2000年秋に開通した、十勝川をまたぎ帯広市西12北8から音更町下音更北4線西を結ぶ、橋長722メートルのPC(プレストレストコンクリート)橋です。十勝大橋と平原大橋のほぼ中間に位置します。
帯広側からすずらん大橋を渡る直前、左手にとかち皮膚科の電柱看板が目に飛び込みます。
すずらん大橋は1車線ですが、歩道は美しいタイル張りです。
橋の中間点には、帯広市と音更町の境界を示す標識があります。
すずらん大橋からは、右手に十勝大橋の美しい姿が見られます。
音更町側から見たすずらん大橋の全景です。
すずらん大橋を渡りきると、左手にとかち皮膚科の電柱看板が見えてきます。
この道路を直進してください。
『私の過去と現在を結ぶ架け橋』
とかち皮膚科 大石 雅樹
私は平成九年三月に音更町の木野にて皮膚科の診療所を開業しましたが、そこに至るまでには、当然のことながら紆余曲折がありました。今回は、もう二十年ほど前のこととなってしまいましたが、私と音更町を結び付ける接点ともなった、一つのエピソードについて記させていただきます。
私の診療所は、音更町の木野市街から少しはずれた高台にあります。晴れた日には、診察室から、十勝大橋の一部や、遠くには幕別町の温泉ホテルまで眺めることができます。
一方、西側には、音更町の文化の殿堂である音更町文化センター、その隣には最近オープンした、町立では道内最大級の音更町図書館があります。
実際には、それらの建物などに遮られて全く見ることはできませんが、二千年夏には、一つの橋が完成します。その名は『すずらん大橋』です。
『すずらん大橋』は十勝川をまたぎ、帯広市西十二北八から音更町下音更を結ぶ、橋長七百二十二メートルの橋です。国道三十八号と道道帯広新得線などを結び、十勝大橋と平原大橋のほぼ中間に位置します。
私の実家は帯広の大通南四丁目、黒沢病院の横にありました。学校は、地元の帯広幼稚園、帯広小学校、帯広第一中学校、帯広柏葉高校と進みました。
私と音更町との接点は、小学校では『十勝大橋』を渡って行った、鈴蘭公園への遠足や、コカ・コーラ工場見学を兼ねたバス学習などです。高校では、受験勉強の息抜きに、自転車で『十勝大橋』を渡って、よく鈴蘭公園に行っていました。
話は中学時代に遡りますが、帯広第一中学校(以下、一中)は、この『すずらん大橋』の帯広側のすぐそばにあります。
私は、冬を除くと、自転車で十勝川沿いのサイクリングロードを通って、川をはさんだ音更町を横目にみながら一中へ通学していました。私が、医学部進学を意識したのは、実はこの中学時代のことで、自転車に乗りながら、音更町を見ながら、将来のことをいろいろ考えていたことになります。
当時、そこに橋がかかるとは思ってもみなかった私でしたが、八年程前その計画を知った時には、『一中から橋を渡って、まっすぐ、音更に行けるようになるのか。昔は、ただ向こう岸を眺めるだけだったのに。』と感慨にひたったものでした。
しかし、冷静に振り返ると、主任教授の健康問題が浮上し、皮膚科医となって数年を経過し、将来の選択を真剣に考えなければならなかった自分の心の中では、『将来何かあった時には、寂れていく帯広の中心街よりは、急速な発展を遂げつつある音更町で開業したい。』と考えていたことも事実でした。
先日、用事があって一中のそばを通りました。私が通っていた校舎はすでになく、新築された新しい校舎となっていました。そして、そのすぐ横には『すずらん大橋』のほぼ完成した姿がありました。
二千年夏、『すずらん大橋』は、帯広と音更を結び付ける重要な橋となるばかりではなく、私の過去と現在を結び付けてくれる大切な架け橋となってくれることでしょう。