穴馬の鉱山の歴史

 

面谷鉱山(おもだに)

穴馬は、古来鉱山の村と言って良いほど、鉱山は村にとって大切な経済基盤でした。中でも、江戸時代大野藩の財政を支えた面谷鉱山、近年まで村の主幹産業であった中竜鉱山など、農業収入の少ない山間地にあって、鉱山の浮沈は村の存亡にもかかわって来たのです。

面谷鉱山の開業は950年前、平安時代前期の康平年間(1058−1064)であるとの説があります。一説には、南北朝時代の康永年間(1573−1591)であるとも云われています。
  天正年間(1573−1591)には大阪の豪商が経営に手をつけていたとの記録があることから、それ以前に発見されていた事は間違いありません。
 (越前国名蹟考)によると、「寛文九年(1669)福井大火の後、材木を切り出した時に銅を発見した。」とあることから、この頃から銅山の稼業が始まったのでしょう。
延宝2年(1674)に大阪の銅吹屋が長崎奉行に提出した(国々銅山所書)の中に(越前国大野山松平越前守様御領分)とあり、江戸時代始めに越前松平藩が採鉱していた事が伺われます。翌年には「当銅山の山師竹衛門の家から出火、多くの死者を出した。」記録があり、当時、相当の稼業があったものと思われます。
 宝永五年(1707)頃には、採掘した銅は大阪の精銅業者に送られ、産出量は全国でも1−2位であったとの記録があります。
その頃の大阪までの搬入路は、面谷鉱山から大野から福井まで馬で、福井から三国まで九頭龍川を下り、三国から敦賀までは海運、敦賀から塩津までは馬、塩津から大津間は琵琶湖を船で運び、大津から大阪までは淀川を船で運んでいるとの記録があります。
 元文3年(1738)の古文書(諸国29か銅)には(土井甲斐守様越前面谷銅)の記録があり、その頃の請負人は大阪の多田屋であったとの記録が残っています。。
 寛政年間(1789−1801)頃になると、大阪の泉屋が稼業していたとの記録がありますが、経営は不振だったらしく、やがて泉屋も手を引いています。
その後、しばらく休山が続いていましたが、
天保12年(1841)大野藩が藩主土井利忠公の時、御手山(藩直営の山)として面谷経営に乗り出しました。
面谷奉行の内山七郎衛門の元に開発が進み、良い鉱脈の発掘に伴い年間十満貫以上産出して、その後13年にわたり、大野藩の財政を支える一大産業になったのです。
大野藩では、面谷から上がる財源をもとに、大野丸、大野屋、樺太経営、など独自の政策が執り行うことが出来、「その頃、大野の殿様は面谷には足を向けて、寝なさらなんだ。」と言い伝えがあったほどです。

明治にはいり、大野藩の手を離れ、地元面谷村の人で経営は行われていましたが、明治22年に三菱合資会社が経営に乗り出し、本格的近代鉱山が開始されました。
溶鉱炉も出来、精錬も行うようになり、国内最良の銅として評価も高く、戦時の砲弾、電線の需要に拍車をかけ、
面谷銅の名で活況を呈したのです。。
 大正にはいると、鉱脈の老朽化、銅の需要の激減、輸入銅に押され採算が取れなくなり、相次ぐ不況と価格暴落のため。大正11年、ついに長い歴史を閉じ、閉山となりました。
   
 斎藤秀助著(失われる歴史)によると、大正時代の面谷鉱山について、次のように記されています。

三菱が経営していた頃、面谷は全盛であった。鉱夫はじめいろんな人がこの地を訪れ仕事をするようになった。
最盛期には600戸3000人の人が住んでいて、大野にもまだ電気の無かった頃すでに水力による自家発電が行われ、鉱山の事務所や住宅を明るくしていた。電話、電信も早くから開通していて(穴馬銀座)と言われるにふさわしかった。大野から運ばれてくる野菜や日用品の商店街や、劇場、料亭もあり、工夫達を慰める遊女達まで居た。
「当時の鉱山は坑道堀で、入り口は3箇所,縦坑道、横坑道、横道が地中を網の目のように走っていて、支脈が30本以上あった。縦抗は15.6本あり、深いもので100メートル位に達していた。面谷川の流れを利用して自家発電していて、事務所、坑内まで明かりがついていた。
 小学校が出来るのも1番早かった。後まで高等科があったのは面谷だけだったので、穴馬の人は冬の間、面谷に下宿しながら高等科に通った。
 抗山につきものの喧嘩、ばくち、酒の争いは他の鉱山と比べると少なかった。しかし最大の楽しみはやはり酒であった、川魚、山菜をサカナにして、大野、美濃、飛騨の地酒を楽しんだ。
 真宗の道場もあって、お坊さんが時々来て戒めたので、生活が乱れることも余り無かった。
穴馬の人達は鉱山のおかげでずいぶんと恩恵をこうむっていた。溶鉱炉で使う木炭は現地で調達したので、山林経営していた人や、鉱山え資材を運んでいて財をなした人も多く居た。
 学校も郵便局もあり、鉱山は穴馬の財源であり、県下で一番早い文化の流入口であった。
(斎藤秀夫著 失われる歴史 より) 

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