プロフィール

ここで、ここの管理人の正体を明かします。

 

本名:上ヶ迫 忍(かみがさこ しのぶ)
生年月日:1974年7月16日
血液型:B型
所属団体:出雲フィルハーモニー交響楽団
ニックネーム(ハンドルネーム):上さん、上ちゃん

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手に持っているのはシャイアーズ。


生い立ち

1974年のカラヤンと毛利元就の命日(^_^;;)、島根県浜田市に生まれる。小学3年のある日、6つ上の兄が何故かトランペットを持ち帰り(兄は中学時代バレー部キャプテンだった)、試しに吹いてみると音が出た。これが後の運命を決める事になるとは誰が予想しただろう。また兄は高校で吹奏楽部に入り、打楽器担当に。楽しそうにやっている兄を見て、絶対吹奏楽部に入ると決心した。小学6年からバンドピープルの存在を知り、読みふけるようになる。ここから、楽器に関するいろんな知識を身に付けていく。


浜田市立第一中学校に入学、トランペットがやりたかったが、適正テストの結果、トロンボーンとなる(今思えば、これが適していると痛感)。中1の後半、テナーからバスへ変わる(理由は簡単、パート内で1番体がでかかった)。以来バストロ一筋。中2のとき、運命的なことが起こる。当時川本高校(全国金賞取った事もある名門校)の顧問だった片寄祐二先生が浜田高校に赴任したのだ。ここで、浜田高校への入学を早々と決意。この年のコンクールは、トロンボーンは3人、しかも全員2年だった。(課題曲:カーニバルのマーチ、自由曲:プロコのロメジュリ 結果:代表次点)
中3のコンクールは、トロンボーンは4人(2年、3年2人ずつ)。船木宏康先生の独断で、あの難曲「ディオニソスの祭」をやった。課題曲は風と炎の踊り。結果は8位、金賞だった。でも代表にはなれず。


そして望みどおり浜田高校へ入学、憧れの片寄祐二先生のもとで頑張る。入学祝として、バック50B3Oを購入してもらう。トロンボーンは5人いたが、2年を1年が引っ張る形となったように思う。この年のコンクールで、15年ぶりに中国大会出場を成し遂げる。課題曲はカタロニアの栄光、自由曲はダフニスとクロエ。支部大会は金次点(つまりは銀賞)だった。
高2のとき、トロンボーンパートに大事件が。私を除く4人が部、または学校を辞めたのだ。が、運良く中学の後輩が入部、3人で再スタートを切る。自由曲が「火の鳥」で、1st、2ndの楽譜は1年2人には少し酷だと思い、自分の楽譜を書き換えた。しかも勝手に。先生はどうやらそうしたかったらしく、何にも言われなかった。結局、コンクールは代表次点だった。課題曲はロックンマーチ。
高3の時もトロンボーンメンバーは替わらず。自由曲の俗謡が結構難しかった。でも楽しくできた。コンクールは金賞で、代表次点にもならなかったが、一番満足できた。課題曲はゆかいな仲間の行進曲。


一浪後、地元のJAいわみ中央(俗に言う農協)に就職、楽器は遊び程度にちまちまやっていた。で、H8年12月、それまで持っていたバック50B3Oを手放し、新たにバック50B3セイヤーを購入。この楽器のおかげかどうか解らないが、翌年の10月、出雲フィルハーモニー交響楽団のオーディションに合格、オケプレイヤーとなる。そして2000年を期に!?シャイアーズ2R/TB62を購入、現在に至る。

 

 

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