- モータウン、その光と影 -

マーサ・アンド・ザ・ヴァンデラス
 Martha & The Vandellas

この年の出来事 代表的な作品 デビュー 物故者
<モータウンが成し遂げた偉業>
 ポピュラー音楽の歴史において、「モータウン・レーベル」ほど、数多くの革新を成し遂げた企業は他にないでしょう。ポピュラー音楽の進化を、あらゆる面で押し進めた「突然変異的」企業、それがモータウンです。その偉業をざっとあげると。
1. 小さなファミリー企業から、わずか十年でメジャーのレコード会社と肩を並べるまでの企業に成長し、インディー・レーベル成功物語の先駆けとなった。
2. それまでは、黒人層を対象として制作、販売が行われてきたR&Bを、白人までもその購買層としてとらえ、ポップ・チャートに次々と黒人音楽を送り込んだ。
3. 黒人が経営する企業として、アメリカで最大の成功を成し遂げただけでなく、白人経営陣の採用などによりいち早く社内における人種の壁を破壊したこと。
4. 発祥の地である中東部の街デトロイトを離れず、ニューヨーク、ロス・アンジェルス以外の街からでも、レコード会社として成功できることを証明した。(モータウンとは、このアメリカ自動車産業の中心地デトロイトの愛称、モーター・タウンから取られた)
5. 起業戦略として、アーティストを徹底的に教育し、モータウンのイメージ、スタイルを築き上げるというその後の音楽産業におけるプロモーション活動の基本を示した。
6. そして、これらのことを、ベリー・ゴーディー・Jr.という黒人中産階級出の一人の男が、10年たらずで成し遂げてしまった。まさに、アメリカン・ドリームの典型であった。(この業界の常識を覆すような変革は、カリスマ的な「ワンマン」社長だからこそ、可能だったのだが)

<モータウン以後>
 残念ながら、ベリー・ゴーディーが成し遂げたことすべてが、素晴らしいことだったわけではありません。彼が黒人音楽を、白人社会だけでなく世界中に広めたことは、逆に「ソウル」の持っていた「黒い魂」を失ってゆくきっかけにもなりました。80年代に幅を利かせることになる「ブラック・コンテンポラリー」(通称ブラコン)と言われるメロウなだけの気の抜けたサウンドの基礎をつくったのは、彼だったのかもしれないのです。とは言え、1960年代時点では、彼の成し遂げた業績に文句のつけようはありませんでした。彼の生み出したサウンドは、まさにアメリカのサウンドそのものになったのですから。

<ダンシング・イン・ザ・ストリート>
 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」は、モータウンが1964年に放った最もモータウンらしいヒット曲でです。そして、この曲の有名なプロモーション・フィルムは、デトロイトの自動車工場でロケされたもので、モータウンだけでなく、デトロイトの街自体が黄金時代であったことを教えてくれる貴重な作品です。さらに、この曲は、数あるモータウンのヒット曲の中で、最も多くのアーティストにカバーされている曲でもあります。カバーしたのは、キンクス、ママス&パパスローラ・ニーロ、ミック・ジャガー&デビッド・ボウイグレイトフル・デッド、ヴァン・ヘイレンなどです。しかし、どんな偉大なアーティストもオリジナルを越えることはできなかったと、僕は思います。それだけ当時のモータウン・サウンドは完璧なできばえだったと言えるでしょう。そして、この曲を歌ったマーサ&ザ・ヴァンデラスのリード・ヴォーカル、マーサ・リーブスこそ、そんなモータウンを代表するアーティストであり、ある意味モータウンの「光と影」をも写し出した重要なアーティストでした。

<誤解されたダンシング・イン・ザ・ストリート>2004年10月27火
 この曲がヒットした時期、アメリカ国内では公民権運動の生きず詰まりにいらだった人々が各地で暴動を起こしていました。すると、この曲はストリートで暴動を誘発する危険性があるととらえられ、全米各地で放送禁止になってしまいます。
<マーサ・リーブスの運命>
 彼女は、一応、レコードを出したことのある歌手でしたが、モータウンには秘書として入社していました。もちろん、彼女の目標は再びレコードを出すことであり、秘書をしながら、多くのアーティストたちのバック・ヴォーカルを引き受け、そのチャンスを待っていました。そしてある日、モータウン初期の大スター、メリー・ウェルズがレコーディングをさぼったことで、ついにその代役をつかむチャンスを得ました。その後、彼女はモータウンの黄金コンビ、ホランド、ドジャー、ホランド(H-D-H)という作家チームの素晴らしい曲を与えられて、次々にヒットを飛ば始め、あっという間にモータウンのトップへと上りつめました。その頂点に位置する作品が、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」だったわけです。
 しかし、この曲がヒットし、マーサがモータウンのNo.1スターになった時、すでに次期モータウンのNo.1スターになるべきアーティストが現れていました。そのアーティストが、21世紀になってなおアメリカを代表するスターとして活躍を続けているダイアナ・ロス率いるシュープリームスでした。(彼女の異常なまでの出世欲もまた有名な逸話が多いのですが、それはダイアナ・ロス(シュープリームスのページをご覧下さい)
 この方針変更は、当然社長のベリー・ゴーディーの考えであり、常に時代の先をいっていたモータウンらしい企業戦略でした。 結局、マーサはモータウンのトップの座を追われることになり、その仕打ちへの怒りから神経衰弱になってしまいました。その後、他のレーベルへと移籍しますが、残念ながらすでに「ソウルの時代」は終わりに近づいており、彼女が再びスターの座に返り咲くことはありませんでした。(逆に、モータウンでは芽が出ず、移籍した後に大ヒット曲「夜汽車よジョージアへ」でブレイクしたグラディス・ナイト&ザ・ピップスのような例もあるのですが)

<モータウンの運命>
 しかし、モータウンという企業の運命もまた、永遠ではありませんでした。そして、その挫折の原因もまた、スーパー・ワンマン社長の企業戦略によるものでした。いつの時代でも、栄光の座に上りつめたヒーローは、さらなる栄光を目指そうとして、自らその座を失ってしまうものなのですが、 ベリー・ゴーディーの場合もその例外ではありませんでした。
 彼は、ラスヴェガスで金を湯水のように使うだけでは飽きたらず、その西に位置する「夢の都、ハリウッド」を目指したのです。そう、映画産業への進出でした。彼は、故郷デトロイトの街を捨て、太陽の光に満ちあふれたロス・アンジェルスへモータウンの本社を移します。しかし、全く畑違いの映画産業で簡単に成功できるはずもなく、ミュージカル映画「ウィズ」の失敗などで、その資金を失って行きます。その間、本業を支えてきた優秀なスタッフたちは、次々に彼の元を離れてゆき、最後に残された道は、メジャーへの配給権の売却しかなくなっていたのでした。
 1984年、ついにモータウンは、メジャーのMCAと配給契約を結び、その独立レーベルとしての活躍にピリオドを打ちました。同じ頃、モータウンの故郷、デトロイトの街も自動車産業の不振により、アメリカで最も不況が深刻な街になっていたというのも、また皮肉な偶然でした。
 モータウンほど、アメリカ社会における「夢と挫折」をはっきりと教えてくれる存在は、他にないかもしれません。

<追記ー最も報われなかった者たち><追記の追記>2005年10月1日
 モータウンの栄光の影で、まったく報われなかった人たちもいます。モータウン・サウンドの柱となっていたバック・バンド(実質的にはヒット曲を作った人々と言っても良い存在です)の「ファンク・ブラザース」の中心人物ジェームス・ジェマーソンベニー・ベンジャミン、アール・ヴァン・ダイク、ロバート・ホワイトらは、悲劇的といって良いほど、その存在を無視されてきました。同じ時期に黄金時代を築いたアトランティックースタックスのスタジオ・ミュージシャンたちが、その後も「ブルース・ブラザース」などによって、再評価され活躍を続けているのと実に対照的です。(やっと映画「永遠のモータウン」によって彼らは報われることになりました。この映画のヒットのおかげで、彼らファンク・ブラザースはグラミーの功労賞を受けました。それにしても、アメリカという国は何でも気づくのが遅すぎる!)

<映画「ドリーム・ガールズ」>
 映画「ドリーム・ガールズ」は実によく出来た作品でした。モータウンの盛衰史とともに、ダイアナ・ロス(ビヨンセ)とフローレンス・バラードの物語にベリー・ゴーディー・Jrが描かれていたのは当然ですが、ドリーム・ガールズに後から入った秘書上がりの歌手はまさにマーサ・リーヴスだし、エディー・マーフィーが演じていたのはマーヴィン・ゲイ(ニット帽は彼へのオマージュでしょう)。それに、CCはたぶんH−D−Hということになるのでしょう。現実と違うのは、フローレンス・バラード(ジェフリー・ハドソン)と思われる女性は、自分のわがままに気づき最後には復活しています。実際は、主役のダイアナこそが最もわがままな人物だったらしく、彼女はそのわがままを通しながらも見事に生き残り、逆にそのわがままによって追い出されたフローレンスは若くして死んでしまいます。なんと、現実は映画よりも厳しいのです。

関連するページ
ホランド・ドジャー・ホランド
(モータウンの作曲家チーム)
ダイアナ・ロス
(シュープリームス)
マーヴィン・ゲイ
(ニュー・ソウル)
スティービー・ワンダー
(ニュー・ソウル)

     アンダーラインの作品は特にお薦め!

ロック・ポップ系
"A Hard Day's Night" "Can't Buy Me Love" "She Loves You"
"I Want To Hold Your Hand" The Beatles(こう良い曲ばかりだと、ありがたみが薄くなってしまう)
"All Summer Long" The Beach Boys
朝からゴキゲン」 Herman's Hermits
(ブリティッシュ・インベイジョンにおけるアイドル・グループのデビュー曲)
"Because" The Dave Clark Five(トットナム・サウンドの代表的バンド)
"Ferry Across The Mersey" Gerry & The Pacemakers
朝日のあたる家」 The Animals
"Do Wah Diddy Diddy" Manfred Mann
二人だけのデート」 Dusty Springfield
(イギリスを代表するホワイト・ソウル女性ヴォーカル)
ふられた気持ち」 The Righteous Brothers
"Glad All Over" The Dave Clark Five
"Hippie Hippie Shake" The Swinging Blue Jeans
"I'll Get Around" The Beach Boys
"Just One Look" The Hollies
"Mr. Lonely" Bobby Vinton
"Oh, Pretty Woman" Roy Orbison
"People" "Funny Girl" Barbra Streisand (ミュージカルの実力派大スター)
"Time Is On My Side" The Rolling Stones
"Yeh Yeh" Georgie Fame & The Blue Flames
"You Really Got Me" The Kinks (ロック史に残る名曲のひとつ)
フォーク系
時代は変わる」,"Another Side of Bob Dylan" Bob Dylan
"Ramblin' Jack Elliott" Ramblin'Jack Elliott
(ガスリーズ・チルドレンであり、ディランへの影響大)
R&B、ソウル系
"Baby Love" The Supremes
"Chapel Of Love" The Dixie Cups
(ニューオーリンズ出身のガールグループのヒット曲)
"A Change Is Gonna Come" Sam Cooke
(彼の死後発売され、公民権運動のテーマ・ソングとなる)
"Common And Swim" Bobby Freeman
"Hello,Dolly" Louis Armstrong (ミュージカル・ナンバーのカバー曲)
"Hitch Hike" Marvin Gaye
"Love""I Don't Want To Be Hurt Anymore" Nat King Cole
"My Guy" Merry Wells
"The Way You Do The Things You Do" The Temptations
(この頃のモータウン・サウンドの歌詞の美しさには、ディランも脱帽していた)
"Wild One" Martha And The Vandellas
"Where Did Our Love Go" "Baby Love" The Supremes
ブルース系
"Live At The Ann Arbor Blues Festival" Magic Sam
(この幻のブルース・ギタリストの超絶プレイを是非聴いてみてください!)
"Skip James ,Today!" Skip James (悪魔的ブルースを歌った再発見作)
ラテン系
"My Boy Lollipop" Millie Small
(アイランド・レーベルの基礎を築いたジャマイカのスカの大ヒット曲)
ジャズ系
"The Cat" Jimmy Smith (オルガン・ジャズの第一人者のヒット作)
至上の愛John Coltrane (いよいよフリー・ジャズの時代へ)
「プリーズ・リクエスト We Get Requests」オスカー・ピーターソン
"Rio" Paul Winter (ルイス・ボンファらとのブラジル録音のボサ・ノヴァ)
"The Sidewinder" Lee Morgan (ジャズ・ロックの大ヒット曲)
"Spiritual Unity" Albert Ayler (60年代最重要サックス奏者の傑作)
"You Better Know It !!!"Lionel Hampton
ユーロ・ポップ系
アイドルを探せ」 Sylvie Vartan(「イエイエの女王」映画でも活躍)
ほほにかかる涙」 Bobby Solo
(日本では人気No.1だった男性カンツォーネ歌手)
アジアン・ポップ系
トンベク・アガシ(椿娘)」 李美子 イ・ミジャ (韓国の大ヒット演歌)

歌謡曲
愛して愛して愛しちゃったのよ」田代美代子&マヒナスターズ
あの娘と僕」橋幸夫
アンコ椿は恋の花」都はるみ
君だけを」西郷輝彦
抱きしめたい」スリー・ファンキーズ
美空ひばり(レコード大賞、この曲から演歌の時代が始まったとも言われます)


<1964年デビュー>
ロック系
The Animals "The Animals"
The Byrds "Please Let Me Love You"
The Dave Clark Five "A Session With The Dave Clark Five"
Georgie Fame & The Blues Flames "Rhythm & Blues At The Flamingo"
Kinks "Kinks"
Manfred Mann "The Five Faces Of Manfred Mann"
Peter & Gordon 「愛なき世界」
(ピーター・アッシャーは、J.テイラーなどを手がける名プロデューサーとなった)
The Righteous Brothers 「ふられた気持ち」
Rod Stewart " Good Morning Little School Girl"
The Yardbirds "Five Live Yardbirds" (ライブ・アルバムでデビュー)
フォーク系
Buffy Sainte-Marie "It's My Way!"
(映画「いちご白書」の「サークル・ゲーム」で有名なインディアン系フォーキー)
Phill Ochs "All The News That's Fit To Sing"
Simon & Garfunkel "Wednesday Morning,3AM"
ソウル系
Otis Redding "Pain In My Heart" , The Temptations "Meet The Temptations"
ブラジリアン・ポップ
Quarteto Em Cy "Quarteto Em Cy" (ブラジル最高の女性コーラス・グループ)
ユーロ・ポップ系
Gigliola Cinquetti 「夢みる想い」 (サンレモ音楽祭優勝曲)
歌謡曲
都はるみ「困るのことョ」


Johnny Barnett  8月 1日  溺死  30歳
Eric Dorphy   6月29日  糖尿病  36歳 
Sam Cooke 12月11日  射殺  27歳




世界商業衛星通信網協定調印
<アメリカ>
「ヴェトナム戦争への介入本格化」
民主党全国大会開催
(民主党内の公民権法反対派(ミシシッピー州民主党)について、党内、白人黒人間に亀裂が生じる。黒人側の過激派誕生のきっかけとなった事件)
SNCC(学生非暴力調整委員会)が中心となり公民権運動に白人学生を動員する動きが活発化
アメリカで新公民権法が成立(黒人無差別の広範囲適用)
カリフォルニア大バークリー校で「フリー・スピーチ運動」が始まる。これはヴェトナム反戦運動など、学内での政治活動禁止に対する反発で、ここから学生運動が世界中に広まって行くことになります。
トンキン湾事件をきっかけに、アメリカのヴェトナム介入が始まる
カシアス・クレイ(モハメド・アリ)がソニー・リストンを破り世界ヘヴィー級王者につく
クーデターにより、カステロ・ブランコによる軍事政権が樹立される(ブラジル)
ドミニカ共和国で革命、アメリカが軍事介入
<ヨーロッパ>
フルシチョフの失脚により、ブレジネフが書記長就任
<アジア>
中国が初めて原爆実験を実施、成功させる(中ソ対立決定的となる)
パレスチナ解放機構(PLO)設立
<日本>
東京オリンピック開催、東海道新幹線開業
佐藤栄作内閣設立

<芸術、文化、商品関連>
「マリリン」 アンディー・ウォーホル
「ケンタウロス」ジョン・アップダイク著(全米図書賞)
マーシャル・マクルーハン「メディア論」
シャネル、クレージュ、イヴ・サンローランが「パンタロン・ルック」を発表
テレンス・コンランが「ハビタ」をオープン(コンラン・ショップ)
「ひょっこりひょうたん島」放映開始
月刊漫画誌「ガロ」、「平凡パンチ」創刊
TOTOがホテル用ユニット・バスを開発
「クリネックス・ティッシュ」「ワンカップ大関」「かっぱえびせん」発売開始


<音楽関連(海外)>
オランダのフィリップス社がカセット・テープの発売を開始
ブリティシュ・インベイジョンと呼ばれるイギリス勢のアメリカ進出が本格化
初めてのビートルズ・アメリカン・ツアー開始
ビートルズがアメリカのヒット・チャートでベスト5を独占("Can't By Me Love","Twist & Shout","Please Please Me", "She Loves You",「抱きしめたい」)
映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」公開
ダンス「スウィム」がブームになる
フリージャズ・ミュージシャンによるコンサート、「ジャズの10月革命」開催
ニューヨークでサルサのレーベル、ファニアが設立される(アルゼンチン生まれの弁護士、ジェリー・マスッチとドミニカ生まれのジョニー・パチェーコによる)
バイーア四人組カエターノ・ヴェローゾ、マリア・ベターニャ、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ)の活躍が始まる
ジャマイカで、スカのパイオニア、スカタライツが結成される
南アフリカで、マハラティーニ&マホテラ・クィーンズが結成される
<音楽関連(国内)>
歌謡界の青春御三家活躍(舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦)
日本武道館開館
「恋をするなら」「チェッ、チェッ、チェッ」「恋のメキシカン・ロック」「あの娘と僕」など、エレキ歌謡と呼ばれる曲が次々にヒット

<映画>
この年の映画についてはここから! 

[1964年という年] 橋本治著 「二十世紀」より(2004年11月追記)
 1964年はオリンピックの年、同年、夢の超特急「東海道新幹線」が営業を開始している。
「東京オリンピックとその”成功”は、後の日本人に慢性的なスクラップ&ビルドの習慣を定着させてしまう。・・・」
「『オリンピックのために立派な施設も作る』という変な常識を定着させてしまったのは、ろくな施設がないことに慌てた東京オリンピック以来なのである。・・・」


<作者のコメント>
 高度経済成長を遂げた1960年以降、知らぬ間に日本は世界中に多大な影響を与えていたのだということを、日本人はあまりに知らなさすぎるのかもしれません。
 それはけっして悪い影響だけではありません。良い影響、悪い影響をしっかり見極めることが必要だと思うのですが、なぜか日本人は自分の国のことになると異常に卑屈になるか、異常に傲慢になるか、そのどちらかのようです。
 たぶん21世紀に大人になる人たちの感覚はまた違ったものになると思うのですが・・・。        

年代記編トップへ  1965年へ   このページの頭へ    トップ・ページへ