- バディ・ボールデン Charles Buddy Bolden -

<ジャズの起源>
 ジャズの起源にはいろいろな説がありますが、その誕生の地として定説となっているのは、アメリカ南部ルイジアナ州のニューオーリンズです。20世紀の初めに、この街で演奏を行っていた黒人たちのバンドの中から、その後「ジャズ」と呼ばれることになる音楽を奏でるバンドが登場したことは間違いなさそうです。そして、そんなジャズの歴史において、最もその起源に近いところにいる人物と言われているミュージシャン、それがバディ・ボールデンというミュージシャンです。
 残念ながら、そのことを証明する確固たる証拠はありません。なぜなら、彼のバンドがどんな音楽を演奏していたのか?その録音が存在していないからです。彼らが当時の一般的な録音方法である蝋管を用いて録音を行ったという記録はあるものの、その蝋管は未だに発見されておらず、たとえそれが発見されてとしても、もうその蝋管は変形していて再生は現実的に不可能だといわれています。
[蝋管とは?]
蝋管というのは、文字通り蝋(ロウ)でできた管の回りに溝を切ってレコードの代わりにしていた初期の録音ソフトです。蝋に直接溝を切るため、複製を大量に作ることはできず、蝋自体が柔らかな素材なこともあり、すぐに劣化してしまうという欠点もありました。

 例え、録音が残っていなくても、ミュージシャンとして長く活躍していれば、彼の音を多くのミュージシャンたちが聞き、記憶の中に残ることもあったかもしれません。しかし、彼の場合、活躍期間が短かかったため、その記憶は伝説としてしか残りませんでした。彼は1906年以降精神病院に入ってしまったため、ミュージシャンとしての活動ができなくなり、その存在すら忘れ去られることになってしまったのです。
 それではなぜ、彼が「ジャズを作った男」に限りなく近い存在と呼ばれることになったのでしょうか?
 それは彼のバンドのメンバーや彼らの音楽を聞いて育った人々の貴重な証言がかろうじて残されていたからです。そして、たまたまその場にいなかったドラマー以外のメンバーが並んだ彼のバンドの記念写真は、現存する最古のジャズ・バンドの姿をとらえたものとして写真史に残る有名な一枚となりました。そうなると、なおのこと彼らが奏でていた音楽がどんなものだったのか知りたくなるというものです。

<バディー・ボールデン>
 バディー・ボールデンは1877年9月6日ニューオーリンズで生まれました。貧しいながらも厳格なバプティスト派のクリスチャンだった両親のもとで育てられた彼は、10代の頃母親にコルネットを買ってもらい、習い始めました。(コルネットとは、トランペットのひとまわり小さなもの)すぐに一人前に吹けるようになった彼は、知り合いの理髪師チャーリー・ガロウェイのバンドに入れてもらい理髪店の奥の部屋で演奏をするようになりました。その後、彼は本格的にプロのミュージシャンを目指すため、自らのバンド、バディー・ボールデンズ・バンドを結成します。
 彼のバンドは初めは1898年に起きた米西戦争で数多く生まれたマーチング・バンドの一つとして活動していました。しかし、その戦争が終わると軍隊の持ち物だったコルネットやバンジョー、ドラムスなどの楽器が大量にニューオーリンズの街に出回るようになり、それがきっかけで街中から賑やかなダンス音楽が聞かれるようになりました。こうして誕生したバンド天国のような街ニューオーリンズでも、彼のバンドはダンス・バンドとして群を抜く存在となってゆきました。
 彼はそうした数多いバンド同士のライバル争いの中から、新たな音楽を生み出してゆきました。それは当時黒人音楽の主流だったラグタイムとは異なる新しい音楽の探求でした。ラグタイムとは、基本的にはヨーロッパからやって来たピアノ音楽(クラシック)を黒人独自のスウィング感覚で作り変えたもので、左右の手が生み出す音楽を微妙にズラすこと(タイム・ラグ)から来た呼び名でした。そして、それは譜面に音符によって書かれた音楽であり、そこから変えることを許されない音楽でもありました。それを彼は大きく変えてゆきました。
 ラグタイムでは主流となっていたツービートのダンス・ナンバーから独自のスタイル、ドラムのフォービートとコントラバスによる持続低音の組み合わせによる新しいリズムを確立。そこにクラリネットによりブルースの暗いムードを持ち込むことで、現代のジャズに近いサウンドを築き上げたのでした。

<表と裏の顔>
 音楽にあふれた街、ニューオーリンズでも彼の存在はひときわ輝く存在となり、人々は彼のことをキング・ボールデンと呼ぶようになったといいます。ここまでは、まさに英雄伝説として申し分の無いものでした。しかし、彼は有名になり、お金を稼げるようになるにつれ、女性と酒にどんどん溺れるようになってゆきました。それは、その後ジャズ・ミュージシャンたちの多くが歩むことになる酒と麻薬の日々を一足早く体現したものだったとも言えるでしょう。
 さらに彼はそうした生活を続けることでしだいに精神のバランスを崩してゆくことにもなります。元々厳格なバプティスト派のクリスチャンだった彼は、ステージで演奏するセクシーな曲の数々はまだしも、自らの生活自体がクリスチャンとしての道を完全に踏み外したものとなったことに耐えられなくなったのかもしれません。しだいに彼は酒を手放せなくなり、家庭内での暴力が日常的になってゆきました。
 そして1906年、ついに彼は精神錯乱状態となってしまい、家族に暴力をふるって警察に逮捕・拘束されてしまいました。そうした状態ですから、当然バンド内でも揉め事を起こすようになり、ついにはメンバーたちによって追い出されてしまいました。そうなると、彼を雇うバンドもなくなり、まったく無名のバンドでサイドマンとして人知れず演奏するしかなくなってしまいました。結局、彼は再び酒に手を出すようになり、家族もついに彼を見放し、東ルイジアナ州立病院に入院させられてしまいました。病院での彼に対する診断は、今で言う「偏執性精神分裂症」で幻覚や幻聴をともなう重いものだったようです。
 楽譜がまったく読めなかったにもかかわらず、耳だけで曲を暗記し、それを正確に演奏することができた彼の才能と精神的な病いは、もしかすると何らかの関係があったのかもしれません。こうして彼はニューオーリンズの街とも、ジャズの世界とも永遠に切り離され、施設の中で残りの人生を送ることになりました。それも1939年に62歳で亡くなるまでですから、30年以上の長きに渡り彼は孤独な毎日を送ることになったのです。
 ただ彼には唯一、入院患者の仲間たちと演奏を楽しむことだけは許されていました。もちろん、その頃にはもう彼がジャズ界の大物だったことを知る人もいなくなり、単なるジャズ好きの患者の一人として扱われるに過ぎなかったようです。
「ジャズを作った男」バディー・ボールデンは、ほとんど知られることなくジャズを生み出し、再び知られることなくその歴史から消えていったのでした。それは20世紀が始まってまだわずか5年ほどの短いドラマでした。

<追記>2012年4月
「・・・最初のジャズマンとして広く認められているバディー・ボールデンは、パレードの最中に発狂し、その後死ぬまでの二十四年間を精神病棟の中で送らなくではならなかった。『ボールデンが気が狂ったのは』とジェリー・ロール・モートンは語る。『彼がトランペットをなにしろ脳味噌が飛び散るみたいに吹いたからだ』」
ジェフ・ダイヤー(著)「バット・ビューティフル But Beautiful」より

<1901年の出来事>
ボーア戦争(南アフリカ)(1899年から1902年)
英国自治領オーストラリア連邦成立(白豪主義国家としてスタート)
テキサスで大油田が発見される
モルガン、USスチール、デュポン誕生(米)
ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺され、セオドア・ルーズベルト(共和党)が大統領就任
アメリカがフィリピンを植民地化
ハーグに国際仲裁裁判所設置(ドイツ)
ロシア各地で暴動・反乱が起きる中、社会革命党結成
幸五条約(義和団事件最終議定書)
ノーベル賞第一回授賞式(物理学賞をウィルヘルム・レントゲンが受賞)
ABO式血液型の発見
八幡製鉄所が操業を開始
片山潜、幸徳秋水らが社会民主党を結成するもすぐに解散させられる
田中正造が足尾銅山鉱毒事件を明治天皇に直訴

<音楽>
ミュージカルの父、ジョージ・M・コーアンの「ガバナーズ・サン」上演される
10インチの円盤型レコード登場(英)

<映画>
再現ドキュメンタりー映画「マッキンリー大統領の暗殺」公開

<文学、思想など>
ブッデンブローク家の人々」トーマス・マン
バスカヴィル家の犬 The Hound of the Baskervilles」コナン・ドイル
みだれ髪」与謝野晶子
文芸雑誌「明星」誕生(アールヌーボー調デザインの先駆け)


<時代を変えたモノ、ファッション>
マルコーニが大西洋横断無線通信に成功
「ハーパーズ・バザー」月刊となる(ファッション雑誌の先駆け)

<美術>
ピカソがパリで個展を開催

<1901年という年>
「・・・大英帝国の象徴ヴィクトリア女王の死によって始まる二十世紀とは、イギリスとヨーロッパが段階を追って没落してゆく時間でもあった。・・・」

橋本治「二十世紀」より

<1901年の物故者>
アルノルト・ベックリン(画家)
ヴィクトリア女王(ヴィクトリア時代終わる)
ジュゼッペ・ヴェルディ(作曲家)
福沢諭吉(教育者、政治家)
中江兆民(社会思想家)

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