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弓削島における製塩の歴史は古く、平安末期には、時の権力者、後白河法王の荘園として瀬戸内海有数の製塩地でありました。
後に後白河法皇から皇女の宣陽門院に譲られ、さらに宣陽門院は鎌倉時代になってからこれを弘法大師ゆかりの東寺に寄進され、東寺領としての弓削島荘の歴史が始まり、以後、室町時代まで続きました。
しかし、最近の愛媛大学考古学研究室の研究により、弓削島および周辺の島における製塩の歴史は、さらに古くまで遡れることがわかりました。
弓削島各地や近くに浮かぶ豊島から多数の製塩土器が発掘されており、
出土した製塩土器の研究から、弓削島において組織的な製塩が今から1700年~1300年前の古墳時代初頭から後期後半にかけて、すでに行われてきたことが明らかになりました。
このように弓削島は古代から塩作りが主要な産業として栄えてきました。
しかし、塩の専売化、近代製塩法の確立に伴い、昭和の中頃までに日本各地にあった塩田が消失したのと同様に弓削島における塩作りは姿を消してしまいました。
しかし、弓削島における歴史ある塩作りを復活させようと『弓削塩文化を伝える会』が発足され、愛媛大学考古学研究室、村上教授の指導のもと塩づくりに着手しました。
今後は、当法人が引継ぎ、弓削島における塩作りの歴史を次の世代に伝えていきます。
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