないのです。事件後、彼らが友樹の携帯を持っていたことは明白です。彼らは“足のつきにくい”友樹の携帯を使って、どこかへ必死に連絡を取ったとしか思えないのです。)

(1999) 11月 16日PM 4:40 頃、向井副署長から自宅へ 「 埼玉のドコモへ照会した結果、『 通話明細の契約をしていないので、番号は出せません。』 と回答がありました。」 と電話がありました。 しかし、私共が再度調査した結果。

〔 5月 14日事件発生、通話あり、5月 14日までの通話料金は6月分請求となる。
6月分としての支払いが 6月 30日期日で料金を支払った場合、7月 30日までの約 2ヶ月間加電記録は、T.のG.センターに管理保存されている。 この内容は、監督官庁である郵政省が昨年 12月に提出した情報システムガイドラインの中で、加電記録は必要に応じて速やかに抹消すること、との指導があったことと、コンピュータープログラム上膨大な記録を保存することが困難なため保存期間は2ヵ月間が妥当であるとの判断から、ドコモとしては2ヵ月間保存した上で消去することにしている。 事件の捜査上必要な場合は、警察署が裁判所に対して当該携帯電話の差押命令書をドコモに対して別紙添付資料を付帯し、提出することで押収し、警察署は加電記録を調査することが可能である。〕 とのことでした。

 つまり、6月 21日 清水生活安全課長が自宅に主人の供述調書を取りに来た際に、私が友樹の通話記録を見せて「最後の 4件についてぜひ調べて下さい。」 とお願いした時点で、上記の手続きにより調査していたならば、間違いなく記録は出たはずです。

被害者のために警察は捜査をするという原点を無視するばかりか、手抜き捜査・職務怠慢としか言えません。
向井副署長にしても、上記内容を知らなかったばかりか、素人の私でさえ調べられる内容を調べようともせず、ただ単に 「ドコモへ照会したが分かりませんでした。」 で済まそうとしました。

11月 19日 向井副署長に上記内容を電話で伝えたところ、「では、聞きますが最後の電話先が分かったとして、事件の内容が右か左に変るのですか?」 と、開き直るような言い方をされました それが被害者遺族に向かって言う言葉でしょうか? 向井副署長の会話テープの内容については、私が素人の何も知らない女だと思って 「自分が出向いて、こういう説明をすれば納得するだろう」 と高をくくっているように思われます。


、その他の疑問点
向井副署長が参考人として重要視している I.少年につい
 I.少年は事件当日の夕刻、お父さんと一緒に警察からの帰りに 「 病院へ連れて行けなくて、すいませんでした。」 と自宅へわざわざ来てくれた少年です。
『 このままじゃしょうがねぇだろう、ここに置いて帰るとかしてもまずいだろう。飯島君家乗っけてくべ 』 と言ったらが 『 家の前置いて帰るのもマジーベー、家の前置いて帰って、いきなり死んでたとかそんなことになってもマジーベー 』 と言うので、取りあえず車乗っけてどっか運ぶべ、という事になり車のトランクへ入れてバイクを修理してた駅前に運んだ。」
I.少年の供述調書には下線の部分は、供述されていません。 この部分の会話はどう考えても、既に亡くなっているか、仮に息があったとしても 「 このままにしておいたら死ぬ 」 ということを彼等は分かっていた会話だとしか思えません。

警察発表の報道について。
 友樹の事件の報道時、バイクを盗んだことで呼び出され・・・と、実名で報道されました。
本来、現在の少年法からいえば、バイクを盗んだことがたとえ事実であっても、生きていれば絶対実名で報道してはならないはずです。 しかし、殺されて被害者になったばかりに、実名報道されることが許されるとしたら、矛盾しているとしか思えません。
加須警察署発表の内容に付いては、本当に 「バイクのこと」 までも発表する必要があったのか、疑問でなりません。 更に、被害者遺族には、「 捜査中だから言えない。」 と言っておきながら、加害者の一方的な言い分をマスコミに発表することが許されて良いのでしょうか?


司法解剖して下さった、埼玉医科大学・ W.教授のお話し
 私は、加須警察副署長の言葉にどうしても納得が行かず、埼玉医科大学へお願いして、直接W.教授にお話しをお聞きする事ができました。
 1999年 (平成 11年) 11月 30日(火)でした。
先生のお話しによれば・・・

〔 死亡時刻に付いては、科学的データから推測し、五月十四日午前一時頃です。
広範囲にクモ膜下出血がありますが、直ちに死亡する量ではありません、ただ出血の量に比べて、脳が腫れています。
立った状態や、座った状態で頭を殴られたのであれば、頭は動くので、骨折や出血の量が少なくても、不思議ではありません。
殴られたことによって体中あちこちから出血しています。
頭と、背中を主に叩かれた、損傷形態からバットでしょう。少なくても十数回。
細動脈・細静脈が裂け、皮下と筋肉と両方から出血しています。少なくても、1000ccは出血しています。
骨まで達しています、肋骨が折れていますので。
15歳は骨がまだ柔らかい、叩かれてフニャと曲がっても骨は折れないのです。
一本折れてても、15歳で骨が折れるというのは、「かなり強い力で叩いたな。」 と思います。
「 うつぶせにされて叩かれた 」と見るのが、この方の傷としての説明は 一番合理的だと思います。 ただ立っていたり座っていたりして、背中を叩いたのでは、こんな格好の骨折はありませんから。 「 うつぶせで右側に人がいて叩いた。かなり強い力で殴った。」 ということまでは、傷の様子から判ります。

鑑定書事項に死亡時刻は入っていません。警察からの依頼がないから書けないのです。
普通は、「 死後経過時間 」 というのが入るのです。
警察では 「 必要ないと思った 」 というのです。

生活反応のない傷もあります。右ひざの傷等は死線期の傷でしょう。ひざまづくか、うつぶせの状態か、引きずった時にできた傷だと思います。
死ぬか、死の直後の傷もあります。 〕


 加須警察副署長向井氏が自信満々に、「 鑑定書にも死亡時刻は触れてないと思いますよ。」 とおっしゃった意味がやっと判りました。
鑑定書事項に 「 死後経過時間 」を入れてないのを知っていたから言える言葉です。
では、なぜ、加須警察署はその項目を外したのでしょう?
友樹の遺体がの 119番通報によって発見され、警察が来た時点で、の 4 名は逮捕され、参考人として、I.少年達も一緒に警察に行っています。 加須警察署は友樹の遺体を司法解剖に回す前に、彼等から事情を聞いていたものと思われます。普通なら、その供述がどの程度信用できるものか、「 死後経過時間 」 も鑑定書項目に入れて解剖を依頼するのが、当然だと思われるのですが、どう思われますか?
加須警察署は、鑑定書の中で死亡時刻を特定されては困る事情でもあったのでしょうか?

 W.教授は、「 民事訴訟に鑑定書が必要な場合は、弁護士から警察署の承諾書を貰って来れば謄写をして、差し上げます。」 とおっしゃって下さいました。 弁護士から加須警察署長・市川登.氏宛に上身書を送付し、訴訟の金額を算定する上でも必要であり、家裁には未だ鑑定書が送られていないので、承諾書を書いて下さる様お願いして頂いたのですが、加須警察署向井副署長から、「 検察庁へ書類を送った。検察庁から家裁へ送付した後に謄写して渡す。」との返答があったそうです。 加須警察は、なぜそんな回りくどいやり方をするのでしょう?
直接埼玉医科大学からの謄写を手に入れられては困る事情でもあるのでしょうか?

 埼玉県警に電話をし、「 私が本部長宛に送った書簡を読んだ。」 という、少年課・次席 渡辺氏に、加須警察に承諾書を書いて頂ける様お願い致しましたが、返答は 「 書類が浦和家裁に行っているので、そちらから入手してください。」 とのことでした。 渡辺氏に、「私が本部長宛に送った書簡を読まれ、どのような感想をお持ちになりましたか?」と、お聞きしたところ、「 『遺族の方も大変だな。』 と思った。」 とおっしゃいました。 私が「それだけですか?」とお聞きしたら、「 突然そんなこと聞かれても困る。」と。 更に、「 加須警察副署長から報告書が届いていませんか?」 と伺ったところ、「届いております。」 と、おっしゃいました。
今回の事件には、埼玉県警の少年課の刑事も捜査に加わっております。
私には、「これは、県警も加須警察署も同じ穴のムジナだ。」 という感触を拭いきれません。

 先日、テレビのニュースで 「草加事件・少年達の14年間」 という報道を見ました。
真実は、私共には判りませんが、民事裁判になってから無罪を主張されても、被害者遺族はどんな心境かを思うと他人事ではありません。 また、少年達が冤罪だとしたら、少年達も被害者遺族も不幸だと思います。
 いくら少年事件とはいえ、人が一人亡くなっているのですから、第一次捜査権を持つ警察署は、もっと真剣に事実関係を捜査すべきであり、証拠の品に付いているであろう、加害少年の指紋を取るなどして、自供を翻されても大丈夫なように万全を期すのが当然だと思うのですが…。 友樹を殴った時に使用された、金属バット・角材・竹ざお等を証拠の品として押収はしていても、指紋を取った形跡等はありません。


以上の様なことから、加須警察署・埼玉県警察本部少年課に対しては、
「 曖昧に捜査された。」 としか思えませんし、友樹の事件は 「 殺人事件だ。」 と今も思っております。

何人かの方に 「 警察庁犯罪被害者対策室長・太田裕之様に相談してみて下さい。」
とアドバイスされました。1999年 (平成 11年) 12月 13日付で、以上の疑問点をまとめ、 【太田様、どうかお願いです。助けてください、私は本当の事が知りたいのです。加須警察署の捜査にも、向井副署長の責任転換しているような説明にも、私はどうしても納得できません。太田様が必要だとおっしゃれば、家裁から取り寄せた供述調書等もすべて送ります。 「審判が下されてしまってから 『どうして、どうして、』 と言われても困る」 と向井副署長はおっしゃいますが、現状では審判が下されてからでないと、関係書類を取り寄せることは困難です。私なりに、疑問点等まとめさせて頂きました。大変ぶしつけなお願いですが、太田様ご自身から書面にて回答をくださいますよう、お願いいたします。】 と文書で送らせて頂きました。

回答は、1999年 (平成 11年) 12月 29日に文書で頂きました。内容は次のようなものでした。

「 すべての疑問点が母子の愛情から出た疑問点である。」 として片付け、「 埼玉県警の捜査については私から責任あるお答えをすることはできません。」 と。 なんの為の、誰の為の、「 警察庁犯罪被害者対策室 」 なのでしょう? 捜査内容・警察・検察の対応にも納得できない状態で、どうして心のケアができるというのでしょうか?



 1999年 (平成 11年) 12月 29日 弁護士を通じ浦和家裁から、医師作成・解剖報告書 が届きました。
この鑑定書を見ても、「 殺人以外のなにものでもない。」と思えるのです。
しかも、現在の少年法では医師作成・解剖報告書が出来上がる前に審判が終わってしまいます、何の為に司法解剖をしたのでしょう? 審判が終わってから、医師作成・解剖報告書を家裁に追送したところで何の意味があるのでしょう?


 事件当日 ( 1999, 5/14 ) 逮捕された・I.町達の供述では、
の事は 「 の従兄弟 」 という表現であり。に付いては、「 の従兄弟の友人。名前も知らない。」 と供述しています。 しかし、6/3 に逮捕されたの供述では、「 君が君か・・・ 」 とか、「 飯島がと云う奴がバイクを盗んだと言っている。」 と、全く違った表現に変っています。
 2000年 (平成 12年) 1月 28日 (金) PM 4:00 友人のM.君に話しを聞いたところ、「 I.町の人達で名前を知っているのは、事件前日 ( 1999, 5/12 ) コンビニの前で I.少年とイザコザがあった時、別れ際に名前を聞いただけで、飯島君も以外の名前は知らない筈だ。」 と証言してくれました。

 事件後 21日目に逮捕された彼等 () にとって、逮捕されるまでの間十分過ぎるほどの時間があった。
「 飯島が自分の名前を出して、個人的に罪をなすりつけられた。」 「 だから、頭に来て暴力を振るった。」 という大義名分があるのとないのとでは、警察や家裁に対する印象も随分と違うでしょう。 まして、「 死人に口なし。」
警察や検察 家裁は、果たしてどこまで真剣に取調べをしているのでしょう、供述の矛盾点に気付かないのでしょうか?


 事件の数日後、呼び出し役の、そして小学校での暴力を目撃した Hu.君に事情を聞きました。
警察は、呼び出し役の 2人の名前は教えてはくれませんでしたが、狭い町のこと、直ぐに分かりました。
Hu.君宅へ電話をして名前を名乗り、「 Hu.君に話しを聞きたいと 」 電話口に出たお母さんに言うと、「 ウチも、被害者なんです。」 と言われました。
 Hu.君が被害者なら友樹は何だというのでしょう。私は、さすがにHu.君のお母さんの態度にムッと来て、「 分かりました。では、弁護士と正式にお伺いさせて頂きます。」 と言いました。 私のその言葉にHu.君のお母さんは、やっとHu.君を電話口に出してくれました。

 Hu.君の話しの中で気になる事が 2つあります。
 1つは、14日の午前 4時頃Aの携帯から電話があり、「 今、警察にいる、飯島の家の電話番号と、飯島の下の名前を即効調べて来い 」 と言われ、教えたと言うのです。
Aはなぜその時間に嘘までついて、我が家の電話番号や友樹の名前を調べる必要があったのでしょうか? しかも、供述調書の中では 「 飯島という名前は知っていますが、住所も下の名前も知りません。」 と供述しているのです。

  もう1つは、Hu.君とH.君が友樹達を呼び出す際、呼び出せば、暴力を振るわれることが想像できたので、呼び出す前に誰か相談できる人はいないか 2人で考え、 I.少年に言えば、A達を止めてくれるかも知れないと思い、 I.少年の携帯にHu.君の携帯から電話をしたそうですが、呼び出し音は鳴っているのに出なかったそうです。 I.少年は、Hu.君の携帯番号を知っており、普通なら不在着信があればかけ直してくるはずなのに、結局その時は連絡が取れなかったそうです。 これは、偶然なのでしょうか?



子供を殺された母親の本音・・・
 我が子を残虐な暴力で殺され、失った 『悲しみ・怒り』 は到底言い表せるものではありません。 できることなら・・・加害少年達にも関係者たちにも、友樹と同じ苦しみを・痛みを・悔しさをあじあわせてやりたい。 金属バット・角材・竹ざおなどを使って二時間半かけて殺してやりたい !!

 友樹を呼び出した二人も許すことは出来ない。友樹が暴力を振るわれているのを小学校でずっと見ていて、それから更に場所を変えてリンチを受けることを知りながら、警察や親などにも知らせることをしなかった。 その責任はないのでしょうか? 感じてないのでしょうか?

 カラオケ帰りの七人。友樹をゲートボール場から新古河駅に運ぶのを手伝った少年達。
全員が 「三時・四時まで生きていた。」 と証言しています。もし、それが本当なら、はやり 「救急車を呼ばなかった・どこにも通報しなかった」 責任があるのではないでしょうか? S.駅へ運んだ後も 「みんなが集まっているのを聞きつけて誰かが来たとき飯島のことがバレるとヤバイから」 という理由で線路きわの公園の目立たない壁きわに 「置いておいた。」 といいます。

 1999年 (平成11年) 8月、供述調書の中で 「友樹が息をしていないのを確認した。」 という少年宅へ行き、その少年と父親に、友樹を毛布に包んで置いておいた場所を案内してもらいました。 お線香をあげ、その少年に父親の前で言いました、「もし、少しでも友樹に対して 『申し訳ない。』 という気持ちがあるなら一度でいいから友樹の仏前にお線香をあげに来てくれない?」 結局未だ誰一人として来ません。子が子なら親も親なのか? (供述調書の中では、「飯島君に申し訳ないことをした、もっと早く救急車を呼んでいたら、助かったかもしれない」と供述しているのです。)

時間的にはゲートボール場ですでに亡くなっていたとしか思えないのに、平気で嘘の供述をして、平気で友樹を運んだS.駅前に事件後もしばらくの間たむろしていました。もちろん学校や職場にも何事もなかったかのように行っています。今、新しいコンビニにたむろしています。

 加須警察署は彼らの言分を一方的に取り上げ、警察自ら 「死人に口なし。」 のお手本を示しました。 加害少年たちは反省する機会もなく、五体満足で帰ってきます。友樹は二度と帰って来れないのに・・・

私は自信がない・・・。
主犯格の少年たちが帰って来て、狭い町の中で、何事もなかったかのようにヘラヘラ笑っている姿を見かけた時、どんな行動に出てしまうか・どんな衝動に駆られてしまうか・・・


被害者の立場から、今の法制度のおかしいと思うところ・・・(私個人の意見)
 息子の命を、将来を、残忍な暴力で奪っておきながら加害少年たちは少年法に守られ、たった三ヵ月〜一年 長くて一年半で少年院を出てくる。 息子の将来を奪っただけではない、息子は将来結婚し、子供が・孫が産まれていたはずであり、何代にもわたって我が家の子孫を奪ったことになるのです。
 現役の家庭裁判所の調査官や、主に少年院を回って取材をしているというルポライターの方からお話しを伺う機会がありましたが、現状では家庭裁判所でも少年院でも彼等個々に、人の命の重さ・自分の犯した罪の重大さを認識させ反省させることはなされていないらしいのです。 会のお母さんがある少年院を訪れる機会があり、罪を犯した少年にどのような反省をさせているのか聞いたそうですが 「それは民事でやるでしょう。」 と言われたそうです。

 私はこんな事件の当事者になって初めて、今の法律が被害者にとってどんなにやりきれないものであるか実感しました。 どうして警察は少年事件を軽く扱うのでしょう?
 どう考えても殺人事件としか思えないような事件も 『傷害致死』 にし、 「少年院送致相当」 に赤丸を付け、家裁に送致すれば、逆送になることはまずあり得ません。 それを見越して、大人の事件では考えられないような、「いい加減」 としかいえない捜査・操作をしているとしか思えません。

少年法改正を考える場合、人の命が関わるような重大犯罪と万引きなどの軽犯罪は分けて考えてほしいと思います。
捜査段階でマスコミに発表するなら、被害者側にもきちんと捜査状況を説明してほしい。まして息子のように被害者が死亡している場合、加害者の一方的な言分が通ってしまいます。そうならないように、捜査段階から被害者・被害者遺族に意見を述べる機会を設けてほしいのです。
人の命に関わるような重大犯罪はすべて逆送にして公開の刑事裁判にしてほしい。(加害少年の年齢に関係なく)
加害少年には自分の犯した罪の重大さを十分に認識させ、心から反省させる場を設けてほしい。
親の監督責任も明確にしてほしい。
加害者側に国選弁護人など国の負担で弁護士が付けられるのなら、被害者側にも国の負担で弁護士を付けてほしい。

家裁から供述調書などの関係書類を謄写するにも弁護士を通じて請求し、数万円〜十数万円というコピー代がかかるのです。もちろん弁護士費用もばかになりません。調停や訴訟を起すとなれば印紙代もかかります。

 民事で相手側に損害賠償を求める際、私は当事者になるまで加害者一人一人に請求できるものと思っていました。 しかし、現状は加害者が 九人なら 九人に対して○○円の請求となるのです。
一人から暴行を受けるのと 九人から暴行を受けるのでは、恐怖感・痛み・つらさは九倍になるのに、加害者側は九分の一の負担で済んでしまうのです。 加害者側にしてみれば人数が多ければ多いほど負担が少なくて済むのです。

なんて理不尽なことでしょう、その中でも主犯格とそうでない者は責任のなすりつけあいをします。 暴力を振るったことに変りはないのに、何だかんだと理由を付け、『自分たちも被害者』 などと責任逃れしようとします。

 しかも、現状は少年法で未成年だからという理由で保護しておきながら民事になると、親の監督責任を問えるかどうかは裁判官の判断次第になってしまいます。たとえ、親の監督責任を取れたとしても 『支払能力がない。』 となれば、判決文はただの紙切れになってしまうのです。

子供の命をお金に変えたくはありません。 お金で息子の命を買い戻せるものならどんな借金をしてでも買い戻したい・・・が、それも叶いません。 しかも、敵討ちが法律上許されていない以上、『損害賠償』 という形で一生償ってほしいと思うのです。 

 国はもっと犯罪被害者の立場を考えて、民事裁判で出た判決がただの紙切れにならないように損害賠償額を国が被害者に支払って、加害者側から税金のような形で一生掛けてでも徴収していくようなシステムを早急に考えてほしいと思います。