一番船(いちばんぶね)、二番船と言うのは、其の日に漁を終えた漁船が市場に帰り着き、魚を水揚した順番の事です、少しでも早く水揚げをした魚をお祝儀相場で高値で取引をするのです、それだけ魚の鮮度は大事なものなのですね。釣りあげて間もない魚には生臭さや嫌な臭いも全く有りません、釣れた魚をそのまま放置したり、取り扱い方が乱雑であったりすると、たちまち鮮度は落ち魚の味に大きな変化が表われてくるのです、高値で取引をされる関サバや関アジは漁師と漁協が一体となり魚の扱いを大事にして鮮度を保ちブランド化した良い例です、魚の美味しさは新鮮さが第一です、釣り上げたばかりの新鮮な魚に舌鼓を打ち美味しく頂けるのは釣りをしない人には、味わう事の出来ない太公望だけに許された特権です、活き活きとした新鮮なキビレを多彩な料理で美味しくお召し上がりください。

 
大野 勇(1941~1946)、17~18代高知市長、戦前戦後を通し高知の発展に力を注ぎ。高知県民気質を持ち、浦戸湾の釣りを愛し発展に足跡を残した政治家。
著書には
浦戸湾の釣り

高知の釣り文化

佐藤垢石(さとう こうせき)の「垢石」とは釣り用語で、鮎は水中の石の表面につく水コケを食用とするが、鮎釣り師はこの水ごけを「垢」と呼び、垢の食べ跡を観察して魚の所在を判定する。
著書には
釣の本、釣歳時記、きす・黒鯛・鱸釣 、釣魚入門 、魚の釣り方、釣随筆 、はや・やまべ釣 鮒つり、等
鯛釣り素人咄

鯛と赤蛸

釣った魚の味

岡本綺堂、明治5年10月15日 ~ 昭和14年3月1日 新歌舞伎の作者として、及び半七捕り物帳などの作品が著名である。
魚妖

薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん(1877年明治10年~1945年昭和20年10月9日)は、日本詩人、本名、淳介(じゅんすけ)。 白羊宮などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原有明と併称された。 大正以後は詩作を離れ、"茶話"『艸木虫魚』などの随筆を書いた。
魚の憂鬱

田中貢太郎明治13年3月2日>~昭和16年2月1日著作は伝記物、紀行文、随想集、情話物、怪談・奇談など多岐に渡る。高知県三里村(現:仁井田)に生まれる。生家はかつて御用達の船問屋だった、上京し、郷里の先輩に終生師事した。他に同郷のとも交流があった。

海坊主

小川 未明(おがわ みめい、1882年明治15年)4月7日1961年昭和36年)5月11日)は、小説家・児童文学作家。本名は小川 健作(おがわ けんさ)。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。娘の>岡上鈴江も児童文学者。 「未明」は、正しくは「びめい」とよむ。
金の魚

NHK大河ドラマで一躍脚光を浴び土佐の偉人坂本龍馬の書き記した書
海援隊規約

船中八策
私達の心の中まで綺麗になりそうですね、毎日忙しそうに過ごしている方は特にお読み下さい。 サン、テグジュペリ(antoine de saint-exupery)
あの時の王子様
海の底
 科学は何時海の底を透視する眼鏡を発明するかも知れぬ。そうなればもう海の釣は終りで、川釣が荒された如くに海釣も荒れよう。海の底が釣人に見えねばこそ海の神秘だ,そこに釣もあり、技巧もあり、趣味もある。海の底の探知には錘があり、深さを図るには釣糸がある、錘と糸は探知機である。この探知機を使うものが釣の上手であり釣の趣味だ。浦戸湾は浅いから底は多種多様で。大体は泥や、砂や、石などの底だが、玉島、続島、裸島、等や陸岸からそれぞれ岩根を出し岩礁を形成している。タワラバェ、ウシノコ、マルバエ、クロス、ニイダハエ、ジンタ、ハダカバエ、ミツイシ、ウナギバエ、スズキバエ、ナガハエ、コンヤバエ、フタバエ、又港口を出るとマルバエ、シヤクバエ、中バエ、ヒラセバエ、六角前を始め、沖ノハエ、コメガシなどもある。これらの岩礁こそ、魚の住家であり釣もこれを中心に行われる。ハエの所在を知ると共に、その形や深さや大きさ高さをはじめ、魚のつく場所、潮による魚の居り場を知ることが肝要となる。この事は魚の当った度毎に位置や潮時を頭の海図に記入すること、それが釣であり釣の創見であり釣の趣味である。引潮の魚はどの面に居り、込潮の魚はどの面に居て、どの辺で当る、舟はどこへたてる、これが釣場の開拓である。一尾の獲物が無いにしても、どこから餌を入れ、どこで当ったとなれば、それが釣に取つての収獲、今後必ず釣れる時が来る、そこに釣の楽しみがある。それからハエ以外の底だ、各河川の出口には泥や砂が多く、幼魚の発育や産卵に必要な藻草類も此の地帯に多い、桟島跡から港口にかけては石又は岩や礁が多く。泥の多い丸山台から中ミトは、船の通路で航行のために泥をさらえるので、水路が通っている、この外は大体平砂で、岸や岬の出っ張り方によって潮の流れが変ったリ、潮の遅速ができたり、渦巻きが起ったりするにつれて底が深くなってハエが出たりする。水路には両側に堀り岸が出来る。この岸は大事な釣場で、この岸から餌がころげ落たり這い上ったりする所に魚の当りがある。同時に又釣針や錘の底がかりの起る場所でもある。底がかりは魚の当り近の信号だと思うべきだ。此辺はかかりがあるので釣には駄目だというのは、虎穴に入って虎児をすてるに等しい。桟島、寺ノ端、赤松、長碆、御殿等。底には大岩小岩が重なり合って、孔や溝がある場所に、潮先に向って餌を待つ魚が居る。例えば寺のハナ、コンヤバエ、ゴテンの横石附近、フカバエの落ち込みや大石附近がそれである。岩が散乱し、岩の問を餌の流れる時に当る底もある。例えばタモト石、フカバエ、シブカミ、ステ石などであり、岩陰でよく糸や針のかかる所へ餌を流し込めばよく当るというのもある。例えば巣山の南側、寺の岬の北奥、文治前のコソクリートの沈み、サ島の東西の肩、沖の丸バエの西南側等、ボツク前や、港の出口や、首ヶ端の如く、底潮の早いところでは餌を吸い込む為に当たりの判り難い底もある。底を探して当りを求めることが釣だ。
高知の釣文化 元高知市長 大野 勇 著より抜粋