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この根子マタギの行動は、まるでこの地を追われるかのように、さらに遠くまで出かけては狩猟する事が多くなっていく。岩手県、山形県、福島県、新潟県、長野県・・・・。旅マタギの始まりである。
もうこうなると、半年も家に帰らない、農繁期になっても帰ってこないという事態にもなってきた。妊娠中の妻や育ち盛りの子供を残しての旅マタギ。里マタギほど大規模なチーム編成ではないにしろ、数人単位で旅に出るため、冬季間は集落に男の姿が極端に少なくなる。シカリも思うように縄張りを獲得できないため、残される家族の辛さも承知の上で、毎年何組かに旅マタギの指示をくだす。いまだに残る『モッケ岩』は、村の家族がお父さんを見送ったあと、声も出せずに涙した岩だという。
移動しながらクマを捕獲し、その都度解体し肉や毛皮、薬などを、ふもとの民家や湯治場の客、旅館に宿泊している泊り客などへ売り歩く。そこで得た金銭は、ふるさと根子集落の妻と家族へ送金。また旅マタギを続けさらに南下。やがて半年近く経った頃、根子集落へ金銭と、各地の情報を手土産に帰ってきたと聞きます。
農繁期は故郷で農作業に精を出し、農閑期にはまた長期の旅マタギ。それまで出かけた先でお世話になった土地には、すっかり顔馴染みのお客様も出来てきて、宿を提供してくれる人も現れるようになった。胆嚢を乾燥させて作った“クマの胆(い)”は、腹痛に効果てき面と評判も上々で、各地で根子マタギを歓迎してくれるようになった。やがて旅先の娘さんと一緒に所帯を持つようになったマタギが、その地の男衆に技術や作法を伝授するようになった。長野や新潟、山形、福島などに残るマタギ集落は、そのほとんどが阿仁マタギの技術を継承したマタギ集落である。(※阿仁マタギ=根子マタギ、比立内マタギ、打当マタギを合わせて、阿仁マタギと呼ぶ)
勿論各地に狩猟の文化はあったが、マタギの巻き狩りの技術や鉄砲の技術。クマに対する作法や、その処理、活用方法などは、比ぶべくもなくずば抜けた技法だった。土地の人々は、こぞってマタギの技術習得を目指した。『阿仁ってどんな土地だろう?マタギのシカリってどんな人だろう?』と阿仁マタギに思いを馳せた。こうして旅マタギは日本各地にその猟場を持つようになり、またその猟場の住人も毎年訪れるマタギ達を、心待ちにするようになった。
この根子旅マタギの様子を見て、比立内、打当のマタギ達も旅マタギの方式を取り入れ、里マタギと並行して数組の旅マタギが活動するようになった。これによってマタギ文化の伝承の拍車がかかることになった。各地のマタギ集落では、阿仁マタギのことを“本家”と呼ぶ。本家からのシカリを招いて、マタギサミットなる集会が、今に至っても毎年所を変えながら開催されている。そこで私は考えるのです。阿仁町を
“マタギ発祥の地”と呼ぶようになったのは、この旅マタギ達の各地での活躍があったからであることは、間違い無い事実なのだが、さらに旅マタギというスタイルについて考えるとき、根子マタギ達がその先駆的役割を果たしていた事も、事実であったのだろうと。つまり比立内マタギと打当マタギ達は、旅マタギのスタイルを根子マタギから習得したグループなのだろうと。
もしも根子集落が無かったらどうだったのだろうか?比立内マタギと打当マタギだけだったとしたら、果たして旅マタギはこれほど広範囲に活動しただろうか?さらにまた家族の悲しみや辛さに踏みとどまることなく、他の縄張りをさけて、狩猟活動を続けようとしなかったら・・・・おそらくマタギは、阿仁独特の狩猟文化としては残った事だろうが、全国的にマタギ文化が広がることは無かったのではないかと思う。事実クマ以外の獣も狩りの対象になっていたし、それで生計を立てることも可能であったと思われる。にも拘わらず、クマという神聖な獣を
追いつづけた根子マタギ達。

これらの歴史的な事柄(史実として文献に残っている事柄)をつなぎ合わせていくと、私は、根子集落の持つ特異性が、阿仁町をして『マタギ発祥の地』と言わしめた、大きな要因だったのではないかと思うのです。目の前に広がる、最高の猟場で狩りが出来ないマタギ集団。ならばと猟場を他県に求めたマタギ集団。この後発組の根子マタギの存在があって、マタギが各地に広がったのではなかろうかと思う訳です。
余談になるが、はるか何百キロもの旅先から持ち帰った情報によって、この阿仁町は、いつも最新の情報が溢れていたと聞きます。そして信じがたい事ですが、この阿仁町出身の教師の数は驚くほど多数に上ってます。町の全人口に占める教師の割合は、恐らく4〜5%近くになるものと思われます。これは間違いなく全国一の教師排出の町でしょう。さらに独自の起業を志す風習があるようで、この町出身の会社社長も多数いるようです。この根子集落の持つ独特なムードに代表される、阿仁町の斬新さは本当に不思議な感じがします。
つい最近の事ですが、根子集落出身の新婚さんと一緒に話すチャンスがありました。『根子集落の人たちは、斬新で個性的でそれでいて結束力もあって、本当に素晴らしい人たちですよね。』と私。
『確かに個性的だけど、結束力は全くゼロだ。一人一人俺が俺が、という自分勝手な人の集まりだよ。』『昔はそうでもなくて、集落が一つの家族のようだったと聞いたけど、マタギが下火になってからだろうなぁ、皆ばらばらになってきたのは』
とても残念なことですが、クマそのものも数が減少し、また集落の家々も今は兼業農家で、ほとんどがサラリーマン。マタギ活動も片手間に“害獣駆除”の名目で、年間数頭しか捕獲しなくなっては、昔のようなマタギ気質も徐々に薄れてきているんでしょう。先祖が作り上げたマタギの世界。その狩猟に対する姿勢は、自然と人間が共存していくための、お手本のように思います。全国にマタギファンが数多くいるのも、当然なような気がします。いつまでも『マタギ発祥の地』としてのプライドを持って、自然と動物と人間の拘わり方のお手本を示しつづけて欲しいと願っています。
さて、私なりに“マタギ発祥の地・阿仁”を考察してみたわけですが、地元の人間にこの話をしてみたところ、『そりゃ考えすぎだ。半分当ってるが、半分は違うんじゃないか?』と、そっけない反応でした。しかし半分も当っていたということで、私としては今まで以上に“根子集落”の興味を覚えることとなりました。そして、当時のことを知る人も段々少なくなってきていますし、機会があったら、“マタギ”の話を話題に出して伝承していこう(かなり僭越ですが)。などと思っております。
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