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/UN LOVERS.31/Your my only shinin'star/'020715/
亜矢は1人、砂浜に立っていた。
人気のない海。
周囲に誰もいないことに、亜矢は気をよくしていた。それはそうだ。今日は
平日で、今は真っ昼間だ。波の穏やかな、今にも一雨きそうな曇天だ。
すうっと深呼吸のリズムで息をすいこむ。複式呼吸の要領で、下腹にぐっと
力を入れる。
そして。
「バァァッッッッカヤロォオオー!」
思いっきり大声で叫んだ。3歳の時から声楽家の母に鍛えられてきた喉だから、
声量には自信があった。
叫びながら、手に持っていた携帯電話――さっきから、ひっきりナシに電子音
を響かせていたウルサイヤツ――を、海に向かって力一杯投げつけた。
鈍く曇った空と冴えない色をした海の間で弧を描き、メタリックピンクの
折りたたみ式の携帯電話が、ぼちゃん、と波打ち際に沈んだ。御愁傷様。
御陀仏になった携帯電話にペコリと頭を下げながら、亜矢はベーっと舌を出
した。
「あースッキリした♪」
ふふんっと機嫌よく鼻を鳴らして、くるりと海に背を向ける。
そして。
「………」
「………」
振り向いた瞬間、目が合ってしまった。
誰かと言えば、見知らぬ男の子だ。
その時、初めてギャラリーがいたことに亜矢は気づいた。ウカツだった。
砂浜に立っている亜矢の後方、防波堤の向こうに制服姿の育ちの良さそうな
男の子が立っていて、驚いたようにこちらを見ていたのだ。おそらく亜矢の
怒声の「バカヤロー」に驚いてこっちを見たに違いない。
見知らぬ男の子と見つめあったまま、亜矢は動きが止まってしまった。
それから、たっぷり5秒かけてようやく我に返る。
「なっ、何見てんのよっ」
ほとんど八つ当たりの勢いで、亜矢は防波堤にいた男の子を睨んだ。人間、
恥ずかしいと虚勢を張ってしまうものだ。
「…ああ、失礼。また何か始まるのかなと思って」
ひどく落ち着いた声で、彼が言った。同じ年くらいに見えるのに、ひどく大
人びた雰囲気の男の子だった。よりによって、こんなタイプに「バカヤロー」
を聞かれてしまうとは。一生の不覚だ。穴があったら入りたい。
「ってゆーか、アンタ真面目くさった顔してるけど、見えてんのよ。アタシ、
視力いいんだからね。笑ってるでしょ!! 言いたいコトあるならこっち
きて、はっきり言いなさいよっ」
「……」
さらに亜矢が怒鳴ると、少し考える風に彼は首を傾げた。そんな仕種が嫌味
なくらい似合う。むかつく、と亜矢は彼の言葉を待つ間に考えた。
「その声量ですぐ隣で怒鳴られるのは、すこし僕の鼓膜が心配かな」
「〜〜〜〜〜っっ」
思いっきりからかわれてる。のだけは亜矢にもはっきりと分かった。
亜矢は、もう一度怒鳴った。
「バカ声で悪かったわねっっ!!」
* * *
「………って。待って。ちょっと待って。えーと…」
亜矢は鼻の頭にシワを作った。ブス顔になるからやめるように周囲からよく
注意されているけど、一向に治らない癖だ。
「バカヤロー」を見られてしまった初対面の相手が、ひどく真面目に亜矢に
名前を聞いたので、亜矢はすっかり混乱してしまったのだ。
ここ1年、同年代の男の子に名前を聞かれたことなんてない。
「もしかして、まさかアナタ、アタシのこと知らないのぉっ?」
素頓狂な声を上げた亜矢を、彼が意外そうに見やった。「知らないとまずい
のかな」と自問自答でもするように瞳を細めていた。
、、、
あまりにもマトモに見つめられて、亜矢は少しだけ居心地が悪くなったが、
それでも嫌な視線ではないと思った。
きちんと、亜矢自身を見てくれている目だ。それに、彼の視線はさらさらし
ていて気持ちいい。日常的に晒されているベトベトの油切った視線とは大違
、、、
いだと思った。ヤツらの視線は亜矢の商品価値だとか、逆に欠点だとか、そ
んなモノしか見つけようとしていない。
彼が自分を見た分、亜矢も彼を観察できた。滑らかな頬のライン。
職業上、亜矢のまわりには整った容姿をした男の子なんて山程いるけれど、
彼らの厚塗りのドーランの下の素顔なんて月のクレーターみたいに汚い。
オマケに知性も品性もないのが顔に出てるヤツが多い。
「…知らないね」
ほんの数秒、考えた顔つきになっただけで、自分の記憶の全データと照合し
た、とでも言うように、確定的な調子で彼が言った。あっさりと。
「思い出せない」と言わないあたりが、ちょっと憎たらしい、と亜矢は思っ
た。
「分かった! アナタ、テレビ見ない人ね? そうでしょ」
「うん、あまり見ないね。…ああ、テレビに出てる人か」
亜矢が「テレビに出てる人」だと分かっても、さほど驚いた風でも、珍しい
ものを見たという様子もなく、彼はただ淡々と納得したように言った。
あれ、と亜矢は思った。
無遠慮な亜矢の発言にも、彼は怒りもせずに笑ってくれた。
それは、亜矢がタレントだからとか可愛いからという理由で、わがままを
許してくれる大人や男の子達の反応とは、違う気がした。
あれ、と思う。
* * *
椎名亜矢。16歳。
一昨年の夏にオーディション番組でグランプリを射止め、現役アーティスト
であり大物プロデューサーの全面バックアップのもとにデビューして、
デビューシングルから、いきなり70万枚を売り上げた。
現在、新曲のプロモーションと初ライブツアーのリハーサルやら打ち合わせ
続きで、寝る暇もない生活が続いている超売れっ子のアイドル歌手。
そして、今現在リアルタイムではあまりに多忙な「アイドル」な生活に嫌気
がさして失踪中。
…らしい。
いつの間にか、彼女の隣で詳細なプロフィールと華々しい経歴と芸能界の愚
痴を延々と聞くハメに陥っている燕は、たった今聞いたばかりの少女の経歴
を頭の中で簡潔にまとめて復唱した。
無事に期末試験が終わって、明日からは試験休みという日の午後。
答案用紙の返却と終業式のために、休み明けにあと二日ほど学校に通えば、
あとは夏休みに突入だった。
試験明けの開放感と精神的な余裕が、正体不明(だった)女の子につきあっ
ている理由。
…だと一応自己分析はしてみるが、単に自分で思っているより躁なだけかも
知れない、と燕は心中で笑った。
「そうよ。アタシは自分の歌が唄いたくて歌手を目指したのよ!!
アホみたいに派手な衣装を着たり、アタシの顔しか見てないようなヤツらの
前で誰かが作った頭の悪い女の子の恋の歌を唄ったり、カメラにムネのタニ
マ見せてニコニコするためじゃないのっ!」 、、
勢いよく言ってから、亜矢はゴホンと咳払いして、「ま、タニマはまだない
んだけど」と付け加えた。
「…って、聞いてる? あっ今、聞いてなかったでしょ?!」
自らの身の上を語るうちに、すっかり興奮しきった亜矢の声が、一瞬、心こ
こにあらずという状態になっていた燕を責めた。
「聞いてるよ」
少し…いやずいぶんと口は悪いが、はっきりと自分の言葉で喋る彼女に対し
て燕は素直に好感を持てた。
自分の言葉で自分の歌を唄うミュージシャンになりたいのだと豪語するだけ
あって、華奢でアイドルのような――というか、本人いわく正真正銘の売れっ
子のアイドルらしいのだが――容姿とは対照的に、力強い生命力に溢れてい
た。
自分で魂を燃やして生きている。
掃いて捨てるほどいるアイドル志願の女の子の中から見出され、衆目を集め
て羨望を浴びて生きてるだけのことはある。
「なんというか…パワフルだね」
「そうよ。当然よ。いつでも元気溌溂。笑顔がキュートな椎名亜矢よ。覚えて
おきなさい」
雑誌のキャッチコピーのようなセリフを偉そうに亜矢が言う。だが、言葉の
勢いとは裏腹に、亜矢はうつむいた。膝を抱えた、サンダルの先の綺麗に
マニキュアを施した自分の足のつま先を見た。
「いつでも元気でいるのは大変だからね」
さらりと告げて。
ぽん、と。
大きな手が、亜矢の髪の上から頭のてっぺんに触れた。
「お疲れさま」
「………っ」
両親や友達や社長やマネージャーやプロデューサーに。
皆に「がんばれ」と言われた。言われるたびに、突き放されるみたいな気が
して淋しかった。
だから。
「おつかれさま」は。
認めてもらったみたいで、嬉しかった。
* * *
「……絶っ対にそこを動くな、だって」
あーもー耳痛ーい、と自分の耳を押さえて眉をひそめて、亜矢は燕から借り
た携帯電話を睨んだ。
なにも怒鳴ることないじゃない? と亜矢は燕に同意を求めたが、それだけ
心配させたのは君でしょ、と燕が叱ると、亜矢は頬を膨らました。
「ね。アタシね、Your my only shinin star…って、そう言われたいの。皆に。
そういうスターになりたいの。皆に、アタシの歌を聞いてほしいの。
そう思って頑張ってるんだから」
そう言うと、亜矢がいきなりすくっと立ち上がった。
「よおしっ! 唄いたくなった!!」
高らかに宣言して、肩ごしに燕を振り返った。澄ましているけれど、愛嬌の
ある猫のような表情。
拍手を催促している、とすぐに分かったので、燕は苦笑しつつ両手を打ち合
わせる。
その様子を満足気に見やってから、亜矢は気取ったように「あ、あー、」と
声を出す。それから、ふうっと大きく息を吸い込んだ。
そして、両手を広げて、喉をいっぱいに開いて唄った。
その喉から紡ぎ出される旋律は、まだ荒削りで力強く、けれど美しかった。
華奢な全身から声を振り絞って、まるで魂を削って唄っているように。
鈍色の曇をまっすぐにつらぬいて、青空に到達する歌声だった。
* * *
キィッ――、とタイヤと道路が摩擦する鋭い音が響く。
ついに迎えの車が来てしまった。つまらない、と亜矢は思った。
ウィンカーをつけて、防波堤に横付けした車が、うるさくクラクションを鳴
らした。
「亜矢っ!! 亜矢ちゃん、無事? 勘弁してよもーっ」
パワーウィンドウが降下して開くと、予想以上に青い顔をしたマネージャー
が顔を出して亜矢に怒鳴った。
駐車禁止の道路で、マネージャーが車から降りてこれないのが、せめてもの
救いだった。
「…呼んでるよ」
クラクションがやかましく催促する。それでも、なかなか車に向かおうしな
い亜矢を、優しい声が促した。
「…知ってる」
答えながら、亜矢はムッとしていた。
もうちょっとくらい別れを惜しんでくれたっていいのに。…せめて、アタシ
の半分くらい。
ふくれっつらのまま、振り返った。
視線の先には、相変わらず優しく微笑んでいる男の子。逆光のシルエット。
陽に透ける金茶色の髪が、さらさらと潮風になびいていた。
きっと、こんな偶然はもうない。
もう会えないかも知れない。亜矢は無性に淋しくなった。
「…あんまりテレビを見ないアンタの目にも、嫌でも毎日映りこむくらい有名
になってやるんだからね」
「楽しみにしてるよ」
「…またね」
次にまた会える確証なんて1ミリもなかったけど、サヨナラとは言いたくな
くて、そんな風に別れを告げてみる。またね。また。see you.もう一度、
あなたにあいたい。
「うん。また聴かせてよ」
「え? あ、歌?」
「それもあるけど…、」
燕が、もったいぶるように言葉を切った。にっこりと意地の悪い笑みを浮か
べる。
亜矢は、ちょっと嫌な予感がした。そして、その予感は見事に的中した。
「あの『バカヤロー』をまた聞きたいなと思って。聞いてて元気が出たから」
「〜〜〜〜言うと思ったわよ、バカーっっ!!」
ぷんぷんしながら、亜矢は燕に背を向けた。車の待っている道路に向かって
ずかずかと白いコンクリートの階段を昇る。
いつか、自分の理想の自分に――スターになれたら会い来てやろうと思った。
口もとが知らずに緩む。
そして、絶対に言わせてみせるわ。
Your my only shinin'star!
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