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0との出合い
 

(ゼロ)との出合い

ニュークリアスでは 1999年に起こった出来事を
本にまとめました。そこに込められた 0の方々の
メッセージを忘れないために、伝えるために
毎年朗読会を開催して参りました。

 

これは、2011年2月5日(土) 京都駅八条口正面龍大アバンティ響都ホールでの朗読会で、朗読された全文です。

幸せは作りださなければ!

 不平不満・不安が溢れ、信頼する・尊敬する・お任せするの言葉が、今の日本では死語になりつつある。
日本人はもっと賢くなれ。
アメリカやヨーロッパ系がほとんどのスポンサーであるので、マスコミは人間の常としてスポンサー側に立っている。マスコミに踊らされ、情報のつぶやきを頭から信用し、日本人の知恵を忘れている日本人が今いっぱい。
生の情報が読み取れるツィッター情報が大流行りなのも、マスコミに左右されない智恵のあらわれでしょうか?でもその内容は、虚無感と孤独な世界に溢れ前進しようとするつぶやきは一部に過ぎない。政治、経済、天皇家、職場、家族、個人の中に冷たい風が吹きすさぶ。アメリカと中国の争いの場が日本で行われ、気に入らない首相はマスコミによってスキャンダラスな話題がすぐ提供される。国民ももっともだと納得して首相交代に同調する。季節の移り変わりよりも激しい首相交代。
自民党政権の退廃から、やっと目覚めた投票だと確信して自民党から民主党に投票したのに、またまた同じこと。鳩山氏も退陣し、小沢氏も吊るしあげられている。今では民主党に投票した自称賢い選挙民の大半が後悔している。どうなる日本。
つい数十年前までのジャパン イズ ナンバーワンはどうなったの?
日本の場で、アメリカ系の思惑と中国系の思惑が卑劣な争いをしているのを気づかない私達。
私達は勉強会を通じて、知恵をみなさんと共有したいと思っております。そのみなさんと共有する勉強会が、神学、拍手塾、直観医学エネルギーセラピー、情報推命学、株式勉強会、共学セミナー、ヒト行動学を通じて学び合っています。そのきっかけを作ったのが0との出合いです。
みなさんも0と出合いませんか?

2011年2月5日

0との出合いイメージ1

0との出合い

平成二十三年二月五日(土)

0との出合いイメージ2

はじめに@読み手  蔵下 いずみ

はじめに

 宇宙にむかって飛び立つロケットが発射する時、「サン、ニ、イチ」の秒読みからエンジンが噴出し、0と言うと同時にゴッという音と共に浮き上がりました。
そのときに感じました。「0は新たなはじまりなんだな」と。
あなたはいつ「0」を感じましたか?

舞台イメージ

 株式会社ニュークリアスは、一九八五年に発足した未来をクリエイティブする企業です。
ヒトの未来は、情報推命学(二十一世紀の易学)で、株式動向、波動の分析にて、未来の真実を明らかにしています。
そのノウハウのひとつに0の探究があります。テレビなどで知る事ができる、超常現象や、霊能者のお話の中で、幽体離脱などで、死後の世界を見た魂は、人間として戻って帰って来れず、人類は、死後の世界の真実を知らないのでは、と漠然と感じました。
霊能者の方々がお話されたことがすべて一致しないのは、どうしてでしょうか?

0の真実はひとつなのに。
突然、0の世界の真実が、一九九九年二月一〇日に確認されました。
この物語は、有史以来、0の世界に戻ることを願う霊界の方の代表と、ニュークリアス創設者との約束からはじまりました。
約束は、一九九九年二月十一日に交わされました。
その約束は一九九九年七月十三日に果たされました。

私達は、これから真実の物語を知るあなた自身を0との出合いにご招待いたします。

そして、わたくしは、この物語の気づきを伝え続けます。

第一幕

第一幕 0への序曲

 「さあ、着いたぞ!」
と上海空港に降り立った。

 雲は低く、地上に這い、砂埃が舞い上がる。なまぐさく、けだるい臭いが彼を出迎えた。
 一九九九年二月の中国上海招待旅行は、東京、京都、大阪、沖縄と全国から二十四名が招かれ、彼は妻と友人と参加していた。 招待主は、世界各国で抗がん作用が認められ、病院での臨床データが豊富な健康茶タヒボの総販売代理店であった。

 今回の招待旅行は、得意先へのアンケートの結果オーストラリアに決まっていた。
「先生、どこがいいのでしょう?」
と言いながらオーストラリアのパンフレットしかない相談に苦笑しつつ
(一日中のフライトはかんにんやなあ) 
という思いで、ぱらぱらとめくると、ひらりと一枚のパンフレットが一回転しながら、ゆっくりと舞い落ちた。
上海行きのツアーだった。
日ごろから、人生に偶然はありえない、出来事を素直に受け入れるのだということを学んでいた彼女は、すぐさま
「上海はいかがですか?」と行き先を変更した。
彼は近くなったのでほっとした。もちろん二つ返事だ。上海が選ばれた理由は、安い、近い、そして二人にとって良い方位、の三つだった。

 宿泊先は、日本人に大変人気のある上海の最高級ホテル花園飯店、部屋は一一一〇号室。
一九九九年二月十日、日本を旅立ってからのこの三日間、昼は慌ただしい過密スケジュールの観光、食事、夜はあやしげなブランド品のお店の買い物ツアーに付き合わされた。

 ホテルに帰ってすぐ、
「怖い。」
「音がするんです。」
「助けて下さい。」
と彼の両手を「がしっ。」とつかんだ斜め向かいの部屋の女性の目は、するどい紙の端で切られたような真っ赤な血があふれんばかりであった。その震えと冷たさが恐怖を物語っていた。同室のもう一人の女性は、腰を抜かし、部屋の隅で毛布にくるまったまましゃがみこんでいた。顔をあげたとき、彼女の目も、血の色であった。
三人で祝詞を奏上した。

 部屋に帰ると上海時間の二十三時であった。
彼は、ベッドに腰掛けた。
友人は肘かけに両手を乗せて、ソファーに深々と座って背中を丸くし、首をうなだれていた。
日ごろ姿勢の良い彼には珍しいことであった。
妻はひじをついてベッドで寝転がっていた。
この旅行中ドアのノブが音をたててゆっくりと回るのが、各部屋で目撃された。
ある会社経営者は、白く光る煙がドアにすっと吸い込まれていくのを見た。
沖縄からきた牧師さんは、まるで鋭く伸びた爪でひっかかれたように、背中が七箇所、みみずばれになった。
上海の有名な観光ガイドの男性に尋ねると、このホテルでそんなことが起こったといううわさはいっさいない、という。

 三人とも(疲れたなあ)と心でつぶやいているが、口にはださず、なぜかしばらく無言であった。
「早いもんやな、もう明日は帰るんやなあ。」と彼がささやいたところから、0との出合いが始まった。

 
 

恐怖におびえた男A読み手  三木 文佑 

恐怖におびえた男

 「そこの男!のりとを頼む」と命令調の声が部屋中に響きわたった。命令したのは、二十五年にわたりお世話になっている先生の奥さんだ。普段、ケラケラと屈託なくよく笑い、可愛いい声の、やさしい奥さんが、太い、男の言葉でしゃべりだした。

 唖然として、一瞬誰の事かと解らなかったが、自分の事だと理解し。直立不動で祝詞を必死で唱えました。じわーっと額に汗がにじんできました。

 前日でした、ガチャガチャ、キュッキュッとラップ音の響く部屋…。
誰かが入ってきたのかと見に行くが誰もいない…。
また、しばらくすると音が聞こえる。そんな一一一〇号室に訪ねた時、「気味が悪いし部屋を変えてもらおうか」と話していたけど、「ちょっと聞いててみいっ」。…キュッキュッ確かに聞こえる。洗面所の方から聞こえるようだ。

 「とりあえずお塩をまいてみる」と先生はジュータン、ベッド、天井に向けてと、四方八方へ振りまかれました。そして、何かがいれば、出ていってもらえるように部屋のドアを開けるように言われました。ドアを開けて廊下に出ると二、三人の同行の人達と顔をあわせる。その人達と一言、二言をかわしている所にいつも、この会でお会いする女性がこちらに来られるのが見えた瞬間、廊下の真中に立ち止まり、鶏の格好のような、後ろ手に縛られているような姿で、腰を屈め、目は一点を見据え、なんともいいあらわせない不気味な感じで「わいや、わいやー」・「わいやー」と聞いたことも無いほどの大声で叫びだした。一瞬何が起きたか分からなかったが、薄暗い廊下にぞぞーっと、寒気がはしった。その声に数人が廊下に飛び出して来た。続いてその格好のまま、指をさして「エレベータ、エレベータ」…と叫んだ。

 それを見ていた先生はその人に手をかざしてお清めをされながら、私に、祝詞をあげて下さいと言われます。私はこんな事初めての事ですが、たまたま日本からポケットに入れて来た大祓祝詞を上げさせて頂き、続いて天地の玄氣の祝詞も上げさせて頂きました。本では読んでいましたが、霊が人に乗り移る現象を始めて見ました。それより正気に戻った女性は「何か今日お土産を買われましたか」と先生にたずねられ、その中の品物に憑いてきたようですと言われるので、何かなと、先生は今日買った硯を廊下に持ってこられました、その場に居合わせた人達も薄気味悪くなり買った品物をそれぞれ廊下にもちだし、その前に座りだしました。さながら露天商が開いたようでした。

 先生はその品々を清めましょうと、その前で祝詞をあげるように言われました。私は、立ち上がり一礼をし、祝詞を唱えました。すると、終わるか終らないかの時、赤いサンゴのネックレスを二重にして腕に巻いていた先生の奥さんが突然霊懸かりになり「ありがとうございました、ありがとうございました」と頭を床につけんばかりに泣きながら丁重にお礼を言われました。そのサンゴはチベットの特産品で、昔チベットが海底から降起した証拠の山サンゴで、中国の或る土産物販売のチベットコーナーで先生が引き寄せられるように入られて買われた品物でした。そんなひと騒ぎも一段落した頃ホテルのボーイが注意をしにきて、その場は解散となりました。

 私は祝詞を上げさせて頂いた時も汗をかきかき真剣でした。それと言うのも。「わいやー・わいやー」の雰囲気にオドロ、オドロした恐怖心に凍りついたからです。今思うと小さかった頃おばあちゃんから聞かされた、ろくろく首や一つ目小僧の怪談話におびえた。昔の記憶が蘇えり、また「わいやー、わいやー」との無気味な叫びに青森県恐山の霊媒師の口を通じて離す死者の声を感じてびびりました。

 今、また一一一〇号室で霊に憑依現象を見た私は、何か解らない恐怖心に自分の震えの止まらないのを感じました。

 
 

 

第2幕 霊との約束B読み手  木村 みちこ 

第2幕 霊との約束 「上海慰霊の決まる瞬間」 生まれてはじめての体験


  夕食後、ツアーの人達と買い物に出かけて帰って来ると、斜め向かいの部屋の人が、まだ変な音がして怖いというので、先生と私と友人と、三人で部屋に行き、祝詞を奏上する。
  天地の玄氣をうけて福寿光無量のところでは、割れ鐘のような男性の声で唱え始め、手はのどに吸い付いたように終わりまで押さえていた。とにかくのどが付き刺されたように痛いのである。
その後、自分たちの部屋に戻る。部屋ではなぜか三人とも黙り込んでしまった。

 その時、先生が急に
「早いもんやな、もう明日は帰るんやな」
と言った途端、それまで私はベッドの上で行儀悪くパジャマのまま肘をつき横向きに寝ていたのであるが、
「うーん」
と言って、仰向けにひっくり返ってしまった。あわてて友人は祝詞を奏上、それからはもう大変であった。

 腹の底から絞り出すような声で
「あしたはもう帰ってしまうのか!」
と叫んだのである。泣きじゃくりながら
「この日をどんなに待ったことか!」
「先生は、もうあした帰ってしまわれるぞー! 早くこんか、何をしている早く、早く」
と両手を大きく広げて呼びかけて手招きするのであった。
そうこうしている内、先生が氣の御塩を三袋手に持たせてくれた。
目が開かないので手探りで一袋ずつ封を開け、
「塩じゃ!塩じゃ!塩じゃ!塩じゃ!」
といってベッドの辺りに居る霊たちに分け与えるのであった。
一つ、二つ、三つ、と最後の三つ目の袋は空になっているのに、
「もっと、もっと」
と袋を逆さにして振って、塩を求める仕草をするのであった。(その振り方は尋常ではなかった。)先生は友人に祝詞をと言い、祝詞を何度も唱えると霊はベッドの上にきちんと座り、手は膝の上に置き、背筋を伸ばし、じっーと耳を傾けるのであった。
祝詞と天地の玄氣に対して
「わけは解らぬが素晴らしいのう!」
と喜ぶ。
「仏ではだめじゃ!仏では救われないのじゃ。」
「百回のお経より、一回の祝詞がどんなにすばらしいか!」

と言って泣き崩れるのであった。その姿勢は一言も祝詞を聞き漏らすまいという仕草であった。

 「そこの男祝詞を頼む。」
その内、霊が立ち上がり、背筋を伸ばしキリッとした姿勢で話し始めたのである。
「この日をどんなに待ったことか、家族のものも、身内のものも、誰も来てはくれんかった。誰もじゃ!誰も、誰も、誰も!」
「国も何もしてはくれんかった。」
「この口惜しい、この思いがそなた達にわかるか!」
とベッドの端をちぎれんばかりにつかんで、それはそれは、切ない気持、身をよじり、腹の底から涙ながらに訴えるのである。

 これから先、何百年、何千年、何万年、待ってもこういう機会はもう二度と無いというのである。
自分は彼の地で果てた者達をどうすれば日本に連れて帰ることができるのか日夜そればっかり考えて心を砕いていた、と言うのであった。
自分たちが日本に帰る最後のチャンスを先生に託したのであろう。
最後に本当に言いにくそうに、先生に向かって頼むのであった。
深々と頭を下げ、
「無理な頼みだとは思うが、もう一度、上海に来てはくれまいか!今度は遊びではなく」
というのである。救ってほしいとか、慰霊とか、そんな言葉は一言も言わないのである。言わなくても心と心とで通じるのである。
それはそれは、何とも言えない気持ちでお願いするのであった。先生にしても、うかつには返事は出来ない。中々、ウンと言わないのである。
長いながい沈黙が続いた後、やっと先生が小さな小さな声で一言、
「はい」
と言ったのである。

 霊は涙ながらに
「有難う御座いました」
とお礼を言い、ベッドの周りにいる霊達に向かって
絶対に先生達に憑いて日本に帰ってはならぬ!
わかったか!
もしついて帰る者たちがいたらしょうちしないぞ!
と厳しく言い聞かせていた。(統率を乱してはいけない配慮からだったと思う。)

 友人はもう恐ろしくて、恐ろしくて
「部屋にはようもどらへん」
と言うので先生が
「ではこの部屋で朝まで祝詞をあげたらどうや。」
と言って自分はベッドに入って寝てしまったのである。
わたしも疲れて自分のベッドに大の字になって横になっていた。
友人は窓の外に向かって一回目の祝詞をあげ、二回目の祝詞が始まるとわたし(霊)は再びきちんと正座して友人の背中に向かって深々と頭をさげて聞き入ったのである。

 二回目が終わると霊が友人に、
「そなたも疲れたであろう、もう悪さはしないから自分の部屋に帰って寝るが良い。」
と言ったのである。
「そのかわり明日ホテルを発つまでにもう一度祝詞をあげて欲しい。」
というのである。
終わったのが深夜上海時間で、三時近くであった。

 朝、洗面所で顔を洗っていると、頭がガンガン痛いのである。頭が痛くなるという経験は無いに等しい私は、尋常ではないこの痛さにびっくりしたのである。
その前から遊びではなく上海に来てほしいと霊にたのまれたが、さて六人分の費用(役員の皆さん方)はどうすればよいかと勝手に私は心配していたのである。
私は商売をしていて主人には売上は自由にさせてもらっていたので、
そうだ私がなんとかしよう。
と思ったとたんに頭痛はうそのように治ったのであった。

その後、朝食の前に三人でまた涙なみだの祝詞を奏上の後、帰路についたのであった。

 
 

C読み手   

生まれながらに体が弱く、家にひきこもりがちだった私が夫と結婚しました。

 第一子妊娠七ヶ月から絶対安静となり、実家の世話になり産後も黄疸がきつく結局長いこと大阪の家にいっている間に主人と先生の出合いがはじまっていたのです。
 先生の事は、証券会社、伏見勤務の間にお客様として先輩が「宇宙人いはんねん、連れてったげよ」言うて何度かその当時レストランを経営している先生の店へ食事に行っては「ほんまやね」言うて、よく存じておりました。
 私が三人を生み終えるまでどんどん勉強してはって、すごい輪が広がり、やがてニュークリアスが発足、私も勉強に参加し先生との出合いが重なる度に強くなってきていましたが、完全に 強くなったのが、この上海慰霊へのための各神社への参拝でした。その三年程前に喫茶店をする事となり、私にとっては決死の覚悟で始めたのでしたがしばらくは勉強も参拝もできない時期があったのですが、この三年間に、肉体が疲れて眠るという事実を体感し、私が知るしんどいとは違う事を発見したのです。色んな事があり気がつくとほとんど酔わなくなりつつありました。

 一九九九年二月、上海より戻った主人が恐怖にひきつった口で霊が出てきて、先生の奥さんの体を借りて「そこの男!」って言われたことを、何度も何度も言うのです。
 何かが始まった。生まれながらに霊能力をそなえていた私を連れて行くときっと見えるはずと先生の奥さんが言っておられ、本当にもう一度上海へ行く事になりそうだと言う。わかるけど、私、飛行機に酔うかも知れんで、目をつむって、何も食べず、八時間睡眠してやったら何とかついていけるかも知れないが、緊張の中、霊までみつめるとなると予測不能の未知の世界やないのと思う。それに果たして霊が見えるかどうか。何でそう思われるのか?とも思った。

 が、それが店内で霊が見え出したと言うか、男の人がいるのです。いるしか主人に伝えられないでいるとお客さまが旧千円札で支払われた時の伊藤博文が今ここにいる!やっと主人に伝えられた、と同時に全てを信じ、見える人をスケッチしたりして本で確認し、伝えた。

 元来考古学者になりたかった私は歴史を調べるのは好きで高校の時でも好きな事を書いて良いという論理の試験に裏まで使いある本の感想を書いた。何万年も前にもっと高度な文明があったという本です。その先生は笑わず怒らず聞いてくれて大変うれしかった思い出があります。今、側に何でも聞いてくれる人が一番の幸せです。主人がいかなあかんと言うなら行こう、やめときと言うなら、そうしようと思う反面、行けるものなら…と少しづつ思い始めてたのです。見えないものが見える、何でや?何が言いたいのか知りたい。

 パスポートを取ってから、やがて各神社への参拝が始まると、全くもって酔わない、食べられる、肉体が疲れて眠るだけ朝起きられる、店もできる。バタバタしたまま上海へ行く。その頃には自分が酔っていた弱い頃の感覚さえ忘れていた。ただひたすら見える事実だけしか頭になかった。

 現実にしろ霊の世界にしろ見える事すべてが新鮮で、子どものように日記をつける、生まれて初めて見る車窓からの風景、五体満足ながら全部が死んだ状況から、やっと生まれた私。見える、聞こえる、口にする。生きてる感じがした。神社参拝で、外に見える景色の素晴らしさ、その変化していく様子、空、雲、太陽、私には初めて見るものばかり(いつも酔っているから見ず、おやつも、お弁当も、食べた事がない)もう、うれしくて、その都度書き留める感激の日々、今、やっと普通に生きている、疲れたねぇと言う会話がやっとわかった、この上海で完全に強くなった事がわかりました、見えない物も、見える物もしっかり目を開けて見る楽しさ、言葉がもどかしいくらい。

 自分の細胞が少しずつめざめていく。生きていて良かった。全部目覚めてほしい。もし違う人と結婚していたら弱いままだったと思うのです。主人が先生とつながり続けてくれたから、今のめざめがある。
普通の自分になれたと思うとこれからの人生、楽しみでしょうがないんです。
私の人生は今、始まったばかりです。

 
 

 

危機感を感じた旅の始まりD読み手  佐々木 良治 

危機感を感じた旅の始まり

 中国・上海で、1999年の2月、木村先生が現地で約束された「慰霊のための上海行き」お誘いを受けたとき、 「 これは大変ヤなーと思いました。」
 経済面の自由化 社会主義・市場経済 を目指しつつも、政治は 共産主義一党独裁を、頑なに守る軍事大国 。 1989年ベルリンの壁が崩れ、1991年ソビエト連邦が崩壊し、東ヨーロッパ・共産圏国の解体があっても尚、1989年・第2次天安門事件で民衆に戦車、機関銃を向け、民主化運動を押さえ込んだ国。   対日観も 第2次世界大戦を、それまでの、西洋・列強諸国の侵略をいわず、 日本の侵略戦争とし・天津・南京で大虐殺30万人しただの 大臣が靖国神社に参拝すると、軍国主義復活だの文句をつけ、自国民の不満のガス抜きに利用。 2008年北京オリンピック 2010年、上海万博を行っても、商標権無視・キャラパクリ、ほんの一部の人々が、バブルに沸いて 対日買い物ツアー 不動産買い、一時期の日本のバブルのような今の中国・。1990年からわずか20年、社会主義・市場経済を標榜し、深川。天津に特区を作り、外資導入・アッという間に、GDP世界第2位になっても、政治は今もまったく変わりません。 20年前、10年前と驚異的な変貌を遂げてきた中国! 今より10年前、香港・マカオを取り返したばかりの、その国へ 慰霊に行く!実は大変なことでした。

 私の仕事は、鉄鋼の貿易業でした。鉄は国家なり 鉄は産業の米 といわれる国策業種で、日本も明治後期の官営・八幡製鉄から近代化が始まった如く、発展途上国や共産国どこの国も同じでした。  日本では鉄はメーカーの輸出商品、輸入はご法度の商慣習の中、縁あって韓国や発展途上国・共産圏国からの輸入にかかわり、その自由化をめざし、日本鉄鋼輸入協会の設立にかかわりました。  特に1980年から1990年頃までは、韓国や東欧共産圏諸国「チエコ・ルーマニヤ・ブルガリヤ東ドイツ等]からの輸入 1990年からは即、共産圏の崩壊からは、極東・三国 韓国 台湾 中国にシフト・チエンジをして、ソウル・プサン・香港に営業所を置き、年商250億円ほど商っていましたから、この20年間、その崩壊も一般の人々よりは間近かに見てきました。                       

 共産党のタブー
1  民主化思想・自由諸国の情報 
2  宗教活動・行為
3  麻薬  です。

この、上海慰霊は正にタブーを行うことでした!

目的 日本の英霊の慰霊。
いつものお参りのスタイル・ 黒の礼服 持ち物は・お酒 お塩2袋 2kg お供え           
お淨め ・お塩を捲く 宗教行為 ・・・ 先生に何度か報告・お話させて頂きました.  
  『何とかなるでしょう 大丈夫でしょう』・・・でした。

 当時上海で日本有数の大手商社が、日本の進出企業向けに現地法人で、鉄鋼加工センターを設立、社長が私の30年来の友人でした。 相談しました。 『宗教ダメ!慰霊はもっとダメ!』「お清めのための塩まきの場所・工場の片隅を貸してくれ 」『無理! 密告タレコミの国 ・党・軍・警察どこに目があるかわからん!2000人の従業員の中何人おるかわからん!塩撒き・はやめとき!』 『持ち込む塩 白い粉袋=麻薬に連想される 弁解無理 33人全員・塩2kg持ち歩く観光客なんかおらん!検査・判断は中国側・調べる間、軟禁 下手すれば拘束・・やめとき!』  最終的に「 何かあったら領事館連絡頼む・身元保証、引受人頼む 」・・『保障は出来んけど塩はやめとき・・』    でした。・・・ 

 上海到着  入国管理所は通過  税関・・30分〜40分待たされました。ほかの乗客は全て通関を果たし外へ、 私たちグループだけが待ちました。そのうち通関テーブルの係官が1テーブル2〜3人を残しどこかへ!?私の不安は大きく高まっていました。・・・しばらくすると添乗員が「皆様こちらへ!」と呼んでくれて、税関の横を素通りしたのです。・・検査せんと!カバンも開けんと!」 ビックリしました。共産党の国ですヨ!若い彼女まして、海外添乗始めてと言っていた彼女に裏技有るともおもえんし!・・検査なしで通れた!初体験でした。これなら塩は見つからん!衝撃でした!・・・何も起きることなく上海に入りました。   

 その夜、当地一流ホテル花園飯店の最上階の宴会ルームで慰霊祭がおこなわれました。・・・祭壇を設え、お供えを並べ、蝋燭の灯・線香の煙・モウモウと立ち込める中、祝詞奏上33名の慰霊祭が行われました。 
  私は天井の火災報知機が鳴り出さないか?廊下は?・・・鳴りませんでした。 

 次の朝、散歩を装い、小人数グループに分かれ、広い庭で、祝詞を念じながら お清め、お塩を撒きました。撒いた塩は芝生・土の上に残りませんでした。 

 こうして先生は約束されたこと・為さろうとされたこと、全て終えられました。  奇跡の中に居ると、奇跡とは見えないのかも!?気付かないのかもしれません。
  税関検査含め全て何事もトラブル起きず出来てしまう!通り過ぎる!メンバー大半の人たちは、ただいつも通り先生のお供をし、慰霊が出来て、無事に帰れて・・だから何も気にならなかった!

 でもこれって大変な奇跡だったのです。 先生は、今まで国家も誰も為しえなかった、日本国のため・日本人の為、かの地で亡くなられた英霊達の慰霊祭をなさいました。  かの地で昇天された方々、又望郷の念強く、私たちと共にお砂に乗って帰国された方々は、帰国翌日、参加者それぞれの地域ごと 川、又は海辺でお流しし、それぞれの故郷に帰って頂きました。「上海慰霊」 実は大奇跡のうちに、行われました。

  E読み手         

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 急きょ、会場が変更された。現地の知人とホテルのマネージャーが、知り合いだったので、会議をするので貸して欲しいとたのみこんだ。

 三十二階の慰霊祭に参加された霊体の方々は、きちんと順番に整列して御待ちになっていました。
 参加者は、ホテルに着くとすぐ、みそぎをして、新しい下着に着替え、祝詞をあげて、会に参加しました。部屋では、息がお供えにかからないよう、半紙と麻紐でできたマスクをしました。半紙を三角に折ったお供え物をのせるものを準備しました。部屋のすみずみに御幣が飾られ部屋の中に神様がおいでになる準備が調えられた。この会を行うために、先生、先生の奥さん、役員の方々は、七、八箇所、日本の有数な神社を参拝され、力を貸していただくお約束をしてきた。
熱田神宮、鹿島神宮、香取神宮、靖国神社、伊勢神宮、出雲大社、出雲大神宮、大本教…

 もうこれ以上はできないくらいに、清まった状態の会場を設営しました。この会の参加者三十二名が持ってきた、たくさんのお酒、お水、お塩、お供え物、教科書などをそれは、丁寧に、ひとつひとつお清めになって、充分なこれ以上ない準備がなされたみけみけ(お供え物)としてお供えになりました。

 順番に、その光に進みました。その光に魅せられて、吸い寄せられました。一瞬にして、ごちそうをいただくことができ、いままでの不平、不満が解消され、果てることのなかった飢餓感が満足しました。光のご馳走をいただくと、まるで母に抱かれて乳を飲み終わった赤ん坊のような安らかな、ここちよい感じに包まれました。
満足した者たちが、参加者を見つめています。死に切れなかった我々が昇天するためには、誰かのお体をお借りして、死に直す必要があります。
・・・・・・・
透明な者、濁っていながら、御先祖様、氏神様に守られているもの。そんな中一人照り輝く御魂が光を放っていた。
先生の奥さんだ。この方のお体をお借りしたら、魂は浄化して、昇天できるんだ。死に切れなかった我々がもう一度死に直して昇天できるんだ。
天国の扉がこの方の体に開かれている。

部屋中にお線香の煙が充満している。魂が浄化されれば、この充満して煙に乗って昇天できる。
順番に光の中に飛び込んだとたん、ふっと、今までなにを考えていたのか忘れてしまった。何とも言えず心地よい。あっというまに、煙と同化した。上へ上へと上がっていった。自然の力、神の力で昇天させていただいた。
限りなく自分が軽い。いままで、眩しくて見えなかったものが見える。自由に動く事ができる。なんとも心地よく、清らかで、清々しく、天地の玄氣に満ち溢れている。これが本当の供養なんだ。
自然が、神が人間を使って、お清め、供養の準備をして、自然の力で供養がなされるんだ。
自然の力と一体になったとき、はじめて、人間から愛の力が溢れでるんだ。あまりにも自然で、感謝することすら忘れてしまう。
順番に整列して、この方の体を気遣いながら、次々と煙とともに昇天していく者たち。前回の上海の旅行の時にお約束した方々は、先生、日本の神々に見守られながら昇天した。
正しい方法で、慰霊していただくと、昇天はこんなに簡単なんだ。一瞬なんだ。
神様が清めたお供え物でないと、一瞬飢餓感は満足するだけで、魂が浄化されない。
魂を浄化するためには、人間の体をフィルターにする必要があるからだ。
死に直す必要があるからだ。
不平不満が解消されていない霊体が、人間の体をフィルターにして昇天しようとすると、不平、不満のエネルギーがその人の体に残っていく。霊体は、その人の中にある心根の清まった部分をフィルターにしてどんどん昇天していく。フィルターがいっぱいになって詰まった状態になっても、どんどん昇天しようとしていく。フィルターになった人の命など考えない。あっという間に生け贄にしてしまう。
魂のフィルターが、不平、不満と共鳴すれば、どんどん蓄積していき、猛毒となって、その人の命を奪う。
そして、どの霊体も以前よりは高いところへ行けるかもしれないが、昇天はできない。

 このたび、もう一度来ていただいた方々は、今までとはまったく違いました。十分に身を清め、神様に十分お参りをしてくださり、日本の神様をお連れ下さりました。
限りなく清まった状態で、お供え物を準備してくださり、祝詞を奏上していただき、日本の神様が鎮座されて、お身守りになってくださる場を作っていただきました。
神々様のあらゆる力をお借りしていただきました。
まさか、この上海の地で、この様な供養をしていただけるとは。
先生を待ち続けておられた、我々霊界の指導者の方々の言葉は、本当だった。信じてよかった。何十年何百年何千年何万年待ったかいがあった。
我々が昇天した直後、我先にと奥さんに群がる霊達。先生との約束を守らず、充分な準備をしていない参加者についてくることができた霊体たちだ。
この者たちも昇天させてやりたい。昇天するには、先生の奥さんの体をお借りするしかない。しかしどんどん体が冷たくなっていく。もうこの人は死んでしまうぎりぎりのところまで、先生、神様が見守ってくださっている。

 煙に乗って昇天したものたちが、喜びを神々にそして子孫に表現する。これだけ煙がもうもうとしているのに、スプリンクラー、火災報知機が作動しない。我々にできることは、これが限界だ。我々では、先生の奥さんの体をお守りすることはできなくなってきた。
終わりに近づくにつれ、どんどん無作法な者たちが昇天していった。
もう我々には、この者達を止める事ができない。
霊たちは、自分たちの不平、不満を魂のフィルターに残して、自分たちは清まって昇天していく。
先生の奥さんの命はないのか…。
体が冷たく、起き上がることができない。
先生が脈拍を確認された。
日本から来られた神々がお助けになった。
魂のフィルターに残ったすべてを浄化された。

 次の朝、大将の霊の方がでてこられ、
祝詞の紙の上に座られ、声もたえだえに「これで昇天できます。ありがとうございます。」「もうひとつ頼みがある」
お供え物を半紙で包んで、わけてやってくれないか?ごみ箱の中でないとお供え物をあされない霊たちがいるから。これ以上あなたたちを守れない、これ以上、お塩をまかないでくれ。しかし、お塩をまかなければ、昇天できない人がたくさんホテルの庭で待っています。どんどん集まっています。
お供え物をごみ箱にお供えするだけでは、飢餓に飢えている人達を清める事ができない。
飢餓に飢えている人達を清めないといけない。
日本を救うことはできない。

 そのような人達がいることに今まで気がつかなかった。今できる最高のことをしよう。日本の未来をかけた大英断でした。そして、三十三名の参加者は、最終日の朝、お酒とお塩でホテルのお庭を、お清めをしました。

 夜中二時半から、はじめました。一人二合のお酒と一キロお塩をまきました。最後に先生がお酒とお塩を持ってお庭のお清めをされました。終わったのは朝七時でした。
七リットル以上のお酒、三〇キロ以上のお塩がまかれているはずなのに、お庭のどこにもお酒の香りもありませんし、お塩が残っていません。雨も降っていないのに。
庭園のあちこちでは、中国の人々が太極拳をしていましたが、誰一人として気づかぬ様です。お酒とお塩で清められた霊たちが、喜んで、土の中に隠したのではないでしょうか?

 
  上海へ行く前の僕F読み手  木曽 まさふみ 

上海へ行く前の僕

 なんで、僕はこの世に生まれ、育ったんだろう。両親に頼んだ覚えはないのに。生まれ育った家も学校も会社も自分が作った家庭も居場所がない。僕はここにいるのに、どこにも所属していない。本当の僕はどこに行ったのだろう。僕の会社での本当の役割ってなんなんだ。僕に本当に向いている仕事はなんだろう?僕は人に役立ちたい。僕が生きている証がほしい。人に喜んでいただきたい、人に感謝されたい。会社のプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、会社を辞めるわけにもいかず、離婚するわけにもいかず、ましてや死ぬわけにもいかず、ただ、会社に行き、家族と暮らしていた。
朝起きたら、自分が消えていたら、どんなに楽だろう。と毎日思っていた。どうせ、生きていても、どこにも自分がいないのだから。

 毎日寂しさや、むなしさ、つらさが浮かび上がる。親か上司か、会社か、勉強しているところの先生か妻かだれかに心の中で文句をいい、いつも誰かを攻撃していて、常に、不平、不満、愚痴、文句が頭と心に渦巻き、そして誰かに攻撃される。妄想にイライラして、まったく人の話を素直に聞くことができない。
妻は、やさしくしてくれるようで、なにかと私に冷たい。打ち解けられない。妻のこころがわからない。人のこころがわからない。そうなるたびに、僕のこころが、落ち込み、憂鬱になってくる。鬱々とした毎日が続き、「つらい」、「苦しい」と心の中で呟き続ける。物心ついてから、ずっとつぶやいている。
どこにも居場所がない。僕の生まれた家にも、今の僕が買った家にも、会社にも。このつぶやきは、母がよく言っていたなあ。

 上海へ行くための条件と、それを満たしても行く資格のない僕
先生が提示された条件は大祓詞を覚えること、二十一日間氏神様にお参りすること。大祓詞、費用はすぐ準備できた。お参りも二十一日前に終了した。
あとは行ってお役にたつだけだ。
妻が提示した条件は、費用は、会社の給料以外から自分で準備すること。出発までの準備、帰国してからの片付け、全部自分でやること。「それでもできないことがあれば、私がします。」と妻は言っていた。
妻は、この話を先生になにげなくした。先生は私のことを可愛想な人だと思われた。そして。「よし、助けよう」と思われたそうだ。

 そして、参加者三十三名の中で唯一出発前の先生のお呼び出しがあった。一番お役に立てそうな僕なのに。お約束した日に急な出張が入り、出発までにお会いすることができそうもないことをお伝えすると、先生は、絶対にきてくださいと言われた。七月六日のことだった。七月九日にお約束した。ただ恐ろしかった。自分になにか準備できることはないか?
七月九日に、先生は、旅は、人生の中で、僕の中を見直す機会、新しい価値観を見出す機会です。といわれた。もしかしたら、僕は今まで自分の考えていた人生とまったく違う人生を歩めるのではないか?自分が存在することが、実感できるのではないか?

 飛行機の中での過ごし方の注意と上海での過ごし方の気づき
飛行機の中で、大祓詞、祝詞を二十回唱えることを言われた。一回で五分以上かかる。
二時間飛行機に乗っているあいだずっとということだ。
僕の席の後ろで真剣に祝詞を見る先生。先生が厳しい顔で大祓詞を読まれている。

 上海について、バスの移動中、大変しんどい。なにをしゃべっても、なにを思っても、上海で先生を待ち続けていらっしゃった霊の方々の邪魔になるようだ。お寺では、なにかに気づきたい一心で、先生のうしろにくっ付いて歩いた。集合場所で空を見上げたら、青い空に、急にドーナツ状のまんまるな雲がでた。先生にお伝えして、二人で確認したら、すぐ消えた。先生の後ろをついていくことが正解と自然が教えてくれた気がした。
 ミネラルウォータで皆が手を洗った。僕の持ってきた水が使われてうれしかった。
なにもできないなあ、なにもわからないなあ、この水を持ってくるために、この会のお手伝いをするために、神様にできない、ものを運ぶとか、片付けるとかそういう役目を果たすためにきたんだなあ、なにもわからないことは、とても役に立つことなんだなあと思った。この会のとき、先生は、それは丁寧に準備に時間をかけられた。日本各地の神社もお参りされた。会そのものの時間は数時間であったが、その膨大な準備に霊の方々は愛を感じ、感動していくのだなあと感じた。

 夜の食事の時、ビールが飲みたくなかった。なにも話したくなかった。自分は、なんにもできなかった。
二日目の夜に先生とお話しする機会をいただいたとき「なにもできませんでした」と答えたら、「えらい素直やないか」と言われた。なによりもうれしく思い、未だ忘れられない。
明け方二時になっても眠れない。大祓詞、祝詞を二十回唱えた。
気がつくと、四時になっていた。
子々孫々お守りいたす。との霊界の方からのメッセージを聞いて、ああ、こんな自分が子孫を残してもいいのだ。僕も護っていただけるのだ。

 船上レストランでの勉強会
ごちそうを前にして、話がつづく。打ち上げではなく、勉強会。不謹慎にも、ごちそう、ビールに興味がいった。そして、必死で先生の話をメモする自分がいた。正直で、素直でとっぽくて、純粋で偉ぶらない人と繰り返しておっしゃっていた。僕はそういう人になるきっかけを今、ここでいただいた。

 唯一体験した不思議な現象
飛行機が水平線になったとたん僕の前のテレビ画像に線状信号が突然走った。周りを見渡すと、十台以上テレビがついて映画をうつし出した。僕の前のテレビにだけ画面に線が一本入っただけだ。すべてのリモコンスイッチが効かず、テレビが消えない。みんなスチュワーデスさんを呼ぶが、テレビは消えない。私は、飛行機が離陸して、上昇するにしたがって、どんどん飛行機についてこれなくなる霊の方々がいらっしゃるような気がしていた。もっと上に上がりたいと思ってついてこられている方々がいるような気がした。先生が側にこられ、お清めされたら、通常画面に戻った。これは、霊の方々がついて来られていた証を残したのだと感じた。

 上海から戻って
旅の前の僕は、小器用で、小賢しく、こましゃくれたお坊ちゃんだった。
攻撃的で、妄想的で、すぐ上司に逆らって、素直に話を聞かないから、ちっとも仕事が進まない。必要なことを報告せず、不必要なことを報告するから、仕事がうまくいかない。両親の言う事にいちいち逆らうから、両親は僕のことを認めない。家族を僕の思い通りに従わせようとするから、妻、息子は僕に反発する。
そして「不器用に会社でがんばる、中堅社員」「こつこつと仕事をしようと努力しはじめるサラリーマン」を選択しました。
なかなか結果に結びつかず、いまだ、会社では仕事に苦手意識を持ちながら、御客様に怒られながら、上司に叱咤激励されながら自信のない自分であります。うまくいったときは素直にうれしいですが、うまくいかないときは、とてもつらいです。あいかわらず、つらいとか、やめたいとか、腹がたつとか思います。ジェトコースターに乗っているような毎日です。そんな中で、会社に自分の居場所があります。ふと気が付くとこんなこと、自分には絶対無理だと思い込んでいた仕事がそれなりに完成されつつあります。職場の仲間には、「大変だね、頑張っているね」と言われる様になりました。自身のない僕にいろんな人が協力してくれます。僕は忍耐と努力を学ぶ場所として、会社を選択しました。学びながら、お金をいただき、家族を養い、安心して暮らせるようにサポートしてくれる機関として、会社は大事なところだと感じるようになりました。もしかしたら天国なのかなと感じています。勤めて、十年経った今、初めてこの会社に勤めてよかったなあ、この上司は、まだましだな、勉強になるなあ、この人について頑張ろうと思いました。
会社からの帰りが、毎晩十時以降になり、休日出勤していると、両親がひんぱんに電話をくれるようになりました。妻が出産準備で、実家に帰っているとき、仕事が八方ふさがりだと父に伝えると、その日に広島からでてきてくれて、しっかり話をしてくれ、僕の家に泊まってくれました。母は、僕の好物を送ってくれました。

 娘のお宮参りの時には「やっとしっかりした顔になったな。」と父が、笑顔で言いました。母は「がんばりんさい」とあいかわらずですが、頑張っていることを喜んでくれるのか「お前を生んで、育てて、本当によかった」と言ってくれました。

 朝、起きると、禊をして、氏神様に行こうと思うところから一日がはじまります。つらいとか、消えてなくなりたいとか一瞬おもう癖は未だ治っていませんが、禊をして、氏神様に行くという強い気持が僕を支えてくれています。口うるさく、僕に不満を持っていた妻は、僕をおとなとして扱ってくれて、なにも言わなくなりました。逆に、僕は、思ったことを素直に伝えられるようになりました。上海から戻ってすぐ、息子はぼくになつく様になり、腕の中で寝るようになりました。僕を舐めたり、噛んだりしました。背中に上ったり、お膝に座ったりするようになりました。

 上海から戻って一年半後、娘が誕生しました。子々孫々お守りいたす。という霊の方のお言葉を信じて、妻と身を清め、氏神様のお参り、伊勢神宮のお参りをした後、授かることができました。出産までの間、木村先生には、何度も助けていただき、妻の体調不良が治ったり、逆子が治ったりしました。平成一二年十一月九日に誕生したのち、平成十二年十一月二十三日の上海の方々の読書会の時に、霊の方にお祝いの言葉をいただきました。朝、目覚めると、その娘が、ムニュムニュ動いています。
かすかな寝息と、ときどきあげる声、首を左右に細かく振りながら、手足をバタバタ動かします。抱き上げると、にっこり笑ったり、しかめっつらしたり。娘を抱いている僕に、息子は、全力で駆け寄ってきて、僕を抱きしめます。頬擦りしたり、キスをしてくれたりします。どこか痛いところがあるとなでてと抱きついてきます。なでていると気持ちよさそうです。
  いまだ、会社では仕事に苦手意識を持ちながら、お客様に怒られながら、上司に叱咤激励されながら自信のない父に、息子と娘は、すばらしい笑顔と大きな愛を行動で示してくれます。そんな様子を妻は、心から喜んでいるのか、にこにこして見つめています。家の中に息子の笑い声が絶えず、雰囲気が明るくなったような気がします。過ごしやすいです。自分がここにいる実感があります。今こそが天国にいることだと実感します。
 今、妻はずっと子育てにおわれ、家を守ってくれています。
このご縁をいただいたことを大事にして、息子と遊んだり、茶碗を洗ったり、娘に服を着せたり、優秀なおとうさんなら、皆さんがやっていることを、不器用にがんばっています。
 本当に人生の価値観が百八十度変わりました。あのまま、生きていたら、地獄行きでした。あのまま、気が付かなければ、上海で命召されていたかもしれません。もう一度生き直す機会をいただいたこと、先生、先生の奥様、皆々様、そして、0の世界の方々に心から、お礼申し上げます。ありがとうございました。もう辛いことから逃げません。器用に、小賢しくやりません。じっくりと、自分を育てることに取り組みます。もう上司、両親、妻に心配をかけません。がんばります。生まれて良かった。今ここが天国なんだ。

 
   

後方支援G読み手  村岡 純子 

後方支援

  木村先生を始め、三十三名の方々が、上海に行かれた時、私は今回の旅のご無事を祈り、氏神様へご参拝をしました。
先生から、上海の慰霊についてお話を聞いた時も、行きたいとは思いながら、いろんな方々から、慰霊と言う事が、どんなに、たいへんな事か、そして、行かない方が安全だと、いう意見を聞いても、何となく、たいへんなんだなぁ〜という位で、実感は伴いませんでした。後方支援のために氏神様へ参拝をした時、何日目だったか忘れましたが、バスに乗って、氏神様へ行く途中、訳もわからないまま悲しくなり、何だかむなしさを感じました。
ただこの時点でもそんな胸を打つこともなく、ただ、そんな現実があったんやなぁ〜ぐらいにしかとらえていませんでした。
 戦争に行った時、天皇を神だと教えられたこと
その為、神の国である、日本の為に出兵したが、相手国の捕虜になり、天皇が神でないと、知らされたこと。
 寒く、食べ物ほとんど無く、国に帰る見込みもない。 もう命があっても生きる屍と変わりがないのに意識だけある。悲しいつらい、と言う感覚もうすれ、いつ命がなくなるかわからない。こんな時が、いつまで続くのか?
せめて、おいしい物を死ぬ前に食べて死にたい。
そして、食べてはいけないもの人肉を食べて死んだ霊。
命はなくなっても、肉体は滅びても、意識だけは残り、永い日々が続く。
いつ終わるのか、早く助けて欲しい。参加者の方のお話を聞き、初めて、胸がいっぱいになり、涙が出ました。そして始めて、今回の慰霊と言う意味をしりました。
勉強会の時に読まれた、参加者の話
桜の木のところで、ずうーと恋人を待っていた霊の話
そして、勉強会の時に木村先生の読まれた戦争の霊の話、いつも胸がしめつけられ泣いてしまいました。
 先生に「後方支援をしての気づきや感想を、書いてください」と私に言われたのですが、なかなか書けず、年が明け、一月恒例の伊勢神宮参拝の日がやってきました。「書いてきた人は、出して下さい」という先生の言葉に書けていない自分のことを反省しながら、早く何か書かなくては、と思いました。
一月二十七日の土曜日、朝から雨が降っていました。雨の中を歩いていて、きっかけが浮かんできました。想いがあふれ、こみあげて涙が滝の様に流れました。
私ではない、私が短い文章でしたが、一気に書いてしまいました。

 雨が降っている。道を歩いている。涙が滝の様にあふれてくる。いつから待っているのか、待つのをあきらめたのか?
戦いにあの人をとられて、ずーと待ってまっていた。日常生活に追われ、いつしか、待っている気持ちがあきらめに変わっていた。
あきらめている自分の気持に気がついた時、それまで我慢していた涙があふれた。
あきらめている自分の中に、あきらめきれないおもいが残っていた。
死んだら会えるのだろうか?あの人と同じところに行く事ができるのか?今こうして、あきらめかけていて、死んだら又、あの人を探し続けるのか?心の中に大きな、ポッカリあいた穴がいつかふさがるのか?何かが埋めてくれるのだろうか。
どんなにうれしい事があっても、あなたを忘れることが出来ない。
いつかきっと帰って来るような気がする。私がこの世の中で、生を受けて、死ぬ直前にでも、あなたが、「ただいま」と言って帰ってきてくれるような気がする。
ずっとあなたが帰ってくるまで、生きていたい。死んでもさがしあうならば、あなたの覚えている、この場所で、いつまでも、いつまでも待っていたい。あなたしか私のこの心の穴を埋めてくれる人はいない。
いつか、きっと会える。神様が合してくれる。
たとえ、この世で会えなくても、私が死んで、あなたを捜しまわったら、きっと神様が二人を結びつけている。糸のもつれをほどいてくれる。この糸をたどって、さがして、この糸の先にあなたはきっといる。必ず、会えますように。
神様どうぞ。私が、あの人を見つけ出すことができますように、お守りください。

 
   

『0との出合い 〜その後〜』H読み手  木村 たかのり・蔵下 いずみ

『0との出合い 〜その後〜』

男:「何故こんなにやる気が出ないんだろう。何をやっても長続きしない。彼女ができても、前向きに結婚したい氣も起こらずにダラダラとその日、その日を過ごして、会社では適当に真面目にやり、それ以上の意欲は湧かない。」  

背景:すぐ隣の課長にパソコンでメールして「今日の残業は出来ません。急用が出来たので、帰ります。宜しく。」5時の時報が鳴ったら、すぐ会社を飛び出した。彼女との待ち合わせ場所に急いだ。一瞬は嬉しい気持ちもするが、しばらく話していると他の事を考えたり、彼女のおしゃべりが雑音として聞こえたりして、貧乏ゆすりがでる。あくびをかみ殺し、タバコの煙を彼女の顔に向けて吹きかけてしまった。

彼女は急に立ち上がり、「貴方だって、自分の事しか愛していないんだよね。もう電話なんかしないで。メールもしないで。」椅子をガーッと音を立てて引いて食べかけたお皿の上にナプキンを投げつけて彼女は立ち去った。
私は周りへの恥ずかしさから頭を抱えて「しまった。」と思った。周りがこちらを向いてささやいている様子が見えたが、平然とボトルのワインをグラスに継ぎ足した。彼女は会計を払っている様子である。「女のかけらも無い奴だ。」母親と比較する癖がまた出ていた。「勿論、あいつを追いかけたり、メールする氣なんかさらさらない。」

女:「私はまあまあ美人だし、仕事も出来るのに、なぜあんなのといつも出会うんだろう。」彼女は、地下鉄のホームで一年前に別れた男にメールをした。

男:行き着けのショットバーに立ち寄って、水割りを2,3杯立て続けに飲んでいた。客とマスターは国際情勢とか政治の事をクドクドと喋っていたが、「それがどうしたんや。」という気持ちで一万円札をカウンターに叩きつけた。マスターが声を掛けるのを遮るように釣りをポケットにねじ込み階段を気だるく上った。タクシーを呼び止めて「俺ってなんでいつもこうなんだ。」と思わず声を出してシートに身を沈めた。しなびたタクシーの運転手が笑顔で振り返って「どちらへ。」「うるせぇ。」と小声で呟いた後、行き先を酔った振りをしてぶっきらぼうに通りを見ながら呟いた。

今、日本は年間自殺者が3万人以上と言われています。その大半の原因は自分を失って、生きる望みを無くして、命を捨ててお金や対人関係や家庭の不和や子どもの問題などで悩みは様々だが交通事故の死者を遥かに超えた現実が今、日本に起こっている。原子爆弾で広島と長崎が悲惨な目にあって多くの死者を出しだが、数年でその数を超える自殺者が多いのも今の日本である。各国が死に物狂いで輸出を奨励し、各国の通貨の下落を放置していた。輸出を伸ばそうとする圧力が日本政府や経済を混乱させる。円高による海外生産を高めている企業の続出で、日本経済が衰退し、アメリカの言いなりのままにドル債を買って、日本の国債を発行して、想像を絶する赤字国として世界から呆れられている現状である。自民党から民主党に移行し、アメリカ離れをしようとしているがままならぬのが現状。

女・・「こんな国になる為に俺たちは戦争をしたのではない。もっと豊かに、もっと幸せにもっと智恵のある日本人になる為に我々は何十年も戦った。」

男・・その嘆きが日本中を覆い、その怒りが日本中に溢れ、日本を想う愛憎が矢のように飛び、今の日本を覆い被せている。
うつ病などの精神的な病気を抱えている人は日本国民の何%という数に上っている。うつ病は周りの空気と自分が共存できない現状が原因の主である。しかし、やっと最近一部の人たちが智恵の輪を広げ、学び、伝え、行動する動きが微かに芽生えて育ちつつあるのがせめてもの慰めである。

女・・「君たち、もっと子孫の為にやる事を探してくれ。やっと天界に昇れた俺たちはまた地上に彷徨っているのだ。早く気づいてくれ。この苦しみは浮かばれないあの苦しみと全く一緒だ。苦しい。辛い。

二人・・ 鈴木君、佐藤君、田中君、頼む、お願いだ、気づいてくれ。」

 
  『0との出合い 〜最終編〜』I読み手  斉藤 治美 

『0との出合い』〜最終編〜

 0との方々との出合い以来、もう十年以上が経ちました。
毎年欠かさず十一月二十三日にわずかな心ある者が集まって読書会を開いたり、陰膳をお供えして皆と一緒にお酒を酌み交わしたり、お食事もしました。「いつも楽しかったですね。」

 平成二十二年が十年目になりました。
読書会も終り、食事会も終り、0の方々も満足しているに違いない。きっと神々の元に旅立って行ったに違いない。
私たちはその事によって一区切りの行事が終り「良かったな。」と皆で話し合い、祈りました。
しかし、それでは済まなかったのです。
毎年、3万人もの自殺者が出たり、豊かさや幸福感を日本人が感じなくなったのです。
家族の孤立や老いた親たちは人任せにし、自分の手で介抱しない姿などは今までの日本にはなかった現象です。
金と物に幸福感を求めた結果がバブルの崩壊という悲劇を背負ったまま、もう数十年が経っています。
若者は生きがいや目的をなくし、いじめや登校拒否やうつ病になり、働きたくても働く場所がない。政治は混乱しているのが今の日本です。

 私たちが0の人たちの本当の願いをまだ全うしていなかったからです。最初に0の大将が出てこられた目的は私たちに慰霊や救いを頼んだわけではありません。
未来は過去に支配されていることを知らせたかったのです。
過去の記憶が無い私たちにK先生を通じて、気づいて欲しかったのです。日本を愛しぬき、親や妻をこよなく愛し、子孫を慈しみ、自分たちが出来なかった素晴らしい未来を創って欲しい魂の思いが姿になった。
犬死した人たちの悲しみや怒りや嘆き、苦しみが二度と起こらないように何とかして欲しいことを伝えたかったのです。
私たちが気づくことで過去が変わり、嘆きの魂、怒りの魂のブロックが解けてゆくのを伝えたかったのです。

 十一年前に0の大将が出てきて、大粒の涙をこぼされ、手をついて「もう一度上海に来ては下さらぬか。」と頼まれたのに、長い、長い時間がかかりました。
「はい。」と微かな声で返事をした瞬間に全てを理解し、記憶にない不安感がとけてきたのです。
私たちやこれから生まれてくる子孫が「もっと幸せに、もっと豊かに、もっと楽しい日本を創って欲しい。」
その為には「日本の本当の志を知り、日本の本当の在り方を伝え知り、日本の本当のゆく末を知り、世界に貢献できる日本人になって欲しい。」からです。
上古代の大和民族の魂の様に・・・。

  0の方々は私たちにその事を分かってもらう為に上海のホテルの空間から突然姿を現されたのです。
今、私たちは彼らの慰霊だけで満足し、人々に多くを伝えず、行動せずに彼らが昇天する事だけで満足している我々に嘆き悲しみ魂のうずきに動き出したんです?
再び神々からメッセージが降りてきたのです。
「このままでは日本はなくなってしまう。このままでは日本の天皇もなくなってしまう。」
神社に行くたびにアマテラスやアメノウズメやサルタヒコがお出になり、私たちのような者にお願いをするのです。
天孫降臨以来、神武天皇を初代にして世界でも類のない天皇家が一二五代も続いています。
天皇による、日本の国々や世界の人々が幸せになる毎日の神々への祈りが消えていくのです。
日本の文化も智恵も今、まさしく消えようとしているのです。
西洋文化や他国の文化を受け入れるだけで、日本を完璧に忘れてしまったのです。
日本を愛する心と世界の平和を願う日本人の深い感覚的理性をもう一度深く読み解き、読み知って伝えて行動しないといけない事に気づいたのです。
新たな気持ちで、これから皆で力を合わせて伝えなければならないし、行動しなければならない。
上古代の日本人による、世界に類のない知性と科学的な内容を持った日本の神話が伝えた様に・・・。
ただひたすら人々は忘れているのです。無知は犯罪だと云うことを忘れて平気でいるのです。
日本人の文化、文明をもう一度、見直して賢い自分創りをしないと、また恐ろしい無知の悲劇が起こるという、0の方々の切ない訴え。神々の慈しみと悲しみとして、神社に参拝に行く度に、伝わってきたのです。

そして、目が覚めればそこに私がいます。
あなたがいます。
ここから、今、始まるのです。

 今は亡き作詞家、阿久悠が素晴らしい詩を伝えています。

 
『あの鐘を鳴らすのはあなた』

『あの鐘を鳴らすのはあなた』
                        作詞:森田公一 作曲:阿久悠

あなたに逢えて 良かった
あなたには希望の匂いがする
つまずいて 傷ついて 泣き叫んでも
爽やかな希望の匂いがする
町は今 眠りの中 
あの鐘を鳴らすのはあなた
人はみな 悩みの中 
あの鐘を鳴らすのはあなた

あなたに逢えて 良かった
愛し合う心が戻ってくる
優しさや いたわりや 触れ合うことを
信じたい心が 戻ってくる
町は今 砂漠の中
あの鐘を鳴らすのはあなた
人はみな 孤独の中 
あの鐘を鳴らすのはあなた

町は今 砂漠の中
あの鐘を鳴らすのはあなた
人はみな 孤独の中 
あの鐘を鳴らすのはあなた

『あの鐘を鳴らすのはあなた』歌手

 

『わたしはある、伝えるために』
                          作詞:木村忠義 作曲:藤田祐司 編曲:山下憲治
 お聞きなさい

 姿の無い 声ない魂たちが

 姿になり 声だし叫ぶ

 お聞きなさい

  魂のうずき 愛の伝言

 お聞きなさい

  光のゆらぎ 生きている者たちの役割を

 伝えるために 私はある。

 
     
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