0(ゼロ)との出合いニュークリアスでは 1999年に起こった出来事を |
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これは、2011年2月5日(土) 京都駅八条口正面龍大アバンティ響都ホールでの朗読会で、朗読された全文です。 幸せは作りださなければ! 不平不満・不安が溢れ、信頼する・尊敬する・お任せするの言葉が、今の日本では死語になりつつある。 2011年2月5日 |
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0との出合い平成二十三年二月五日(土) |
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はじめに 宇宙にむかって飛び立つロケットが発射する時、「サン、ニ、イチ」の秒読みからエンジンが噴出し、0と言うと同時にゴッという音と共に浮き上がりました。
株式会社ニュークリアスは、一九八五年に発足した未来をクリエイティブする企業です。 0の真実はひとつなのに。 私達は、これから真実の物語を知るあなた自身を0との出合いにご招待いたします。 そして、わたくしは、この物語の気づきを伝え続けます。 |
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第一幕 0への序曲 「さあ、着いたぞ!」 雲は低く、地上に這い、砂埃が舞い上がる。なまぐさく、けだるい臭いが彼を出迎えた。 今回の招待旅行は、得意先へのアンケートの結果オーストラリアに決まっていた。 宿泊先は、日本人に大変人気のある上海の最高級ホテル花園飯店、部屋は一一一〇号室。 ホテルに帰ってすぐ、 部屋に帰ると上海時間の二十三時であった。 三人とも(疲れたなあ)と心でつぶやいているが、口にはださず、なぜかしばらく無言であった。 |
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恐怖におびえた男
「そこの男!のりとを頼む」と命令調の声が部屋中に響きわたった。命令したのは、二十五年にわたりお世話になっている先生の奥さんだ。普段、ケラケラと屈託なくよく笑い、可愛いい声の、やさしい奥さんが、太い、男の言葉でしゃべりだした。 唖然として、一瞬誰の事かと解らなかったが、自分の事だと理解し。直立不動で祝詞を必死で唱えました。じわーっと額に汗がにじんできました。 前日でした、ガチャガチャ、キュッキュッとラップ音の響く部屋…。 「とりあえずお塩をまいてみる」と先生はジュータン、ベッド、天井に向けてと、四方八方へ振りまかれました。そして、何かがいれば、出ていってもらえるように部屋のドアを開けるように言われました。ドアを開けて廊下に出ると二、三人の同行の人達と顔をあわせる。その人達と一言、二言をかわしている所にいつも、この会でお会いする女性がこちらに来られるのが見えた瞬間、廊下の真中に立ち止まり、鶏の格好のような、後ろ手に縛られているような姿で、腰を屈め、目は一点を見据え、なんともいいあらわせない不気味な感じで「わいや、わいやー」・「わいやー」と聞いたことも無いほどの大声で叫びだした。一瞬何が起きたか分からなかったが、薄暗い廊下にぞぞーっと、寒気がはしった。その声に数人が廊下に飛び出して来た。続いてその格好のまま、指をさして「エレベータ、エレベータ」…と叫んだ。 それを見ていた先生はその人に手をかざしてお清めをされながら、私に、祝詞をあげて下さいと言われます。私はこんな事初めての事ですが、たまたま日本からポケットに入れて来た大祓祝詞を上げさせて頂き、続いて天地の玄氣の祝詞も上げさせて頂きました。本では読んでいましたが、霊が人に乗り移る現象を始めて見ました。それより正気に戻った女性は「何か今日お土産を買われましたか」と先生にたずねられ、その中の品物に憑いてきたようですと言われるので、何かなと、先生は今日買った硯を廊下に持ってこられました、その場に居合わせた人達も薄気味悪くなり買った品物をそれぞれ廊下にもちだし、その前に座りだしました。さながら露天商が開いたようでした。 先生はその品々を清めましょうと、その前で祝詞をあげるように言われました。私は、立ち上がり一礼をし、祝詞を唱えました。すると、終わるか終らないかの時、赤いサンゴのネックレスを二重にして腕に巻いていた先生の奥さんが突然霊懸かりになり「ありがとうございました、ありがとうございました」と頭を床につけんばかりに泣きながら丁重にお礼を言われました。そのサンゴはチベットの特産品で、昔チベットが海底から降起した証拠の山サンゴで、中国の或る土産物販売のチベットコーナーで先生が引き寄せられるように入られて買われた品物でした。そんなひと騒ぎも一段落した頃ホテルのボーイが注意をしにきて、その場は解散となりました。 私は祝詞を上げさせて頂いた時も汗をかきかき真剣でした。それと言うのも。「わいやー・わいやー」の雰囲気にオドロ、オドロした恐怖心に凍りついたからです。今思うと小さかった頃おばあちゃんから聞かされた、ろくろく首や一つ目小僧の怪談話におびえた。昔の記憶が蘇えり、また「わいやー、わいやー」との無気味な叫びに青森県恐山の霊媒師の口を通じて離す死者の声を感じてびびりました。 今、また一一一〇号室で霊に憑依現象を見た私は、何か解らない恐怖心に自分の震えの止まらないのを感じました。 |
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第2幕 霊との約束 「上海慰霊の決まる瞬間」 生まれてはじめての体験
その時、先生が急に 腹の底から絞り出すような声で と言って泣き崩れるのであった。その姿勢は一言も祝詞を聞き漏らすまいという仕草であった。 「そこの男祝詞を頼む。」 これから先、何百年、何千年、何万年、待ってもこういう機会はもう二度と無いというのである。 霊は涙ながらに 友人はもう恐ろしくて、恐ろしくて 二回目が終わると霊が友人に、 朝、洗面所で顔を洗っていると、頭がガンガン痛いのである。頭が痛くなるという経験は無いに等しい私は、尋常ではないこの痛さにびっくりしたのである。 その後、朝食の前に三人でまた涙なみだの祝詞を奏上の後、帰路についたのであった。 |
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C読み手 生まれながらに体が弱く、家にひきこもりがちだった私が夫と結婚しました。 第一子妊娠七ヶ月から絶対安静となり、実家の世話になり産後も黄疸がきつく結局長いこと大阪の家にいっている間に主人と先生の出合いがはじまっていたのです。 一九九九年二月、上海より戻った主人が恐怖にひきつった口で霊が出てきて、先生の奥さんの体を借りて「そこの男!」って言われたことを、何度も何度も言うのです。 が、それが店内で霊が見え出したと言うか、男の人がいるのです。いるしか主人に伝えられないでいるとお客さまが旧千円札で支払われた時の伊藤博文が今ここにいる!やっと主人に伝えられた、と同時に全てを信じ、見える人をスケッチしたりして本で確認し、伝えた。 元来考古学者になりたかった私は歴史を調べるのは好きで高校の時でも好きな事を書いて良いという論理の試験に裏まで使いある本の感想を書いた。何万年も前にもっと高度な文明があったという本です。その先生は笑わず怒らず聞いてくれて大変うれしかった思い出があります。今、側に何でも聞いてくれる人が一番の幸せです。主人がいかなあかんと言うなら行こう、やめときと言うなら、そうしようと思う反面、行けるものなら…と少しづつ思い始めてたのです。見えないものが見える、何でや?何が言いたいのか知りたい。 パスポートを取ってから、やがて各神社への参拝が始まると、全くもって酔わない、食べられる、肉体が疲れて眠るだけ朝起きられる、店もできる。バタバタしたまま上海へ行く。その頃には自分が酔っていた弱い頃の感覚さえ忘れていた。ただひたすら見える事実だけしか頭になかった。 現実にしろ霊の世界にしろ見える事すべてが新鮮で、子どものように日記をつける、生まれて初めて見る車窓からの風景、五体満足ながら全部が死んだ状況から、やっと生まれた私。見える、聞こえる、口にする。生きてる感じがした。神社参拝で、外に見える景色の素晴らしさ、その変化していく様子、空、雲、太陽、私には初めて見るものばかり(いつも酔っているから見ず、おやつも、お弁当も、食べた事がない)もう、うれしくて、その都度書き留める感激の日々、今、やっと普通に生きている、疲れたねぇと言う会話がやっとわかった、この上海で完全に強くなった事がわかりました、見えない物も、見える物もしっかり目を開けて見る楽しさ、言葉がもどかしいくらい。 自分の細胞が少しずつめざめていく。生きていて良かった。全部目覚めてほしい。もし違う人と結婚していたら弱いままだったと思うのです。主人が先生とつながり続けてくれたから、今のめざめがある。 |
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危機感を感じた旅の始まり 中国・上海で、1999年の2月、木村先生が現地で約束された「慰霊のための上海行き」お誘いを受けたとき、 「 これは大変ヤなーと思いました。」 私の仕事は、鉄鋼の貿易業でした。鉄は国家なり 鉄は産業の米 といわれる国策業種で、日本も明治後期の官営・八幡製鉄から近代化が始まった如く、発展途上国や共産国どこの国も同じでした。 日本では鉄はメーカーの輸出商品、輸入はご法度の商慣習の中、縁あって韓国や発展途上国・共産圏国からの輸入にかかわり、その自由化をめざし、日本鉄鋼輸入協会の設立にかかわりました。 特に1980年から1990年頃までは、韓国や東欧共産圏諸国「チエコ・ルーマニヤ・ブルガリヤ東ドイツ等]からの輸入 1990年からは即、共産圏の崩壊からは、極東・三国 韓国 台湾 中国にシフト・チエンジをして、ソウル・プサン・香港に営業所を置き、年商250億円ほど商っていましたから、この20年間、その崩壊も一般の人々よりは間近かに見てきました。 共産党のタブー この、上海慰霊は正にタブーを行うことでした! 目的 日本の英霊の慰霊。 当時上海で日本有数の大手商社が、日本の進出企業向けに現地法人で、鉄鋼加工センターを設立、社長が私の30年来の友人でした。 相談しました。 『宗教ダメ!慰霊はもっとダメ!』「お清めのための塩まきの場所・工場の片隅を貸してくれ 」『無理! 密告タレコミの国 ・党・軍・警察どこに目があるかわからん!2000人の従業員の中何人おるかわからん!塩撒き・はやめとき!』 『持ち込む塩 白い粉袋=麻薬に連想される 弁解無理 33人全員・塩2kg持ち歩く観光客なんかおらん!検査・判断は中国側・調べる間、軟禁 下手すれば拘束・・やめとき!』 最終的に「 何かあったら領事館連絡頼む・身元保証、引受人頼む 」・・『保障は出来んけど塩はやめとき・・』 でした。・・・ 上海到着 入国管理所は通過 税関・・30分〜40分待たされました。ほかの乗客は全て通関を果たし外へ、 私たちグループだけが待ちました。そのうち通関テーブルの係官が1テーブル2〜3人を残しどこかへ!?私の不安は大きく高まっていました。・・・しばらくすると添乗員が「皆様こちらへ!」と呼んでくれて、税関の横を素通りしたのです。・・検査せんと!カバンも開けんと!」 ビックリしました。共産党の国ですヨ!若い彼女まして、海外添乗始めてと言っていた彼女に裏技有るともおもえんし!・・検査なしで通れた!初体験でした。これなら塩は見つからん!衝撃でした!・・・何も起きることなく上海に入りました。 その夜、当地一流ホテル花園飯店の最上階の宴会ルームで慰霊祭がおこなわれました。・・・祭壇を設え、お供えを並べ、蝋燭の灯・線香の煙・モウモウと立ち込める中、祝詞奏上33名の慰霊祭が行われました。 次の朝、散歩を装い、小人数グループに分かれ、広い庭で、祝詞を念じながら お清め、お塩を撒きました。撒いた塩は芝生・土の上に残りませんでした。 こうして先生は約束されたこと・為さろうとされたこと、全て終えられました。 奇跡の中に居ると、奇跡とは見えないのかも!?気付かないのかもしれません。 でもこれって大変な奇跡だったのです。 先生は、今まで国家も誰も為しえなかった、日本国のため・日本人の為、かの地で亡くなられた英霊達の慰霊祭をなさいました。 かの地で昇天された方々、又望郷の念強く、私たちと共にお砂に乗って帰国された方々は、帰国翌日、参加者それぞれの地域ごと 川、又は海辺でお流しし、それぞれの故郷に帰って頂きました。「上海慰霊」 実は大奇跡のうちに、行われました。 |
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E読み手 マイナスから0へ 急きょ、会場が変更された。現地の知人とホテルのマネージャーが、知り合いだったので、会議をするので貸して欲しいとたのみこんだ。 三十二階の慰霊祭に参加された霊体の方々は、きちんと順番に整列して御待ちになっていました。 もうこれ以上はできないくらいに、清まった状態の会場を設営しました。この会の参加者三十二名が持ってきた、たくさんのお酒、お水、お塩、お供え物、教科書などをそれは、丁寧に、ひとつひとつお清めになって、充分なこれ以上ない準備がなされたみけみけ(お供え物)としてお供えになりました。 順番に、その光に進みました。その光に魅せられて、吸い寄せられました。一瞬にして、ごちそうをいただくことができ、いままでの不平、不満が解消され、果てることのなかった飢餓感が満足しました。光のご馳走をいただくと、まるで母に抱かれて乳を飲み終わった赤ん坊のような安らかな、ここちよい感じに包まれました。 部屋中にお線香の煙が充満している。魂が浄化されれば、この充満して煙に乗って昇天できる。 このたび、もう一度来ていただいた方々は、今までとはまったく違いました。十分に身を清め、神様に十分お参りをしてくださり、日本の神様をお連れ下さりました。 煙に乗って昇天したものたちが、喜びを神々にそして子孫に表現する。これだけ煙がもうもうとしているのに、スプリンクラー、火災報知機が作動しない。我々にできることは、これが限界だ。我々では、先生の奥さんの体をお守りすることはできなくなってきた。 次の朝、大将の霊の方がでてこられ、 そのような人達がいることに今まで気がつかなかった。今できる最高のことをしよう。日本の未来をかけた大英断でした。そして、三十三名の参加者は、最終日の朝、お酒とお塩でホテルのお庭を、お清めをしました。 夜中二時半から、はじめました。一人二合のお酒と一キロお塩をまきました。最後に先生がお酒とお塩を持ってお庭のお清めをされました。終わったのは朝七時でした。 |
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F読み手 木曽 まさふみ
上海へ行く前の僕 なんで、僕はこの世に生まれ、育ったんだろう。両親に頼んだ覚えはないのに。生まれ育った家も学校も会社も自分が作った家庭も居場所がない。僕はここにいるのに、どこにも所属していない。本当の僕はどこに行ったのだろう。僕の会社での本当の役割ってなんなんだ。僕に本当に向いている仕事はなんだろう?僕は人に役立ちたい。僕が生きている証がほしい。人に喜んでいただきたい、人に感謝されたい。会社のプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、会社を辞めるわけにもいかず、離婚するわけにもいかず、ましてや死ぬわけにもいかず、ただ、会社に行き、家族と暮らしていた。 毎日寂しさや、むなしさ、つらさが浮かび上がる。親か上司か、会社か、勉強しているところの先生か妻かだれかに心の中で文句をいい、いつも誰かを攻撃していて、常に、不平、不満、愚痴、文句が頭と心に渦巻き、そして誰かに攻撃される。妄想にイライラして、まったく人の話を素直に聞くことができない。 上海へ行くための条件と、それを満たしても行く資格のない僕 そして、参加者三十三名の中で唯一出発前の先生のお呼び出しがあった。一番お役に立てそうな僕なのに。お約束した日に急な出張が入り、出発までにお会いすることができそうもないことをお伝えすると、先生は、絶対にきてくださいと言われた。七月六日のことだった。七月九日にお約束した。ただ恐ろしかった。自分になにか準備できることはないか? 飛行機の中での過ごし方の注意と上海での過ごし方の気づき 上海について、バスの移動中、大変しんどい。なにをしゃべっても、なにを思っても、上海で先生を待ち続けていらっしゃった霊の方々の邪魔になるようだ。お寺では、なにかに気づきたい一心で、先生のうしろにくっ付いて歩いた。集合場所で空を見上げたら、青い空に、急にドーナツ状のまんまるな雲がでた。先生にお伝えして、二人で確認したら、すぐ消えた。先生の後ろをついていくことが正解と自然が教えてくれた気がした。 夜の食事の時、ビールが飲みたくなかった。なにも話したくなかった。自分は、なんにもできなかった。 船上レストランでの勉強会 唯一体験した不思議な現象 上海から戻って 娘のお宮参りの時には「やっとしっかりした顔になったな。」と父が、笑顔で言いました。母は「がんばりんさい」とあいかわらずですが、頑張っていることを喜んでくれるのか「お前を生んで、育てて、本当によかった」と言ってくれました。 朝、起きると、禊をして、氏神様に行こうと思うところから一日がはじまります。つらいとか、消えてなくなりたいとか一瞬おもう癖は未だ治っていませんが、禊をして、氏神様に行くという強い気持が僕を支えてくれています。口うるさく、僕に不満を持っていた妻は、僕をおとなとして扱ってくれて、なにも言わなくなりました。逆に、僕は、思ったことを素直に伝えられるようになりました。上海から戻ってすぐ、息子はぼくになつく様になり、腕の中で寝るようになりました。僕を舐めたり、噛んだりしました。背中に上ったり、お膝に座ったりするようになりました。 上海から戻って一年半後、娘が誕生しました。子々孫々お守りいたす。という霊の方のお言葉を信じて、妻と身を清め、氏神様のお参り、伊勢神宮のお参りをした後、授かることができました。出産までの間、木村先生には、何度も助けていただき、妻の体調不良が治ったり、逆子が治ったりしました。平成一二年十一月九日に誕生したのち、平成十二年十一月二十三日の上海の方々の読書会の時に、霊の方にお祝いの言葉をいただきました。朝、目覚めると、その娘が、ムニュムニュ動いています。 |
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後方支援 木村先生を始め、三十三名の方々が、上海に行かれた時、私は今回の旅のご無事を祈り、氏神様へご参拝をしました。 雨が降っている。道を歩いている。涙が滝の様にあふれてくる。いつから待っているのか、待つのをあきらめたのか? |
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『0との出合い 〜その後〜』男:「何故こんなにやる気が出ないんだろう。何をやっても長続きしない。彼女ができても、前向きに結婚したい氣も起こらずにダラダラとその日、その日を過ごして、会社では適当に真面目にやり、それ以上の意欲は湧かない。」 背景:すぐ隣の課長にパソコンでメールして「今日の残業は出来ません。急用が出来たので、帰ります。宜しく。」5時の時報が鳴ったら、すぐ会社を飛び出した。彼女との待ち合わせ場所に急いだ。一瞬は嬉しい気持ちもするが、しばらく話していると他の事を考えたり、彼女のおしゃべりが雑音として聞こえたりして、貧乏ゆすりがでる。あくびをかみ殺し、タバコの煙を彼女の顔に向けて吹きかけてしまった。 彼女は急に立ち上がり、「貴方だって、自分の事しか愛していないんだよね。もう電話なんかしないで。メールもしないで。」椅子をガーッと音を立てて引いて食べかけたお皿の上にナプキンを投げつけて彼女は立ち去った。 女:「私はまあまあ美人だし、仕事も出来るのに、なぜあんなのといつも出会うんだろう。」彼女は、地下鉄のホームで一年前に別れた男にメールをした。 男:行き着けのショットバーに立ち寄って、水割りを2,3杯立て続けに飲んでいた。客とマスターは国際情勢とか政治の事をクドクドと喋っていたが、「それがどうしたんや。」という気持ちで一万円札をカウンターに叩きつけた。マスターが声を掛けるのを遮るように釣りをポケットにねじ込み階段を気だるく上った。タクシーを呼び止めて「俺ってなんでいつもこうなんだ。」と思わず声を出してシートに身を沈めた。しなびたタクシーの運転手が笑顔で振り返って「どちらへ。」「うるせぇ。」と小声で呟いた後、行き先を酔った振りをしてぶっきらぼうに通りを見ながら呟いた。 今、日本は年間自殺者が3万人以上と言われています。その大半の原因は自分を失って、生きる望みを無くして、命を捨ててお金や対人関係や家庭の不和や子どもの問題などで悩みは様々だが交通事故の死者を遥かに超えた現実が今、日本に起こっている。原子爆弾で広島と長崎が悲惨な目にあって多くの死者を出しだが、数年でその数を超える自殺者が多いのも今の日本である。各国が死に物狂いで輸出を奨励し、各国の通貨の下落を放置していた。輸出を伸ばそうとする圧力が日本政府や経済を混乱させる。円高による海外生産を高めている企業の続出で、日本経済が衰退し、アメリカの言いなりのままにドル債を買って、日本の国債を発行して、想像を絶する赤字国として世界から呆れられている現状である。自民党から民主党に移行し、アメリカ離れをしようとしているがままならぬのが現状。 女・・「こんな国になる為に俺たちは戦争をしたのではない。もっと豊かに、もっと幸せにもっと智恵のある日本人になる為に我々は何十年も戦った。」 男・・その嘆きが日本中を覆い、その怒りが日本中に溢れ、日本を想う愛憎が矢のように飛び、今の日本を覆い被せている。 女・・「君たち、もっと子孫の為にやる事を探してくれ。やっと天界に昇れた俺たちはまた地上に彷徨っているのだ。早く気づいてくれ。この苦しみは浮かばれないあの苦しみと全く一緒だ。苦しい。辛い。 二人・・ 鈴木君、佐藤君、田中君、頼む、お願いだ、気づいてくれ。」 |
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I読み手 斉藤 治美
『0との出合い』〜最終編〜 0との方々との出合い以来、もう十年以上が経ちました。 平成二十二年が十年目になりました。 私たちが0の人たちの本当の願いをまだ全うしていなかったからです。最初に0の大将が出てこられた目的は私たちに慰霊や救いを頼んだわけではありません。 十一年前に0の大将が出てきて、大粒の涙をこぼされ、手をついて「もう一度上海に来ては下さらぬか。」と頼まれたのに、長い、長い時間がかかりました。 0の方々は私たちにその事を分かってもらう為に上海のホテルの空間から突然姿を現されたのです。 そして、目が覚めればそこに私がいます。 今は亡き作詞家、阿久悠が素晴らしい詩を伝えています。 |
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『あの鐘を鳴らすのはあなた』 あなたに逢えて 良かった あなたに逢えて 良かった 町は今 砂漠の中
『わたしはある、伝えるために』 姿の無い 声ない魂たちが 姿になり 声だし叫ぶ お聞きなさい 魂のうずき 愛の伝言 お聞きなさい
光のゆらぎ 生きている者たちの役割を 伝えるために 私はある。 |
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