<目次>

平城宮について 
  .2002. 3.31

木簡、遺物、遺構 
   2003.5.14

世界遺産に登録
  2002.3.31


京奈和
高速自動車道

京奈和自動車道

日本政府の回答VS守る会の反論       2005.2.03

 有識者委員会
   公聴会発言
    2003.5.17


不確定な予測で
地下トンネル建設を
決定してはならない
   2002.5.25

あなたの力を
貸して!

最近の動き
文化財検討委員会の提言についての声明

お知らせ
 2003.5.17

資料 
 シンポの意義 2002.4

 高速道路 2002.6

 地質について 2002.6

 木簡 歴史の証人
      2002.6

 大気汚染 2002.6

みんなの広場

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 木簡、遺物、遺構


 京都に遷都されて以後百年も経ないうちに田畑となり、その下に奈良時代の遺構・遺物が地中に取り残されました。奈良市で一番低い地形が幸いして水位が高く、土中にある木簡などが風化せず墨跡もあざやかなまま保存されています。

木簡模型イメージ

<木簡模型>

 平城宮・京の研究は幕末の北浦定政に始まります。それ以来篤志家達の保存運動は細々とされてきましたが、国が本格的に調査に乗り出したのは1959年、たかだか40年前でしかありません。

 木簡が平城宮跡で最初に発見されたのは1961年です。その時出土した39点の木簡は2003年3月に重要文化財指定の等身を受けました。それから全国で22万点を越える木簡が見つかり、そのうちの7万点が平城宮跡で見つかりました。続日本紀などの古記録に書かれている記述が木簡で裏打ちされたり、記述にはない生々しい内容が分かったりするのです。木簡抜きには古代史の解明はここまで進まなかったというのが実状です。

 古代の歴史については文字による手がかりが極端に少なく、当時の庶民の暮らしがそのままわかる木簡の価値は言葉に尽くせないほどの値打ちです。腐壊してしまえば二度と手に入れることはできません。地下水位がさがることは取り返しのつかない損害を招くことになります。

 
             <水位が高く柳の茂る平城宮から朱雀門を望む>
              
      


     

                           奈良世界遺産市民ネットワーク