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FOREVER
SHAKE HEARTsを共に創ってきたスーパードラマー曽我部靖則氏が2005年7月3日急逝した。
豪放磊落でありながら繊細な感性の持ち主であった彼は
SHAKE HEARTsの音楽面でのリーダーであり、最高の仲間であった。
彼との想い出をまとめ、追悼ページとする。
曽我部靖則 1955年3月生(享年50歳)


Speed Way
彼が20代前半に“杉本ユウ”の名前で参加していたSpeedway時代に出したレコード。
このバンドは、小室哲也、宇都宮隆、木根尚人というTMNの3氏が在籍したことでも知られている。
この頃の話をよく聞かせてもらい、尊敬の念を持って聞いたものである。


木村は、20代半ばより市職員を中心としたアマバンド「ボイス」で下手なリードギターを弾いていた。このバンドはフォークロックを中心としたバンドで、市役所青年部の忘年会等で演奏する程度の趣味バンドであった(現SHギター越智邦夫も一時在籍)。最初のドラマーが抜けた後はなかなかドラマーが定着せず、困っていたところへリーダー近藤が連れてきたのがアフロヘアーにがっちりした体躯の彼であった。
彼の第1印象「なんか怖そうな兄ちゃんやな。こんなんとやっていけるんかいな」であった。1985年のことである。しかし予想に反して彼はいいやつであった。すごい経歴の持ち主ながら我々ど素人と一緒になって音楽を楽しんでくれたのである。女性ボーカルを迎え入れ「TAX COMPANY」とバンド名を変え、1994年頃に自然消滅するまで様々なことを教えてもらい、かつ音楽を楽しませてもらった。
1987年5月10日 東予市中央公民館 
地元アマチュアバンドのコンサートとして「Listen to Me Concert」が開催されていた。我々TAX COMPANYもこの年初めて参加した。
メンバーは、ギャルソン珠生、ユンケル溝田、チャーリー近藤、モンドコロ岩野、タフマン曽我部、ジェームス木村の6名。命名は殆どが彼である。岩野光圀氏は元SPEEDWAYのギタリストで、彼の要請にわざわざ愛媛まで来てくれて、素晴らしい演奏とアクションを披露してくれた。この時に他のバンドで参加していたのが、越智邦夫、青野幸司、山内浩昭の面々である。
   
1987年12月20日 アマバンドのクリスマス&忘年会
仲間を集めてのこのような催しをすることが彼は好きだった。この時は小松改善センターを借りてのものであったが、近隣に建物が無いことを幸いにTAX COMPANYは音量勝負とばかりに大音量で演奏した。

  溝田  珠生  近藤  曽我部  木村

1988年5月8日 東予市中央公民館
「Listen to Me Concert」2回目の参加。
左は、このコンサートを最後に寿引退するギャルソン珠生を囲んでの記念撮影。この時は、ダンサー4名を加えて賑やかなステージであった。アンルイスの曲を中心に1時間ほどのステージを楽しんだ。
1991年6月8日練習場にてパーティ
彼は、よく練習場に音楽仲間を集めてパーティを開いた。
仲間が増えるにつれ、ここでは手狭となったために、この部屋の隣にあった倉庫を我々の手で片付け、廃パチンコ台を積み上げてパーティ会場を作ったのも懐かしい想い出である。
この頃の彼はツーバスのでかいドラムを迫力いっぱいに叩いていた。ギターを持って顔だけを覗かせているのが木村。ベースを弾いているのは現SHAKE HEARTsベーシストの青野。


SHAKE HEARTsの前身であるボランティアバンドに彼は興味を示さなかったが、演奏当日は聴きに来てくれた。中央公民館の2階席で淳子さん達が登場し、喋るのを見て「手伝わなくて良かった。障害者は俺とは別の世界の人間だ」と思ったそうである。しかし、「母の涙」を聴いていて気づいた時には涙をぼろぼろ流していたそうである。翌日には「次回は絶対メンバーに入れて欲しい」と告げに来た。「母の涙」1曲で彼は変わったのである。
SHAKE HEARTsで一番障害者の世話をするのは彼であった。一番力を入れていたのも彼だったのかも知れない。2、3年で辞めようと思っていた私に「ずっと続けよう」と言ってくれたのも彼であった。彼の同級生が言っていた「靖則がボランティアとか障害者問題とかを語るとは夢にも思わなかった」と。
もっともっと一緒に創っていくはずだったのに彼は突然旅立ってしまった。帰ることの出来ない所へ。

SHAKE HEARTs
が今後どうなっていくかは分からないが、可能な限り彼の残したハートを守ってゆきたい。
淳ちゃんの曲だけで行ったかすみ草コンサート。彼は音響とパーカッションで手伝いに来てくれ、最後の幸福はドラムも叩いてくれた。
私は当時エレアコを持ってなく、このエレアコは彼からの借り物である。
  
SHAKE HEARTsと命名しての初ステージとなった丹原東中学校でのライブ(96.6.23)終了後の記念写真。力一杯ドラミングする彼はいつも汗だくになっていた。

SHAKE HEARTsの演奏が終わるとかなりの観客が帰ってしまい、変な顰蹙をかったエイズチャリティコンサート(96.12.12、今治ジャムサウンズ)。
 
エンドレスサマーコンサート(96.8.4、朝倉親水公園)の際に揃って昼食。バーベキューだったかな。体力勝負のドラマーとしては、よく2人前食べてたなあ。
 
第2回希望の家夏祭り(96.8.3)はトラックの荷台にセットされたステージで夕日を浴びての演奏だった。
 
最初の頃は自分達で彼所有のPAをセットしていた。
東予市人権コンサート(97.10.4、中央公民館)
 
Mitsukoさんの発案で行われたチャリティコンサート(96.12.22、三芳改善センター)音響のことでちょっとMitsukoさんともめたなあ。
     
SHAKE HEARTsの原点である東予市ボランティアフェスティバル
             

彼の人脈で実現したNHK取材時の丹原西中学校でのライブ。メンバー全員が写っている珍しい写真?
(VTRから取り込んだ画像を合成)
 

どんな曲にも即座に合わせてくれた
 
淳ちゃんのサポートはいつも彼だった  

練習前に卓の調整

新曲の譜面を見て曲調をイメージ
 
      モラルパニックでの練習風景

SHAKE HEARTsの練習場は当初彼の店舗であったサンミリオン(当時はパチンコ店経営)の手作りスタジオ?であった。その後バンド仲間で借りた運送会社の倉庫に変わり、彼の夢であったライブハウス「モラルパニック」建築後はこことなった。

05年7月3日に彼の訃報をもらった際には信じられなかった
翌日の新聞訃報欄に載っても信じたくなかった
通夜で対面するまで半信半疑だった
突きつけられた現実に涙した

曽我部靖則氏のご冥福を心より祈ります


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