北朝鮮人道支援の会 ニュ−ズレタ− NO.38

2005年 11月 1日                 編集・発行人 吉 田 康 彦

6カ国協議共同声明は朝鮮半島非核化の第一歩

――瀋陽の学者版「6カ国協議」に出席して

                               吉田 康彦

 DPRK(朝鮮民主主義人民共和国)の核問題解決をめざす第5回6カ国協議は、11月初旬、北京で再開される。決裂はないまでも、具体的な合意に至るまでには今後、長期間にわたり、紆余曲折をたどるものと予想される。

 これに先立って、9月21−23日、瀋陽(中国)で開催された国際高麗学会主催の「北東アジアの平和と開発に関するフォーラム」に、伊豆見元・静岡県立大学教授、ケネス・キノネス元米国務省朝鮮担当官らと出席し、朝鮮半島非核化の展望を語り合った。

 直前に第4回6カ国協議で初めて共同声明が発表され、核問題解決の道筋が示された直後だけに、その分析と解釈が議論の中心となった。学者・専門家の意見もお国柄を反映して、中国・韓国の参加者は手放しの楽観論、日米からの出席者は慎重論と、際立った対照を示した。(ロシアは直前に参加取り止め。DPRKからは社会科学院の学者3名が参加したが、発言は控えていた。)

 中国・韓国の学者たちは、貿易・投資など北朝鮮との経済交流が盛んな例を引いて、核問題解決は自然の成り行きだという前向きの見通しを述べた。

 しかし、キノネス氏は「ヒル米代表は合意を急ぎ、ツメが甘かった。今後、米議会で批判にさらされ、ブッシュ大統領が窮地に立つ可能性がある。DPRKの核廃棄に至るプロセスは困難をきわめるだろう」と、どちらかというと悲観論を述べた。

 伊豆見教授は「日本は核だけでなく、ミサイル・拉致問題の包括的解決を求めており、日朝交渉は前途多難だ。核問題は米朝中韓の4カ国だけで進み、日本だけが取り残される可能性がある。しかし日本が加わらない合意は意味がない」と警告した。

 これに対し、私は「ブッシュ政権が政策転換をして米朝対話を復活させ、二国間折衝でお互いの真意を事前にさぐり、信頼醸成に努めた意味は大きい。さらに米国が『約束対約束、行動対行動』というDPRKの『同時行動の原則』を受け入れ、これを6カ国が確認したことに画期的意義がある。その点から、DPRKが要求する軽水炉の提供が同国のNPT(核拡散防止条約)復帰、IAEA(国際原子力機関)の査察受け入れと同時でなければならないことが読み取れる。6カ国協議の進展は、膠着状態の日朝国交正常化交渉再開の呼び水にもなるだろう」と述べ、大方の賛同を得た。とくにキノネス氏が賛意を表明してくれた。

 いずれにせよ、米朝間には根強い相互不信が存在する。今後の作業は、これを一歩一歩埋めていくプロセスだ。全面的解決まではさまざまな困難が横たわっているが、究極の目標が朝鮮半島の非核化と北東アジアの平和と安定にあることを6カ国が共通認識として確認し合っただけでも大きな前進だった。危機は克服された。あとは日朝関係がどう動くかが焦点となる。


朝鮮人強制連行犠牲者の遺骨問題解決を求めて

――北海道からの証言

                          殿平  善彦

9月21日から23日まで、DPRK(北朝鮮)で「第3回日本の過去清算を求める国際連帯協議会平壤大会」が開催され、日本から土屋公献・前日弁連会長をはじめとする35人の大型代表団が参加。韓国、中国、台湾、米国、ドイツ、オランダからも関係者が参加した。

 北海道からは、私たち「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」の4人が朝鮮人・中国人犠牲者の遺骨問題に関するレポートを携えて参加した。北海道では、2002年12月、朝鮮・中国人101人分の遺骨が本願寺札幌別院で発見されたのをはじめ、室蘭、根室、美唄、赤平で合計12体の遺骨が発見されている。

 昨年12月の日韓首脳会談の席上、未返還の韓国人強制連行犠牲者の遺骨の返還が約束され、以前から遺骨問題に取り組んできた私たちには、ようやく日韓で政治テーマとなった遺骨問題の解決に期待をつないだ。9月20日付の朝日新聞は日本政府が868体の遺骨の存在を韓国政府に通知したと報じた。その数の少なさも問題だが、より深刻なのは遺骨返還に対する日本政府の姿勢だ。

 日本政府は「民間徴用者の遺骨」と称して自らの責任を表明しようとしない。強制連行犠牲者を「民間徴用者」と表現するのは、当時の朝鮮人が民間企業の「徴用」者で国家とは雇用関係になく、国としての責任はないというのだ。民間といっても「徴用」と表現することで強制性を認めたに等しいが、どの企業も連行についての責任を表明しようとしない。つまり60年前の強制連行・強制労働に責任を負う者が誰もいないのだ。しかし、強制連行は1939年の「朝鮮人労働者募集要項」、42年の「朝鮮人労務者斡旋要項」、44年の「国民徴用令」で、すべて国策として遂行されてきたことは明白である。

帰国後の10月2日、私たちは韓国の清洲から北海道の沼田村浅野炭鉱に連行された韓国人体験者、洪海杓さん(76才)を60年ぶりに北海道に招いて証言集会を開いた。洪さんは15歳のとき父親の身代わりになって強制連行された。故郷の家にはその時、面長と警察署長、連行担当の企業の労務担当者の3人が来た。連行の現場に、総督府の末端行政機構の責任者である面長と武力装置である警察署長が立ち会っている事実は、連行に際して、明らかに当時の国家権力が直接かかわっていたことを証明している。

それにしても、強制連行の傷跡としての遺骨は今も遺族の手に届けられていない。犠牲者の残した遺骨は当然ながら犠牲者の遺族のものであり、まず遺族を探し出し、遺族に手渡されるべきだ。それが60年間も、寺院の片隅や山野に放置され続けているのだ。

今からでも遺族を探し出すべきだ。その際、責任者がその責任を表明して、死亡の真相と、今日まで遺族に遺骨が届けられなかったことへの謝罪を表明して、葬祭料もそえて、遺骨を返還するべきだ。その場合も、公的な謝罪と補償を求める権利は遺族に残される。最も重い責任は国家と関係企業にある。そして日本国籍を保持する者も責任を担う。遺骨の返還はまだ実現していない。遺族の多くは80歳を超えている。遺族に残された時間は僅かだ。

 (強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム共同代表)





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