
「独裁者 The Great Dictator」
1940年
- チャーリー・チャップリン Charles "Charlie"
Spencer Chaplin -
<ファシズムの時代>
1940年、この年ドイツはイタリア、日本と日独伊三国軍事同盟を結成。ファシズム国家の勢いはさらに増し、ドイツ軍はパリを陥落させてフランスを征服。デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダなど、ヨーロッパのほとんどを制圧すると同時にイギリスへの攻撃を開始するべく爆撃機がロンドンへと飛び立ちました。
ドイツがオーストリアを併合した時、フランスとイギリスはドイツが共産主義国ソ連のヨーロッパへの侵攻を軍事的、政治的に食い止める盾となることを期待し、あえて目をつぶったと言われています。ところが、当のドイツはそれをきっかけに逆にフランス、イギリスへと攻め入ったのでした。(残念ながら、フランス、イギリスにとっては自業自得ともいえる結果でした)
今や、ドイツの侵攻を止められるのは、ソ連しかないだろうという状況になっていました。当然、ドイツ国内でのユダヤ人に対する迫害は勢いを増し、アインシュタインをはじめ多くのユダヤ人がヨーロッパを後にし、その多くがアメリカに亡命しました。
チャップリンの代表作「独裁者」は、こうして状況のもとで製作、公開されました。しかし、「自由の国アメリカ」で、この映画はけっして絶賛されたわけではありませんでした。それどころか批判の対象にすらなったというのです。でも、いったいなぜ?
<「独裁者」誕生のきっかけ>
チャップリンは、前作「モダンタイムス」(1936年)では機械化が進み、人間性を失いつつある資本主義社会の未来を風刺し、それまでのドタバタ喜劇から社会派の映画作家へと転進をとげつつありました。当然、ヨーロッパで広がりつつあるファシズムの脅威に対しても早くから関心を持っていたようです。
ある説によると1935年にヒトラーがユダヤ人を迫害するための法律である「ニュールンベルグ法」を制定した頃、すでに彼はヒトラーについての映画を作る準備を始めていたともいわれています。確かなのは、彼が「独裁者」の脚本に着手した1938年は、ナチス・ドイツがミュンヘン会議により、オーストラリア、チェコ併合を認められた年であり、ユダヤ人の国外追放を開始した年でもあったということです。
アメリカにおいては、映画界だけでなく経済界、音楽界、芸術、科学全般の分野でユダヤ人は圧倒的な力をもっていました。それだけにヒトラーに対する批判が起きるのは当然のことと思えます。しかし、実際にヒトラーに対する批判を口にし、なおかつ、現実に抗議活動を行ったのは、驚くべきことにチャップリンただ一人だけだったのです。それどころか、アメリカ国内にもヒトラー支持者は数多く、ソ連の共産主義よりはドイツのファシズムの方を支持するというのがアメリカ全体の空気だったのです。この状況は、アメリカとドイツが戦闘状態に入るまで変わらなかったようです。(ユダヤ人の大虐殺については、戦後になって明らかになったことで、ユダヤ人ですらその悲惨な状況を知ることはできませんでした)
<チャップリンの政治姿勢に対する批判>
すでにチャップリンの政治的な姿勢が左翼的であることは知られていたため、彼の作品に対する姿勢は常に捻じ曲げられる傾向にありました。そのため、「独裁者」は「コミュニストによるファシスト批判の映画であり、どっちもどっちであるととらえられてしまったのです。この映画の公開があと数年遅れているか、もしくは戦後に作られていれば、アメリカ社会の反応は、まったく違ったものになっていたでしょう。しかし、この映画の価値は誰よりも早くファシズムの本質を見抜き、それを笑い飛ばすことで闘いを挑んだことにこそあるのです。
ヒトラーという人物が精神を病んだちょび髭の子男にすぎないのだということを、まるで「裸の王様」を見破った少年のように声に出して叫んだことにこそあるのです。だからこそ、この映画は1940年という年に作られければならなかったのです。
芸術家とは「かつて労働者たちが炭鉱内に持ち込んだカナリア」の役目を果たさなければならない。そういったのはアメリカが生んだ偉大なSF作家カート・ヴォネガットです。それは炭鉱内に有毒ガスが充満してきた際、人間よりも繊細なカナリアはいち早く自分の死によってそのことを知らせてくれるということです。
しかし、残念なことに、この時ヨーロッパの国々はすでに映画を見ていられる状況ではありませんでした。アメリカでの公開とは異なりヨーロッパでの公開は遅すぎたのかもしれません。。結局、この映画をヨーロッパの人々、それにアメリカや日本などの人々がちゃんと見ることができるようになったのは、これから30年後、1970年代に入ってからのことになります。
では、「独裁者」が未だ映画史に残る傑作としてベスト10に選出されているのはなぜでしょうか?
それは「独裁者」がリヴァイバル上映される時、必ず世界のどこかにヒトラーに匹敵する「独裁者」がいるからに他ならないでしょう。そして、その「独裁者」たちがみな「笑えるほど愚かしい人物」であることに変わりはないからなのです。ただし、それ以上に重要なのは、「独裁者」がコメディー映画として、笑えるギャグに満ちていることです。特にあの有名な床屋のハンガリー舞曲のシーンは、いつ見ても笑えます。そして、笑えば笑うほど、「独裁者」を見て笑うことができる社会が幸福であるということを認識させてくれます。現実は「独裁者」よりは、よりブラックな笑いの映画「未来世紀ブラジル」のようだったり、あまりに逃げ場がない「マトリックス」のようだったりするかもしれないのです。
<「独裁者」ラストの演説>
私は皇帝になりたくない 支配はしたくない できれば援助したい
ユダヤ人も黒人も白人も 人類はお互いに助け合うできである
他人の幸福を念願として・・・お互いに憎み合ったりしてはならない
世界には全人類を養う富がある
人生には自由で楽しいはずであるのに 貪欲が人類を毒し・・・憎悪をもたらし悲劇と流血を招いた
スピードも意思を通さず 機械は貧富の差を作り 知識をえて人類は懐疑的になった
思想だけがあって感情がなく 人間性が失われた
知識より思いやりが必要である 思いやりがないと暴力だけが残る
航空機とラジオは我々を接近させ 人類の良心に呼びかけて 世界を一つにする力がある
私の声は全世界に伝わり 失意の人々にも届いている
人々は罪なくして苦しんでいる
人々よ失望してはならない 貪欲はやがて姿を消し 恐怖もやがて消え去り 独裁者は消え去る
大衆は再び権力を取り戻し 自由は決して失われぬ!
兵士諸君 犠牲になるな! 独裁者の奴隷になるな!
彼らは諸君をあざむき 犠牲を強いて家畜のように追い回す
彼らは人間ではない!心も頭も機械に等しい
諸君は機械ではない!人間だ!心に愛を抱いている
愛を知らぬものだけが憎み合うのだ
独裁者を拝して自由のたえに戦え!
”神の王国は人間の中にある”すべての人間の中に!諸君の中に
諸君は幸福を生む力を持っている
人生は美しく自由であり 素晴らしいものだ!
諸君の力を民主主義のために結集しよう!よき世界の為に戦おう!
青年に希望を与え 老人に保障を与えよう
独裁者も同じ約束をした だが彼らは約束を守らない 彼らの野心を満たし 大衆を奴隷にした!
戦おう!約束を果たすために世界に自由をもたらし・・・国境を除き・・・貪欲と憎悪を追放しよう
良識の為に戦おう 文化の迫害が全人類を幸福に導くように 兵士諸君 民主主義の為に!
ハンナ 聞こえるかい 元気をお出し ご覧暗い雲が消え去った
太陽が輝いている 明るい光がさし始めた 新しい世界が開けてきた
人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ
人間の魂は翼を与えられて やっと飛び始めた 希望に輝く未来に向かって
輝かしい未来が君にも私にもやって来る 我々すべてに!
ハンナ 元気をお出し ハンナ 聞いたかい 聞きなさい!
<トーキーの導入>
チャップリンは「モダンタイムス」のラスト・シーン近くのダンスと歌のシーンで、初めてトーキーを使用しました。しかし、その使い方はチャップリン自作のオリジナルの言語による歌を披露しただけで、トーキー方式を本格的に採用したとはいえないものでした。その意味では「独裁者」こそが、彼の初トーキー作品だったことになります。1914年に映画デビューして以来、26年間沈黙を続け、ため込まれていた熱い思いがこの時一気に放たれたともいえます。たぶんヒトラーが現れなくてもチャップリンは、いつかトーキー映画を撮っていたことでしょう。しかし、チャップリンにとっては、1940年という年が最も重要な勝負の年であったからこそ「独裁者」という歴史的傑作たと考えるべきでしょう。
社会の状況がどうであろうと、まわりの人々がどう思おうと、やり抜いてこそ歴史を突き抜ける傑作が生まれる。20世紀前半の戦乱の中で生まれた傑作の多くはまさにこうした作品なのです。混乱の時代は熱い芸術家魂を育てる素晴らしい時代でもありました。
「独裁者 The Great Dictator」 1940年公開
(監)(製)(脚)チャールズ・チャップリン
(撮)カール・ストラス、ロリー・トザロー
(音)メレディス・ウィルソン
(出)チャールズ・チャップリン、ジャック・オーキー、ポーレット・ゴダード、チェスター・コンクリン
<1940年の出来事>
日独伊三国軍事同盟
パリが陥落し、フランスがドイツに降伏
その後、ドイツ軍はデンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダを占領
ドイツ空軍によるロンドン爆撃開始
チャーチル戦時連立内閣(英)
アインシュタインがアメリカに帰化
フランクリン・ルーズベルトがアメリカ初3期目の大統領に当選
ソ連からメキシコへ亡命していたトロッキーが暗殺される
共産八路軍、華北で日本に大攻勢
紀元2600年の祝賀行事開催される(初代天皇の神武天皇から2600年)
第二次近衛内閣「大東亜共栄圏」建設の声明発表(松岡洋右外相が発表)
大政翼賛会の発足(議会制民主主義が実質的に停止)
国民服導入される
日本海軍が零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を正式採用
東京のダンスホールが閉鎖される
東京オリンピックが中止となる(代替開催のヘルシンキも中止)
<音楽>
「ココ」デューク・エリントン楽団
フランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団の専属歌手となる
ベニー・モレーがハバナで活動を開始(キューバ)
黒人コーラス・グループの先駆け、イブニング・バーズが「ン・ブーべ」発表(南ア)
クロンチョンの名曲「ブンガワン・ソロ」発表(インドネシア)
<美術>
「空の青」ワシーリー・カンジンスキー
「巨匠とマルガリータ」ミハイル・アファナーシェヴィチ・ブルガーコフ
<文学、思想など>
ジョン・スタインベックがピューリッツアー賞を受賞
「アメリカの息子 Native Son」リチャード・ライト著

<映画>

「怒りの葡萄」(監)ジョン・フォード(原)ジョン・スタインベック(主)ヘンリー・フォンダ(助演)ジューン・ダーウェル(アカデミー監督賞、助演女優賞))
「エイブ・リンカーン」(監)ジョン・クロムウェル(原)(脚)ロバート・シャーウッド(出)レイモンド・マッセイ、ジーン・ロックハート
「海外特派員」〈監)アルフレッド・ヒッチコック(脚)チャールズ・ベネット、ジョーン・ハリソン〈出)ジョエル・マクリー、ラレイン・デイ
「西部の男」(監)ウィリアム・ワイラー(主)ゲイリー・クーパー(助)ウォルター・ブレナン(アカデミー助演男優賞)
「バグダッドの盗賊」〈監)ルドウィッヒ・ベルガー、マイケル・パウエル他〈出)サブー、コンライト・ファイト
「フィラデルフィア物語」(監)ジョージ・キューカー(主)ジェームス・スチュアート(アカデミー主演男優賞)
「レベッカ」(監)アルフレッド・ヒッチコック(アカデミー作品賞)
「恋愛手帖」(監)サム・ウッド(主女)ジンジャー・ロジャース(アカデミー主演女優賞)
「独裁者」(監)(脚)(主)チャーリー・チャップリン
「我等の町」〈監)サム・ウッド(原)ソーントン・ワイルダー〈出)ウィリアム・ホールデン、マーサ・スコット
「民族の祭典 オリンピア第一部」(監)レニ・リーフェンシュタール〈撮)ハンス・エルトル、ワルター・フレンツ他
「美の祭典 オリンピア第二部」(監)レニ・リーフェンシュタール〈撮)ハンス・エルトル、ワルター・フレンツ他
「ピノキオ」〈アニメ版)〈監)ベン・シャープスティーン、ハミルトン・ラスケ
「小島の春」〈監)豊田四郎(脚)八木保太郎〈出)夏川静江、菅井一郎、杉村春子
「支那の夜」(監)伏見修(出)李香蘭(大ヒットとなる)
「西住戦車長伝」(監)吉村公三郎(原)菊池寛〈出)佐分利信、上原謙
「風の又三郎」〈監)嶋耕二(原)宮沢賢治(出)片山明彦、大泉晃
「浪花女」〈監)〈原)溝口健二〈脚)佐田義賢(出)阪東好太郎、高田浩吉
<時代を変えたモノ>
「ナイロン・ストキング」をデュポン社が発売(米)
<1940年という年>
「日本のファシズムは、やる方にも明確なポリシーがない。『一歩踏み出した以上もう後戻りは出来ない』だけで前に進むから、いつの間にかとんでもないことになってしまっている。・・・」
「元老という特権的な存在は消滅して、重臣という古い時代の存在も消え、しかし、その代わり「派閥のボス」や「党の長老」というものが出て来るのが戦後である。総理大臣は変わらずに「話し合い」によって決められた。一部の人間による不明朗な談合政治が「動かす必要のない伝統」として残っていたからである。西園寺公望から60年たっても、あまりこの歴史的不自然は気づかれていないようだ」
橋本治「二十世紀」より
<1940年の物故者>
ウォルター・クライスラー(クライスラー社創設者)(米)
スコット・フィッツジェラルド(小説家)(米)
パウル・クレー(画家)(スイス)
小熊秀雄(詩人、小説家)
西園寺公望(政治家)
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