ウスバノドグロベラMacropharyngodon moyeri は、成魚でも体長がほぼ12cmに満たないベラ科の雌性先熟魚です。伊豆諸島三宅島と台湾に分布し(中坊 1993)、その他に、沖縄県与那国島(平野 茂 私信)、沖縄県慶良間諸島、静岡県伊東市の伊豆海洋公園(益田・小林 1994)、沖縄県水納島(大方洋二 私信)、伊豆諸島八丈島(古瀬ほか 1996)、高知県沖の島(L.M.B.Kochi Univ. 2001)から報告され、伊豆大島で幼魚が撮影されています。最近、鹿児島県屋久島で産卵の社会的な個体群が認められました(原崎 森 私信)。
しかし、水納島と八丈島と屋久島をのぞき、いずれも未成熟の幼魚のみが認められ、八丈島と屋久島の地域個体群をのぞき、いずれも産卵のための"社会的な個体群"ではありません。これまで、黒潮の経路に沿った日本南岸域でのウスバノドグロベラ未成熟魚の出現は偶発的です。Jack T. Moyer(PC)によれば、ウスバノドグロベラの繁殖成功度より見積もると、少なくとも5,000尾前後が繁殖しているメイン海域が、伊豆諸島南部の海域あるいはトカラ列島の海域あるいは台湾東南部沿岸、いずれかにあると推測し、私たちは継続した調査を行っています。
これまでこの海水魚の確実な繁殖場所は三宅島(Moyer 1991,山本英生 未発表)、屋久島(原崎 森 私信)で知られるのみですが、データが不足しているためメインの繁殖域であると断定できず、今のところ本種は分布の限定される種です。
![]() |
|
|
|
撮影;原崎 森、2004年6月 |
三宅島では、Padina 属、Sargassum 属、Codium 属、Gelidum 属などの藻類被度の高い藻場に囲まれた水深13m以深の転石域で、主なハレムは水深25m前後で見られます(Moyer 1991)。これまで私たちは三宅島北西部の伊ヶ谷湾通称「西の根」および「東の根」(山本 1997,1998)、三宅島南西部の「間鼻(まはな)」(佐々木聡 未発表)、「学校下」で目視しています。
シロタスキベラのメスとよく同伴する 密度の濃い藻場、造礁サンゴ類のある場所
伊ヶ谷湾西の根、2006年水深20m前後、砕けたサンゴ混じりの砂地 伊豆諸島の三宅島では藻場に隠れるように泳ぐ独特の隠密習性がありますが、ふつうブダイCalotomus japonicus 若魚やホウライヒメジParupeneus ciliatus 、ホンベラHalichoeres tenuispinnis 、ニシキベラThalassoma cupido 、カミナリベラStethojulis interrupta terina 、アカオビベラS. bandanensis 、シロタスキベラHolosymnosus doliatus 若魚、イトヒキベラCirrhilabrus temminckii 若魚などと混群で摂餌し(山本 1996)、密度の濃い藻場の中をゆっくり泳ぎ、完全な底生生物食性であると報告されています(Moyer 1991)。
しかし不思議なコトに、屋久島産ウスバノドグロベラでは行動上の隠密性は認められないという(原崎 森 私信)。隠密行動への依存は遺伝的にプログラムされた行動特性ではなく、捕食者からの防衛に対する環境圧の結果であろうと考えられます(Moyer 1991)。三宅島産ウスバノドグロベラの繁殖期間は、例年7月から9月上旬まで。13時から15時頃にかけて求愛行動が見られ、ピークは14時頃と報告されています(Moyer 1991)。オスの婚姻色は、輝く黄色斑紋と尾鰭の両葉外縁の黄緑色がコミュニケーションの合図です。褐色の海藻類に完全にカムフラージュした体色をしているため、その行動は密度の濃い藻場に隠されています。支配オスはそれぞれなわばりを持ち、なわばりの中は数尾のメスおよび幼魚からなる行動圏重複型ハレムを形成します。生まれながらの一次オスは存在せず、性転換による二次オスが報告されています(Moyer 1991)。
オスの求愛行動は、ペア産卵のための上昇まで、次の5段階が認められています。
(1)Rushing and Circlingメスを発見するや否や、オスは素早く突進し(rushing)、数回メスの周りを回る(circling)。旋回行動に伴い、体側黄色斑紋の配色を輝かせる。この時、体側面に数本の縦帯が現れる(Moyer 1991)。
(2)Posing(Tail-standing display)
![]()
![]()
頭部を70度ほど持ち上げ、黄色斑紋を輝かせる.
伊ヶ谷湾「東の根」、1996年藻場のすぐ上で静止姿勢、すべての鰭を広げる、
そばの藻場にメスが隠れている藻場の上ほんの数cmで静止姿勢をとり、藻場から45度〜70度の角度へ頭部を上げる。あらゆる鰭を広げ誇示し、黄色斑紋を輝かせる(Moyer 1991)。時折、藻場に隠れたメスを産卵へ誘うため、"Posing"に続き"Quivering"へ移行中に、体側に白色横帯が観察された(山本英生 未発表)。
(3)Looping
あらゆる鰭を広げ、配色を輝かせながら、藻場から約1m上方へ突進し、幅の広い孤を描く。この行動パターンはメスがそばにいる時のみ観察された(Moyer 1991)。
(4)Quivering
![]()
オスの真下にメスがいる、
静止姿勢で振るわせ、同時にバチンと音をだすオスの"Posing"に対してメスが応えようかどうしようか躊躇している時に、"Quivering"が観察される(Moyer 1991)。"Posing"で静止したまま同じ配色で、バチンと聞き取れる音を出し、体を素早く振るわせる。その直後に、ペア産卵が続く。
(5)Jerk-swimming
産卵場所へメスを誘い込むための行動である。オスは頭部を左右にグイッと動かしながら、鰭を広げ配色を輝かせ、藻場の上を平行に泳ぐ。
オスによるこの行動パターンは、ウスバノドグロベラの潜在的な卵捕食者であるナガサキスズメダイPomacentrus nagasakiensis からメスを引き離す必要があるためであろう(Moyer 1991)。興味深いことに、伊豆諸島八丈島で見られるウスバノドグロベラの小さな地域個体群は、例年春先から晩春にかけての短い期間のみであるという(加藤昌一 私信)。そのときの観察では、水深約15mから25mの範囲で、藻類密度が濃い藻場に囲まれた転石域および藻類被度が比較的低い岩礁域の棚で目視されたという。八丈島での生態は三宅島のデータと異なっていますね。サンゴ礁の海では生態が変化する可能性があります。
沖縄県与那国島の通称「ムーラン」と呼ばれるダイビング・ポイントで認められたウスバノドグロベラの生息状況の詳細は不明で(平野 茂 私信)、生息密度の低い種であると考えられますが、データが少なく、Moyer(1991)による報告をのぞき、彼らの「生活史」はほとんどわかっていません。
|
|
|
|
撮影;Jack T.Moyer博士 1980年 |
水深約6m、1996年 |
伊ヶ谷湾内、水深約12m、1997年 |
伊豆諸島の三宅島で、世界で最初に本種を記載された研究者らは、標準和名ウスバノドグロベラの"学名"を提唱する時、三宅島で長年に渡って魚類生態学を研究される故Jack T.Moyer博士の功績に対する敬意を表し、博士の名前を種名に付け、ウスバノドグロベラの"学名"として、"Macropharyngodon moyeri "を提唱されたという逸話があります。
伊ヶ谷漁港改修工事による影響から、1998年度、ウスバノドグロベラの代表的な生息地である伊ヶ谷湾「東の根」の生息環境は完全に破壊されました。ニシキベラが代々使っていたグループ産卵場所で、オトメベラThalassoma lunare 、ヤマブキベラT. lutescens 、ムナテンベラHolichoeres melanochir なども好むペア産卵の場所であった水深12mの大岩は、起重機船による作業時の投錨により破壊され(山本 1996)、97年度に平均4.5%であった造礁サンゴ類の被度は(山本 1997)、1998年8月に平均0.0%になりました。
本種の確実な生息地とされる伊ヶ谷湾「西の根」では、噴火災害の復旧目的による避難港整備のための工事や防波堤建設、護岸工事、伊ヶ谷沢上流部での砂防ダム建設工事に伴い海洋汚染が進み、本種の生息環境の破壊が懸念されています。これまでの生息個体数に関する観察で、95年度の調査では、3調査地でそれぞれ小さな地域個体群が認められていましたが(山本 1996)、96年度・97年度の調査では、6調査地で本種はまったく認められませんでした(山本 1997,1998)。98年度の調査では、2地点で小さな個体群が確認されました。WWFジャパンの自然保護助成事業の支援を受けて行われたこれまでの調査結果から、1996 IUCNレッドリストカテゴリー(Baillie and Groombridge 1996)の基準B1・B2cおよびD2に基づけば、ウスバノドグロベラは伊豆諸島三宅島では危急種(VU)が妥当であろうと判断しました。
港湾工事など人為的な影響から、三宅島でも海洋汚染が進行して、中期的な将来、ウスバノドグロベラが野生絶滅してしまうのではないかと心配されます。