ひとりごと

富士山登頂

手が切れるように痛く、背中が板の様になって寒く、別に体に異常があるわけではない。この時期に何処の事かと思うでしょう?3776m富士山頂です。8月11.12日に我らが地区の仲間総勢14人と富士山に登頂し、雲上より御来光を浴び、その時の感動を、どういうふうに体で、言葉で表したらいいか判らないくらい感激をした。9合目辺りからは、もう体力でも、技術でもなく、気力だけて頂上を目指し14人全員完全登頂し、又大袈裟かも知れないが全員自分との戦いに勝ったからでもあり何ともいえない清々しさがあった。

それにしても大変な人数がここへ来るものだ、あとで聞いた話しだがその日は約4、000人前日は9,000人の登山客があり、我々が泊まった8合目の山小屋でも2段の上で約一間の間に3人、前日は交互になって6人が仮眠をしたそうだ。トイレは臭気を放ちその室内は誠にお粗末。

日本を代表する山として、海外からもその容姿は絶賛されるほどの山がこれで良いのかと疑問を持つ、かと言ってそれに携わり、生業を起ている方達に責めを負わせる気もないが、自然を保護する為だけで、あの様にして良いのか、人工的に手を入れれば自然が壊されると思う人達の気が知れない。どうしたら良いか商売としてその発想があると、何時までたっても変わらない。

いつの日か又世界遺産になった富士山をもう一度登りたい。                                                                 2002.8.18




窓越しに鯉のぼりの竿が2本みえる。計5匹の鯉のぼりが産毛色の新緑をバックに五月の風に威勢良く泳いでいる。
こんな風景が都会の人にはたまらなく魅力なのでしょう。
年々この中野地区を訪れる人が多くなっている。もちろんそれは世田谷区民健康村が当地区の奥にある事と、ブルーベリー園が7月から開園し秋には各家のリンゴ園が開園になるからだろうが、そればかりではなく人間という動物の自然回帰現象により来村する人が多くなったのかも知れない
自然の風景と良く人は言うが、今でこそ冬(暖冬のせいもある)でも軽トラックで畑や田んぼへ行けるようになったが、30年位前は大変だった。今は道路が整備されその頃に比べると格段に生活しやすくなった。30年前の自然に戻っても生活ができないだろう。素晴らしい自然があっても我々が普通の暮らしができなければ、過疎から消滅へと進む事になる。

こんな山村に於いては、自然と人間との話し合いは本当に重要な課題である。                                                       2002.5.3

 



この地区に入る手前に、田園プラザと言う施設があるが、そこには、川場でとれた新鮮な野菜、果樹を販売している。 農家の方が自分で売値を付けて、出荷しているのがミソである。又そこの西側にある地ビールのレストランは日曜、祭日は、大変な賑わいで、パンなども店内で製造販売しているが大変好評である。年輩の方は隣にあるそば処、虚空蔵で本場の味を味わってはいかが。
この15年位いで、ものすごくこの小さな村にも人が来た、もう誰も来ない年寄りばっかり残る村になるのかななんて思ったりもしたが、おらが村長も大した者だ、やることが凄い、「農業+観光」なんて考えてもみなかった事をやってしまった。しかしその村長も今年の統一地方選挙では後進に舵取りを譲り前村長となった。
若者が定住する村作り、こんな事を合い言葉に16年、前村長も白髪が増えた。村づくりは一人では出来ない、村長に任してばかりでは無責任なので、自分達で出来る事はみんなでやろうと、こんな事を始めて5年になる。