宇賀の長者の娘は、素性怪しい山伏と契りを結んでいましたが、ある時、一人の美男子と情を通じ合います。このことが発覚したため、山伏の嫉妬逆鱗を招きます。娘は身の安全のため、御畳瀬の知人・北村某の家にかくまわれていましたが、ついに山伏に発見されてしまいます。
娘は北村家の裏庭から御畳瀬の峰を越え、福浦へと逃げて行きました。しかしそのその前方は荒涼とした海原の浦戸湾。前後左右は鬱蒼とした山々で、逃げゆく場所もありません。窮地に陥った娘は、「もはやこれまで」と福浦の池に身を投げたのです。


 私の親父が実際に遭遇した、不思議な出来事です。

 終戦後でまだ自動車が普及していなかったころ。
親父は自転車の荷台に釣り具をくくり付け、高知の町から東孕の端をぐるりと回って、灘の港へ向うのです、
家を出る頃は上にあった太陽も、灘の港に着く頃にはもう西に傾き、地獄谷の陰に隠れようとしていました。
その灘の港から小船を出し漕いで、一`ほど離れた釣り場までゆくのです。
クルスからアコメ前、深浦神社にかけては「養成」と呼ばれ、カキ養殖のいかだが幾つかあり、チヌの好ポイントになっていました。
途中、玉島(巣山)の前を通ると、その上をカラスが何百羽とやかましく鳴きながら飛び回っていました。

 やがて船は養成のポイントに付きます。
そのころには日も暮れ、カーバイトランプの灯を頼りに仕掛けを作っていました。
初秋の風は、まだそれほど寒くもない。
時折カーバイトのにおいが鼻を突くが、それほど嫌なにおいでもなく、夏祭りを思い出す。
水面に映ったカーバイトの灯が時折揺れる程度の、風もなく静かな夜でした。

 釣りを始めて数時間たち、午後10時も過ぎようとしていました。
その日は周囲に他の船の影も見えず、雑魚の当たりすらなく、薄気味悪いほど静かでした。
墨を流したように暗く沈んだ陸の方を見ると、深浦神社の木々が立ち並んでいる、その鬱蒼とした森から、時折ヨタカの甲高い鳴き声が聞こえてくるくらいでした。

 そのとき風もないのにカーバイトの炎がユラユラと揺れ、一瞬炎が大きくなったかと思うと、次の瞬間にはスーと消えていったのです。
親父は何か不気味さを感じつつも、カーバイトランプに水を継ぎ足し、ガスに勢いを付けました。
火をつけようとマッチを取り出したときのことです。
先ほどの深浦神社の方が、なんとはなく気になります。

 振り向くと神社の境内に、白い着物を着た髪の長い女の人が立っています。
しかもこちらに手招きをしているではありませんか。
この夜中にお参りにでも来たのか、と思ったそうです。
先に申し上げましたように、この深浦神社の横では宇賀の長者の娘が入水自殺をして以来、「縁切りの神様」として祠がたち、ご利益が高いのです。
親父はランプに火をつけることも忘れ、船を寄せていきました。案の定、「お参りに来たが潮が高くなって帰れなくなり、難儀をしている」とのこと。「袂石(たもといし)まで乗せてはくれないだろうか」と頼むのです。
「それはお困りでしょうと」と船の舳先を付けると、身軽に船に乗り込んで来ます。
ただ妙なことに、3人も乗れば一杯になるような小さな船が、少しも揺れないのです。
それでも気丈な親父は「姉さん袂石までで良いのか」と櫓を漕ぎ出しました。

 クルスの岩礁地帯を回り込み船を進めていると、女はひしゃくで海水を汲んでは船の中に入れ、また汲んでは入れているのです。
親父はさらに不思議なことに気が付きました。
女の白い着物ははっきりと見えているのですが、長い髪の顔と足元は、ぼんやりとして見えないのです。
そういえばランプは先ほどから灯が消えたままなのに、着物だけは嫌にはっきりと見えているのです。
若い頃から柔道を習い腕には自信のある親父も、これには肝っ玉を冷やしたそうです。
あわてて袂石へ急ぎ、船を付けたところ、乗っていたはずの女の姿が見えません。

 さっきまで女の座っていた所は、水がたまるほどびしょびしょに濡れていました。
その後は釣りどころか、取るものも取りあえず灘の港に引き返し、自転車に乗って高知へ一目散でした。
しばらく自転車をこいで人家の明かりがポツリポツリと見えてきたころ、やっと人心地が付いたそうです。