- ザ・チーフタンズ The Chieftaines -

<アイリッシュ・サウンドの影響力>
 20世紀後半のポップスの歴史において、ロックという黒人音楽を基礎とする音楽をのぞくと、白人社会が生みだした影響力のある音楽はほとんど無いと言えるでしょう。しかし、そんな中でも唯一ヨーロッパの端の小さな島国、アイルランドはひときわ輝きを放つ存在です。レゲエやサルサのように、リズムやダンス・スタイルなどとして、その存在をアピールできないため、その影響をはっきりと示すことは困難ですが、アイルランド出身のミュージシャンたちの世界的な活躍を見れば、その影響力の大きさは明らかでしょう。

<アイルランド出身のアーティストたち>
 ヴァン・モリソンエルヴィス・コステロ、ホットハウス・フラワーズ、ザ・ポーグスU2、ブームタウン・ラッツ、クリス・レア、ザ・コアーズ、クリス・デ・バー、クラナド、ロリー・ギャラハー、シンニード・オコーナー、シン・リジィ、トム・ジョーンズ、ウォーター・ボーイズ、エンヤなど、それにトム・ジョーンズビートルズのうち3人がアイルランド系だったことなど、数え上げればきりがないのです。

<アイルランド、苦難の歴史>
 沖縄(琉球王国)は、かつては日本による植民地支配を受け、太平洋戦争ではその戦場となり、さらに未だに米軍の駐留基地として犠牲になっていますが、アイルランドとイギリスはそれと同じような関係にあると言えるでしょう。かつて、アイルランドは食料生産のほとんどをイギリスに搾取され、人々は常に食糧不足に苦しんでいました。特に、19世紀の中頃にあった歴史的飢饉の際には、アイルランドの国民に残された唯一の食料だったジャガイモが全滅し、多くの餓死者をだしました。そのため、多くの人々が生きるためにアイルランドを去り、イギリスや新大陸へと向かいました。現在、アメリカの白人社会において、WASP(イギリス系)を押さえて最大の人口になろうとしているアイルランド系移民の先祖はほとんどこの頃に海を渡った人々です。(この時代のアイルランド系移民の物語を映画化した作品が、2002年公開の「ギャング・オブ・ニューヨーク」です)

<アイルランドの独立と抗争>
 こうした苦しい状況が続いたアイルランドを独立に導いたのが、この国の英雄、マイケル・コリンズです。しかし、その独立運動は、北アイルランドの独立問題が解決しないまま未だに、激しい国内紛争として続いているわけです。(この独立運動の詳細については、映画「マイケル・コリンズ」を是非ご覧下さい!)

<アイルランドの伝統と音楽文化>
 こんな厳しい歴史をもつ国だからこそ、人々は音楽という娯楽に喜びを見出し、さらにケルト民族の豊かな文明の中心地であった伝統が、この国に豊かな音楽文化を発展させました。アイルランドの首都、ダブリンが世界一ストリート・ミュージシャンが多いと言われるのも、そんな文化風土のおかげなのです。そして、そんなアイルランド音楽の伝統を長年に渡って、引き継いでいるのが、アイリッシュ・トラッドと呼ばれる音楽で、チーフタンズは、その最重要バンドであり、革新者、伝道者なのです。

<チーフタンズの歴史>
 チーフタンズが結成されたのは1962年のこと。1965年にアルバム"The Chieftaines"でデビューしたベテラン・バンドです。(ローリング・ストーンズやビートルズと同世代のバンドでもあるわけです)1972年には、グループのリーダー、パディー・モロニーが、ビートルズから離れたばかりのポール・マッカートニーのソロ・シングル「アイルランドに平和を」に参加し、その名を知られるようになり、1975年のアルバム"The Chieftaines 5"の発表後、イギリスに渡りロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでコンサートを行い大成功をおさめました。
 1976年には、名匠スタンリー・キューブリック監督の映画「バリー・リンドン」の音楽を担当し、見事アカデミー音楽賞を受賞しています。それ以外にも、アイルランドが生んだ偉大な作家、ジョイスの作品を映像化したジョン・ヒューストン監督の「デッド」やニュー・ウェスタンの傑作「グレイ・フォックス」などの音楽を担当し、トラッド・サウンドの最高峰としての評価を得るようになりました。
 さらに、1993年発表のアルバム「アナザー・カントリー」「アイリッシュ・イブニング」、1994年発表の「ケルティック・ハープ」と次々にグラミー賞を受賞し、その名を世界中に知られるトラッド・バンドとなりました。

<「ロング・ブラック・ベール」での共演者たち>
 しかし、そんなトラッド系アーティストとしての活躍以上に、彼らの名を世界中に知らしめたのは、ヴァン・モリソンとの共作アルバム「アイリッシュ・ハートビート」と、豪華なロック界アーテイストたちとの共演作「ロング・ブラック・ベール」でしょう。特に、後者のアルバムのそうそうたるメンバーには、世界中が驚かされたものです。
「いったいなんで、こんなおじちゃんたちと若者のヒーローたちが、共演するわけ?」
スティング(彼はアイルランド系ではないが、あえてゲイル語(アイルランド語)で歌いました)、ローリング・ストーンズ(ストーンズのメンバーとチーフタンズは昔から仲がよい)、シンニード・オコーナーヴァン・モリソンマーク・ノップラー(元ダイアー・ストレイツ)、ライ・クーダーマリアンヌ・フェイスフルトム・ジョーンズというメンバーです。実は、このメンバー以外にも、故ジェリー・ガルシアグレイトフル・デッド)、ボブ・ディランジョニ・ミッチェルピーター・ガブリエルも参加する予定でしたが、スケジュールの都合上Vol.2に参加してもらうことになったそうです。

<メンバーと演奏楽器>
 
ここでメンバーと担当楽器について紹介をしておきましょう。
 リーダーでもあるパディー・モロニーは、イーリアン・パイプとホイッスルの担当(イーリアン・パイプとは、「ひじのパイプ」という意味で、スコットランドのバグ・パイプのように口で吹いて音を出すのではなく、ひじで袋を押すことで音を出す楽器です)。デレク・ベルは、ハープとキーボードなどの楽器の担当(ハープはクラシックで使われるものより小型)。それにマーティン・フェイショーン・ケーンがフィドルを担当。そして、途中から加わったメンバーが、バウロン(大型タンバリンのような打楽器)とヴォーカルを担当するケヴィン・コネフとフルートを担当するマット・モロイ。この6人編成です。

<世界各地でのセッション>
 最近の彼らは、アイルランド内の活躍にとどまらず、海外へ進出、世界各地を旅しながら地元の優れたミュージシャンたちとセッションを行い、音楽による交流を行いながら新しい音楽を生み出したり、逆に古い音楽を掘り起こす活動を繰り広げています。(彼らは、アイルランド政府から正式に音楽大使に任命されています) そんな活動の中から生み出された傑作が、彼らの90年代の代表作「サンティアーゴ」(1996年発表)です。

<傑作「サンティアーゴ」>
 このアルバムでは、スペインの中にあって、ケルト文化が今なお色濃く残るガリシア地方の伝統楽器ガリシアン・パイプのナンバー・ワン奏者、カルロス・ヌニェスとのセッションが目玉と言えるでしょう。しかし、彼らはアイリッシュ・サウンドの移民による移動の軌跡を追うことでキューバにも足をのばし、現地でライ・クーダーとともにサルサ系ミュージシャンたちとのセッションを行い、(そして、このセッションがきっかけとなって、あのサルサ・ブームの火付け役「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」が生まれました!)さらに、メキシコにおいてはリンダ・ロンシュタットロス・ロボスというロック界の大物たちとのセッションも行っています。(リンダ・ロンシュタットの父はメキシコ系アメリカ人、ロス・ロボスはLA出身のチカーノ系ロック・バンド)こうして、このアルバムはアイリッシュの人々の移民の旅を追体験しながら、その時各地で出会ったかもしれない音楽と、もう一度セッションを行うという時と場所を越えた画期的な企画を実現し、世界的な評価を受けました。

<もうひとつの傑作「アナザー・ソング」>
 1993年発表の「アナザー・ソング」もまた画期的な企画でした。このアルバムはアメリカのカントリー音楽の中心地、ナッシュビルで、チーフタンズとカントリーの大御所たちによって制作されました。それは、アイルランドから移民した人々がアパラチア山脈の周辺で発展させたマウンテン・ミュージックというカントリーの原型とも言える音楽を掘り起こし、それがロックン・ロールへと到る道筋を再現していました。

<そして世界へ、新しい音楽の創造へ>
 世界は広く、歴史は奥深い。チーフタンズは、アイリッシュ・トラッドという切り口で、世界を旅し、歴史を旅しながら、新しい音楽の歴史を生み出そうとしています。けっして、ロックだけが新しい音楽を生み出すわけではないし、若者たちだけが新しい文化を生み出すわけではないのです。彼らは、そんな重要なことを証明してみせた偉大なる中年バンドでもあるのです。

<締めのお言葉>
「だから、知識と友情の交換を地球規模のネットワークに乗せ得た博物学は、必然的に全世界を巻き込むかたちで発展をとげ、同時代の科学精神を代表するまでに成長していった。…」

荒俣宏著「目玉と脳の大冒険」より

<参考資料>
「アイリッシュ&ケルティック・ミュージック」山尾敦史編集(音楽之友社)
CD「ザ・ロング・ブラック・ベイル」「サンティアーゴ」ライナーなど

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