- ブラッド、スウェット&ティアーズ Blood,Sweat&Tears -

<天才セッションマンの夢>
 きっかけは、ひとりの天才セッションマンのアイデアでした。その男の名は、アル・クーパー。1944年2月5日生まれの生粋のニューヨーカーです。1965年、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」で歴史に残るオルガンを弾き、一躍その名を世界に知られることになった男でもあります。彼はもともとギタリストであり、オルガンなどほとんど弾いたことはありませんでした。しかし、たまたまディランのセッション当日、その場にマイク・ブルームフィールドという名うてのブルース・ギタリストがいたため、しかたなく彼はオルガンに回ることになりました。すると、その音色を聴いたボブ・ディランが彼のことを気に入り、彼は一躍有名ミュージシャンたちの仲間入りをすることになったのです。
 この後、彼はブルース・プロジェクトというブルース・ロック・バンドを結成します。このバンドは白人ブルース・ロック・バンドの先駆けであり、ここで彼は本格的にキーボード奏者としての活躍を始めます。しかし、アル・クーパーという人物は良くも悪くも、ひとところにとどまれる人間ではありませんでした。このバンドでの活動は、わずか一年で終わりを迎え、バンドの中心メンバーだったギタリストのスティーブ・カッツとともに、彼はバンドを離れます。
 そして、次に彼が目指した新しいサウンド作りの「血と汗と涙」の結晶こそ、ジャズとロックの融合サウンド、ブラス・ロックの先駆け「ブラッド、スウェット&ティアーズ」だったのです。

<ブラス・ロックの誕生>
 ブラス・ロックというスタイルを実現させようとしたのは、けっしてアル・クーパーだけではありませんでした。1967年時点で、イギリスのジョン・メイオールは、自分のバンド、ブルース・ブレイカーズにホーン・セクションを導入してアルバム「クルセード」を録音しているし、同じ年にポール・バターフィールドもまた自らのバンドにホーン・セクションを加えています。しかし、彼らの音楽はあくまでブルースを基本とするものでした。それに、後に彼らとブラス・ロックの黄金時代を築くことになるシカゴもまた1967年にバンドを結成していますが、彼らはまだそのスタイルを模索中で、そのデビューは、1969年のことになります。
 それに対し、アル・クーパーが目指したのは、ビッグ・バンド・スタイルのジャズをロックの世界に導入するというだけでなくクラシックなどの異なるジャンルまでも取り込もうとする挑戦的なものでした。
 彼らが目指したサウンドの特異さは、そのバンドのメンバー構成からも明らかです。アル・クーパー(オルガン、ピアノ、Vo)、スティーブ・カッツ(Gui.,Vo)、フレッド・リプシウス(Sax,Pia)、ディック・ハリガン(トランペット)、ランディー・ブレッカー(トランペット)、ジム・フィルダー(Bass)、ジェリー・ウィリス(トランペット)、ボビー・コロンビー(Drams,Vo)。オール白人のバンドでありながら、ペット3本とサックス1本というホーン・セクションをもつバンドは、当時としてはまさに画期的な存在でした。しかし、彼らが発表したアルバムは、それ以上に画期的な内容だったのです。

<デビューと内部分裂>
 彼らのデビュー・アルバム「子供たちは人類の父である」(1968年、プロデューサーは、ジョン・サイモン)は、イントロに弦楽四重奏を取り入れたり、BSTソウル・コーラス(ヴァレリー・シンプソンメルバ・ムーア)という素晴らしいバッキング・ヴォーカルを用いるなど、ホーン・セクション以外にも新しい試みを導入、ジャズあり、クラシックあり、ソウルあり、ロックありという新しいサウンドを展開してみせました。これこそ、アル・クーパーが目指していたものでした。
 しかし、内容的に素晴らしいアルバムだったにも関わらず、バンドの内部ではすでに問題が生じていました。アル・クーパーが目指す、より高度でセッション的、ブルージーなサウンドに対し、アレンジを行っていたメンバーのフレッド・リプシウスやディック・ハリガンは、ホーン・セクションを活かしたよりビッグ・バンド・ジャズ的なパワフルでポップなサウンドを目指すべきだと考えていました。さらに、アル・クーパーのヴォーカルでは、パワフルな彼らのサウンドに対して線が細すぎるとも考えていたのです。

<アルのその後、スーパーセッション・マンへ>
 結局アルはバンドを去ることになりました。そして、再びセッションマンの世界に戻ります。と言っても、彼は単なる一セッションマンに戻ったわけではありませんでした。それは、次なる挑戦の始まりでした。
 その第1弾が1968年発表のアルバム「スーパー・セッション」でした。このアルバムは、かつてライバルだったブルース・ギタリストのマイク・ブルームフィールドと、この後すぐにクロスビー、スティルス&ナッシュを結成することになるフォーク・ロック界の大物、スティーブン・スティルスとのジャム・セッションをアルバムに収めたものでした。ジャム・セッションというアドリブによる音楽の世界をアルバム化するという試みは、ロックの世界ではそれまでほとんどなかったことでした。しかし、このアルバムは大成功をおさめます。より高度なロックを求め始めていた新しいロックのファン層は、彼の試みに大きな拍手を贈ったのです。これに勢いづいた彼は、翌1969年に歴史的傑作とも言えるセッション・アルバム「フィルモアの奇蹟」を発表しました。(このアルバムは、再びマイク・ブルームフィールドとコンビを組んだものでした)

<ソロ・アーティストへ>
 この後、彼はいよいよソロ・アーティストとしての活動に入ります。
"New York City (You're A Woman) 紐育市(お前は女さ)"(1971年)、「早すぎた自叙伝」(1972年、この後彼の名が聴かれなくなることを考えると、なんとも皮肉なタイトルだった)などのアルバムを発表するが、その後はサウンド・オブ・サウス・レコードを興して、レナード・スキナードを世に送り出すなど裏方へと回ることが多くなってゆき、1980年代には、ほとんど引退状態になってしまった。考えてみると、セッション・アルバムの黄金時代とも言えた1960年代末とともに、アルの時代も終わってしまったのかもしれない。時代は自己主張をぶつけ合う闘いの60年代から、協調によるアンサンブルの時代へと向かいつつあったのだ。

<ブラス・ロック黄金時代へ>
 アル・クーパーという大きな存在が抜けたにも関わらず、B・S&Tは、この後セカンド・アルバム「Blood,Sweat&Tears 血と汗と涙」で一気に黄金時代を迎えることになりました。アルの抜けたヴォーカルの穴は、デヴィッド・クレイトン・トーマス(1941年9月13日イギリス、サリー州生まれ)という作曲もでき、渋さとパワーを兼ね備えたアーティストがしっかりと埋めました。さらにプロデューサーは、ファーストを担当した玄人好みのジョン・サイモン(ザ・バンドのプロデューサーとしても有名)から、よりポップさを引き出すことが上手いジェームス・ウィリアム・ガルシオに変わりました。(同じブラス・ロックの人気バンド、シカゴのプロデューサーだ)
 セカンド・アルバムからは、超スタンダード・ナンバーの「スピニング・ホイール」(全米2位)、「ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー」(女性R&B歌手ブレンダ・ホロウェイ作、全米2位)、「アンド・ホウェン・アイ・ダイ」(もちろんローラ・ニーロ作、全米2位)などの大ヒットが生まれ、彼らはシカゴと並ぶブラス・ロックの人気バンドとなりました。

<アンサンブルとしての完成型へ>
 アルが抜けた時、同時に2人のトランペッター、エリー・ウェイスとランディー・ブレッカーが抜け、代わりにチャック・ウィンフィールドとルー・ソロフ、それにトロンボーン奏者としてジェリー・ハイマンが加わりました。(ランディー・ブレッカーは、この後同系統のバンド、ドリームスを結成した後、名うてのスタジオ・ミュージシャンとして、70年代から80年代にかけてのフージョン・ブームにおける重要人物となって行きます)
 さらに、編曲を担当していた2人、ディック・ハリガンとフレッド・リプシウスを中心に彼らは、よりジャズ色を強め、より高度なアンサンブルを目指します。アル・クーパーという、異能のスーパー・スターを失ったことは、この方向性にとって逆に幸いしたのかもしれません。
 しかし、より高度なサウンドを追求しようとしたセルフ・プロデュース的なサード・アルバム「ブラッド・スウェット&ティアーズ3」は、ポップさに欠けていたせいかヒット作とはならず、この後バンドの人気は少しずつ下り坂へと向かい始めました。(活動自体は1980年まで続いたが)

<最高の選曲と最高の編曲、そして最高の演奏>
 彼らの最大の魅力は、ホーン・セクションの完璧な一体感によって支えられたその見事な演奏力でした。しかし、彼らが演奏した曲、そのものの良さと編曲によって付け加えられた新たな魅力、この二つもまた彼らの人気を支えていました。それは、彼らが取り上げた曲の作者の名前を並べてもわかるでしょう。
 ローラ・ニーロ、ティム・バックリー、ボブ・ディランジェリー・ゴフィン&キャロル・キング、ニルソン、トラフィック、ローリング・ストーンズジェームス・テイラーザ・バンドビートルズランディー・ニューマンH−D−Hなど。
 B・S&Tの優れた選曲、編曲のセンスと演奏力は、当時まさに時代の最先端でした。しかし、それは壁にぶつかる運命にもありました。時代はトータルなコンセプトをもちオリジナルの曲と詞によって作られたアルバムの時代へと変わって行きました。さらに、そこで求められる演奏は、優れた演奏力をもつスタジオ・ミュージシャンたちとテクノロジーの進歩によるダビング機材の発展により、いつでも生み出すことが可能になりました。B・S&Tと同じようなタイプのミュージシャンたちが、この時期を境に表舞台から消えていったのは、そのせいだったのでしょう。(タワー・オブ・パワースリードッグナイト、チェイス、カーペンターズなど)
 セッションという「音楽による闘い」を作品化した60年代末、優れた選曲と最高の演奏技術で「良質のポップス」を生み出した70年代初め、二つの時代が終わり、ロックは再びロックの本質でもある「混沌の音楽」の時代へと突入することになるのです。

<締めのお言葉>
「 その人たちに生命をあたえたものは風
 今私たちの口をついて出てくるものも風
 風がくれた生命
 風が止む時、私たちは死ぬ
 今でも指の皮の下に風の道が見える
 私たちの祖先が創られた時
 風がどこに吹いていたかを
 それはいつでも教えてくれる 」

ナバホ族に伝わる古い祈りの歌

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